MAYA from West End

ARCHIVE:

Shibuya 1000

2008年10月、『shibuya1000』というアートプロジェクト内の写真展『渋谷1000人顔』に参加した。
http://www.shibuya1000.jp/
事務局から私たちフォトグラファーへの要請は、「渋谷に関わる人々の写真を撮ってほしい」というもの。そこで私は、現在個人的に撮り続けている「労働写真シリーズ」の一環として、渋谷で働く人々の姿を撮ろうと考えた。
連作のタイトルは、『渋谷で働く、渋谷で生きている』。依頼から納品まで1カ月程の時間しかないというハードスケジュールだったけれど、全部で十二の職業、十三人の方々を撮影することが出来た。

     *

そのそれぞれの写真は、本ウェブサイトの『Recent Works』ページに掲載しているのでそちらを見て頂けたらと思うが、ここでは、全体の美術的コンセプトについて説明したい。
右記→「Everyday Talk」をクリックして「Shibuya1000 会場様子」の欄をご覧頂きたい。
この写真に写っている連作13枚を右から見て頂くと、最初の7枚の人物は、全て顔が右から左の方向を向いていることが分かると思う。反対に、8枚目の人物からは、顔は左から右を向いている。このような配置の仕方に大きな意味を持たせている。

いつの頃からか、自分の写真を眺めていて、日本画の影響が強く出ていると感じるようになった。
実は、私は、母親が日本美術史の研究者だったため、子どもの頃から画家と言えば、光琳、雪舟、宗達、抱一、狩野派、等伯、源氏物語絵巻、浮世絵‥、論文を書くためにいつも母が日本画のバカでかい研究者用画集を床に広げ、虫眼鏡で眺めているのを横目に育った。日本画や日本陶磁器の展覧会にも子どもの頃から多数つれて行かれた結果、別に親の専門分野だからと言って好きにならねばならぬ義務などないが、いつしか、幼なじみのその婚約者を本心から愛するようになっていた。日本画の画面構成、日本画の象徴表現、日本画の持つ間の意識‥そういうものが、常に私の傍らにあり、知らぬ間に私の美的感覚を決定的に支配するようになっていたのだ。
更に大学3年からは、6年間、日本華道を学んだ。実際に自分の手を動かして、3次元の世界で日本美の感覚を形にする。この体験が、現在写真を撮るときの構図のつかみ方に、非常に大きな影響を及ぼしていると思う。
私の写真を見て頂いたとき、全くそれとは感じられないかも知れないけれど、実は、私の写真は、日本画を描いているつもりで撮っている。意識しなくても知らぬ間にそうなってしまうのだ。私の写真、特に構図を取るときの感覚は、決定的に日本画の伝統の中にあるのだと思う。私の写真は日本画なのだ。

    *

ところで、日本画では、いや、東アジアの絵画では、絵とは、右から左へ向かって眺めるものだ。絵巻物は当然そうだし、屏風絵や襖絵なども、左から右ではなく、右から左へと時間軸が流れる構成を取る。これが、東アジア人が元来持っていた感覚だ。今でもその名残りを、縦書きの書物を右から左へ読むことの中に、そして、漫画を右から左へ読んでいく習慣の中にわずかに見い出すことが出来る。

私は、今回の連作写真を構成するに当たって、この東アジアの感覚を改めて主張してみたいと考えた。私の愛する日本画が育んで来た美の感覚を、1枚1枚の写真だけではなく、連作全体で表現しようと考えたのだ。だから、このウェブサイトで見て頂くときも、1番から13番まで、それぞれの作品が右から左へと順番に並んでいる様子を想像しながら見て頂けたらと思う。
しかし、21世紀に生きる現代の日本人が、西洋文明や、そして、アフリカ、南アメリカ、中東文化の影響を全く受けずに暮らすこともまた不可能だ。だから、今回の連作写真は、左から右へと眺めることももちろん出来る。けれど、全体で13枚のうち、右から左へと向いている写真の方が、1枚だけ多い。このことで、私は、やはり自分は日本人であり・東アジア人であり、自分の生まれ育って来た風土が育んだ独特の美の感覚に、大きな誇りを持っている――、そのことを表現しようと意図した。
そう、13枚という奇数を取ることにより、そしてその中で右から左へ向いている写真の方が1枚だけ多いことにより、私は、この連作が、決して西洋絵画の美意識のように左右対称にはならないことを企図した。何故ならば、東洋の美意識は、均衡が破調であることの中にこそ存在していると思うからだ。

    *

ここまで書いて来たことをもう一度まとめてみたい。

*右から左へ向かう写真が1枚多い
*左右対称ではない

この二つの空間構成によって、私は、
「この連作写真に写っている人物たちは、日本人であり、東アジアの人間である」
という意志を表現しようとしている。人は、世界の中に、突然変異的に生まれ出て来るのではない。我々は皆、過去の光と風土の光をこの身に宿しながら生きている。「2008年、渋谷で働いている」人々の姿を写した私の写真たちの上に、その、無言の意志が、不可視のダブルエクスプロージャーとなって映り込んでいることを願う。


Shibuya 1000

2008年10月、我参加了名為『Shibuya1000』藝術項目中的一個摄影展「澀谷1000張臉」。
主辦方對我們攝影師提出的要求是、「希望能拍到一些與澀谷相關的人們的照片」。於是、我想到了現在我個人一直在拍攝的“勞動照片集錦”。作為這個集錦的一個環節、我想把工作在澀谷的人們的身姿拍下来。
我將這個連作的標題定為「工作在澀谷、生活在澀谷」。給我們攝影師的時間只有一個月、在這緊張的日程裡、我拍攝了十二種職業的十三位人物。
所有照片都登載在本網站“Recent Works”裡、您可以在那裡欣賞到。在此、我想對整体的美術理念作以说明。

左邊的的URL上http://www.maya-fwe.com/PastandRecentWorks.html看到的照片是展會場展示的情况。
您看到的這連續十三張照片、如果自右向左看、我們可以發現最初七張人物的臉都是朝向左邊的。而從第八張開始、人物的臉都是朝向右邊的。這種配置手法具有深深的含義。
不知從何時起、望着自己的照片、越来越感覺到照片中映射出強烈的日本畫的影響。
我的母親是一位日本美術史的研究者、所以我從兒時起、就知道一些名畫家。如光琳、雪舟、宗達、抱一、狩野派、等伯等等、一些名畫、如源氏物語畫卷、浮世繪等等。為了寫論文、母親總是在地板上攤打開碩大的研究者用的畫卷、用凸透镜仔細地注視着畫卷。我就是在傍邊看着母親的這種研究生活而長大的。而且、小時候母親還常带我去參觀一些日本畫和日本陶器展、结果不知不覺地我竟真心地愛上了那個兒时的青梅竹馬、雖說喜歡上父母的專業並不是我的義務。日本畫的画面構成、日本畫的象徵表現、日本畫所持有的時空意識等等,都經常伴随着我、不知自何時起开始强烈地支配着我的美感。
另外、我從大学三年起又学了六年的日本花道藝術。自己動手、真實地体会到了三维世界中日本的美。這個經驗、也為我如今拍照时如何抓住構圖方法、產生了極大的影響。
在我的照片裡、您可能完全感觉不到我是以構築一幅日本畫的目的而拍攝的。即使不是有意這樣拍的、無意中也已渗透進了這種意識。我的照片、特别是取景時的感覺、完全是取決於日本畫的傳統。因此、可以說我的照片就是一幅日本畫。
不僅日本畫、可以說東亞的繪畫都是從右向左来觀賞的。畫卷当然是這樣、屏風畫兒和隔扇畫兒也是一樣、不是從左向右、而是順着時間軸順序從右向左来決定構圖的。這是東亞人自古所持有的感覺。至今、從那些豎寫的書籍以及漫畫都是自右向左閱讀的習慣中也可以多多少少看到這些歷史的遗迹。
在構築此次的連作照片時、我希望能重新審視東亞的美感并將它展示出来。不僅僅從一張一張独立的照片中、從連續照片的整体中来表現我深愛着的日本畫培養出来的那種美感。因此、当您觀看這個網站的時候、對於第一号到十三号的每個作品、我都希望您能一邊想像着由右向左的這個順序一邊觀賞。
然而、生活在二十一世纪的現代日本人、是不可能完全不受西洋文明以及非洲、南美、中東文化的影響而生活在這個世上的。因此、此次的連作照片、当然也可以從左向右来欣賞。只是、在全部的十三張相片中、朝向左方的照片多出一張。我意圖表達一個想法、那就是作為一名日本人、一名東亞人的我、以我生長的這这块風土人情中培育出来的獨特的美感而感到驕傲和自豪。
是的、我選取了奇数十三的结果使朝向左方的照片多出了一張、這也正是我的用意所在。也就是說、使這個連作不要具有像西洋畫的那種左右對稱美。因為、東洋的美感是在均衡不協調中存在的。

在此、我想再總結一下上述内容。

*朝向左方的照片多出一張
*左右是不對称的

通過這两個空間構成、我希望能將「這個連作照片展現的人物是日本人、也是東亞人!」這個意念展示出来。人、不是突然變異而出生来到這個世界的。我們每個人的身上都時時刻刻地折射着從前的風土人情。因此、我希望您在欣賞「澀谷1000張臉」 照片時、通過我這次配置的一番越過時代的二重曝光、若能反映出這一種無言的意志、將是我最大的心願。