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単衣と袷、二枚の縞柄きものコーディネイト (2014/10/20 )
金木犀のきものでレストランへ (2014/10/16 )
出雲を旅して (2014/10/13 )
備後絣(木綿きもの)で和裁所へ (2014/10/12 )
ホテルでの立食パーティーに華やかな小紋で (2014/10/05 )
“儲からないけど好きな仕事”で儲けるために何をすれば良いか?――農業コンサルタント・片平晋作さんへのインタビュー (2014/10/01 )
© 2011 Maya Nishihata
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きものスタイルマガジン「いろはにキモノ」本日発売!3企画担当しました&メーキング写真もご紹介! 2014/10/23
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毎年秋に発売される、きもの雑誌「いろはにキモノ」(「美しいキモノ」別冊)。2014年号が、今日、発売になりました!
私はその中で3企画を担当しておりまして、今日の日記ではその内容と、メーキング画像などもご紹介したいと思います。
振り返れば、今年の夏から初秋にかけては、ひたすらこちらのお仕事に全力投球する日々。ゼヒ書店で、電子雑誌で、ぱらぱらとページをめくって頂き、そして出来ましたなら、購入頂けたら大変嬉しいです!
*
担当企画1:
江戸小紋染め師・廣瀬雄一さんの工房を訪ねて
その制作哲学を伺い、そして、最新作もご紹介!
今年、名工への登竜門と言われる「日本伝統工芸展」に初入選された江戸小紋染め師、廣瀬雄一さん。
大正時代から続く江戸小紋染めの家に生まれた、四代目。年齢はまだ三十代で、これからの日本の染色界をしょって立つ人材です。
江戸小紋と言うと、くすんだ藤色や墨黒色など、地味ないぶし銀のイメージが強いと思いますが、廣瀬さんはその精神を受け継ぎつつ、新しい江戸小紋の世界を打ち出しています。
その挑戦の裏にはどんな思いがあるのか、そして、技法的にはどのような革新を行って、“新しい江戸小紋”は生まれて来るのか、
「江戸小紋新時代
廣瀬雄一」 (このコピー、もちろん私が考えました♡)
と題して、6ページにわたってお届けします。
写真は、今年の夏の取材時の様子。フォトグラファーの奥陽子さんが、“板場”と呼ばれる江戸小紋の工房で、廣瀬さんの姿を追っています。二人とも、何てかっこいい!
↑そして、上の写真は、撮影の前に私が描いたラフ。フォトグラファーの奥さんや、現場で帯や反物の整えを担当して下さる、編集部所属の中嶋さんに、私が持っているページのイメージを伝えるために描いたものです。
その結果が、現在のページに結実しました↓
今回のこの廣瀬さんのページは、私が本格的に染織に関する文章のお仕事をさせて頂くようになって以来ずっと目標として来たことが、初めて実現した企画となりました。
それは、ただ単に染織の情報を伝えるのではなく、その裏側にある作り手の悩みや苦しみや喜び、また、制作哲学を、質の高い文章で届けること。つまり、読み物としてもクオリティの高い文章、構成で、読者の皆様に伝えて行くこと。ずっと、そういう仕事をしたいと思って来ました。
もちろん、今回のページが、客観的に見て本当に質の高い読み物となっているかどうかは、読者の皆様の評価を俟たねばなりません。けれど、自分として、その目標に向かい、渾身の努力をしたことは事実です。
染織について書く場合、もちろん、書き手の側に技術や流行に対する深い知識がなければなりません。そしてそれを読者の皆様に正しく伝えることが、第一の使命である。これは絶対的なことだと思います。
だから、もちろん、私も日々染織について勉強を重ね続けて行く決意なのですが、ただ、所謂“きものライター”“染織ライター”と呼ばれる人々が、全員同じことをやっていても仕方がないのでは?とも思っています。
私自身が染織の勉強を重ねることは大前提ですが(←しつこい)、それに加えて、その裏側にある心や思想の部分を、時に格調高く、時には情熱深く、時には全女子男子の皆様の紅涙を誘うように…そんな、誰よりも質の高い文章と構成方法で、世の中に伝えて行く。私はそういう存在になることを、目指して行きたいと思っています。
題して、染織ノンフィクション宣言。
今回のお仕事は、その第一歩となるものでした。ゼヒ皆様に読んで頂けることを願っています。
担当企画2:
昨年大好評につき今年も登場!
おしゃれ店員さんの1weekコーディネイト拝見
昨年私が担当し、読者アンケートで人気の高かった「おしゃれ店員さんの1weekコーディネイト」ページが帰って来ました!
今年は、東京5店、京都2店のおしゃれ店員さん、オーナーがさん登場。私は東京の5店を担当させて頂きました。
ご登場頂いたおしゃれショップは、
*東京*
銀座 いち利、銀座 かわの屋、くるり、komamono玖、ころもや
*京都*
kannon日音衣、京都一加
皆さん、細部までおしゃれ心を張り巡らせたコーディネイトで、もちろん、その細部まで取材しています!
上に写真で上げたのは、komamono玖の渡邊英理子さんのページ。こちらは、青山に今年オープンしたばかりの、上質な和装小物を扱う専門ショップ。恐らくメディアで大々的に採り上げられるのは、「いろは」が初めてではないかと思います。
こんな風に、これからもきもの業界の新しい動き、ニューフェイスをご紹介出来るように、情報収集に励みたいと思います。
他のページの皆さんももちろんとても素敵なので、ゼヒ、「1week」企画もご覧くださいね!
担当企画3:
イケメンきもの男子―――!
きもの女子の憧れ、それは、素敵なきもの男子ときものでデートすること…ではないでしょうか。自分だけきもので相手が洋服では、ちょっと残念よね…と思ってらっしゃる方がとても多いのではないかと思います。
そんな全きもの女性の皆様の想いを背負って?役得のワタクシ、きもの姿が素敵な男子の皆様をレポートしています。題して、「うるわしきもの男子」!
玉川屋呉服店若旦那の石井竜彦さん
色無地着物 千花オーナーの木下恭兵さん
銀座 いち利店長の小島慶治さん
新進気鋭の書家、鈴木猛利さん
村山大島紬工房・田房染織の田代剛章さん
西村兄妹キモノ店店主の西村ヒロカズさん(こちらは、京都のライターさんが取材)、
帯〆と帯揚げの老舗・龍工房の組紐士、林茂樹さん
が登場。役得過ぎてごめんなさーい♡の取材でした。
下の2枚の写真は、その中で、村山大島の田房染織の工房内をスナップさせて頂いたもの。
上が、機にかける前の糸と、その糸を機にかけられる状態にするための作業をする台。
下は、村山大島紬の最も大きな特徴である“板締め”で、糸を挟んだ板を重ねてぎゅーーーっとボルトを締める、そのボルトの写真です。撮影の合間に大変貴重な作業道具を見せて頂けることも、この仕事の役得ですね。
*
もちろん、「いろはにキモノ」は、私の担当ページ以外にも読みごたえたっぷり。
例えば、
まずは手頃なお値段できもの生活を始めたい方を、強力応援、
「5万円コーディネイト」企画!
つまみかんざしと言うと七五三まがいの
かわい過ぎるものばかりで使えない!
そんな不満を解消!の、
「大人のつまみかんざし」手作り企画!
虎の門ヒルズなど、新しい東京名所を
最新のきものスタイルで歩く、
「KIMONO新東京ガイド」!
(撮影大変だっただろうな~)
人気きものブロガー朝香沙都子さんの
お誂え指南ページ!
そして、表紙にもご登場の優香さんをモデルにお届けする
「ワンピースみたいにきものを着よう!」企画!
ワンピースみたいにきものを着る。
とてもいいキャッチフレーズだと思います。きものを、ファッションの選択肢の一つとして楽しむ女性が、もっともっと増えますように。
そして、そんな女性たちに何度も読み返して頂ける企画がギュッと詰まった「いろはにキモノ」、ゼヒ応援をよろしくお願い致します!
単衣と袷、二枚の縞柄きものコーディネイト 2014/10/20
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おきものコーディネイト日記、今日は、単衣と袷、共に縞のきもので出かけた日のコーディネイトをご紹介します。
一着目は、単衣の時期に着た縞。
赤に茶色と焦げ茶の縞の単衣は、祖母の遺品のつづらに入っていたもので、産地は不明です。かなりしぼが強く、塩沢かなと思いますが、分かりません。
この単衣で、友人たちとお気に入りのビストロへ食事に行ったのですが、お店の照明が適度に落とし気味のため、ただの黒い帯を締めているように見えるかも知れません(まるで江戸時代の女性みたいw)。そこで、模様が見えるように床置きをして撮影してみました(きものの色は、一枚目の方が正しいです)↓
この帯には、現在京都国立博物館で全巻が展示されている「鳥獣戯画」の幾つかの場面が描かれています。友人のおばあさまの遺品を頂いたもののため、誰の作なのかは分からないのですが、落款もありました。この落款から作家名分かる方がいらしたら、教えてください!↓
帯揚げにはアクセントを加えるため、抹茶色の無地縮緬を、帯〆には樺茶色の冠組を入れています。
*
さて、こちらが、二枚目の縞きもの。友人と食事へ行った日に着たコーディネイトで、帰宅後に家で写真を撮ったのですが…最近入れたタイマーアプリを上手く使いこなせず、今日の日記はどれも何だか写真が小さなサイズになってしまっていま。今更撮り直しもきかず、いま一つ分かりにくい画像で申し訳ありません。
こちらの縞きものは、袷です。こちらも頂きもののため産地不明ですが、全体にやや強めのしぼが入っています。十日町辺りでしょうか。黄みがかったベージュに焦げ茶で縞を織り出しています。
帯には、祖母が染めた牡丹唐草の名古屋帯を。茶色地に黒の色付けのため、更紗のような雰囲気に見え、季節に関係なく締めています。
実は、この日の帯揚げと帯〆は、赤地の縞単衣の時に合わせたものと全く同じです。意図的に合わせようと思った訳ではなく、偶然に、と言うか、無意識に、この組み合わせを択んでいました。全く違う色合いのきもの×帯にも、意外にも合ってしまうことが面白いなと思います。それで同じ日のブログに並べて載せてみたものですが…いかがだったでしょうか。
今週は、この後、二つ華やかな会に行く予定があるので、きれいめのきものコーディネイトブログをアップ、そして、夏の間に精魂傾けたお仕事(きもの関係)もお知らせ致しますので、良かったら期待してお待ちください!タイマーアプリの画像サイズも今後はちゃんと調整します!
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金木犀のきものでレストランへ 2014/10/16
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おきものコーディネイト日記、今日は、季節の花のきもので出かけた日のコーディネイトです。
二回の台風ですっかり花が落ちてしまいましたが、東京ではついこの間まで金木犀が花盛りでした。町のあちこちから金木犀の香りがただよって来ると、秋が来たなという気持ちになります。
その金木犀の花と木を染めたきもので、母の誕生日の家族での食事会へ出かけました。
きものは、祖母が染めたものです。あまり見かけない柄付けのかんじやどこか素朴な力強さがあることから、恐らく、ありものの型ではなく、自分で絵を描き、型を起こして染めたものではないかと思っています↓
お店は、井の頭公園のすぐ脇に立つ老舗の一軒屋レストラン、芙蓉亭。螺旋階段のある素敵なインテリアで、正統派のフランス料理を頂けます。
http://www.fuyotei.com/
帯周りはこんな風に↓
茶色地に、分かりくいかも知れませんが、金糸で月が意匠化された洒落袋帯を締めています。
帯揚げには、薄いベージュ地に茶色と黄色の縞が絞りで入った一枚を。そして、帯〆にはちょっと遊び心がある一本を入れています。
紺色の丸唐組に、藤色の七つの小田巻が自由に動く、かわいらしい作りの帯〆なのです。帯揚げ、帯〆、共に龍工房のもの。一枚目の写真では七つの玉を全部つなげて並べていましたが、二枚目の写真では、二つと五つに分けて並べています。途中、七つ一つ一つを等距離で少しずつ間を空けて並べてみたりもして。色々遊べて楽しい一本です♪
このきもの、一見、小紋に見えますが、実は葉の緑が濃くなったり薄くなったりしていて、金木犀の木に光が当たっている様子を描いています。だから、付け下げ扱いでしょうか。毎年、わずかな時期にしか着られない、祖母の染色魂がこもったきものです!
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出雲を旅して 2014/10/13
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台風直撃の休日、東京もいよいよ雨脚が強くなって来ました。Facebookの書き込みを見ていると、今日は中止になったイベント事が多く、私も午後に早々と買い物を済ませ、家にこもって過ごしています。
思い返すとちょうど一週間前の週末は、出雲での、おめでたく華やかな婚礼の様子がニュースを飾っていました。そのニュースを見て、昨年、出雲を旅した時のことをなつかしく思い出したので、時間の出来た今宵、綴ってみたいと思います。
*
さて、昨年の出雲旅行は、東京で知り合った友人の実家を訪ねて向かいました。
実は、“友人の家”と言ってもその家は当たり前の家ではなく、今回の婚礼でも大きな注目を集めている出雲大社の、その氏子総代を代々務める名家なのです。
その家を手銭(てぜん)家と言い、家屋は、出雲大社のごく近く。毎年、神無月(出雲では“神在月”と言うのは有名ですね)に出雲に集まって来る、全国津々浦々の神様たちが大社までを通る、“神迎えの道”というこれもまた由緒深い道に門を構えています。
もしかしたら、出雲に旅行されたことがある方は、この手銭家の名前を聞いたことがあるかも知れません。と言うのも、手銭家ではその由緒ある敷地の一角に美術館を開館し、“手銭記念館”として、代々が集めた美術品を公開しているからです。その美術館の建物もただの四角い箱のような無粋なものではなく、江戸時代以来、代々が酒造りや米の貯蔵に使っていた蔵を改装した、“蔵の美術館”として知られています。
この手銭家の現当主の長女、手銭和加子さんと、私は東京で、お茶を通じて親しくなりました。何しろ日本美術好きの私、他の友人たちから、「手銭記念館には、主に江戸時代の素晴らしい美術作品が揃っているよ」という話を度々聞かされていて、いつか遊びに行きたいと願っていたのですが、ちょうど昨年、江戸後期の異端の絵師・曽我蕭白の屏風や、出雲独自の焼き物を展示する展覧会が開かれる時に、遊びに来てみる?ということになったのでした。
その手銭記念館の様子を撮ったのが、上に上げた三枚の写真で、独特の黄色が楽しい“布志名焼き”や、蕭白、狩野派などの絵師による屏風などの収蔵作品(つまり、手銭家代々が集めた美術品)を見る他に、出雲という独特の土地で、江戸時代以来続く旧家のたたずまいを味わえることが分かると思います。何しろ手銭家には、大日本地図の測量に来た伊能忠敬ご一行、それから、出雲大社参拝に訪れた松江の殿様(松平家)も滞在していたのです!
*
ところで、この旅でもう一つ印象に残ったのは、東京育ちの私が日本のどこへ旅しても感じる“さびれて行く地方”という問題、この問題に、手銭さんという生粋の出雲人が東京と出雲を行き来しながら取り組んでいる、その真摯な姿でした。
出雲と言えば“日本精神の故郷”と言っても良い、古代以来の由緒ある町です。けれどその出雲大社の門前町ですら、少子化やモータリゼーション、イオンに代表される巨大ショッピングモールの出現と言った、時代環境の変化の波にさらされずにはいられない。
この5、6年ばかりは島根県全体で“縁結び”にテーマを絞って観光客を集めているため、大社門前の商店街自体はなかなかの活況を呈しているようなのですが、だからと言って、全国展開の土産物チェーンが経営するが似たような土産物屋ばかりが並んでいるのでは町としての魅力に欠け、リピーターは増やせないのだろうなと感じました。
また、そのような外部資本導入によるにぎわいは、地元の人にとっては、本質的には、“見せかけのにぎわい”。その町に住む人が町や道を愛し、積極的に働くという、本当の意味での生き生きした生活は生まれないのだろうな、ということも、これは出雲に限らずどこの地方都市へ行っても、常に感じていることでした。
*
友人を褒めるのはどこか照れくささがつきまとうものですが、手銭さんは、私がこれまでの人生で出会った中で最も聡明な人の一人で、もちろん、私が上に書いたようなことなど、何しろ本当にその土地に根を持つ立場なのですから、もっと皮膚感覚のレベルで体得しているのだということを、私は旅の途中で思い知ることになりました。
私が出雲を訪ねた日、大社から真っすぐに伸びる一番の目抜き通りを案内して彼女がつれて行ってくれたのは、趣はあるものの、壁紙がはがれ、土間がむき出しになった古い町家。実は、手銭家が代々所有する建物で、この場所を、先ほど書いたような土産物チェーンに貸すことも出来るのですが――そしてそうした方が家賃収入はずっと高いのですが――そうはしない。やりたいことがあるのだ、と、出雲に住む人が「あの場所に行ってあれを買いたい」と思うものを売る店を作ろうとしているのだ、と、話してくれました。
あれから約1年半。
その町家の現在の姿が、上の写真です。何もなかった土間には、今、巨大なパン焼きオーブンや什器が並び、何より、美味しいパンと、心を込めてそのパンを作る店主と、店員さん、そしてお客様がいます。
お客様は、観光客ももちろんいらっしゃるのでしょうが、主体は町の人々であり、ここに素敵な、心と舌が躍る商品があるからやって来る。おそらくこれまでは「大社の前は観光客ばかりだから行かない」と、巨大モールに出掛けていた方たちが多く含まれているのだと思います。
そう、こういう店が幾つもあることこそが、その町に住むことを楽しくするのであり、外へ向かう力の歯止めになる――といういわゆる地方活性化のための施策、思想を、御大層な標語ではなく最も美しくスマートなやり方で、実現しているのがこの店であり、私はその胎動の時期に店を訪ねることが出来たのでした。
*
お店の名前は、“ブーランジェリー ミケ”。主に出雲地域で育てた小麦粉を原料に使い、そのパンは作られています。
新作は、何とも出雲らしい“雲のパン”。出雲を旅したら、大社の帰りに、ゼヒ一つ買ってみてください。そして、手銭記念館で、出雲の土地から生まれた古美術品を眺めてみてください。
江戸時代には、身分の固定など負の側面ももちろんありましたが、地方ごとに独自の布や焼き物、生活雑貨が育ち、生き生きと花開いたことは、現代の日本よりずっと優れた点だったと思います。
「東京のものがこの町でも買える!」ではなく、「この町にしかないものがここにある」ことこそが、これからの日本の歩むべき姿だと確信しています。日本で最も古くに栄えた町を旅して、未来の日本の姿を見つめた旅だったのでした。
*
最後に少しだけお知らせを。
実は、今日の日記に書いたことは、この出雲旅行で見聞きし、感じたことの最もエッセンスの部分。出雲という、日本という古代以来の土地を歩くことで感じる地場の力や、大社門前町の明治以降の栄枯盛衰の物語、江戸時代の松江藩殿様の苦心惨憺たる貧乏財政再建秘話、そして、東京出身で、いわゆる“ふるさと”を持たない私自身の心の底にある“故郷希求”の思い――これらのことと、今日記した手銭さんの試みとを、古代―江戸―現代、出雲―東京という幾つもの軸で布を織るようにして書いたエッセイを、既に発表しています。
「Libertin DUNE」という不定期刊行のアート雑誌の、No.5エディションに発表した、「出雲 過去―現在―未来」というエッセイ。現在もまだ購入出来るので、良かったらお買い求めいただけたら幸いです(次の「」内をクリックすると、amazonページに飛びます→「Libertin DUNE No.5」)。
ニュースによると、今日、出雲も雨に見舞われ、伝統の出雲駅伝も開催を見合わせたとのこと。それでも明日には晴天が戻り、大社通りには美味しいパンが焼き上がっているのだと思います!
手銭記念館(現在は、「江戸力」展開催中。関連講座やワークショップも多数開催!)
http://www.tezenmuseum.com/
ブーランジェリー ミケ
https://www.facebook.com/Boulangeriemike?fref=ts
Libertin DUNE No.5
http://www.amazon.co.jp/Libertin-DUNE-no-5-TRADITIONAL-TRANSCEND/dp/4861192129/ref=sr_1_4?s=books&ie=UTF8&qid=1413207125&sr=1-4&keywords=libertin+dune
備後絣(木綿きもの)で和裁所へ 2014/10/12
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おきもの日記、前回のエントリとは打って変わって、今日は木綿きもので出かけた日のコーディネイトをご紹介したいと思います。
今年3月に倉敷旅行をした際に購入した、倉敷(岡山県)のきもの、備後絣。すぐに仕立てに出して、実は6月の単衣の季節に一度着用していました。
…が、例によって仕事が忙しく、日記にアップする機会を失っていまして…実は、写真だけ撮っていてアップ出来ていないコーディネイトが山ほどあるのです…
そこで今日は、その6月の際のコーディネイトと、今回、秋になってから着たコーディネイト、お得な?二点セットで!ご紹介したいと思います。
コーディネイト1:木綿きものに織り帯を
まず、6月はこんなコーディネイトで出かけてみました↓
合わせた帯は、織り八寸の名古屋。破れ七宝文様を織り出していて、よく締めている一本ので、こちらの日記を時々見て頂いている方でしたら「また締めてるな…」とニヤリかも知れません。活用頻度高めです。
帯揚げには、あまり分からないとは思うのですが、レモン色地に紫陽花の花が青で絞り染めされた一枚を入れました。まだ6月で、紫陽花の季節だったので(季節感全くずれていてすみません)。
帯〆には、少し色味の違う黄色の洋角組を。
この日は、料理研究家の友人・井上眞理子さんが主宰する日本ワインと軽食を楽しむ会「HAPONワイン物語」のお手伝いをしていました(と言っても料理下手な私なので、お皿を並べるとか、そんな程度です)。
こういった裏方役を務める日、しかも汁などが飛ぶ可能性がある料理イベントの日には、家で洗濯出来る木綿の絣なんて正にピッタリかしらと着用しましたが、男女問わずお客様に大好評。素材などについての質問も多数頂き、「やっぱり日本人はみんな藍色が好きなのね!」「木綿の着物には何となく親近感がわくのかな?」と嬉しくなった一日でした。
コーディネイト2:塩瀬染め帯を合わせて
祖母が東京紅型で染めた山里の風景文様の帯に、龍工房の矢羽柄の帯〆。同じく龍工房の縮緬帯揚げを入れています。実はきものの絣文様が微妙に矢羽のような形をしているので、帯〆の柄とリンクさせてみました。
後姿も撮って頂きました↓
祖母が楽しんで田舎の風景を染めた気持ちが伝わって来る帯です。撮影して頂いた、人気きものブロガーの“きもの花椿”さん、ありがとうございます!いつも撮って下さる人がいないので前帯しか披露出来ておらず、祖母も大変喜ぶと思います。
「花子とアン」のきものを制作した和裁所
ところで、最初の一枚で一緒に写っているのは、このきものを仕立てて頂いた和裁所“海老原美智子プロきものスクール”代表の海老原美智子先生です。
この和裁所のことは、これまでにも何回か書かせて頂いたので、覚えて頂けている方も多いのではないかと思います。
昨年、私が企画・制作した時代きものイベント“江戸着物ファッションショー”で、江戸時代の帯の再現制作をして頂いたことからご縁が出来、その後、仕立ての勉強のために時々見学をさせてもらっている和裁所です。
その経緯をこちらの和裁所所属の和裁士でもある“きもの花椿”さんがブログでご紹介してくださっているので、ご覧くださいね↓
http://kimonohanatubaki.blog.fc2.com/blog-entry-413.html#comment861
さて、先生とのお写真で、背景にたくさんの方がちくちくと縫ったり、仕立ての具合をチェックしたりしている様子が写り込んでいますが、こちらの和裁所は、プロの和裁士としてお仕事をされている方と、生徒さんとして和裁を習っていらっしゃる方が同じ場に混在し、非常に和気藹々とした雰囲気が大きな特徴です。
あの人気店のおきものも、それからあちらの人気店のおきものも、ここでお仕立てやお直しをしているんです!…と名前を書きたいところですが、それはもちろん企業秘密。
また、NHKの朝ドラも半年ごとに担当していて、そう、大好評を博していたあの「花子とアン」の衣装も、こちらで制作されていました。蓮子様の衣装も、少し前まではすぐ横の棚に積み上がっていたのですのよ…!
羽織から帯への仕立て替え相談と、村山大島仕立て上がり!
…と、本当に楽しくいつもこちらに伺っているのですが、この日は、お仕立てに出していた村山大島の単衣が出来上がったので、取りに伺いました↓
海老原先生にたとうを開いて見せて頂き、にっこにこしています。とてもシックな村山大島。10月中は単衣を着ようと思うので、またこの日記でご紹介出来ることと思います♪
そしてもう一つ、祖母の遺品の中の羽織を、帯に仕立て替えたいと思い、その相談にも伺いました。今回、総絞りの羽織と、祖母が染めた東京紅型の羽織、二枚を名古屋帯に仕立て替えたく、真剣に相談中↓
さてさてどんな帯になるか…は、今後のお楽しみに!
きものの外出は本当に楽しいです♪
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ホテルでの立食パーティーに華やかな小紋で 2014/10/05
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台風の日曜日、我が家の庭にも大量に雨が降り注ぐ音が聞こえています。
そんな中、午後はきものでパーティーに出席していたので、久々にきものコーディネイト日記をお送りしたいと思います。
そう、このところあまりに仕事が忙し過ぎてきものを着る機会がなく…先月は3回しか着られずかなりフラストレーションがたまっていました。今、爆発的にきものを着たい気持ちが燃え上っています!頭の中でコーディネイトがぐるぐる渦巻いています!今月は、週2回くらいはきもので外出出来そうなので、このぐるぐるをどんどんと放出して行きたいと思いますので皆様良かったらおつき合いくださいませ!!!
さて、そんな今日はどのようなコーディネイトだったかと言うと…
きものは、小糸敏さんの菊文様の小紋。ほとんど白上げで、ところどころ花芯のみ桜色に染められています。小紋ですが、大柄の模様付なのでとても華やか。袋帯や華やかな名古屋帯を合わせて、パーティーのような場に着て行くことがほとんどの一枚です。
帯は、唐草華紋の袋帯。京都の加納幸製で、銀糸と少しの色糸で織り出しているシンプルな色使いのため、どんなおきものにも乗る便利な一本。しかもとても軽くて締めやすいのです。
コーディネイト全体が白と水色のすっきりとした色使いになって面白みに欠けるため、帯〆に少し遊び心を忍ばせてみました。萌黄色に、金糸も入った、太めの幅の一本を。地内記組はあまり締めている方がいないので、ちょっと自己主張が出せたかなと思います。
本当は、帯揚げにもう一段濃い色目の紫色を入れたかったのですが、手持ちがなく…淡めの紫色地に、菊や梅などの文様を織り出している綸子地の一枚を入れています。ああ、帯揚げ、100色くらい揃えたいものです!
*
今日出席したパーティーは、地元・吉祥寺の呉服屋店「ふじや」さんの八十周年を祝う会でした。会場は、これも地元の、吉祥寺第一ホテル。
我が家では、ふじやさんがこの地に開業した少し後に祖父が土地を買い、それ以来の吉祥寺暮らし。ほぼふじやさんと同じくらいの年月をこの街で重ねています。
実は、吉祥寺では、以前は十五軒も呉服屋さんが軒を競っていたのだそうです。父の小学校の同級生にもそんな呉服屋さんの息子さんがいたと言いますし、以前、浅草の老舗履物屋・辻屋の女将の富田里枝さんとお話ししていたら、「昔は吉祥寺に支店を持っていたのよ」とおっしゃっていました。かつて吉祥寺は、武蔵野周辺に住む人々の“きものおしゃれ発信地”だったようなのです。
けれど80年の間に、きものを巡る環境は激変。現在、昔ながらの暖簾を守っているのは、ふじやさん一軒だけになってしまった、と、今日のスピーチの中で当主の目黒さんがおっしゃっていました(注*その代わりに、くるりさんや三松さんなど、新しい呉服屋さんも出来ています)。
我が家のきものは、祖母や大叔母などから伝わって来たもの以外は、ふじやさんで買うことがほとんど。吉祥寺、三鷹、練馬には、我が家のようなお客様がたくさんいらっしゃり、今日は皆さん思い思いの“ふじやで買ったおきものコーディネイト”で雨の中を集まっておられました(私の今日のきものと帯も、もちろんふじやさんで求めたものです)。
そして、私も母と一緒に参加しましたが、親子でいらっしゃっている方、それから、お友だち同士の方も大勢。正に“地元の呉服屋さん”で、昔は日本全国あちこちに、こんな風な“我が町の呉服屋さん”があったのだと思います。
今ではきもの人口自体がぐっと減ってしまいましたから、きものは、デパートや、大きな都市の有名店で買われる方が多いのではないかと思います。もちろんそれも素敵なことですし、私も時に違うお店から、また、作家さん・工房さんから直で買うこともあります。でも、ふじやさんのような地元の呉服屋さんが、その街その街の暮らしに根づいて、独自の仕入れをする…そんな伝統も絶えないでいてほしいなと思うのです。
実は今日のパーティーは、三代目への代替わりのお披露目でもありました。心から、私の街・吉祥寺のこのふじやさんが、ずっとずっと吉祥寺の街で楽しくご商売を続けられることを願う一日でした。
*
ところで、私の後ろに写っている振り袖、皆さん気になったのではないかと思います。
これは、人間国宝・森口華弘先生の作品!
ふじやさんのおきものは問屋の市田さん扱いのものをかなり入れていらっしゃるのですが、おめでたいお祝いの日ということで、今日は市田の社長も駆けつけていらっしゃり、特別に、市田所蔵の森口先生のお作も舞台上に飾られていたのでした。大変に近くで拝見することが出来、眼福でございました!
そして、おまけの写真を(ここに、もう一枚の森口先生のお作も写っています)。
吉祥寺には、江戸時代・文久二(1862)年に、村のお祭りのために作られた“武蔵野囃子”というお囃子があります。今日はそのお囃子の皆さんも会をにぎやかに盛り上げてくれました。
地元の呉服屋さんのこれまでの道のりと前途とを祝う、地元の人々によるパーティー。他のお客様とも楽しく歓談し、大雨も忘れて何とも楽しい午後でした。何しろ地元の会ですから、雨の中でもすぐに帰宅出来ましたし♡
“儲からないけど好きな仕事”で儲けるために何をすれば良いか?――農業コンサルタント・片平晋作さんへのインタビュー 2014/10/01
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お金持ちになりたいなら、業界を吟味しなさい、とよく言われます。
これから発展する業界、或いは波に乗っている業界で勝負すれば、風は順風で利益を上げやすい。一方、斜陽産業を選べば、風は逆風。同じだけの努力をしても、手に残る利益は少ない、と。
そう考えると、今の時代、順風に乗ってザックザック儲けたいなら、おそらく、IT分野、バイオテクノロジー、或いは国際金融取引に関係する仕事をするのが、賢い選択なのでしょう。
けれど一方、ただお金儲けだけをして終わる一生はむなしい、という考え方もあります。
たった一度の人生、自分がやりたいこと、好きなこと、人の役に立ったという充実感を得られること…そういう仕事に携われるなら、儲けはそこそこでも全然構わない。でも、全く儲からないのでは困る訳で、“楽”、“充”、或いは“自尊”の感情を得られる仕事で生きて行けるようになるためにはどうすれば良いのか、ということが、多くの人にとって永遠の課題となるのだと思います。
私が担当している連続インタビュー、“HAPON人インタビュー”。 農業コンサルタント・片平晋作さんに聞く2回目では、今回、この課題を中心に据えてお話をうかがっています。
「現代の日本で農業をする」ということ自体が、まさに“儲からない”選択。跡継ぎがなく消えて行く農家が山のようにあることからはっきりしている通り、労苦の割に利益の少ない、片平さんの言葉で言えば“衰退産業”そのものなのだと思います。
けれど、本当にそうなのか?やりようによっては逆風の中にある業界でも、ちゃんと生きて行けるだけの利益を生み出せるのではないか?
実体験に基づく片平さんのお話は、ただ農業だけではなくどの分野で働く人にとっても参考になり、実践出来るヒントが散りばめられていることを、お話を聞いていて実感しました。是非ご高覧頂ければ幸いです。
「農業=食べて行けない? マーケティング手法で農業を変革する
農業コンサルタント・片平晋作さんへのインタビュー」
http://hapon.asia/shinjuku/news/post3949/