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新年ご挨拶 (2025/01/07 )
クロワッサン誌「着物の時間」「美しいキモノ」元編集長富川匡子さんの着物物語を取材しました。 (2024/12/15 )
追悼 村田あき子さん (2024/12/01 )
私vs匿流??? (2024/11/10 )
猫の余命 (2024/10/20 )
クロワッサン「着物の時間」 西武文理大学教授服部裕美子さんの着物物語を取材しました (2024/10/19 )
生存確認投稿を (2024/10/15 )
クロワッサン「着物の時間」モデルの前園さおりさんの着物物語を取材しました (2024/09/20 )
気象病の友たちへ (2024/09/01 )
*日記の写真はデジタルカメラと携帯のカメラで撮影したものであり、作品写真ほどのクオリティはないことをご理解下さい。「本気で写真撮る!」と思わないと良い写真が撮れない性質なのです。
*這本日記基本上用日文寫、沒有中文和英文翻譯。可是不定期以中文來寫日記。請隨性來訪。
*日記的相片都用數碼相機或手機相機來攝影的、所拍的相質稍有出入、請諒解。我一直覺得不是認真的心態絕對拍不出好的東西。
All Rights Reserved.
クロワッサン「着物の時間」俳優 筒井真理子さんを取材しました 2025/01/18
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マガジンハウス「クロワッサン」誌での連載「着物の時間」、今月は俳優の筒井真理子さんの着物物語を取材しました。
くすりと笑いを誘う喜劇から、人間の精神の底に潜む悪や不条理を体現する難役までを自在にこなし、カメレオン女優の異名を取る筒井さん。
実際にお会いすると朗らかで楽しくて、ずっと女子トークをしていたい…!
…が、カメラの前に立つと、写真のように、とたんに一つの世界観を作り出されるのでした。正に“女優”です。
そんな筒井さんは一族揃って大の着物好きの家に育ち、取材では、幼い頃からの家族の着物にまつわる思い出やカンヌ映画祭に着物で参加された日のエピソードなどを語ってくだいました。
ぜひご高覧ください。
新年ご挨拶 2025/01/07
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大変遅れてしまいましたが、皆様、新年明けましておめでとうございます。
上の写真は今年の年賀状に使ったもので、昨年二月、庭の梅の花が咲いている間に蛇の置物を据えて撮りました。
古いお友だちはご存じですが、三十代の頃は写真(もちろんフィルム写真)に熱中していて、家にカラーの暗室機械も揃えていました。色々あって撮らなくなっていたのですが、このところ、時々古いカメラを持ち出しています。
*
さて、年末年始は風邪を引いてしまい、一時は38度4分まで熱が上がってすっかりダウンしていました。
市販の風邪薬を飲もうかとも考えましたが、もともと胃腸が弱い上に、今はまだ一年半前に受けた手術の影響があって腸の調子が安定しないため、最悪、薬が腸壁を傷つけてお正月から大出血で救急に運び込まれるという可能性も頭をよぎり‥‥。結局、薬は一切飲まず、ひたすら安静に過ごして回復しました。
もうろう状態で作ったお雑煮がめちゃくちゃなことになり(味がほとんどなかった‥‥)、父には申し訳ない限りでしたが。
そんな中、昨年を振り返ると、その腸の不調に夏の異常な猛暑が加わってまったく体がついて行かず、低調に過ごした一年になりました。なかなかこの腸の不調には特効薬がある訳でもなく、今年も引き続き静かに過ごしていくことになりそうです。
*
昨年、唯一快進撃だったのは、インテリア周りだったかなと思います。
何しろ体調不良で活発に出歩けないため、夏頃から模様替えに凝り始めました。
もともと母の介護をしていた数年前から家のあちこちが気に入らず、いつか手をつけたいと思っていたのですが、まずは自分の仕事部屋+和室から。
大型家具を処分したり、お友だちが手伝ってくれて壁を塗り替えたり、新しい家具や小物類を入れて雰囲気を一新したり。
年末、発熱の前日に遊びに来たお友だちが「何か、すごく雰囲気変わってない‥!?」と驚いてくれたのですっかり嬉しくなっています。あともう少しで完成の予定。一部をブログやSNSに載せるかもしれません。
*
今、最も心を占めているのは猫のチャミのことです。
先日ブログなどでもお知らせした通り、左わき腹に繊維肉腫というがんが出来てしまい、それでもけなげに生きています。
以前の五分の一ほどしかものを食べられなくなってしまったため、この一か月ほどで全身ががりがりに痩せ、その一方で左わき腹のがんはプリンスメロンほどの大きさに膨れ上がり‥‥。今では外からも形がはっきりと分かるほどです。
もう、かわいかった小太りの、まるまるとしたチャミの姿はどこにもない。一人でこっそり涙ぐむこともあります。
それでも、チャミは今の自分の体力を理解して無理をせず、ほとんどの時間をお気に入りのベッドでうつらうつらしながら過ごしています。幸いにも今のところ痛みはないようです。
年始、私が熱でふらふらしながらも最低限の家事をこなしてどっと座り込んだ瞬間には、大変だったねー!とでも言うように、そのベッドから「にゃーっ!」と飛び出して駆け寄ってくれました。きっと自分も体がおもだるいはずなのに、逆に私を励ましてくれる。猫って何て尊いのだろう。今のチャミが一番かわいい。かわいくてかわいくてたまりません。
あのどのくらい生きられるのか、それは誰にも分かりませんが、チャミが毎日幸せを感じていられるように、出来る限りのことをしてあげたいと心から思います。とにかくお留守番が大嫌いなチャミなので、申し訳ないのですが新規のお仕事はすべて断り、食料品の買い物に出た時さえも飛ぶように歩いて帰宅しています。
不思議なことに、この二週間ほどは一時期より元気が出て、お風呂掃除をしていると何度も覗きに来たり、玄関に(熱が下がってから)お正月花を生けている時も、子猫の頃によく生け花の邪魔をしたように、花瓶を置いている台まで上がって来て鼻を近づけたり。
もしかしたら、がんと共存しながら、まだまだ相当生きてくれるのでは‥‥?そんな希望を抱いたりもしています。
ともかく、チャミも私も、無理をせず、ゆっくり、淡々と。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
クロワッサン誌「着物の時間」「美しいキモノ」元編集長富川匡子さんの着物物語を取材しました。 2024/12/15
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マガジンハウス「クロワッサン」誌での連載「着物の時間」、今月は元「美しいキモノ」「婦人画報」編集長で、現在はエディトリアル・プロデューサーとして活躍されている富川匡子さんの着物物語を取材しました。
富川さんの編集長時代、私も両誌で様々なお仕事をご一緒させて頂きました。
取材場所への移動中や編集部での入稿作業の合間にあれこれお喋りもして来ましたが、意外と、富川さん自身の着物とのかかわりの歴史って聞いたことがなかったな、とふと思ったのです。
着物ファンの皆さんも、そして着物業界の方々もきっと知りたいはず。そこでこちらの連載にご登場頂いた次第です。
これぞ「美しいキモノ」元編集長という王道の訪問着でご登場。現在、エディトリアル・プロデューサーとして取り組まれている領域についてもお話を伺っています。
どうぞ皆さまご高覧ください!
追悼 村田あき子さん 2024/12/01
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東京好みを代表するきもの店「染織工芸 むら田」の店主、村田あき子さんが亡くなられた。
あっさりと垢ぬけていて、でもよく見ると非常に凝っている。そんなあき子さんの着こなしに憧れていた人も多いのではないかと思う。
私もその一人で、「美しいキモノ」の記事のために長期間取材させて頂いてから親しくお話し出来るようになったことを人生の僥倖と感じて来た。
上の写真の帯は、昨年、あき子さんのお見立てで作った。
あき子さんの祖父である陶芸家 板谷波山が花瓶に表した図案をすくい織で帯に移し替えたもので、花の色合いを、私の希望を聞きながら、あき子さんが図案から少し変えてくださっている。あき子さんの美の感覚が反映された唯一無二の帯だ。
その帯を、写真のように、まずはごく淡いベージュ色の結城紬に合わせて着て行き、見て頂きたいと思っていた。帯揚げは「美しいキモノ」の記事が出た後、記念にと下さったもので、あき子さん手ずからの板締めがほどこされている。
けれど、癌の手術の後、腹部の不快感がなかなか解消せず、どうしてもきものを着ることが出来ずに時が過ぎている。とうとう見て頂くことが出来ないままに終わってしまった。人生に時になすすべもないことがあることを、呆然と噛みしめている。
あき子さんについては、しばらく後、また書く予定を持っている。だから今はただ悲しみと感謝の思いを綴るにとどめたい。そしていつかこの帯を締める時、空の上からあき子さんが見ていてくれるならいいなと願っている。
私vs匿流??? 2024/11/10
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先週のことだった。私は庭を眺めながらPCに向かい文章を書いていた。よく晴れた暖かい午後で膝には最愛の白猫チャミがどっかりと座り、すーぴーといびきをかいている。人生の小さな幸せを噛みしめていた時、不審な男が目に留まったのだ。
私の家は吉祥寺の中心から離れた住宅街の中にあり、庭に面した細い道は近所の方の散歩道になっている。犬の散歩で通る人が最も多く、車椅子の方、老夫婦、若夫婦、親子連れ‥‥植栽の関係で向こうからは私の姿は見えにくいが、こちらからはよく見えている。
そして、ああ、またあのご夫婦が来たな、マルチーズに絶えず語りかけ続けながら歩くあのファンキー白眼鏡おじさんね、と顔ぶれを把握しているのだが、その男はそれまで一度も見かけたことがなかった。
男は我が家の敷地の端まで歩いて来て、そこで突然止まり、庭を覗き込んだ。もちろん、たまたま何かの用事でこの辺りへ来て途中で庭木に目が留まり、しばらく立ち止まって眺めるということはあるだろう。けれど男は一しきり庭を覗き込んだ後、そのまま立ち去るのではなく、またひき返したのだった。しかも引き返しながら我が家の庭を時々ひょいっと覗き込んで来る。これはおかしい、と思った。現在、世間を震撼させている、匿流。その下見ではないだろうか。そんな黒い予感が頭をかすめた。
*
それで、猫を残して、急いで二階に駆け上がった。二階の窓からは道を見下ろすことが出来る。カーテンを揺らさないように静かに慎重に窓に近寄り、わずかに隙間を開けて覗くと、男は塀の下に立っていた。ますます黒い予感に胸が塗りつぶされていく。
男はうつむき、しきりに携帯で何かを打っていた。通話をしている様子はないが、我が家の下見の結果をいわゆる〝指示役〟に報告しているのではないか。例の〝秘匿性の高いアプリ〟を使って!そのような事例をニュースで見たことがあった。
男は痩せ型で短髪、年齢は四十代ほどに見えた。肩からキャンバス地のトートバッグを下げている。濃紺の細身のチノパンツかジーンズを履き、グレーのジャンパーを着ている。これまでに逮捕された匿流の実行役より年齢は高いが、下見役には中年を使うケースもあるという報道を読んだことがあった。彼もその一人かも知れない。
*
しばらく沈思黙考した後、思い切って、男に近づいてみることにした。顔を見られたと悟れば計画を躊躇するかも知れないし、何よりも、その顔自体を撮影出来ないかと思ったからだ。
携帯を握りしめて玄関を出て、塀の外にはみ出している庭木を見に行くふりをして近づいて行った。驚いたことに、男は顔を上げて「今日は」と微笑む。敢えて親しげに声がけをして、我が家の家族情報を引き出そうとしているのかも知れない。目礼だけして庭木を少し見て部屋に戻り、再び二階に上がって道を見下ろすと、男はいなかった。帰ったのだろうか?
もしや、と思い、庭側ではなく玄関側の道に面した窓へ回った。ひそかに覗くと、何と、男はそこにいた。玄関から少し離れた場所に立って我が家をじっと眺めている。これは本当に危険だと感じた。何としてでも男の顔を写真に撮らなければいけない。わずかな隙間に携帯のカメラをあてがい、シャッターを押す。すぐに確認するとソニー・エクスペリアのカメラ性能に感謝した。拡大していくと鮮明に顔が映っていた。
この時点で窓から離れ、#9110に電話することにした。ところが同じような人が多いのか、まったくつながらない。それで、まだ匿流と決まった訳でもないのに迷惑かも知れないと思ったけれど、武蔵野警察署の代表に電話をかけてみた。するとすぐに担当課に回され、
「ただちに警官を派遣します」
と言う。私の予想としては、「分かりました。今晩から見回りを強化します」ほどの返事が返って来ると思っていたのだけれど、予想以上に武蔵野警察署はやる気だった。「写真データがあります」と言ったのが良かったのだろうか?
そして更なる驚きが待っていたのだった‥‥
*
電話を切ってから6、7分後、インタホンが鳴り、警官が到着した。
その間、庭側の窓と玄関側の窓を往復して道を見張ったけれど、男はいなかった。もう我が家の前を立ち去ったようだった。
玄関を開けると、何と、パトカーが停まっていた。自転車に乗ったお巡りさんがやって来るイメージを持っていたのだけれど、武蔵野警察署のやる気はまたもや私の予想を超えていた。制服の警官が二人降りて来て、早速経緯を聞かれる。少し遅れて自転車のお巡りさんもやって来た。更に一台乗用車が到着してパトカーの後ろにすっと停まり、
「刑事課の刑事です」
とお巡りさんが教えてくれる。
け、刑事?本物の?私はのけぞった。何故って私は刑事ものが大好きなのだ。わざわざCSで「ミステリーチャンネル」を契約して日夜刑事ものを見ているのだ。目をぐるぐるさせながらじっと車に視線を当てると、その先にあの男が見えた。戻って来たのだ!
「あの人です」
声をひそめて警官に告げた。すぐさま警官の一人、そして車から降りて来たばかりの刑事が男の方へ向かって行った。まるで道に急に風が巻き起こり男に向かって吸い込まれていくように。もう一人の警官は私のそばを離れず、
「こちらにいましょう」
と言う。気がつくと女性が横に立っていた。まだ若い、どうみても20代にしか見えないスーツ姿の女性だった。何と、その人も刑事だという。若さで頬の肌がぷりぷりっとしていて、保母さんかと思うような可憐な女子だった。
新米女刑事(デカ)!
雷のようにドラマのタイトルが頭にひらめく。堀田真由あたりが主演のテレ朝、或いはNHKドラマ10枠だ。本当に存在するんだ、新米女刑事!
興奮する私とは裏腹に、彼女は当然冷静沈着だった。警官から質問を引き取り、もう一度初めから事の経緯を話してくださいと言う。そしてその結果を画板のようなものに挟んだ紙にせっせと書き取っている。これが調書というものだろうか。
私が写真データのことを言うと、見せてください、と携帯を覗き込んだ。メールで送りましょうか?と言ったが、その画面をデジカメで撮影し始める。気がつくと、さっき男の方へ向かって行った刑事がいつの間にか私の横に立っていた。六十代ほどの男性刑事だった。
「あのねえ、」と彼はのんびりと言った。「あの方ね、今度あそこの土地を買われるんだって」
そう言って、最近近くで売りに出されている空地を指差した。
「近々契約の予定で、最後に近所の様子を見に来たんだそうですよ」
つまり、匿流ではないということか!
「でも、本当ですか」
と、思わず私は言ってしまった。男が近づいて来て刑事さんの後ろに控え、こちらを見ている。
「わざわざ玄関の方まで回って、うちを覗いてましたよね?」
私は彼に詰問した。
「申し訳ありませんでした」と男は頭を下げた。「ご近所にはどんなお家があるのかなと思って、見てしまって」
「身分証明書とかね、事実関係の方を、我々ですべて確認しましたから」と刑事さんが言う。「安心してください。ちゃんとした方ですよ。これからご近所さんになるし、どうか謝罪させてほしいと言ってられるから、許してあげてください」
男はもう一度謝罪した。こうなると私もいつまでも怒っているのも大人げなく、それで、いつ頃契約するつもりなのか、など、多少雑談をして友好的態度を取ることにした。最後にもう一度謝罪をして男は帰って行く。とぼとぼとした後ろ姿に疲労が色濃くにじみ出ていた。それはそうだろう。これから家を買うぞ!と張り切って来た土地で、いきなり警官と刑事に取り囲まれ職務質問されたのだ。道行く人に何事かとじろじろ見られたのも、相当きまり悪かったに違いない。ごめんね、と思ったが、これだけ世間が匿流に神経質になっている時に、他人の家を何度も覗き込むというのは、やはり相当に軽率だと思う。私は悪くない!と思ったが、
「お騒がせしてしまってすみませんでした」と刑事さんに謝罪した。「私としては、夜の見回りを強化してもらえたらと思って、情報提供したつもりだったんです」
「いいんですよ」と刑事さんはあくまでもやさしかった。「こうやって市民の皆さんが防犯意識を高めてくださるのが一番いいんです」
その時初めて刑事さんをじっくりと見つめた。パリッとした素材のトレンチコートを着ている。トレンチコート。大好きな刑事コロンボと同じだ。やはり刑事はトレンチコートを着るのか。
「本物の刑事さん、初めて見ました」
と思わずキラキラ目線で言ってしまった。刑事さんはハハハと苦笑いする。きっとよく言われているのだろう。笑うと目の横に深いしわが刻まれ、
「長さん!」
と私は胸の中でつぶやいた。少し面長の顔はいかりや長介が刑事を演じているとしか思えない。そして笑っている彼の目は優しいが、その奥に深い泉のような闇が続いていて底が見えない。人間の暗部を見つめて来た目なのだ。
*
その後、刑事さんは警官と話し合ったり、本部かどこかと何かの通信をしたり、合い間に我が家の植栽を見て、
「防犯上、ここを切った方がより安全ですよ」
などとアドバイスまでしてくれた。ふと気がつくと真っ黒なスーツを着た女性がいつの間にか私の横に立っている。そして雑談をする風に、また一から事の経緯を質問して来る。年齢は三十代後半ほどだろうか。その人も刑事だという。顔つきは厳しく、さきほどの保育士系新米刑事とはまったく雰囲気の違う女性だった。そして私の話すら疑って聞いていることが、じわじわと伝わって来た。
すべてに疑いを持つ。
刑事として当然の態度なのだろう。もしかしたら捜査手法の一つとして、わざと何度も刑事を替えて話を聞くのかも知れない。何故なら私がとんでもないサイコパスで、警察を愚弄しつつこの街に突如サリンを散布する可能性だってあるのだから。
そしてそのような態度で話を聞かれると、どうしてか自分が隠し事をしているような気がして冷汗が出て来る。刑事の圧というのは相当なものだった。
こうして刑事たちは帰って行った。後日、隣りの隣りに住む幼馴染の親友Tちゃんに男性を撮った写真を見せて一部始終を話すと、
「確かにこの姿は怪し過ぎる!」と大爆笑した後、「きっとその人、契約止めたね」
と言う。確かにそんな気もする。あの隣人は面倒くさ過ぎる!と思われたかも知れない。
ああ、いつの間にか私は「ミス・マープル」に出て来るような、窓からご近所を監視するイギリスの片田舎おばさんになってしまったのだろうか。でもいい。窓からの視線が町の治安を守るのだ。そして私は生まれ変わったら刑事になる!と決めたのだった。
猫の余命 2024/10/20
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先月の終わり、我が家の白猫チャミの左腋の下に固いしこりがあることに気づいた。
慌ててかかりつけの動物病院で診てもらうと、その場ですぐ簡易手術をしましょうということになった。しこりの一部を切除して検査機関に送るためだ。1週間ほど待っている間、一縷の望みをかけていたけれど、結果は厳しかった。繊維肉腫というがんだった。
チャミは16歳で、人間で言えば80代半ばだから、いつかこの日が来ることは分かっていた。
そもそも今年の初めに肉球の皮膚がんの手術をして、その手術は大成功ですっかり元気になり、階段で私を追い抜かして得意げに振り返ったりしているチャミなのだけれど、その間にもまったく違うがんが育っていたのだった。悔しいけれど、どうすることも出来ない。
*
この結果に対して、今、私には三つの選択肢がある。
一つは、外科手術。第二は放射線治療。そして、もう何もしないこと。
何もしなければ、桜が咲く頃まで持つかどうか、と言われてしまった。抗がん剤は繊維肉腫には効かないそうで、選択肢に入らない。
*
先週、外科手術の道を模索して、小金井市の東京農工大附属病院へ連れて行った。がんはまだ血管やリンパ節まで浸潤していないから、人間で言えばステージ2ほどに当たるのだけれど、腫瘍が筋肉に癒着しているため、かかりつけの先生の所での手術は難しい。紹介状を書いて頂いたのだった。
その日はちょうど母の命日だった。先生のお話を伺うと、今後の転移の可能性をつぶすために、相当重い手術になるという。本当は、断脚、左脚を切った方がいいけれど、そこまでしないまでも、腫瘍の周りを広範囲に切り取る必要がある。骨への浸潤を防ぐために、肋骨も1、2本切るかも知れない。更に麻酔が腎臓病を誘発する可能性が高い。
一方の放射線治療は、切らない分、体の負担は少ないけれど、週に3回×5週間など、相当な回数を通わなければならない。そしてその度に麻酔をかけるため、やはり腎臓病発症の可能性が強い。
どちらの場合も再発の可能性は相当大きく、要は、一ヶ月から数か月寿命を延ばすための措置なのだ、ということを悲しく理解した。この結果を受けて、どうするべきか悩んでいる。
*
チャミをどれほど愛しているか、言葉に言い尽くせない。
もともと溺愛して来たけれど、特に母の介護が始まってからは、この世界を二人で一心同体で生きて来た。
今でも忘れられないのは、介護の初期、認知症を患った母の反抗がひどく、一番関係が悪かったある夜のことだ。私は大声で母を叱り、両肩をベッドに押さえつけた。言うことを聞いてもらうために。その時、はっと気づくと足元でチャミが首をかしげて私をじっと見上げていたのだった。
生来おとなしい、控えめな性格のチャミだから、鳴いたりはしない。出来ないのだけれど、お姉ちゃん、どうしてそんなに怖い顔するの?もうお母さんのこと叱らないで、と、困った時にどうしてか垂れ目気味になる目で訴えていた。それで私の怒りのエスカレーションはぴたりと止まったのだった。
ごめんね、チャミ、心配させて。もうお母さんのこと怒らない。チャミに約束するよ、と、その夜、母が寝ついた後にチャミを抱きしめながら約束した。それからは母を軽く叱ることはあっても、それ以上には進むことはなかった。チャミがいなかったら、私はいつか母に暴力を振るっていたかも知れない。それほど認知症の介護というのは苦しいものだ。最期まで静かに看取ることが出来たのは、チャミのおかげだった。だからいつも、
「お姉ちゃんはね、チャミにぶら下がって生きてるんだよ」
と話しかけている。チャミが私を救ってくれたのだ。
そんなチャミはとても繊細な子で、例えば昨年私が子宮がんの手術のために9日間入院した時は、ショックで摂食障害になってしまった。おそらく、母がいなくなって、そして私まで消えてしまったのだと思ったのだろう。そこへ突然私が帰って来たことで感情のコントロールが効かなくなり、10日ほどまったくものを食べなかった。
今年1月の肉球がんの手術の時も、先生が夜、見回りに行くと、同じ手術をした他の猫たちはみんな疲れ切って寝ているのに、チャミだけが一人よだれを垂らして目をらんらんとさせていたという。
今回の簡易手術の後も大きなショックを受けていた。しこりの一部を切り取るだけの、ごくごく軽い日帰り手術だったのだけれど、4日間押し入れに籠り、その後もしばらくどこか挙動がおかしく、表情も険しかった。とても神経質な子なのだ。
*
だから、外科手術はないかなと思っている。訳の分からない、広い、怖い所へ連れて行かれて、帰って来ても手術痕が長くズキズキと痛んで。そんな状況に精神がすっかりまいってしまうような気がする。
放射線治療の場合も、やはり週に何度も何度もチャミにとっては訳の分からない車という鉄の塊に乗って、怖い所で麻酔注射を打たれ、気を失って‥‥おそらく、毎回、帰宅後数日間はノイローゼ状態で過ごすことになるだろう。更に腎臓まで悪くなって‥‥もしかしたらがんより先に精神がまいってしまうのかも知れない。
父は、もう、自然に任せた方がいいんじゃないか、と言う。人間の技術がかえって動物たちに負担をかけるということは、私にも理解出来る。
今のところチャミは元気いっぱいに過ごしている。私の膝の間にどっかりと座って眠り、大好きな毛玉のおもちゃをくわえて走り回り、私のお皿洗いを少し離れた場所に寝そべりながら眺めたり‥‥そんな風に元気でいられる時間はもうそう長く残されていないのに、それを病院通いの恐怖に塗りつぶして、すっかり心を委縮させて‥‥そんなことをチャミはまったく望んでいないだろう。そう、心から思う。
調べてみると、近所に、訪問医療の獣医さんが数名いらっしゃることが分かった。
がんを抱えながらも、家で、安心に、楽しく過ごして、もしも強い痛みが出るようになったら緩和ケアを行う。そのような選択肢があるのかも知れないし、その選択肢に、今、心が傾いている。
でも、とも思う。放射線治療が奇跡的な効果を上げることだって、もしかしたらあるかも知れないじゃない!と。そうすれば余命は2年くらい延びるのではないの?それならチャミだって、苦しくても許してくれるかも知れない。それなら――
行ったり来たり、心は揺らいでいる。何も治療しない。「しない」という選択肢を取ることに、心理的に大きな抵抗があることも事実だ。
*
ともかく、あと一度だけ、今週、放射線科の先生の所へ連れて行って話を伺い、その上で最終的にどうするかを決めようと思う。
世界がぐらぐらして、心臓が早鐘を打っている。街を歩いていると、この世界からチャミが消えてしまうなんて、そんなことがあるのだろうか、と思う。今、一緒に過ごす一瞬一瞬が、何気ない一瞬一瞬がはかり知れないほど尊く、けれどすぐ後から風のようにこぼれていく。
あと数カ月なのか、半年なのか。どのような選択をするにしろ、チャミのためにすべてを捧げたい。愛猫の放射線治療や緩和ケアをされた方がいらしたら、良かったら経験談を教えてください。
クロワッサン「着物の時間」 西武文理大学教授服部裕美子さんの着物物語を取材しました 2024/10/19
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マガジンハウス「クロワッサン」誌での連載「着物の時間」、今月は、西武文理大学教授の服部裕美子さんの着物物語を取材しました。
まだ「学び直し(リスキリング)」という言葉がなかった時代に、航空業界の頂点である日本航空の、しかもトップクラスのCA職を辞して、大学へ再入学した服部さん。その後、教育学の分野へと転身した人生の歩みと着物との関わりについて伺っています。どうぞご高覧ください。
生存確認投稿を 2024/10/15
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このところSNSから遠ざかり気味だったので、生存確認の投稿を。
少し前の休日には、広告代理店(一社目)勤務時代からの友人と、三鷹の一軒家レストラン「キュルティベ」でランチを頂いた。
昨年の私の手術から約一年。再発もなく無事に過ごせたことを記念して、特別なマドレーヌのプレートも。友人とシェフの温かい心遣いに感謝。
思えば昨年、退院後、ようやく普通の速度で歩けるようになったのがちょうど今頃で、その時、初めて一緒に外出した友人が彼女だった。
近所を散歩して、とあるお店の屋上のベンチに座り、のんびりサングリアを飲んで。
その前の三ヶ月間、家で過ごしていた時にお惣菜を届けてくれたのも彼女。いつも友だちに支えられて生きている。
それにしても、同じ職場で働いていた頃からもう20年以上が経っていることに、愕然としてしまう。
今年の夏の異常気象とそれに適応することの難しさと言い、肉体、そして精神が十全に機能することの僥倖‥‥一瞬一瞬を大切生きなければと改めて思う。
クロワッサン「着物の時間」モデルの前園さおりさんの着物物語を取材しました 2024/09/20
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マガジンハウス「クロワッサン」誌での連載「着物の時間」、今月はモデルの前園さおりさんを取材しました。
業界のうわさで、前園さんが本格的に着付けを学び、着付け師としても活動しているらしい‥‥と聞き、申し込んだ取材です。前園さんの素敵な着物物語をどうぞ誌面でご高覧ください。
気象病の友たちへ 2024/09/01
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私のブログを読んでくださる方の中に、何人、気象病の方が何人いらっしゃるだろうか。
ジョギング並みというふざけた速度でいやがらせのようにいつまでも日本列島周辺をうろつく台風10号のせいで、不調この上ない日々を送られているのではないだろうか。
かく言う私も長年の気象病持ちで、症状の出方は人それぞれと言うが、最接近当日よりもその二日から一日前ほどが非常に苦しい。今回も、一昨日30日から不調が続いている。
*
私の場合、始まりは、常に左肩からだ。
何か左肩がしくしくするような、筋肉痛に似たしびれのような感覚が続き、やがてそれが右肩にも広がり、「肩に板が入っている」状態に変わっていく。
下敷き。そう、下敷きが肩から背中にかけて入っている感覚。たまらない不快感に、「何とかしてこの板を取り除けないものか!」と様々な指圧グッズを正確にピンポイントでツボにぐうっと入れていく。気象病持ちはたいていふだんから肩こりだから、気に入りの指圧グッズを持っているし、自分のツボの位置も正確に把握している。しかしどうにもならない。
そのうちに痛みがやって来る。肩の輪郭線に沿ってところどころで、じんわりと痛みが起こる。傷もないのに痛む。考えてみればなかなかに深刻な疾患ではないだろうか。
そうこうしているうちに次の段階、頭痛が始まる。
こうなるともう椅子に座っていることがどうにも、だるい。「だるい」という言葉以外に表現のしようがない。そして気がつくと横になっている。ベッドやソファに、ではない。自分の今いる場所の床にそのまま寝てしまっている。もはや人間が床に落ちている状態である。「少しだけ、少しだけ、横になろう‥‥」と考えた記憶がいつもぼんやり残っているが、ほぼ生理反応的に横になってしまうようなのだ。
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‥‥と、大体ここまでが通常の台風、および梅雨時の症状で(梅雨も気象病の好発期だ)、なかなか大変な疾患なのだなと思って頂けたのではないかと思うが、前回、8月16日の台風では、更に吐き気、そして左耳後ろの血管の拍動まで起こり、最高レベルに達した。こうなるともう非常な恐怖をともなう。
決して初めてのことではない。それでも、毎回、「くも膜下‥‥?」という恐怖にとらわれてしまう。だって何しろ頭の後ろの血管がずきん、ずきん、ずきんと脈打つのが自分で分かるのだ。そして断続的に吐き気が襲って来る。
「救急車呼んだ方がいいかな‥‥」と思う。でも、「いや、待って、台風が来てるんだから、きっと気象病だろう。でも今回ばかりはくも膜下だったら‥‥?」
そんな無限ループの問いを繰り返す。そして相変わらず背中には下敷きが角張り続け、肩はじんじんとしびれ続けている。
これらすべてのことがただただ気圧の変化のために起こる!我々気象病患者とは大気という神の猛りを己の肉体に受けとめるシャーマンなのかも知れない。
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‥‥と、今現在も東海地方という、我が家のある東京から微妙に離れた地点に低気圧に変わってもまだ台風10号がぐずぐず居座り続けているせいで、肩、そして前回拍動した左後頭部に再びしびれの感覚が強く起こり、思いのたけをぶちまけてみた。
聞けば、ヨーロッパでは、気象病は広く社会に認知され、毎日の天気予報で「気象病注意報」を放送している国さえあると言う。一方、日本ではまだまだ理解は浅いだろう。
今はなき「ためしてガッテン」のおかげで(気象病回を画面にめり込みそうになりながら見た!)、多少認知は広がったものの、それでも、特に梅雨時にぐったりしていると、「たかが雨で寝込むぐうたら者」と白い目で見られがちだ。
この悲しい状況を打開すべく今回のポストを綴ってみたが、どうかたまたま健康な三半規管に生まれついた幸運な皆さん(気象病は三半規管の不全で起こる)、気象病患者に理解を!
これは精神ではどうにもならないのだ。何しろ我々は大気という途方もなく巨大な敵と戦っている。しかも連戦連敗で深く傷ついている。湯船につかる、車酔いの薬を飲むなど対策も言われているが、少なくとも私には効果は出ていない。
それでも何とか生きている。床に落ちながら。肩に下敷きを入れながら。気休めに気圧変化アプリをじっと眺めながら。台風の通過をひたすら祈り続けている。