時の面影
最近立て続けに何件か、過去に私が撮った風景写真を見せてほしいという依頼を受けた。そこでネガや紙焼きを保管している棚をひっくり返し、自分でも忘れていた写真をじっくり見ることになったのだが、そのときはっと気づいた。それらの写真のところどころには、今はもうなくなってしまった店や建物の姿がはっきりと写り込んでいた。
当時、当たり前のように毎日通り過ぎていた道。友だちと朝まで遊んでいた店。ちょくちょく顔を出していた友人の会社‥そういうなつかしい場所のずいぶん多くが、今はもう跡形もなく消え去っている。もちろん、東京とはそのような、移り変わりの激しい街だと知っていたはずなのに、実際に自分のこととして事実を突きつけられると結構ショックだった。
そして改めて思い返した。写真という表現手段には、いくつもの意義がある。その美術性、その思想性、その政治性、その同時代性‥そして、その「記録する」という力。
今、私がレンズを向け、フォーカスを合わせた一つの風景が、別の誰かにとって、かけがえのない記録になるかも知れないという責任。
8年前、初めてフルマニュアルのカメラを手にし、おずおずと街に出てファインダーを覗いていた‥あの頃の感情が、再びよみがえっていた。
*下の写真は、2005年3月の朝の渋谷。当時東急高架下にあったクラブ、Seco Barで朝まで遊び、店を出たときに見た風景。
September 30, 2008 13:57
うさぎと私
2年前の秋の日、私の頭の中に突然うさぎが現れた。
その頃、初めての個展を終えたばかりで、これから自分はどんな写真を撮っていくべきなのか、写真とは一体何なのかを、毎日毎日ぼんやりと考えていた。すると頭の中にうさぎが現れた。
うさぎの周りには深い森が広がっていて、私がちょっと首をかしげると、森の中には静かな風が吹き、うさぎは柔らかな下草の上をぴょんぴょん歩き始めた。私はその後をどこまでもどこまでも追いかけてゆき‥やがて一つの物語が出来上がっていた。
*
『ピーターラビットと森の泉』と名づけたその物語を、今週、渋谷・アップリンクファクトリーで発表する。
人生とは本当に不思議なもので、2年前、ただただ私の心と思考の切実な必要性からこの世に生まれて来た物語が、めぐりめぐって、今年、才能ある朗読家、音楽家、映像作家の手で発表されることになったのだ。
この数か月、時には激しく議論を戦わせながら、メンバー全員で練習を積み重ねてきた。私は本来、写真や文章のように、一人で作品を作ることが性に合っていると思う。でも、時にはこうしてチームで作り上げる作業に参加することも、本当に幸福な経験だったと幸せを噛みしめている。
8月28日、夜7時半、うさぎに会いに渋谷の森へ遊びに来てください。
詳細・予約は、
http://www.uplink.co.jp/factory/log/002706.php
(下の写真は、練習スタジオでの或る日の稽古風景。左=朗読・八木竜平、中=音楽・PIRAMI、右=映像・吉田知史)
August 24, 2008 19:12
MAYA from West Endとは誰か?
「MAYA from West Endってどういう意味ですか?」
と、よく人から訊かれる。たぶん、あまりにも変な名前なのでついつい訊いてみたくなるのだろう。実は、この名前には四つの意味があって、箇条書きすると以下のようになる。
1)政治的意味
2)存在論的意味
3)自分を鼓舞し続けるため
4)本名からの直訳
これを全部説明していると延々と長くなるし、そんな込み入った話は誰も聞きたくないと思うので、よく説明に使うのは4)の理由だ。
「私の戸籍上の本名を、日英翻訳ソフトに入れて、えい!って変換したらこんな変な直訳が出て来ちゃった‥、そういうイメージなんです。ほら、ああいうソフトってまだまだ全然不完全で、よく変な直訳が出て来て大笑いしますよね?あのかんじです」
*
ところで、話は少し変わるけれど、私は写真を撮ることと同じくらい文章を書くことが好きだ。子どもの頃はずっと、将来は作家になると信じていた。その夢が実現するかどうかは分からないけれど、最近少しずつ文章の仕事も増えて来て、日本語で書いているのに名前だけ英語名というのはしっくり来ないなと思うようになった。
そこで、これからは、文章を書く自分に新しい名前を与えたいと思う。その自分は写真を撮っているMAYA from West Endと全く違う思想を持っている訳でもないので、名前のどこかに共通点があった方が良いと思う。
西端真矢(にしはた・まや)
というのが、その新しい私の名前だ。「MAYA from West End」をもう一度、今度は英日翻訳ソフトで変換してみたらこの名前が出て来た、というイメージだ。でも、中国語を解する方なら、もしかしたらこの名前に隠されたもう一つの意味を読み取って頂けるかも知れない。
*
西端真矢として、実現してみたいことが三つある。生来が怠けがちな人間なので、ここに逃げ道を作らないよう書きとめておく。
一、小説を書く
二、演歌の作詞をする
三、中国現代文学の翻訳をする
‥どれも目がくらみそうに難しいことばかりだが、10年以内に実現出来たらいいと思う。何よりも、日本に、そしてアジアの中に生まれた人間として、アジアの名前を持てたことが、本当に嬉しい。
*
*西端真矢としての最初のプロジェクトは、近日発表予定。
July 2, 2008 23:22
植物を育てる
高校生の頃、誕生日にもらった鉢植えの花をすぐに枯らしてしまったことがあって、それ以来、自分は植物を育てるのが苦手だと思っていた。ところが、昨年夏、一人暮らしのアパートを出て庭のある実家に戻って以来、突然花を育てるのが楽しくなり始めた。最初は何本か枯らしてしまったものもあったけれど、だんだんと、花と場所との相性が分かって来て、今では爆発的に咲き過ぎてかえって情緒がなくなってしまっているものさえある。
ずっと、写真が趣味だったのに、いつの間にかそれはしじゅう私の頭を悩ませる人生の最重要課題になってしまった。花いじりだけは、一生、のんきな趣味のままにしておきたいと思う。
*写真は、最近植えた松の盆栽に芽が出て来たところ。
May 24, 2008 13:27
彼女
去年の秋、遊びに行ったクラブで、一人の女の子を紹介された。「マヤです」と私が名乗るとその子はちょっと首をかしげ、それから、まるでピーターパンのようにぴょんとフロアーの上に飛び跳ねた‥ように見えた出会いの瞬間を今でも覚えている。
「マヤさんて‥写真を撮ってるマヤさんですよね?」
彼女は言った。その年の夏、私がインディーズ誌『MASSAGE』に発表した、写真とエッセイのページを見てくれていたということだった。
「ありがとう」
私がお礼を言うと、彼女はゆっくりと喋り始めた。とてもゆっくりと、大事なことを言葉にまとめようと必死なのだと伝わって来るような話し方だった。
「私‥、マヤさんのあのページを見て、何かが変わったなあって思いました」彼女は言った。「私、ずっと絵を描いて来て‥、でも全然上手くいかなくて‥。会社の仕事もアート関係なんですけど、全然ぱっとしなくて‥、もう私は本当にだめなんだなあって、あきらめて生きてたんですよ。‥でも、マヤさんのあのページを読んで、もう一度やってみようかな、っていう‥、そういう気持ちをもう一度持てるようになったんです」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の中に、見たこともないほど美しい花が咲いた気がした。初めて自分の写真展を開けたとき、自分の文章と写真が完璧な形で『MASSAGE』に載ったのを見たとき、本当に嬉しかった。「いい写真を撮れた」と思う瞬間、自分の納得がいく文章を書けた瞬間、いつも、たとえようもないほどの幸福を感じる。でも、このときより嬉しいと思った瞬間は他にない。
自分の作ったものが誰かの人生とポジティブなつながりを持つことが出来る?そんな素晴らしいことが自分に起こるなんて、想像することも出来なかった。今でもまだ信じられないけれど、でも、それは本当に起こったことで、きっと私の作品を世に出すために一緒に走ってくれた人たちも、この話を聞いたら同じように喜んでくれると思う。
*
そして、1年経ったこの秋、更に素晴らしいニュースが彼女から届いた。あの後、心機一転、描き始めた作品が、最難関と言われるイラストレーションのコンペで入選したというのだ。
あまりにも嬉しくて自分のことのように緊張してしまい、長くその雑誌、『Illustration』168号を見ることが出来なかったけれど、どきどきしながらページをめくると、彼女の名は確かにそこにあった。
おめでとう。
本当におめでとう。
Pommette、というのが彼女のアーティスト名で、最近、久しぶりに会った彼女の目には、1年前にはなかった深い自信が、彼女が描く森の木のように静かに根を生やし、豊かに葉を茂らせているのが見えた。
☆Pommette、『Illustration』誌上コンペ入選作品
☆『Illustration』誌上コンペ選考の様子
☆Pomette作品ブログ
November 14, 2007 14:42
私にとっての二つの場所
8月の半ばに北京から帰国して以来、毎日心が晴れなかった。写真を撮ったり、暗室に入ってプリント作業をしているときは良いのだけれど、それ以外の時間はいつもぼんやりと「中国へ帰りたい」と考えてしまう。毎日毎日、心が二つに引き裂かれているようでとても苦しかった。
日本は、私の国だ。言葉も100パーセント通じるし、社会の決まりごともよく分かっている。そして何よりも、たくさんの素晴らしい友人に囲まれて日々を過ごしている。私ほど友人運に恵まれている人間はいないのではないかと思うほどだ。アート、文学、音楽、哲学といった話題について、丁々発止と議論を戦わせられる友人。私の写真を応援してくれる友人。いつもあたたかく私を迎え入れてくれる友人‥彼らのことが、本当に好きだ。
そして私の傍らにはいつも、これ以上ないほど深い愛で私を支えてくれる両親がいる。年老い始めた彼らを置いて、他の国へ出て行くことなど私には到底出来そうにない。
‥それでも、心のどこか別の部分では、日本を出て行きたいと思っている。北京、上海、香港、台北‥、中国のどこかの街で暮らしてみたい。今、この国で私が持っているものの全て。それを全部捨てても良いと思うほどの輝きを、今年の夏、自分の目で見た中国は放っていた。
*
‥そんな悩みが頂点に達していた2週間前、暗室で1枚の写真を焼き始めた。まだ広告代理店に勤めていた今年の春に撮った写真で、なかなか焼く気持ちになれず、待機状態になっていたものだ。
それは、以前から構想を温めていた「日本」という連作写真の最初の1枚で、友人の服飾デザイナーが仕事をしている姿を撮っている。私にとっては本当に本当に重要な1枚だ。
焼き始める前から、この写真を焼くのは難しいと分かっていた。どんな写真でも焼くのは難しいけれど、このシリーズでは1枚1枚の写真が、私の国、「日本」を表現していなければならない。しかもこれはその最初の1枚だ。一体どういう濃度で、どういう色味で、この写真の世界を作っていけばいいのだろう?
真っ暗な部屋の中で、音楽をかけて、時にはそのメロディーを大声で歌いながら引き伸ばし機の目盛りを睨み‥、いつもいつも暗室では気が狂いそうになるけれど、今回は特にその度合いがひどかった。途中で何かが顔に激しく当たり(定規?)、右頬を2cmほど切ってかなり出血もしたのに、何故怪我をしたのか、何が当たったのか、全く記憶がないほど写真の世界へ深く入り込んでしまった。
‥そう、その写真を焼きながら、私はやっとこの国と本当に向き合い始めたのだと思う。豊かな自然に恵まれ、長い歴史を持ち、世界でも最も発展した国の一つに数えられる私の祖国、日本。でも、この国の何かが、私を外の世界へ出て行きたいと思わせる。たまらなく私を息苦しい気持ちにさせている。何がそうさせるのだろう?中国にあって日本にないもの。それは一体何なのだろう?私は日本を、愛しているけれど、憎んでもいる。いや、愛しているからこそその欠点はより受け入れがたく、過剰なほど強く憎んでしまうものなのかも知れない。
日本とは何なのだろう?この国は一体何を奥底に隠し、どこへ行こうとしているのだろう?これから始まる新しいシリーズで、私はそのことを知りたいと思う。
*
‥そうやって、その1枚を焼き終わったとき、この1ヶ月ほどの自分の悩みが静かに消えてゆくのを感じた。もちろん、中国抜きで、この先の人生を生きることは出来ない。でも、やはりまだ私には、完全に日本を離れることも出来ない。
日本と、中国。私にとっての二つの大切な場所。難しいことかも知れないけれど、二つの国の間を、いつもふらふらさまよいながら生きていけたらいいと思う。数え切れないほどたくさんの査証印が押されたパスポート。ぼろぼろのトランク。日本と中国、両方のラボで現像されたネガの束‥そういうものに、囲まれた人生。どちらの国にいても私は一人の人間、MAYAで、いつまでも二つの国を愛し続けていくのだと思う。
October 17, 2007 22:09
夏を想う
季節はいつもゆっくりとうつろっていて、変わり目がいつかははっきりしないものだけれど、私にとって、今年の夏は、8月の半ば、滞在していた中国の空港を飛行機が離陸してゆく瞬間に終わった。
東京の私の友だち皆が好きな歌があって、その歌詞は、「Summer never ends. . .まだ寝ません」と歌う。けれど、時には完璧に美しく終わる夏があるのだと、その日、窓の向こうに遠ざかってゆく中国を見ながら思った。
*
‥完璧な夏が終わってしまった後で、これから始まる新しい季節を、私はどう過ごすのだろう?考えてみれば人生はいつも、明日のことすらよく分からないはずのものなのに、今年の秋は特に全てが、ひどく曖昧に見える。
*写真の人形は、大好きな中国のファッションブランド“上海灘”の北京空港店で、搭乗直前に買ったもの。
September 26, 2007 22:34
引越し
先週、5年間住んだ家から引越しをした。
『恋する惑星』の中でトニー・レオンが「家が悲しんでいる」と呟く有名なシーンがあるけれど、引越しの準備を始めてから私のアパートも、私との別れを惜しんで泣いているように思えた。
この部屋で過ごした5年間、とにかく働いていた。広告代理店のCM制作部門で、朝から晩まで、2回ノイローゼになりかけたくらいクレイジーに働いていた。そして深夜になると自分の写真を撮りに外へ出かけていた。
私の悩み、私の思想、私の感情‥私の全てを知っていた部屋。あの部屋はもうどこにもない。
July 24, 2007 14:45
中国再訪
6月の頭から2週間、上海、蘇州、北京、香港を回る旅に出ていた。
私にとって、8年振りの中国。街も、人も、会話の中で使われている単語さえ大きく変わり、まるで田舎から出て来た人のように、細かいことにいちいち驚いていた。
旅から帰って来て、もう、「また行きたい」と思っている。この旅で知り合った人たちと再び会いたい。中国や香港の空気に触れていたい。中国語をもっと喋りたい!
自分でも不思議なくらい強く、中国に執着している。たぶん遠い昔の先祖が倭冦だったとかそんな理由で、DNAに中国への記憶があるのではないか? そんなことを想像してみたりもする。
8年前、中国に行ったときも、人生の変わり目の時期だった。今回も、勤めていた広告代理店を辞め、自分が本当にしたいことを人生の中心に据える、その出発点で再び中国と会うことが出来た。
きっと、また行くだろう。そう確信している。これからの人生の中で、何度も、何度でも、必ずまた中国を訪れるだろう。自分でも不思議なくらい強く、激しい思い。理由なく惹きつけられる何か。それを正直に追いかけ続ける人生は、最高に幸せなものだと思うから。
*
ところで、下の写真は、おなじみの上海のテレビ塔。私は、世界で最も醜い建造物の一つではないかと思っている。
けれど、残念ながら、この塔は現在の中国の象徴でもある。偉大な過去の歴史から一転、諸外国から蹂躙され、共産主義下で混迷の一途をたどった現代中国。今、途方もない力で、負の歴史も、未来への希望も、東洋的なものも西洋的なものも善きものも悪しきものも、全てを呑み込んで大きく変化しようとしている。その姿は、このように奇妙で、気恥ずかしく、けばけばしいものになるのではないか。
いつか、この塔が壊され、新世代の中国人建築家の手で、美しく、力強い、新しい塔が建つ日。その日を私は夢見ている。
July 7, 2007 16:56
色が大好き
よく、人に訊かれて困ってしまう質問がある。
「一番好きな色は何?」
「自分を色にたとえるなら?」
「このメロディーは何色に聴こえる?」
好きな色は、本当にない。いつも色を、「ここに薄い水色がある」「その隣りに緑色がある」、そういう風にとらえている。色はただそこに存在しているだけのもので、私が順位をつけたり、私の思い入れで何かに結びつけられるようなものではない。そう思っている。
敢えて言うなら、私は、全ての色が好きなのだと思う。或いは私は全ての色に対して平等で、目の前にある色をただそのままに受け入れたいと願っている。それはたぶん、世界をそのままに理解したいという欲望と同義だ。
そう、だからなのだろう、私は、カラーの写真しか撮ることが出来ない。写真を撮ることで私は、世界に近づこうとしているのだと思う。
May 30, 2007 01:37
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