西端真矢

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野原の公園で、お友だちと、野点の一日(きものコーディネイト付き) 2019/05/20



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少し前のことになりますが、大好きな年上のお姉さまのお友だちと野点を楽しみました。
場所は、私の地元、吉祥寺の…あらら、名前が分かりません…紀ノ国屋の裏にある野原の公園です。地元の場所やお店って、「角の八百屋さん」のように、正式な名前が分からないことが多くないでしょうか。ここの公園はとにかく、ただ、草しかない。遊具が一切ないところが素晴らしく、ちびっこからお年寄り、まったり女子大生、外回りさぼり中の営業マンまで、地元民の憩いの場になっています。

そんな野原の公園に、神奈川から、知子姉様がやって来てくれました。
イラストレーターの岡田知子さんとは、仕事で一緒にページを作ったことから仲良くなり、このブログにも何度かご登場頂いています。介護に奮闘する私の慰問に、お茶を一服とやって来てくれたのです。何て嬉しいことでしょうか♪

その野点の様子がこちら↓
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原っぱの上にまずビニールシートを敷いて、その上に、とも姉様が持って来てくれた素敵な木綿布を敷いて座っています。
やはりかなり目立つのか、公園の隣りのマーガレットカフェのお客さんが手を振っていたり、通りがかりのおばさまに話しかけられたり。
この日は気温20度ほどで、時々そよそよと風が吹く、最高の野点日和。暑くもなく寒くもなく、何とも気分良く過ごしました。

詳細をご紹介していきましょう。こちらは、じゃーん!お軸代わりの和歌です↓
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書のお上手な姉様が今日のために書いて来てくださいました。新元号が万葉集から採られたことにちなみ、

わが宿の花橘にほととぎ寸
今こそ鳴かめ 友に逢へる時

と、万葉集から、大伴書持の一首を択んでくださいました。季節と言い、友情を歌った内容と言い、これ以上ないという歌を択んでくださり、涙が出ちゃいます。この色紙は頂いたので、毎年この頃に部屋に飾ろう!

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↑こちらはお菓子。私が準備しました。千歳船橋の知る人ぞ知る名店「東宮」の薯蕷饅頭です。野点の日は、練り切りや外郎製などより、お饅頭の方がふさわしいかなと選びました。
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こちらは、姉様がお茶を点てているところ。お茶はかわいいジャム瓶に入っています。こんな風に、あるものを工夫しながらお道具を組み立てていくのが楽しいですね。お茶はそれ自体が緑色で美しいものですから、こうしてそれを見せてしまうのも良いなと思いました。
それにしても、あれこれのお道具、どうやって持って来たの?と気になりますよね。一つにまとまったところがこちら↓
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この籠バッグは、もともとはアジアの竹籠バッグ。そこに一閑張りの要領で渋紙を張り、更に色和紙を張って作ったというご自作です。ああ、器用な方って素晴らしい‥!
上から見ると、こんな風にコンパクトにまとまっています↓
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↑この日の着物は、以前、倉敷で購入した木綿の備後絣の単衣。機械織ですが、今では機械織の機元さえなくなってしまっているということで、貴重な最後の手持ちの分から売って頂きました。野点では土がついてしまう可能性もある中、木綿なら家で洗濯出来て安心。この日の気温にもちょうどよく、快適に過ごせました。帯は、破れ七宝柄の八寸を締めて。
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↑履物は、下駄を。浅草の「辻屋」さんで、女将の里枝さんに見立てて頂いて購入したお気に入りの一足です。鼻緒は格子柄の小千谷縮。
    *
こうして春の終わり、夏の初めの一日、草の匂いに包まれ風を感じながら、美味しくお茶をいただきました。素敵な気分転換の一時を作って下さって、とも姉様、本当にありがとう。
皆様も外でお茶を、ぜひ楽しんでみてくださいね。
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立春の日に初釜へ(きものコーディネイト付き) 2018/02/06



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 先週の日曜日、立春の日、お招きを頂き武者小路千家「両忘会」のお初釜に伺いました。
 実は、一月最後の二週間はたまたま四誌の〆切が重なってしまい、毎日相当の精神の緊張が続いていました。その荒波がすべて引いていく日をまるで知っていたかのように、随分前からご招待を頂いていたこの日の初釜がめぐり来るとは!晴れ晴れと、そして清々しい気持ちで会場の三田「水光庵」へ向かったのでした。
         
 この「水光庵」のことは、食通の方ならよくご存知かもしれません。「嵐山吉兆」で長年料理人を務められた石田知裕さんが独立して開いたお店で、三田のマンションの一室にあります。本格的な茶室と、椅子で頂けるお食事の部屋とを備えた懐石料理店で、紹介者なしには訪ねることの出来ないお店。もう今回の機会が楽しみで楽しみでたまらなかったのでした。
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↑当日は、待合(こちらも椅子席です)で、まず主菓子を頂きました。日本橋「日月堂」製のこちらの銘は、「LEON」。今日のご亭主であり、「両忘会」主宰の武者小路千家お家元直門・有吉登聖先生の愛犬レオン君が、野原に遊ぶ姿でしょうか、戌年にちなんで親バカぶりを発揮されたお菓子に、楽しい初釜の幕開けとなりました。
 またこのお菓子が、ほのかに抹茶の味がしたような?複雑なお味で美味しいのです。私は大の甘党、且つ、大の大の練り切り好き。現在、都内の菓子店の練切を食べ比べているので、大変気になりました。近いうちに「日月堂」へ足を運び、季節の練切を買い求めてみようと思います。

 そして、本席へ。
 都心のマンションであることを忘れてしまう清々しいお茶室に、お床には荘重な表装のお軸がかかっていました。
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↑こちらは、後からご説明を伺ったのですが、戦国武将細川幽斎が、梅の美しさとその梅のように永遠に有吉家が栄えてゆくことを詠んだ歌を、お軸にしたものだということです。
 実は、有吉家は、代々肥後熊本藩の家老を務め、明治以降は男爵に列せられた名門。主君である細川家が家老の有吉家を思い、その繁栄を寿いだ歌。しかも梅を詠んでいる、ということで初釜に掛けることとされたのでしょう。
 もちろん「どうだ、僕の家ってすごいだろう」と自慢されている訳ではありません。このお軸をともに見る、私を含め今日の客人全員が梅の花のように咲き誇りますように、という願いが込められていることを感じます。しかも私は戦国時代好きの・布好きと来ていますので、博物館のガラス越しではなく、じかに、しかも当時のままという表装で文武ともに長けたことで名高い有名武将の字を拝見出来ることに、もうこれだけで、「今日、ここへ来られて良かった!」と感激で胸がいっぱいになりました。
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↑そのお軸の下で、美しい雪松の絵の袱紗に載っているのは、初釜恒例の干支の香合です。こちらは和田桐山の作とのこと。
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↑その横には、有吉家伝来の『源氏物語』の冊子が飾られていました。皆様もよくご存知の通り、『源氏物語』には五十四帖があり、そのどこを選ぶか、というところに亭主からメッセージがかくされている訳ですが、この日置かれていたのは、『若菜』の帖。源氏の栄華が頂点に達していた一時期を描いた帖で、ここにも、我々客人の今年一年が輝かしいものであるように、という先生の温かい願いが込められていました。
 ちなみにこの冊子、有吉家のお姫様が書かれたものとのこと。武家のお姫様がどのような字を書かれるのかゆーっくりと拝見したかったのですが、他のお客様もいらっしゃることですし、そこはぐっと我慢の子でありました。
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↑お床で更に感じ入ったのは、こちらの竹花入れ。有吉先生が自ら作られたもので、少し斜めに曲がった面白い竹に巡り会われ、そこを上手くお使いになったということなのでしょう、単に侘びというのではない力強さのようなものを感じました。
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↑そして、点前座には、このようなお道具組が。
 天板と下の台が扇の末広の形をした「末広棚」に、雅やかな六色の組紐が下がり、お棗は、こちらも新春らしい梅の柄。いかにも新年を寿ぐ雰囲気がただよい、初釜と言うと「島台」と呼ばれる金銀揃いの浅いお茶碗を使うことが定番なので、ああ、ここに島台が運ばれて来るのだろうなと思っていると‥
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↑意外なことに、先生が持ち出されたのは、戦国時代の荒々しい気風のたまものである、黒織部の沓茶碗。大変に強い色である黒色に、ぐしゃっとつぶれた形をした茶碗のことをこう呼びます。人間国宝・荒川豊蔵の作で、銘は「随縁」。武者小路千家若宗匠のご齋名でもあるかと思います。有吉先生より、本日ご招待を頂いた我々客の一人一人に向かっての、今年も縁を深めていきましょうというメッセージ。しかもそれが織部茶碗だからこそ大変に力強く伝わって来るように思い、嬉しい気持ちになりました。
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その茶碗へと抹茶を振り出すのは、爽やかな白の茶入。こちらは、朝日焼きの窯元朝日豊齋の作。「陽光」と名づけられた通り、裾の部分にかすかに光を感じさせる釉薬の動きがあり、立春、つまりは日本人にとって本来の初春である旧暦の年の初めの今、これから春に向かってゆくことの喜びが表されていました。
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↑こちらの写真は、お点前中の先生のお姿。他にももっともっとご紹介したいお道具が数々あるのですが、すべてをご紹介することはさすがに長大になり、難しいのが残念です。
 お茶と言うと、お茶をされない方は、ただひたすら点前のことだけを思い浮かべ、礼儀作法を学ぶことと考える方が多いと思うのですが、本当は、道具とその組み合わせを通じて客人にどのようなメッセージを伝えるか、それをまた客がどう受け止めるか、というところに真髄があるかと思います。
 そんな中、今回のお席を拝見して伝わって来たのは、武家の美意識だったように思います。正月の寿ぎの雅やかな空気はもちろん保ちながら、定型よりもやや力を感じさせる道具をところどころに配し、そこに亭主の個性がある。文を解しながら武の力の重要性を知っていた武家の美学が表れているように感じ、大変面白い一時を過ごしました。
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↑こうしてお濃茶、お薄と頂いた後は、お部屋を移り、「水光庵」の点心を。京都仕込みの上品な味付けがすっと喉に通り、ああ、口福です。
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↑中でも感動したのが。こちらのお椀。お味噌の味の出方が強過ぎもせず控えめ過ぎもせず、それは出しとの兼ね合いから来るものだと思うのですが、もう絶妙なのです。この一碗のためだけでもまた訪れたい!
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↑こちらは、点心の前に、先生、そしてご一緒した皆様と。僭越ながら先生のお隣りに座らせて頂きました。私の向かって右隣りの方は、漫画家の桜沢エリカさん。「両忘会」でお茶を学ばれています。桜沢さんのことは、昨年のちょうど今頃、「クロワッサン」の連載「着物の時間」で取材をさせて頂きましたが、その一年後にこうしてお茶をともに出来るとは‥!
 不思議なことですが、私自身は江戸千家のお茶を習っていますが、この数年、何故か武者小路千家の方とご縁を頂くことが多いのです。昨年は、桜沢さんだけではなく若宗匠の取材もさせて頂きましたし、「両忘会」には他にお二人、親しくさせて頂いている着物つながりのお友だちがいます。更に、最近動き始めた或るプロジェクトの長も、武者小路千家の高弟の方。まさに今日の茶碗の銘の「随縁」というものでしょうか。一つ一つのご縁を大切にしたいと思います。

          *

 最後に、恥ずかしながらこの日の私の着物の詳細を。
 全体の着姿は上の集合写真でご確認頂けたと思いますが、着物は、ごく淡い明るいグリーン地に松や波、苫屋などを描いた海浜風景の訪問着。きもの仲間のお友だちから、大変なお友だち価格で譲って頂いたものです。Kさん、ありがとうございます!この地色は顔を明るく見せてくれるようにも思い、大変気に入っています。
 こういった格の高い柄行きで、しかも季節に関係のないモチーフ、更に地の色の主張が強くない、という訪問着は、どのような季節のどのようなフォーマルの場でも対応可能な、万能の一枚ですね。更にその万能度を高めるために、染め抜きで一つ紋を入れました。何かあればこれを着て行けば良い、と、とにかく安心。心の安定剤的一枚となっています☆
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↑帯周りは、こちら。ふだん、私は、帯ときものにやや色のコントラストをつけた取り合わせが好みなのですが、この日はあくまで場に溶け込む装いにしたいと考え、同系色の帯を択びました。祖母から伝わった龍村平蔵の一本で、金糸を使っていますが、印象は控えめ。格の高い桐竹紋を織り出しています。帯揚げは綸子地の白、帯〆にだけ少し色を入れました。貝の口組で亀甲柄を組み出したもので、「渡敬」製です。

           *

桜沢さんをはじめ、ご一緒した皆様とのお話もとても楽しく、後炭点前が上手く行った社中の初釜に続き、今年は茶運(?)が良いような気がいたします。両忘会の皆様、連客の皆様、そして、有吉先生、ありがとうございました。

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新聞社会面の珍ニュースから読みとる、明治・大正の暮らし 2017/06/21



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何回かこのブログで書いたので覚えて頂いているかも知れませんが、3年前、本の執筆準備を始めた時、日々ひたすら図書館に通って明治末から大正時代にかけての新聞縮刷版に目を通してた時期がありました。今日の日記ではその中で見つけた面白ニュースをご紹介したいと思います。
(写真は、気になる事実を資料として保管するために、私がコピーして持ち帰ったもの)

そもそも日清日露の戦い後から関東大震災頃までのこの時代、全貌がつかみにくいと思う方が多いのではないでしょうか。「富国強兵に邁進した明治初期・中期」「暗黒の昭和戦前時代」のように、一言で言い表すことが難しい時期です。大正デモクラシーと言いながら思想弾圧も厳しく、軍が強いかと思えば軍縮で退潮気味。政党が乱立して何が何だか頭がこんがらかるし‥
そんなこの時代を理解するために、もちろん、解説本的なものを読むのも良いのですが、ふと、新聞の社会面、いわゆる三面記事を読んでみたらどうだろうと思いつきました。何しろそれは当時の生の情報を、ほぼ客観的に伝えているタイムカプセルなのです。読み続ければおのずと、当時の時代の空気が肌に染み込んで来るのでは、と思ったのでした。
     
今とは違う「松竹」の読み方。東京は臭かった?驚きの連続

さて、こうしてひたすら新聞を読み始めると、意外な事実に驚かされることばかりでした。
その第一は、有名会社の名称や所在地が今とは全く違うこと。
幾つか例を挙げると、例えば、映画や歌舞伎の「松竹」。これが明治時代には、何と「まつたけ」と呼んでいたようなのです。まさか、と思いましたが、新聞紙面にわざわざ「まつたけ」とルビが降ってあったので間違いありません。いつから「しょうちく」に変わったのかは不明ですが、たしかに「まつたけ」では、何か下町の八百屋さんのようです‥
         * 
それから、伊勢丹。伊勢丹と言えば今の私たちには新宿しか思い浮かびようがありませんが、当時は、「神田明神下、伊勢丹」が決まり文句で広告にも掲げています。つまりは、当時の人にとっては、伊勢丹と聞けば、ぱっとお茶の水のあの辺りの風景が思い浮かんでいたということ。新聞を読んでいると次々とこういった意外な事実に行き当たります。
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そんな中でも特に意外だったのが、東京の「匂い」のこと。大正時代の東京と言えば、カフェーが誕生してモボモガが闊歩し、着物ファッションでは、華やかな銘仙や耳かくしの髪型が流行して、和洋折衷。心惹かれる人も多い時代のはずです‥が、何と、その頃の夏の東京は臭かったようなのです。
大正9年6月のことですが、それほどの雨量でもないのに、下水が氾濫。浅草や下谷から小石川、それから赤坂の溜池の辺りに泥の筋が方々に流れてひどい臭気だと報じられています。欧米では、一人でもチフスが出たら国の恥とされているのに、日本では年間6百人も7百人も出ている、と問題提起する記事も。
その原因は、人口の急増でした。明治維新後、急に人が増えたことで、東京ではゴミ処理も下水の整備も追いついていない。川にゴミを捨てる人も多いから、夏の東京は臭い、と嘆くコラムもあります。モボモガの歩く銀座は臭かったのか、不良少女が活躍する川端康成の「浅草紅団」は好きな小説ですが、あれもドブ川の臭いを加えながら読まなければいけないのか‥と衝撃ですが、これこそ、客観報道だからこそ知ることの出来る事実。「清潔好きの日本人」というのも、意外とここ数10年に出来上がった神話なのかもしれない、と思い知らされます。そう言えば、この頃書かれた夏目漱石の『三四郎』でも、電車の窓から食べ終えた弁当箱をポイっと捨てる場面がありました。

ケンカっ早かった明治・大正の東京人

さて、三面記事を系統的に読んで行くと、繰り返し目につく事実、というものが出て来ます。その一つが、ケンカがとても多いなということ。東京、それも浅草・下谷辺りの下町では、ほぼ毎日のように人目を引くようなケンカが起こり、「下谷区**町で、鳶職誰の誰助と大工何の何蔵がつかみ合いとなり、**署に連行された」といった数行ほどの記事が、短信コーナーに、毎日ばっちり名前ごと報道されています。
より大規模なケンカとなると、「浅草で大乱闘」のような題が付いて10行、20行の記事に。例えば、明治末の事件。浅草で職人二人が飲んでいたところ、隣りの席にやはり二人連れの職人らしき客が来たので、仲間意識からイキに「お隣りからです」と一皿奢ったところ、相手が特に感謝もせず当然のように食べた。奢った方の職人からすると、これがカチンと来た。すぐさまケンカを売り、最終的に店中をめちゃくちゃにする乱闘になって警察に連行されて‥確かに、怒る気持ちは分かりますが‥

頻出する性病治療の広告と、芸者にまつわる事件

このように、何かと血の気の多いこの時代、もう一つ驚かされるのが、性病治療をうたう薬や病院広告の多さです。これは、社会面や一面にはあまり掲載されず、中ほどの面に、やや人目を忍んで出すのが通例のようなのですが、それにしても「梅毒」「淋病」「早漏」「陰茎」と文字は毒々しく、フォントも大きいものが結構多い。良家の子女も新聞を読んでいたと思うのですが、こういうところは、ぽっと頬を赤らめてスルーしていたのだろうか、などと想像が膨らみます。
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こうした性病は、当時「花柳病」と呼ばれていました。今よりも花柳界が何倍も盛んだった時代、三面には芸者がらみのニュースも散見されます。
たとえば、明治45年、吉原の「紫」という芸者に入れあげて会社の金を横領した男がいました。その金を手にまた吉原の妓楼へ行って、しかし横領が露見することを悲観したのか、紫に心中しようと持ちかけたところ、もちろん、返事はノー。
「あんたが勝手に横領したんでしょう。知ったことじゃないわ」
くらい言ったのでしょう。男は逆上してその場で腹を切り、妓楼は阿鼻叫喚の騒ぎに…。
一方では、大正始め、しがない車夫、つまり人力車引きの男が、
「俺だって吉原で遊びたいやい!」
と思い詰めたのか、お大尽のふりをすることに。よっぽど演技が上手かったのでしょうか、吉原の芸者も店の主人もころっと騙されて、大豪遊。しかし、いざ支払いの段になって無一文と分かり、あえなく逮捕されています。「何よ、騙された!一生懸命お座敷つとめて損したわー!」と怒っている芸者衆や幇間の顔が見えるようですが‥一生一度の夢を見て、この俥引きは、留置場に入っても幸せだったのだろうなと想像します。

羊羹泥棒に、頬かむりの空き巣、乙女二人の心中。庶民が起こした小さな事件


さて、この頃、軍や政府の大規模な贈賄事件が世間を騒がす一方、庶民が引き起こした小さな事件も枚挙にいとまがありません。
例えば大正5年の、甘党泥棒。東京京橋区の菓子屋が羊羹の注文を受け、お客の家まで届けに行くことになりました。指定の住所の住宅に着くと、ちょうど家の前に家人がいたので手渡して帰ることに。お代は後からのつけ払い、家も分かっているので安心だ、ということで、後日集金に行くと、何とその家は空き家。つまり、空き家だと知っていて詐欺を思いついたのです。しかし、この犯人、こんな手の込んだことをしてまで、よっぽど羊羹が食べたかったのでしょうか‥
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大正14年には玉川上水で女の子二人の入水自殺がありました。
この二人は、ちよと鈴といういとこ同士。ちよはかなりの不良少女だったらしく、1年程前に家出して、カフェーの女給になった‥というところが時代を感じさせます。
そのカフェーで大学生の恋人が出来、ところがこの男に捨てられたため、夜をはかなんで自殺。しかし鈴が自殺した原因には思い当たることがないと書かれています。もしかしたら、家出をするような強い性格のいとこに引きずられ、女学生らしい、一種のヒステリー状態に陥ってしまったのかも知れません。
この乙女たち、花柄の錦紗の着物に羽織を着て、緋のしごき(太い腰紐のこと)でお互いを縛り合って死んでいたというのですから、何とも美しくはあるのですが‥
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そんな乙女の事件があるかと思えば、中年女性も負けてはいません。
これもやはり世相を表しているなと思うのですが、大正9年、第一世界大戦の軍需景気であぶく銭を手にした船成金の妻が、旦那の金をごっそり盗んで失踪していたり、はたまた、その少し前の大正5年には、巣鴨近辺で連続空き巣事件が発生。これが、頬かむりをして、いかにも髪結いのふりをして、各家庭に忍び込んで空き巣をしているのだそうです。なかなか知恵者の女泥棒。後追いの報道もなく、結局逃げおおせたようです。そして、この頃にはまだ家で島田や丸髷、或いは束髪に結うために?、髪結さんが出入りする時代だったのだなということも分かるのでした。
          *
一方、渋谷近辺では、家のポストに届けられた郵便物が何者かによって開封され、赤い字でひわいな文句を書きなぐられる…という事件が多発しています。郵便配達の局員が疑われ、解雇までされたのですが、警察の粘り強い捜査により捕まったのは、中学生。この郵便配達夫がちゃんと職場復帰出来たのかが気になります。それにしても、今も昔も、こうしたゆがんだ事件を引き起こす男性は変わらず存在するのですね。
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この事件では警察の捜査が成果を挙げましたが、時には失敗もあります。
大正5年、品川の一軒家で、四、五人の男が集まり違法賭博をしているという情報が。現行犯逮捕すべく現場にそっと近づいた刑事たち。かっこよく「御用だ!」と踏み込んでみると、四、五人どころか十七、八人も集まった大賭博でした。一瞬、え!と驚いているうちに、全員に逃げられてしまった‥という間抜けな顛末なのでした。

天皇崩御にともなう過剰報道と、皇居に集まった人々

さて、明治から大正へ、天皇の崩御によって年号が移って行く時、昭和天皇崩御の時がそうだったように、明治天皇の容態も連日大きく報道されていました。
思い起こせば、昭和63年には、新聞やテレビで昭和天皇の病状が「今日は下血有り」「体温は**度」などと連日細かく報じられ、たとえ天皇でなくとも誰でも、自分が下血したことなど人に知られたくないはず。こんな報道はしなくても良いのに…と憤慨したものですが、まさか現代よりももっと天皇への畏敬の念が強かった明治時代に、しかも「御大便」「御尿量」など言葉だけは麗しく、同じように天皇の容態を詳細に報道していたとは‥!これはかなりの驚きでした。
しかし、報道の媒体は、今とは違います。もちろん新聞でも報じているのですが、恐らく当時は、全戸が新聞を取るような習慣はなかったのでしょう。天皇の「御大便」「御尿量」情報は、日々、交番に貼り出されていました。
買い物帰りに、仕事帰りに、或いは子どもに見に行かせるなどして、そこで「今日の天子様の御大便」状況をチェックする。わりあいにシュールな状況です。交番だけではなく、電柱や、何と柳の木にまでも貼り出し、束髪の女性が柳の木の前で掲示に見入っている写真が添えられています。今ならスマホでニュースをチェックするところですが、柳の木…あまりにも面白かったので、この件は本の本文の中に取り入れてみました。
そして、天皇の快癒を祈って、全国からたくさんの人々が、当時は「宮城」と呼ばれていた皇居前に集まります。あまりの人出、しかも夏の盛りで倒れる人も出るだろうという心配に、横浜の貿易会社社長が義侠心を発揮。無料でサイダーを配ることにしました。
ところが不逞の輩がいて、サイダーだけせしめて遥拝もせず帰って行くのです。
「今は厳しくチェックしています!」
と、この貿易会社の社員がハキハキ取材に答える記事も。死の淵をさまよう明治天皇のすぐ足もとで、せこ過ぎるサイダーただ飲み…明治終わりの日本は、昭和の“がちがち皇国日本”とは違い、意外とゆるかったなのだなということが見えて来ます。一般的な歴史書では「乃木将軍が殉死」などと、一つインパクトのある深刻な事件が起きるとそれが時代の空気すべてだったようにとらえられがちですが、人間の暮らしは決して何か一つの思想や空気一色に塗りつぶされてしまう訳ではない、ということが、このような小さな事件の報道から看取されると思います。

太り過ぎ奥様の惨事、帯を締め直している間に2千万円置き引き事件

…とこうして振り返っていると、まだまだ一日中書き続けられるくらい様々な発見があったのですが、あまり長くなるのも何なので、最後に二件の珍ニュースをご紹介して幕を下ろすとしましょう。
一つは、大正5年、横浜市長宅で起こった珍事。
どうもここの奥様は相当にお太りだったようなのです。或る日、外出に出ようと人力車に乗り、車夫が渾身の力を込めて梶棒を持ち上げると…巨体に引きずられ、車はアッと逆さの尻もち状態に。おそらく車夫も梶棒からぽーんと放り出され、そして、巨体の奥様は敷石に頭を打ちつけて流血の騒ぎに…しかしこんな不名誉過ぎるニュースを新聞で報道しなくてもと思うのですが。

もう一つは、同じ大正5年、ある鉱山師が、事業に使うためだったのでしょうか、8千円を銀行で下ろした時のこと。当時、「広辞林」一冊の値段が3円20銭、公務員の初任給が70円ですから、8千円というのは2千万円ほどの大金です。こんな一世一代の金を下ろして、この鉱山師は緊張してしまったのでしょうか、帯を締め直そうと思いたちます。ささっとその場で締め直して、ふと見ると、横に置いていたはずの8千円が、ない!おそらくお金は鞄か何かに入れていたのだと思われますが、白昼堂々と盗まれてしまったのでした。
それにしても気になるのは、この鉱山師が銀行の真ん中で帯を締め直していることです。確かに男性の帯周りは女性に比べれば簡素で、すぐ締め直すことが出来ます。ほどいても腰紐を締めているのだから総てがはだけるわけでもありませんが‥しかし当時は、人前でくるっと回ったりなどして帯を締め直すことも、そう珍しくはないことだったのでしょうか?こんなことも、酔狂に三面記事を丹念に読まない限り、見つけようもない事実。つくづく、思い込みを捨てて、歴史学で言う「一次資料」に当たることの大切さを感じます。そう、明治、大正の日本を、人々は悲喜こもごも、精一杯生きていたのでした。

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大島の単衣で母校へ。茶道「宗徧流」家元のご講演を拝聴に。 2017/05/29



本の仕事がようやく終了して(発売間近!)、ここのところややのんびり過ごしています。
色々と着物で出かけてもいるのですが、会場が撮影禁止の場所だったり、話に夢中になって撮ること自体を忘れることも多く…。
そんな中、昨日、日曜日は、母校上智大学の「オールソフィアンズ・フェスティバル」という同窓会イベントに着物で出かけました。これは、年1回開かれる「卒業生の学園祭」といったイベントで、OB・在校生による様々な出し物があります。
私の目当ては、茶道「宗徧流」第十一代お家元の講演会。全く知らなかったのですが、現在のお家元(年齢は五十代)は上智の卒業生で、それも国文科や史学科ではなく、何故か「ポルトガル学科」のご出身。何だか変な人そう(褒め言葉です)、面白そうだな、とお話を聞いてみたいと思ったのでした。

さて、懐かしの学び舎に着くと、メインストリート――と言っても早慶や明治大などに比べて敷地がとんでもなく狭く、あっと言う間に終わってしまう弱小ストリートなのですが――には模擬店などが並び、大にぎわいでした。実は「オールソフィアンズ・デイ」に参加するのは卒業以来初めてのことです。
フラメンコサークル(在校生)のダンスや…↓
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↑上智で非常に盛んな福祉や国際協力サークルの模擬店も多数。こちらは、「Table for two Sophia」、飢餓に苦しむ発展途上国と飽食に喘ぐ先進国との食糧アンバランス是正に取り組むサークル(在校生主体)の模擬店です。一品買うごとに発展途上国の一食分を賄うことが出来るということで、私もマフィンを購入しました(マフィンの写真はブログの後半に)。
中には、日中友好サークルの模擬店も↓
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私は「盲目的な日中友好推し」には反対ですが、かつては北京に留学もした中国文化好き。今でも中国に関心を持っています。長い時間をかけて、両国が大人の関係を築き上げられること、機会があるならそこに貢献出来たらという願いも変わりません。現在の日中関係は非常に悪い状態にあると思いますが、母校で学ぶ中国人学生の皆さんには、良い留学生活を過ごしてもらいたい。逆風の中でも頑張ってね、と心の中でエールを贈りました。
          *
そして、宗徧流第十一代家元幽々斎宗匠の講演会へ。
本当はお話をされているお姿の写真を載せたいところなのですが、撮影禁止とのことで、レジメ的な役割を果たしていたチラシの写真のみをご覧ください。ちなみに左のノートは、私がお茶関係のことを一切合切メモしているノートです↓
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講演会は全体で2時間ほど。今回、OBサークル「ソフィア美学芸術学研究会」と在校生サークル「上智大学茶道部」の共同主催とのことで、まず最初に現在4年生の茶道部員二名のスピーチがありました。二人とも、しっかりと茶の稽古に励みながらも、海外留学で国際感覚を身につけておられ、頼もしい限り。卒業後のご活躍が楽しみになりました。
そしてお家元のご講演は、「変な人かも??」という予想通り、しじゅう笑いの絶えない楽しいものでした。「宗徧流は、イノベーション一筋、350年」と仰り、伝統文化を国粋的にとらえるのではなく、常に日本を世界のダイナミズムにおいて俯瞰し、現在と切り結んで行く姿勢が大切だということをまずお話になりました。
例えばお家元のおじいさま、つまりは先々代の第九代は明治時代の方ですが、何とオスマントルコ帝国の王様の所で25年も暮らし、何をしていたかと言えば、皇帝の日本文物収集の責任者を務めていたのだそう。意外なお話にただただ驚きでした。
ひるがえって考えてみれば、侘茶が大成した桃山期には西洋の文物やキリスト教宣教師が多数日本に流れ込み、堺で我が上智大の祖でもあるフランシスコ・ザビエルのサポートをしていた日比屋了慶という豪商の屋敷は、利休邸から200メートル、今井宗休の家からは50メートルほどのご近所だったそうです。
ザビエルの後輩に当たるルイス・フロイスが書いた日本観察記には侘茶完成期の日本人の思考法や生活様式を読み解くヒントが詰まっていることもお話からひしひしと伝わり、もともと歴史がむしょうに好きな私、「読まなければ‥」と人生の楽しみがまた一つ増えたのでした。
          * 
そして、お家元自身がそんなイノベイティブな家風の中でご自分自身の茶の湯スタイルを作り上げるために、特に大学生時代頃から、どのような迷いや試行錯誤をたどりながら今に至ったかを、写真とともに振り返ってくださいました。
率直で虚飾のない、そしてユーモアを交えたお話の数々。特に、アジアの少数民族の村々を回って、囲炉裏や屋根の茅葺が今も生活の実践として行われている現場を進んで体験し、その経験をご自身の茶の湯に還元しようとされている姿勢には心打たれました。つくづく、茶の湯には様々なアプローチがあることを思い知らされます。
          *
講演の後、思いがけず「お楽しみ抽選会」というものがあり、入場の時に頂いた整理券の番号で九人の人にプレゼントが当たるとのこと。私は十一代幽々斎宗匠にちなんだ11番だったため、茶道部の学生さんが用意してくださった一保堂のお抹茶が当たりました!実は毎晩原稿を書く時、必ず二杯ほどお薄を点てて飲んでいるので、非常に非常に嬉しい。茶道部の皆さん、ありがとうございました。
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↑上の写真、隣りに写っているのが、先に書いた「Table for two Sophia」の模擬店で買ったマフィンです。オーガニック材料で作られた優しい味でした♪
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そして、今日の着物は‥
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20度超えを聞くと、もう見ている方も暑いでしょうし、やはり5月でも単衣を着たくなります。平成日本、既に「単衣は6月からルール」は崩壊していると言って良いでしょう。大島のごく細い横縞の単衣に、帯と半衿は塩瀬を合わせました(と言うより、半衿を絽ちりに変えている時間なし)。帯周りと足元は下のように↓
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帯は、祖母が染めた蝶の柄の名古屋。爽やかな色目の笹浪組の帯締めに、帯揚げは、軽めの地の立涌模様の古布を入れています。草履は「神田胡蝶」。バッグはアジアのアタバッグを合わせました。
ちなみに、写真に写っている趣のある廊下は、上智で一番古い建物である1号館のもの。学生時代、1年間に3回遅刻しただけで単位を落とすという毎日1限のラテン語の授業に遅れまいと、駆け足で通った懐かしい廊下です。無事卒業出来て良かった…
          *
…ということで、とても有意義な時を過ごした午後になりました。
帰宅後調べてみたところ、「完訳フロイス日本史」は、全12巻もあるのですね。長編数寄(敢えて「数寄」と書きたい)にはたまらないではありませんか。ちびちびと読んでいきたいと思います。


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頂き物の着物と水屋着で、社中の茶会。お床の花を担当の巻。 2017/04/27



先週の日曜日は、社中の温習茶会でした。
毎回、駒場東大前の旧前田侯爵邸和館内にある茶室を借りて行っています。下の写真が、その前田邸和館の門構え↓
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以前は総て先生のお道具をお借りしていたのですが、前回より、勉強も兼ねて、社中メンバーの持っている道具で使えるものは使い、組み合わせていこうということになりました。
今回、私は、水指と床の花入れを提供しました。水指はこちら…↓
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奈良の赤膚焼の松田正柏の作。以前、奈良に長く住んでいた祖父が松田さんと交流があったようで、我が家で所有しているものです。春の日にふさわしいすっきりとした白色系の肌に、底の部分に釉薬の垂れを残した点が見どころです。
棚は、江戸千家の棚、米棚。棗は先生がお持ちのもので、角野亮斎作。美しい螺鈿細工で二人静を表現しています。
花入れと、そして花はこちら↓
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これも毎回のことなのですが、二十代の頃、真生流で生け花を学び、(腕は大分錆びついていますが)師範免状を持っているため、常にお花担当を仰せつかっています。以前は花も花入れも先生がご準備下さっていたのですが、前回からやはり勉強のため、自分で調達することに。これがなかなかに相当大変です。
思案の末、大分前から、今年は籠を使ってみようと考えていました。籠は初夏から秋の初め頃と使う機会が限定されるため、花を習っていた当時から、練習の機会が少ない花器。今回は敢えて挑戦してみたいと思ったのです。
幸い、半年ほど前に、地元の骨董屋さんに、祇園「西村」という竹細工店の老舗の籠が入り、状態も良かったので即購入。花はどうするか、これもあれこれ考えましたが、我が家の庭に楓(もみじ)の大木があり、子どもの頃はしじゅう登っていたので、懐かしさもあり、久し振りに木登り復活して枝を切ろう!と思いたちました。茶会前日、斜め掛けポシェットに木鋏をしのばせ、懐かしい木の股に足を入れ、以前より太くなった幹をよじ登ったのですが…写真を見て頂いてもお分かり頂ける通り、結局、茶器当日は、同じ庭から切った山吹の方を使いました。折角苦労して登ったのに…でも、花は生きもの。現場でお軸との相性具合などを見て修正するのは、当然のことと思います。もう一種生けている紫の花は都忘れ。こちらは、木登りの後青山の「花長」へ遠征し、購入したものです。ちなみに、お軸は、池大雅の弟子の系譜の大雅堂月峰の富嶽図です。先生がお持ちのもの。
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↑折角木登りまでして切った楓の枝も活用しないともったいないと、受付の小さな三島手の花入れに生けてみました(写真が若干ピンボケです)。ツツジも、我が家の庭から切ったものです。
それにしても、花当番は何が大変と言って、調達もですが、家から会場まで、花や葉を傷めないように運ぶことが一番大変だと実感します。朝早く起きて髪と着付けを終え、それから花の茎に水を含ませたチリ紙を巻いて、更にサランラップを巻いて…花材は多めに準備しているので、この準備が大量でまず本当に一苦労。そして、車を運転しない私は、電車で運ばなければならない訳です。人にぶつからないように、物にぶつからないように、前後左右に気を配りながら歩き、更に前田邸が駅から遠く…生けることより何より、無事花を運搬する、このことに毎回疲労困憊です。
それでも、花はまあまあの出来でほっと一安心。安心したせいか自分のお点前も、平常心でさらっとつつがなく終えることが出来ました。
        *
そんなこの日の着物は、こちら。母の知人のお母様の遺品を頂いたもので、そのお母様もお茶をされていた方ということで、まさにお茶にふさわしい、控えめで瀟洒な一枚。藤色地に小さな松が、絞りと金糸刺繍でぽつぽつと表現されています。とても気に入っており、ありがたく着用しました↓
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帯周りはこんな風に↑
小葵文様の、名古屋を合わせました。定番とも言える組み合わせ方ですが、定番ならではの安心感。
ちょっと面白く思って頂けるかな、と思うのが、水屋着。一枚は写真が暗く写ってしまっているのですが、こんな黒色の水屋着を着用しました↓
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実はこれ、水屋着として作られたものではないのです。一年中着物を着ていたという、これもある方のお母様からの頂きもので、その方は対丈でこのお着物(単衣です)を着て、みやつのところに縫いつけた紐で腰周りを締め、その上に半幅を結んで一日を過ごしていたそうです。毎日着物時代の“ふだん着物の知恵”!
その方は私より背が小さかったのでしょう、私が着るとくるぶしより少し上の丈になります。これをそのまま水屋着として着てしまうことにしました。大島なので、撥水も良く、足元まで長さがあるため水はねや花粉が着物についてしまうかも…という心配もありません。

…ということで、頂き物のお着物と水屋着で、今年もつつがなく終えられた温習会。また日々の稽古に励みたいと思います。

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紅花紬で、東博「茶の湯展」鑑賞1回目(あと3回参上予定♪) 2017/04/20



暖かな春の陽の今日、東博で開催中の茶道美術展「茶の湯」展へ、第一回目の遠征をして来ました。
37年前、茶の湯で用いられる名品の数々が、全国の美術館、そして全国の数寄者のもとから一同に会した「茶の美術」という展覧会が、やはり同じ東博で開かれています。今や伝説となったこの展覧会が、平成の今年、復活。しかも、37年前に一切を取り仕切った林屋晴三先生が今回の初日の数日前に逝去、というドラマチックな幕開けをしています。
私自身は37年前、母に連れられてこの展覧会に行った記憶がうすらぼんやりとあり、しかしその時十歳、まだ展示作品の意味も真価も分からず‥‥ただ光悦の茶碗を眺めたことだけが目の記憶の中に残っています。
今回の「茶の湯」展は、
1章「足利将軍家の茶湯 唐物荘厳と唐物数寄」
2章「侘茶の誕生」
3章「侘茶の大成 千利休とその時代」
4章「古典復興 小堀遠州と松平不昧の茶」
5章「新たな創造 近代数寄者の眼」
の5部構成。ものベースではなく、茶の湯の歴史を時間軸に沿って見つめながら、その中で各道具がどのように賞玩されていったかが理解出来るよう構成されています。
各章で細々と展示替えがありますが、明治以降の近代大茶人のコレクションに光を当てた5章が2週間ごとに茶人を変えて、大きく展示替えとなるので、勉強のため、4回すべて足を運ぼうと思っています。今日はその1回目という訳なのでした。
気合を入れて、入口の大きな看板の前で↓(お着物好きの皆様へ、着物の詳細は後ほど)
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実は、今日を初回に選んだのには理由があり、会場の平成館1階ホールで、4月中連日開催されている茶道各流派持ち回り呈茶席で、武者小路千家東京支部のお友だち二人がお点前をする!とのこと。足休めにお茶もいただきたくなるだろうし、ぜひ20日に!と決めたのでした‥が、あっと言う間に茶券が売り切れ、私が着いた時にはもう‥泣。それでも気を取り直し、友人の雄姿を写真に収めました。お点前のときではなく、お運びを担当されている時の様子です↓
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左は吉田雪乃さん、右が渡辺みずほさん。お二人とも、着物好きの方はご存知かもしれません。吉田さんは伝統色彩士協会の代表であり着付け師であり、渡辺さんも着付け師として活動しています。
呈茶席のお床はこちら。武者小路千家十一代お家元一指斎の「柳緑花紅」のお軸がかかっていました↓
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    *
さて、展覧会の話に戻ると、会場内には、古田織部作の国宝茶室「燕庵」の復元茶室も展示されています。撮影OKなので、公開↓
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こちらは点前座からの景色↓
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方向音痴、且つ展開図の読み解きが極度に苦手な私は、これまでこの「燕庵」の図面+一部写真+文章での解説に何度もトライしているのですが、どうしても理解出来ず‥しかし実物が立ちあがったものを見て、ようやく理解することが出来ました。私のような立体バカには、このような展示は本当に貴重なものです。
今回の「茶の湯」展は、この茶室展示のほか、茶の湯がどのように同時代の風俗絵に描かれているかを見るコーナーがあったりと、37年前より、より多角的に茶の湯を捉える意欲的な構成です。出品作品もとてつもなく多く、一日ではとてもとても総てをしっかりと味わい、咀嚼することは出来ません。
私は今日は、午後いっぱい使って、1章、2章、3章の初めの1コーナーのみ、5章、茶室展示…を見ました。これからの3回を使って、残りの章を見たり、一度見た章も再度振り返るなどして、内容をしっかり味わい、しっかりと目と頭に定着させて行くつもりです。特に3章の分量が膨大なので、スケジュールの都合で1日しか足を運べない方は、時間配分を考えて回ると良いと思います。
    *
こちらは、会場を出たお庭の花水木の前で。後ろに、大好きな本館が映っています。
帝冠様式と呼ばれる、洋風建築の上に瓦の屋根が載った建築スタイルが大好きで、日本でも中国でも見かけては一人萌えているのですが、特にこの東博本館は、その最もお金のかかった威風堂々スタイル。萌え度マックスです↓
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お着物ファンの皆様のために、帯周り写真も↓
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着物は、米沢「新田」の紅花紬。紅花染めはピンク色(紅色)がスタンダードですが、紅花の花びらを最初に絞った時に出る色は、黄色。その黄色で染めた糸を主にした紬です。格子柄の筋に、一部紅色も使われています。
帯は、13日のブログでも締めていた、春の里山風景の名古屋帯。祖母が型染したものです。桜の季節は終わりましたが、ちょうど今日の写真の花水木のように、桜の後に咲くピンク色の花の木が満開の様子…ということで(*^^*)
   *
いかがでしたでしょうか、見どころのいっぱいの「茶の湯」展。ぜひ皆様もお運びください。
現在はバックナンバーとなりましたが、私が担当しました「婦人画報」4月号中のこの展覧会の特集も、お取り寄せいただいて参考にして頂けたら幸いです♪

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楽焼き「茶碗の中の宇宙」展 2017/04/15



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東博、近美、出光と、茶の湯美術展が目白押しのこの春、まずは近美の楽茶碗展を制覇。
茶陶とは美術なのか、茶陶という別の領域にあるものなのか、ということに思いをめぐらせる…

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雪柳を生ける 2017/04/01



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雪柳は好きな花の一つです。
可憐に見えて雑草のように力強くどんどん繁殖して行く、その生命力に惹かれます。
そして、我が家の庭の雪柳の花が今年もご多分に漏れず、もう、爆発的と言うしかないほど爆発的に咲いているので生けてみました。
今月下旬の社中の温習茶会で花担当を仰せつかっており、この籠を使う予定。口の広さなど、体でつかむための練習を兼ねて。

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半年ぶりのお茶お稽古 2016/06/06



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昨日、日曜日、半年ぶりにお茶のお稽古に出ました。
十二月の下旬から本の原稿を書き始め、なかなか「お茶の気持ち」に切り替えることが難しく、実は自主的にお休みにさせて頂いていたのでした。
久し振りにお稽古に出てみると、お茶ならではの、何とも言えない静謐で背筋が伸びるあの感覚がすぐ蘇ります。先生からは絶対に「半年ぶりだからお薄をしなさい」と言われると油断していたら、まさかの「濃茶」指名で点前はぼろぼろでしたが‥何とか来月も時間を作って稽古に参加したいものです。
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↑ちなみに昨日は、長板一つ飾りのお稽古でした。珍しい「花結界」に心躍って!(風炉の右に見える四角い箱状のものは、電気式風炉のスイッチボックスです。お稽古の時は電気式を使うこともあります)
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↑お菓子は吉祥寺「亀屋萬年堂」の「青梅」。
実は昨日は十カ月に一度ほど回って来るお菓子当番に当たっていて、都心の方の菓子舗も考えたのですが、まだ本の原稿が終わらず遠くへ調達に行くことが難しいため、近所の店で整えました。名前の通り今の季節の青梅をかたどったお菓子で、餡か皮の中からほんのりと梅の味がただよって‥多くのお流儀のお茶会の主菓子も担当する、知る人ぞ知る住宅街の中の名店なのです。

本の原稿の校了まであと三週間ほどでしょうか。時々部分部分でも割り稽古をして、何とか缶詰生活の中にもお茶の気持ちを維持したいものです。
(なお、着物の写真は撮り忘れてしまいました。いつも見て下さっている皆様、申し訳ありません‥)

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ちょっと珍しい柄の手ぬぐい入手!+草の根の被災地支援 2012/08/15



先週、書家の友人の作品展示を見に行った日のご報告日記を書きましたが、今日はその会場で買い求めた手ぬぐいをご紹介します。
下の写真の中の、右から二番目の手ぬぐいが、私が買ったもの。
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紋様のアップはこちらです↓
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新橋色の地によろけ縞の紋様なのですが、これが、よく見ると竹になっている!そう、江戸小紋にもある「竹縞」の文様なのですね。これが手ぬぐいになっているのは結構珍しいと思います。しかもよろけというのが粋!

この日私がおじゃましたのは、「ROSES 2012」というイベントでした。
http://www.roses-art.com/about/
ROSESは、発展途上国の子どもたちへの教育支援、そして昨年の311地震発生以降は、被災地の子どもたちのための支援や、被災地域の地場産業を応援する活動を行っている団体です。
昨年以来、年に一度、表参道ヒルズでチャリティ展覧会を行っており、そこに、先週ご紹介した書家の友人・土屋翠香さんも作品をチャリティで書作品を出品していた…という訳です。

その会場で、何故に私がこの手ぬぐいを入手出来たかと言うと、実はこの手ぬぐい、被災地である仙台の地場産業“仙台手ぬぐい”なのです。
仙台市青葉区にある「染の工房 なとりや」というお店のお品で、私が今回買った竹縞をはじめ、江戸以来の伝統の型紋様を使った注染手ぬぐいを多数生産しているのだとか。うーん、素敵です。
なとりやのHP→http://www12.plala.or.jp/natoriya/

上のHPを見て頂くと分かるように、伝統紋様だけでなく、新しい文様もたくさんあるので、手ぬぐいを探している方やパーティーなどの記念品を探している方はゼヒご覧になってみて下さい。通販もOK。素敵な柄でありつつ被災地企業を支援出来るなんて、一石二鳥ですよね♪
たとえば、下の写真でちょっと見切れてしまっているのですが、右端に写っている辛子色の手ぬぐい。今回のROSESにちなんで薔薇の文様が染められているのがお分かりになるでしょうか?とてもおしゃれです。
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            *

今回のROSES 2012には、被災地企業のプロダクトだけではなく、多数のアーティストがチャリティで作品を出品していました。写真作品、アクセサリー、絵画、雑貨…よくよくお名前を見ていると、時々知っている名前が!そう、かつて広告代理店に勤めていた頃によく耳にしていたスタイリストさんや、ディレクターさん、ムービーカメラマンさんなどがちらほら参加しているようなのです。
その後、ROSES展の運営に、私と土屋さんの会社勤務時代の先輩、コピーライターの町田さんが参画されていることを知り、ビックリ。手ぬぐいのなとりやさんの参画も、町田さんの人脈によるものだそうです。
会場で会った町田さんと少しお話しすると、「震災のもう3日後くらいから、いても立ってもいられなくなって」、何か出来ないかと、被災地の産業、つまり商品の販売を助けることを思いつかれたのだそうです。私のいた広告代理店は外資系だったのですが、その海外支社ネットワークを通じて、なとりやさんの手ぬぐいを世界各国で販売したり、募金の活動も行っているということでした。
会社を辞めて、5年。書家がいたり、草の根からチャリティ活動を興す先輩がいたり…いい仲間がいた場所だったのだなあとしみじみ思わされた一日でした。
それにしても、私が買った竹縞の柄、とても素敵なので浴衣にもしてほしいー!

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冬至の室礼でお食事会、の日の着物 2011/12/22



今日は冬至。
少し前、その冬至を迎える室礼飾りを楽しみながらのお食事会があり、私はお着物で参加しました。今日の日記では、その日のコーディネートと室礼飾り、そして新年を迎えるための盆栽飾り…と盛りだくさんな写真をご紹介したいと思います。

    *

さて、当日、お食事会が開かれたのは、白金の和サロン「日本のもの、こと」。
少し前の日記でもご紹介したので覚えて下さっている方もいらっしゃるでしょうか?
当日その入口に飾られた冬至の室礼がこちらです↓
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うーん凛として、素敵。かぼちゃと柚子、そして小豆が飾られています。
この室礼を担当されたのは、町田さんという方。(名刺を頂くの忘れて下のお名前が分かりません。すみません><)。浜田山にある室礼教室「室礼三千」の講師を務めていらっしゃるとのことです。
冬至と言うとカボチャ、柚子というのはとても有名ですが、それぞれにきっと、「この季節の体調不良には柚子が良い」という昔の人々の生活の知恵が込められているのだと思います。室礼は、美的に美しいものでありながら、暮らしの教えや当時の信仰を今に伝えてくれる百科事典のような存在なのだな、ととても感動致しました。

その飾りつけと一緒に撮ったのが下の写真。
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*着物は、祖母が型染めした蝶と雨だれ文様の小紋。冬至と全く関係がなくてすみません…。一陽来復、春の訪れを待ちわびる心で蝶…ということにしておいて下さい!

*帯は、曾祖母のお気に入りだった羅馬の兵士と椰子の木を織り出した名古屋帯。大正から戦後にかけて、洋風の柄を着物に取り入れた意匠は数々見られ、これもその系譜にある一本だと思います。

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↑さてさてこちらの写真は、一転、新年を待つ松竹梅の盆栽と一緒に撮りました。
この日、若き造園家の恩田進さんも参加されていて、もちろん手作りの新年を寿ぐ盆栽を「日本のもの、こと」への手土産に持って来てくれたのでした!
こちらも新年らしい格調高い空気と力強さにあふれいてため息が出るほど素敵でした。
盆栽だけを撮影したのがこちらです↓
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町田さん、恩田さんはまだ四十代、三十代。しっかり日本の伝統美を継承されている同世代にとても大きな刺激を受けます。他にもたくさんの和をこよなく愛する方々とお話は尽きることなく、和気あいあいと更けて行った夜なのでした!

http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/
「日本のもの、こと」の活動を綴ったブログはこちらです。
毎月素敵な講座もりだくさん!

http://www.shitsurai.com/index.html
「室礼三千」のホームページはこちら。
たくさんの素敵な室礼の画像を見ることが出来ますよ。

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村山大島紬作り・体験講座レポート 2011/10/18



染め・織り・日本服飾史について奮闘勉強中の私。少し前のことになりますが、9月30日、村山大島紬の体験講座に参加して来ました。
村山大島紬とは、東京の西の北側、埼玉県との県境に近い“村山地域”で生産される絹織物の名称です。私は東京の吉祥寺育ちですから、西側・多摩地区の人間。村山大島こそ私の“郷土の布”だわー!と常々思って来ました。その体験講座が開かれるとなったら、これは参加しない手はありません。

さて、当日、武蔵村山市にある「村山織物協同組合」の会館へ。何と、こんなかわいらしいレトロな建物でした!
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この建物は昭和3年の建築。村山大島が全国的に大人気を博し、売れに売れていた時代に建てられたものだということです。
ちなみに、「村山」とは、その昔、志村けんの「東村山音頭」で有名になった東村山市・武蔵村山市一帯を差す名称です。江戸時代から大正にかけての村山大島は、更に幅広い地域、埼玉側の狭山や所沢まで含んだ一帯で織られていたのだそうですが、その後、村山地域のみで作織られるようになったとのことです。

さて、建物の中に入ると、1階には村山大島の歴史や技法を学べる展示室がありました↓
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その後、講座の会場である2階に上がると…機織り機がズラリ。布好きとしてはテンションが上がりまくります。
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この講座は毎年秋に開かれている人気講座で、定員オーバーのため抽選。当選確率は2倍以上だったそうです。クジ運が良くてラッキーでした!

           *

さて、講座は、まず染めの体験からスタート。村山大島紬で実際に使われる“板締め”の技法を簡易的に使って、絹のスカーフを染めます。
これが板締めの様子。
本来なら板と板の間に糸を挟むのですが、この講座では布を挟んで染めます↓
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その後、板を藍の中につけます。藍は藍色のはずなのですが、この段階ではまだ緑色だ、というのが驚きでした↓
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45分ほど経った後、藍から板を引き出しているところ。まだ緑色です↓
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しかし5分程経つと、布が藍色に変わって来ていることが分かると思います。
空気に触れて酸化することで、藍色に変わる訳です↓
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その後、水洗↓
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そして乾かしているところ。真剣です。
この後天日干しで完全に乾かしました↓
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             *

お昼休憩を挟んで、午後は織りの体験が始まりました。
一人ずつ横に先生がついて、コースターを織ります。
写真で、機(はた)の横に立っているおじいさんたちが、先生。実際の村山大島の織り手さんです。機織りというと女性の仕事というイメージがありますが、村山大島は男の織り手さんもとても多いようです。皆さんとても親切で、本当に楽しい授業でした。
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私も頑張って挑戦中。
この瞬間、写真を撮って頂いた方と会話を交わしていたので笑っていますが、
一瞬後には超真顔でした!↓
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手元のアップがこちら。
緯糸(よこいと)を通す杼(ひ)を右手に持っています↓
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参加者思い思いの柄行きに織り上がったコースターたち↓
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また、コースター以外に、実際の着物反物も少しだけ体験で織らせてもらいました。
詳しい説明は省きますが、織物の文様は、機の上に乗るまでは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)、全くばらばらに製作されています。
それが、初めて機の上で出会い、一枚の布に織り上げられて行く!
その仕組みが、実際に体験してみて初めて身にしみて理解出来ました。
そして、機の上できっちりと経と緯の文様を合わせることが、どれほど難しいのかも!
やはり何事も百聞は一見に如かず。この講座に参加してみて本当に良かった。
そしてこれが、私が少しだけ織らせてもらった反物です↓
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            *

これまでの人生で、私はただの一度も機というものに触ったことがなく、今回が全く初めての機織り体験でした。
実感したことは、手織りの機というのは、本当に少しずつしか進まないのだなということ。一目一目、人が機を動かして少しずつ少しずつ布が出来上がって行く。何か奇跡のような気持ちさえして来ました。ああ、本当に、着物を大切に着なきゃいけない!この文化をなくしてはいけない!そんな風な、どこか泣きそうな思いに突き動かされた私なのでした。

会館では村山大島紬の販売もしていて、「わー今はこんなにスタイリッシュな文様や色がいっぱいあるのだなー!」と全部買い占めたくなってしまいます。
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私は、洋服の文様をそのまま着物の反物に載せただけの着物というのはどうも好きになれないのですが、これらは古典文様に現代感覚を加えたもので、どれもとても素敵だと思います。

そしてつい一反買ってしまいました!
じゃん!紬らしい鳥と花の伝統絣文様ですが、色合いや配置で現代的な感覚を醸し出しています。
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数か所難がある部分があり、市場には出せないお品とのことで、受講者特別優待、何と1万円で購入出来ました。信じられません!!!
もちろん難の部分は仕立てのときに見えない部分に使ってもらうよう指示したいと思います。単衣に仕立てて、来年の初夏と初秋にデビュー。きゃー!

一緒に受講していた方が仰った一言。
「村山大島って、名前が良くないんじゃないかな?だって、何だか大島の二番手、みたいなかんじでしょ。だけど、こんなに素敵な紬なんだもん、堂々と、“村山紬”でいいんだよね!」
確かにその通りだなと思いました。
多摩の人間として、私が育った土地にこんな素晴らしい紬があることを誇りに思います。これからも頑張ってお仕事をして、村山紬を買い集めたい…そんな“働く動機”があってもいいですよね!


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