西端真矢

ARCHIVE:

明日からの日中関係を考える (上海・南京旅行記後篇) 2012/12/30



 いよいよ年末も押し詰まって来たところで、今年最後のブログを更新したいと思う。
 ここ一カ月ほど、仕事がとてつもなく忙しくなり、全くブログを更新出来なかった。それにも関わらずぶろぐ村のクリック数を見ると、前回の「遅れていてごめんなさい」日記に相当数の方が応援クリックを押して下さっていることが分かり、本当にありがたく、深く感謝しています。ありがとうございました。

 今回は、10月に書いた「上海・南京旅行記」の後篇でありつつ、ただの紀行日記というよりは、日中関係の現状分析と今後の関係構築を考えることに多くの字数を使っている。下に、各章の大まかな内容をまとめたので、皆様、興味のあるところから読んで頂けたらと思う。

       
             *
      
各章の概要
1章)+2章) 「南京大虐殺」が意識され、日本からは訪れる人のあまり多くない南京。その南京でふと不思議に思ったことと(1章)、南京大虐殺記念館訪問記(2章)

3章) 今年9月の反日デモ暴動化で、主役として暴れまくった貧しい労働者たち。彼らの中で特に強く反日感情が燃え上がる、その理由を、現地の中国人友人と語り合う中から考えてみた。また、日本メーカーの工場で働く労働者の労働実態についてもレポートする

4章)中国で久しく行われているという 「反日教育」。9月の反日暴動が巨大化した背景には、この反日教育があるとよく指摘されるが、では、「反日教育」とは具体的にどのようなものなのか?現地の人に訊くとともに、それがもたらした意味についても考えてみた 。

5章)+6章)日本の複数の調査で、「嫌いな国」堂々ぶっちぎりナンバー1は、中国。戦後最悪化してしまった日中関係だが、市場としての中国を無視することが出来ないし、また、日本の安全保障の鍵は日中関係にあることも誰にとっても明白だ。この状況下で、一体日本人はどうやって中国とつき合って行ったら良いのか?誰にも確信ある答えは出せないこの難題に、失敗を恐れず、豆腐に頭をぶつける覚悟で、立ち向かってみた。


1)中華民国万歳?不思議の街、南京
 さて、まずは南京の街を旅していてふと不思議に思ったことを書いてみる。
 まずは下の写真を見て頂きたい。写っているのは、私が自分用に買って来たお土産のトランプだ。
%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97.jpg
 このトランプに印刷されている女性は、宋美齢。蒋介石の妻だった女性だ。
この日記を読んで下さっている方の中には、「中国現代史についてほとんど何も知らない」という方もいらっしゃるので少しご説明すると、蒋介石というのは、毛沢東の生涯最大の政敵だった、軍人であり政治家である人物だ。1945年に日本が戦争に負け、中国大陸から出て行った後、中国ではすぐに毛沢東率いる共産党と、蒋介石率いる国民党との間で内戦が起こる。そして1949年、共産党が勝利して、今に至る一党独裁支配が続いているという訳だ。負けた側の蒋介石と国民党を支持する人々は台湾へ逃げ、現在に至るまで、国際社会の中で独立国的な立場を保っている。
そんな因縁を持つ中国と台湾だから、中国が今のように経済重視の政策を採る前、共産主義バリバリだった時代(1949~76年)には、彼らの主要な敵は何と言っても台湾だった。今では何かと言うと日本がやり玉に上げられるけれど、当時共産党がののしる対象は、ダンゼン台湾。武力での併合を目指して、何度か軍事衝突が起こりそうにもなった。
 台湾との関係がそんな緊張をはらんだものだったから、例えば1960~70年代、中国の或る町に李さんという人がいたとして、もしもその遠い親戚に台湾に逃げた国民党関係者がいるらしい!‥などということが発覚しようものなら、
「資本主義へと走る反動分子を親族に持つ、李、お前も反動分子だ!」
「ひょっとしてその親戚を通して今も台湾と連絡を取り合っているんじゃないか?共産中国を転覆させようとするスパイじゃないのか君は!?」
と、町中から吊るし上げにあって大変なことになった。(かつての中国のこういうすさまじく狂った日常を知りたい方は、まずはこの正月休み本屋さんへ走り、『ワイルド・スワン』を読んで頂きたい)
  けれど1980年代以降、中国は経済を重視する政策に転向。台湾に対しても、軍事力で一体化させるのではなく、経済での結びつきを強めて「いつの間にか中国の一部になっていた」という、なし崩し作戦を実行しようとしている。
 そんな訳で、ひと昔前なら「宋美齢トランプ」など販売しようものならとんでもない災いが李さん一族郎党に降りかかったものだけれど、今や普通にお土産屋で売られる時代。もちろん李さんの友だちの馬さんが買ったとしても何の問題もない。
 そして、宋美齢がトランプに採り上げられるのは、現在の中国で彼女や蒋介石が根強い人気を誇っていることを表しているのだと思われる(何故なら売れそうにないものは中国人は作らないから)。 実は宋美齢は、ただの政治家夫人だった訳ではなく、例えば日中戦争中、彼女自身がアメリカを遊説旅行に回り、中国への援助を引き出すための広告塔の役割を務めていた。彼女は学生時代はアメリカに留学していたので非常に流暢な英語を話すことが出来、政治家の妻として、その武器を祖国のために最大限に利用していたのだ。
 けれど、彼女の武器は英語だけではない。それは彼女の美貌、カリスマ性、何より生まれつき備えていたエレガンスだったと思う。そもそも彼女がアメリカへ留学出来たのは大富豪の家に生まれたからであり、子どもの頃から最上級の文物に囲まれて育ったために、超一流の審美眼が育まれていた。その審美眼をベースに、たぐいまれなるファッションセンスで優雅に旗袍(=チャイナドレス)を着こなす彼女は、夫とともに華々しく政治の舞台で活動した。エレガントでありながら強い意志を持つ姿が、今では大陸中国でも憧れの対象になっているのだろう。
 かく言う私も実は私はわりと宋美齢ファンで、これまでにもこつこつと、宋美齢本、宋美齢DVDなどの“美齢グッズ”を買い集めて来た(そんなものを買い集めているのは、もしかしたら日本では私だけかも知れない‥)。
 そんな訳で、今回お土産物屋さんでこの美齢トランプを見つけた時も、即、「買い!」と購入したのだけれど、何かがおかしい。そんな、ごくわずかな違和感が心の中に生まれていた。これは一体何なのだろう?その時、その土産物屋で、私はもう一度売り場を見渡して、その正体はすぐに判明した。そう、あまりにも国民党色が強過ぎるのだ。

 実は、私が宋美齢トランプを発見した棚には、隣りに幾種類かの別のトランプが並んでいた。それは、「蒋介石秘蔵写真トランプ」「国民党有名将軍トランプ」「民国名場面トランプ」など。「民国」とは、1912~1949年、共産党がまだゲリラ的存在で、蒋介石の国民党が中国を統治していた時代のことで、これらのトランプでは、その期間の名士や有名な事件の報道写真を、一枚一枚の札に使っているらしい‥それは良いのだけれど、「国民党トランプしか売っていない」こと、言い換えれば、「共産党トランプがない」こと、それが私の違和感の原因だったのだ。
 先にも書いたように、今では中国は台湾に対して太陽政策的政策を取っているから、蒋介石についても一定の評価がなされている。それは、「日本と徹底抗戦して戦った救国の英雄」という評価であり、だから、先ほどの李さんの時代とは違い、「蒋介石トランプ」が売られていても全く問題はない。恐らく、首都・北京の天安門広場近くの土産物屋さん辺りでも売っているかも知れない。
 実際、私は4年前に北京で「蒋介石の一生」的なVCDを売っているのを見かけたことがある。ただ、その隣りには必ず「人民解放軍十大将軍」VCDや周恩来本や毛沢東グッズが並んでいて、かつての敵である蒋介石グッズも売っているにはいるけれど、主流はあくまで共産党グッズ。それが当時の北京のスタンスだった。恐らく今でもそうだろう。
 ところが、南京では、トランプに限らず、共産党グッズが一切ない。本当に、驚いたことに、1軒の土産物屋でも発見出来なかった。3日間の南京滞在中、気をつけてあちこちの土産物屋さんを覗いてみたけれど、どこでも全て、国民党グッズのみの販売。これが私にはとても意外に思えた。

 また、中山稜(革命で清を倒した現代中国の祖・孫文の墓)や、総統府(民国時代の総統官邸)といった歴史名所へ観光に行くと、蝋人形で作った“歴史名場面再現コーナー”があるのだが、そこで再現されているのも何故か“国民党的にメジャー”な場面ばかりだった。
 中には日本が舞台となっている場面さえあって、「孫文先生、日本亡命中に、日本人の支援者も得て結社を起こす」の場面では、畳の部屋・ふすまの向こうに見える富士山と桜・中国人同志たち・一人だけぼさぼさ髪で着物の前がはだけそうな宮崎滔天(孫文の支援者である日本人)といった蝋人形が、孫文の蝋人形と共に再現されている。
 しかし、例えば、抗日戦争のために国民党と共産党が手を結ぶきっかけとなった、1936年の「西安事件」のように、共産党がらみでドラマチックな名場面も幾つかあるはずなのに、再現蝋人形は一切なし。日本人からすると、いつも罵っている日本さえ出て来るのに共産党がらみは一切ない、ということがとても奇妙に感じられた。
 もちろん、南京にも共産党系史跡はある(梅園新村記念館など)。それに、共産党の軍事大学も南京に所在しているし、町のあちこちで、兵士向けに軍服などを売る軍隊商店も見かけることが出来る。町の普通の本屋さんへ入れば、「建国以来人民軍解放軍名勝負」的なムック本も売られている。でも、歴史施設や土産物屋では、圧倒的に国民党グッズの勝利。これが私には本当に不思議だった。
 もしかしたら、南京の人々の中には、「もともとはこっちが首都だったんだ」という誇りや、北京への対抗意識のようなものがあるだろうか?或いは、「国民党で町起こし」という方針でもあるのだろうか?もちろん、元国民党の首都だったということで、南京では台湾人の観光客がとても多い。台湾の人はまず絶対に共産党グッズは買わないだろうから、自然とこうなってしまったのだろうか?
 とにかく、共産党が一党独裁支配するこの国で、ここまで堂々とかつての敵を賛美するグッズ一色で土産物屋が埋められていることが、とても不思議に思えた。この謎の理由をご存じの方がいたら、ゼヒ教えて下さい。

2)南京大虐殺記念館訪問記
 さて、そんな南京について、日本人がまず思い浮かべる言葉と言えば“南京大虐殺”ではないだろうか?それが実際にはどんな事件だったのか、どういう前後関係の中で起こったのか‥ということは知らなくても、“南京大虐殺”という言葉はおそらく大半の日本人が聞いたことがあると思う。
 南京には、その南京大虐殺に関する資料を集めた“南京大虐殺記念館”がある。おそらく日本人にとって地球上で最もアウェーな場所であるこの記念館を、せっかく南京に来たのだから、とにかく訪問してみようと思った。
 始めに断っておくが、南京大虐殺という事件について、現在まで取り沙汰されている論争点――南京大虐殺自体の真偽、虐殺された被害者の人数をめぐる問題など――について、現在の私はまだ勉強中であり、最終的な定見を出せてはいない。そのため、これらの論争点については今回の日記では取り扱わない。そう度々南京に行く機会もないと思われるので、まずはこの事件が中国国内でどのように扱われているのかを、自分の目で見たかった。そのような理由で訪ねた博物館の訪問記ということで読んで頂ければと思う。

             *

%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E5%85%A8%E6%99%AF.jpg
%E5%B1%95%E7%A4%BA%E6%A7%98%E5%AD%90.jpg
 さて、その南京大虐殺記念館では、敷地の前に着いた瞬間からつらい空気がただよって来る。
 記念館は一棟だけではなく、非常に広大な敷地に巨大な建築物が幾つか点在する形になっているのだけれど、その一番手前の建物の前に、ちょっとビュッフェの絵のように、フォルムを異常に縦長に強調した針金のような女性のブロンズ像が立っているのだ。まるで私たちの心に突き刺さるような細長さ。その女性は私たちへ向けて手を差し出し、その中には殺害された子どもがぐったりと横たわっている。思わずため息が出てしまうような、見ているのがつらくなって来るブロンズ像だ。もちろん、この像は、「これは日本人が行った所業だ」ということを無言のうちに訴えている訳だ。
 そして、入場ゲートへ。一度に大量の人が入場して混み合わないように、50人単位ほどで入場が区切られていて、私たちは屋根付きの長い通路で待つことになる。そこには地の底から響いて来るようなレクイエム系の音楽が「わ~」「う~」と流されており、いよいよこれから悲劇を目撃するのだ、という気分が高まる仕掛けになっている。
 しかし、みんな静かに順番を待っているかと言うと、もちろんここは中国なのでそんなことはあり得ない。学校単位で見学に来ている中高生が多く、入場制限で仲の良い友だちと別の組になってしまうと、「お前だけ仲間外れ~や~い!」とからかったりしている。家族連れも、大声でお喋りしたり携帯で電話をかけたり、中国ではどこででも見かけるおなじみの光景が繰り広げられていた。
 入場料は無料だった。係のおじさんが「歴史を学ぶために国家が無料で開放していますから、しっかり学習して行って下さい」と1回1回の入場ごとに説明している。「ひょっとして、外国人は有料?いや‥日本人だけ有料かも知れない‥?」と身構えたが、そんなことはなかった。パスポートを見せる必要もなく、ただ、入口で荷物検査があって、ペットボトルを持ち込むことは出来なかった。

 さて、中に入ると、いきなり大きなスクリーンが目に入る。1937年12月に日本軍が、南京の、明時代から建つ由緒ある城壁を一部爆破、よじ登って入城。万歳三唱をしている記録映像が流れている。日本人から見るとかなりまがまがしい映像だが、こればかりはどんな極端な右翼の人々も、映像が残っているので否定のしようがないだろう。
 そして続く数室の展示室では、1937年7月の盧溝橋事件に始まる日中戦争最初の5カ月、つまり12月の南京大虐殺へと至る経緯を、写真、年表、地図、遺品、人物紹介などの資料をこれでもかとこれでもかと詳細に並べて展示していた。
 その展示物の中には、例えば、日本軍人が使っていた銃などの武器、また、日の丸国旗に「武運長久」と墨で書かれ、郷里の村の人々がそぞれぞれ名前を署名して日本人出征兵士に贈ったお守りの旗なども展示されていた。戦場に落ちていたものを拾い集めただろうか。また、進軍状況を伝える当時の日本の新聞や雑誌なども多数展示されている。
 一方、“日本軍と戦った勇敢な兵士”ということで、多数の中国人兵士や将軍の写真と、経歴も展示されていた。南京での戦闘は共産党軍ではなく、国民党軍が戦ったのだけれど、国民党だからと言って業績が矮小化されることはなく、きちんと国の英雄として紹介されている。
 そして、これら全ての展示物に、中国語、英語、日本語の解説が付いている。
「え!日本語もあるんだ」
と、私も驚いたけれど、少なからぬ中国人もこれには驚くらしく、
「有日語‥(日本語がある‥)」
 とつぶやく声を何回か聞いた。中国政府としては、日本人もどんどんここへ来て過去の歴史を勉強してください!ということなのだろう。
 そして、その日本語は、非常に正確だった。中国の博物館・公共施設へ行くと、かなり大きな施設でも日本語訳が非常にお粗末で、「いかにも中国の人が訳したな」というレベルであることが多いのだけれど、この記念館に関しては完璧な日本語だった。
 一部、各部屋の冒頭にある“概要紹介”的な大パネルのキャッチコピーだけ、おかしな日本語訳が少し見られたけれど、これは、おそらく展示解説の方は日本人翻訳者に依頼したものの、全部作業が終わった後で大パネルも作ることになり、「うわーもう支払い終わっちゃったよ。仕方ない、予算足りないからここは日本語出来る中国人に訳してもらうか」となったのだろう‥などと、元広告代理店社員としては裏側を想像してしまうのだった。とにかく、全ての展示物に徹底的に日本語訳が付されている。

 閑話休題。
 それにしても、ここの展示は、本当に内容が細かい。紹介されている中国人軍人も、有名な将軍もいるけれど、無名の下士官がほとんどで、その一人一人に、顔写真と、どこの街出身で・何部隊に所属し・いつ南京での戦闘に参加したかの‥そういった解説が付けられている。
 一方で南京戦参加の日本軍人の紹介もあり、松井岩根総司令官など有名将軍はもちろん、中国側と同じく、無名の一般兵士たちについても写真と経歴が展示されている。もしもこの兵士のお孫さん、ひ孫さんがここを訪れたら、いきなり自分のお祖父さんの写真と名前があって衝撃を受けるだろうと思われた。
 また、日本軍の遺品も、武器だけではなく水筒など、直接戦闘に関係ないものも含めて展示が行われている。日本軍がどう南京へ向けて進軍したか、詳細に地図と日程が掲げられてルートが示され、とにかく、全体的に、圧倒的な細かさとボリュームを通じて、南京戦を理解してもらおうという仕組みだ。
このやり方はとても良いと思うが、何しろ量が多いので、一つ一つしっかり見て行ったら一日かかっても終わらないのではないかと思えて来る。中国人の参観者も、最初のうちこそ熱心に細かく見ていたが、だんだんと「もしや‥これは‥とてつもなく量が多いのでは‥」と気づき、やがてさーっと流し見をするようになって来る。
 それでも、やはり目を引く展示物というものはあって、例えば、日本兵が使用していた銃の展示には比較的多くの人が集まっていた。それも、日露戦争以来改良のないまま下級兵士に渡され、日本軍の装備の遅れの象徴だった“三八式歩兵銃”は、見るからに貧弱なのが中国人にも伝わるらしく、あまり人気がない。より破壊力のある(上等兵に渡された?)銃の方に人が集まっていて、特に小さな男の子はやはり万国共通で銃好きだから、
「お父さん、お父さん、あの銃は何?」
「あれは日本軍が使っていたんだよ」
「あれ撃ちたい!撃ちたい!」
などと叫んでいる。(憎っくき日本軍のものなのですが‥)
 また、学校の見学で来ている中高生たちは、日本の当時の新聞の展示を見て、例えば見出しが「皇軍万歳」だったりすると、
「皇軍万歳だって。私、意味分かるよ~」
「私だって分かるよ~」
 などと、日中で漢字は共通なので読み上げて軽いクイズのような感覚で遊んでいる。
 そう、南京大虐殺記念館、と言うとみんなで目を吊り上げて見学しているのでは?と思いがちだけれど、実際はかなりゆるりとした雰囲気で、もちろん中には謹厳なお父さん(共産党員?)に率いられ、家族一同、お父さんの解説を聞きながら回る‥などという真面目グループもいるにはいるけれど、それは本当にごく少数でしかない。大部分の人は「なるほどね、こんなことがあったんだね」といったかんじで、概要をさくさくと見て回っている印象だった。

 もちろん、それでも、ここで見たものの残像は人々の心の中に残り続けるだろう。
 捕虜になった日本兵から押収したという、強姦した女性の写真が展示されていたり(その兵士は自分の強姦の記念に写真を持ち歩いていた、という解説が付いていた)、当時の南京の民家が原寸大で再現され、お姉さんが殺され、お父さんが殺され、家が荒らされ‥という凄惨な現場が蝋人形で再現されてもいた。これは、想像で作った場面ではなく、生き残りの女性の証言に基づいている、とのことで、その女性の証言ビデオもすぐ横で流されている。
%E5%A2%93%E5%9C%B0.jpg
 また、そもそもこの記念館は、虐殺された人々の遺体が遺棄されたその地点に建てられた、とのことで、何層にも白骨が折り重なっている発掘時の状態が、そのまま記念館の中に屋根付きで保存・公開されている。さすがにこの場所でにぎやかにしている人はいなかった。

             *

 もちろん、これらの展示物に関して、疑義を唱えようと思えば出来るものもあるのかも知れない。
 例えば、「家族がこうこうこういう風に日本軍に殺された」という証言は、その真実性を確かめようがないものもあるだろうし(もちろん、例えば当時南京に居合わせた西洋人神父の証言のように、何らかの傍証により確認出来るものもある)、そもそも南京大虐殺の被害者数300万人という中国政府の公式見解には、発表当初から日本政府・学者が疑義を提え続けている。
 この点を意識してか、記念館では、中国側の全ての主張が客観的証拠に基づいていることを、懸命に示そうとしているように思えた。
 例えば、「そもそも南京には30万人もの人が住んでいなかったはずだ」という日本側の主張に反論するために、或る展示室では、「8月の上海戦で住む所を失った人々が大量に南京に流れ込んだ」という事実に関する資料を、こと細かに展示している。「だから南京には当時、300万人以上の人が住んでいたんです」と間接的に伝えようとしている訳だ。
 また、館には、黒いファイルが無数とも思えるほど並んでいる一室がある。床から天井までの高い高い本棚が幾重にも立ち、その全ての棚に、背表紙に人名が記された黒いファイルがびっしりと収められている。
%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%9C%AC%E6%A3%9A.jpg
 ファイルは参観者が手に取って良いということなので開けてみると、例えばそれが「李某」さんのファイルだとしたら、中には李某さんに関する資料が入っている。何年にどこで生まれ・誰と結婚し・いつ南京に来て・どこどこ商店に勤め・子どもが何人いて・何日に死亡‥といった情報が書かれた資料だ。彼らは全員、南京大虐殺の被害者である、ということだった。
 私が手に取ってみた数名の方のファイルには、1枚ぺらっと、上記のような基本情報を書いた紙が挟まっているだけだったけれど、例えばそれが南京市の有名な商店主で、商業活動の履歴がはっきりと分かっているような人だった場合、 資料はもっと分厚く、写真なども含まれることになるのだろう。
 こうして、この部屋では、死んでいった人々の存在を可視化し、手に取って触れられる状態にすることで、「南京大虐殺は事実である」ということを内外にはっきりと示そうとしているように思われた。

             *

%E5%92%8C%E5%B9%B3%E5%83%8F.jpg
 建物を出ると、庭の一角には、長崎の平和像のような平和像が建てられている。像の下には「和平」という言葉が刻まれ、南京大虐殺は大きな悲劇ではあるけれど、決して日本を責めるためにこの記念館を作ったのではなく、二度とこういう悲劇が起こらないよう、平和への努力を続けよう、という人類共通のメッセージが込められていることが分かる。また、敷地の一角には日本の平和友好団体が植えた木が何本も育ち、大切に手入れされていることも見て取れる。
 この記念館は、日本人にとって、確かにつらく、目をそむけたい場所ではあるけれど、館全体を通して、直接日本人を責めるメッセージは一切見当たらなかった。そのため、日本人が想像しがちな“狂信的な日本非難の牙城”と言うことは出来ないと思う。
 彼らの表現は、終始、「日本軍国主義が」「日本軍が」、中国を侵略した、という思想で貫かれていて、それは「日本が」「日本人が」と主張することとは全く異なっている。日本人が有史以来、そして未来永劫邪悪なのではなく、あの当時の日本軍国主義が間違っていたのだ、という思想だ。当然、現在の日本を責める語句も見当たらなかった。
 例えば、東京の東京大空襲戦災資料センターや広島の原爆ドームが「アメリカ人は日本人にこんな悲惨な行いをした、悪魔のようなやつらです」と訴えるために存在するのではなく、戦争の悲劇の実態を学び、人類全体への警告とするために存在しているのと同様に、南京大虐殺記念館も、戦争の被害と未来への警告のために建てられている。もちろん、それをどう解釈し、どう政治利用するかは個々の中国人によって異なるけれど、少なくとも館そのものの思想が、崇高な「平和への希求」であることは明らかだ。この点は日本人も公平に認めなければいけないだろう。
 そもそも「南京大虐殺記念館」と日本語訳されることの多いこの館の中国名は、「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」と言う。直訳すると、「中国を侵略した日本軍が行った南京大虐殺に遭遇してしまった同胞たちを記念する施設」という意味だ。南京大虐殺の記念館ではなく、南京大虐殺で亡くなった人々を忘れないようにするための記念館、というニュアンスがはっきりと込められている。
 もちろん、先ほども書いたように、この館をどう政治利用するかは個々の中国人次第だ。
「日本人はこんなに残虐で、その本性は変わるはずがない。今だって隙あらば中国への侵略を企んでいるんだ!」
 と主張するための材料にする人もいるだろうし、また、館内に掲示された碑文には、「国が弱いと他国からこのような侵略を受けてしまうので、強国にならなければならない」とはっきり書かれているものがあり、私はこれは注目に値すると思った。
 つまり、中国共産党政府にとってのこの館の意義は、日本を攻撃することにあるのではなく、むしろ、政府が軍に国家予算をつぎ込み、一党独裁支配体制で国をしっかり管理する、そのことの正当性のためにある。そういう側面があるのではないかということだ。そして、私は、ここに、日中関係がぎくしゃくする時の典型的パターンが表れていると思えてならなかった。
 つまり、多くの中国指導層は、現在の日本が他国への侵略意図を持っていないことは、本当は分かっている。にも関わらず、自分たちの政権基盤を固めるために、敵を掲げて国民の団結を促したい。団結の指導者として共産党があり・軍がある、という思考回路を作り出したいのだ。そのためのダシが過去の敵、日本である。かつては台湾だったけれど、今は日本。この状況に対処する時、こちらがかっかするればするほど彼らを利することになるということに、改めて私はこの博物館の庭で思いを馳せたざるを得なかった。
 そう、日本がかっかして尖閣諸島に上陸したり、アメリカ軍と共同訓練をすればするほど、共産党幹部や、そして――ここが大事だが――軍の急進派は、
「ほらやっぱりあいつらは敵意むき出しだ。いつまた責めて来るか分からない。軍備増強だ」
 と国民に宣伝しやすくなる。むしろ彼らに言質を与えないように常に冷静にふるまい、
「戦争なんてどこの国ともまっぴらごめんだよね。日本人だってそうなんだよ」
 といった、中国の大部分の一般市民と知識層の本音。その本音を彼らが発信しやすい状況を作る。大局的に日本の安全保障を考えた時、このようなやり方のほうがずっと得策なのだ。
 もちろん、だからと言って、完全に軍国主義者を一掃することなど、中国に限らずどこの国でも不可能なのだから、万一の時に備えて、ひそかに着々とそれなりの軍備の備えはしておく。この両面作戦的な道行きが日本人が採れる最も賢いやり方だと私は思うのだけれど、残念ながら石原慎太郎氏をはじめ、勇ましいことだけを唱える人々にはいつまで経ってもこの「中国とやって行くための政治力学」が分からないようだ。
 ‥と、様々なことを思いめぐらせた南京大虐殺記念館だった。誰にでも気軽にお薦め出来る場所ではないけれど、日本の現代史、あるいは日中関係について真剣に考察したい方には、左の方も右の方も、一度は訪問してみる価値ある場所だろう。

3)反日デモで暴徒化した農民工。彼らの日常とは?
さて、今回の中国訪問では、中国人の友人とも何人も会食をした。もちろん日中関係悪化のことは常に話題にのぼり、様々な意見を交換することが出来た。そこで考えたことについて、ここからは書いてみたい。

 日本人に大きな衝撃を与えた9月の反日デモ暴徒化について、暴徒化したのは一部の中国人であり、あのような暴力的な行為を恥ずかしく思う市民、また、冷やかに見つめていた市民も多数いたことは、日本の様々なメディアが後日記として伝え、現在、日本人の中では徐々に常識化しつつあると思う。また、暴徒化した人々の多くが社会的地位の低い労働者階級であることも、多くの日本人が理解し始めているのではないだろうか。中国の友人たちと話していても、ほぼ全員同じように、
「あれは、一部の思慮の足りない、貧しい人々がやったことだから」
 と言う。では、この労働者階級の人々について、私たち日本人は何を知っているだろうか?彼らはどんな背景を持って育ち、現在どのような暮らしをしていて、何を考えているのか?何故彼らが暴徒化したのか?彼らに本当に食い込んでレポートした例はまだとても少ないように思うけれど、それも当然なのかも知れない。例えば日本でも、山谷などのドヤ街に入って行って取材するのは日本人にとってもかなり骨のいる仕事だし、ましてや相手が日本に対して敵意を持っていることの多い中国では、取材は至難の業となるのだから。
 とは言うものの、今回のように日本人にとってあまりにも多くの実害が出る現状を考えると、彼らが一体何を考えているのか、また、何とか彼らの“対日暴走”を抑える手立てはないものか?ということを、私などはつい考えてしまう。そしてこのことについても、今回の旅の間に友人たちと話し合った。

 ところで、この問題を考える時、前提として日本人が理解しなければいけないことが一つある。それは、日本人が思うよりもずっと、中国では階級差別意識が強いということだ。そもそも共産中国は国民の平等を目指して建国された国のはずなのに皮肉な話だけれど、残念ながら、現在の中国は、日本人からすると衝撃的なほどに階級間の差別意識が強い。
 たとえば私たち日本人が、工事現場で働いているおじさんやトイレ掃除のおばさんのことを「彼らは社会のゴミだから」などと言ったりしたら、間違いなく、100パーセント、その人は人間性を疑われてしまうだろう。けれど中国ではそうではない。もちろん、社会的弱者に暖かいまなざしをそそいでいるエリートも非常に多くいるけれど、それでも、そう、中の上以上の階層の半分程の人は、最下層グループにいる人々のことをはっきりとバカにする。そのバカにしっぷりがあまりにもあっけらかんとしているので、私などはいつもショックで二の句が継げなくなってしまうほどだ。
「反日デモでは日本人に嫌な思いをさせて本当にごめんね。でも、理解してもらえたら嬉しいのは、暴れたのは上海とか北京の地元の人間じゃないってことなんだよね。田舎から出て来た、愚かで教養のない労働者がああいうことをするんだよ」
「ああいうヤツらは、まあ、言ってみれば社会の粗大ゴミみたいな存在だから」
「あいつらバカだから、すぐ政府の宣伝に乗って暴れちゃうんだよ」
「ああいうヤツらはもうどうしようもないからさ」
 また、中国のツイッター・微博でこんなつぶやきを見かけたこともある。
「自分の人生がついてないからって、その不満を関係ない日本にぶつけるなんて本当にバカ」(「ついてない」って‥。運のいい・悪いでは片づけられないほどの生まれながらの逆境が存在しているんじゃない‥?と、私などは反論したくなるのだが‥)

 ‥こういうことを言う人が、いかにも甘やかされた成金の息子・娘だったりするなら私も「仕方ないか‥」とあきれるだけなのだけれど、ふだん、非常に礼儀正しくごく常識的で、ちゃんと自分の実力で仕事をしているような人が悪気なく言うから、衝撃はなおさら大きい。何と言うか、昔日本にも穢多・非人という考え方があったけれど、それに近い感覚で、「あいつらは自分たちとは全く別の人間」と線を引く。そういう差別意識がはっきりと感じられる。反日デモで暴れまくった人々は、中国社会の中で、そういう立場に置かれている、ということをまずは理解しなければいけないと思う。

 もちろん、先ほども書いたように、中国のエリート層の全てがそのような差別意識を持っている訳ではない。たとえば、大学時代に、わざわざ志願して1年間貧困地区に住み込み、小学校で教える‥そんなボランティア活動に参加する学生は山ほどいるし(私の友人の中にもいる)、社会の様々な場所で様々な慈善活動も行われている。また、具体的にそういった活動をしていなくても、中国社会の現状に胸を痛めている中間層・エリート層もとても多い。そんな友人たちの幾人かから聞いた話には、考えさせられることが多かった。

             *

 彼らから教えてもらったのは、中国国内にある”日本メーカーの製品を作る工場”の現状だ。“取材源秘匿の原則”にのっとり具体的なメーカー名を出すことは出来ないけれど、複数の超有名日本企業の製造工場で、中国人労働者がどのように働いているのか?、その現状を聞くことが出来た。
 これらの工場は、日本企業が直接運営している場合もあるし、現地の中国企業や台湾企業と合弁したり、委託をしていたり‥その運営形態は様々だ。とにかく、日本企業の製品を作っている。そして、私の取材源たちは英語か日本語に堪能であるために、それらの製品の生産管理を担当し、工場とマネージメント部門との橋渡し的な役割を担っている。だから工場の実情をよく知っているのだ。
 彼らの話によると、労働者たちは中国のど田舎から出て来て働く、いわゆる農民工で、たいていは工場からほど近い寮に住んでいる。そして毎朝工場に出勤するのだが、新製品の情報が外に洩れることのないよう、セキュリティは非常に厳しく、IDカードをゲートに通して入場しているとのことだった。退場も記録されるので、一旦敷地内に入ったらシフトで決められた時間になるまで、一切外に出ることは出来ないシステムになっている。
 つまり、例えば「今日はちょっと外のラーメン屋でお昼食べたいな」と思っても、「昼休みに工場の周りをお散歩して気分転換したいな」と思っても、出ることは許されない、ということだ。

 また、敷地内に入場した後も、自分の担当するラインにたどり着くまでに、何度も何度もIDカードの関所がある。IDカードには細かく情報が記録されているので、別のラインには決して近づけないようになっているし、生産管理部門など、マネジメント部門がある建物や階にも、彼らのIDカードでは入ることすら出来ないことが一般的だということだ。
 エリート層たちのカードはこうではない。彼らだって自分のデスクがある部屋にたどり着くまでには何度もカード関所のチェックを受けるけれど、でも、昼休みに外に出る自由は存在している。このように、仕事以外の待遇に関して、はっきりとした差が存在している。

             *

 ところで、私がここで特に昼休みのことを何回か書いたのには理由がある。それは、人間にとって最も基本的な事柄である、「食べること」に関わっているからだ。
 IDカードの種別により外で食事を取れるかどうかは、とても重要だ。何故ならその自由がない限り、必ず敷地内の食堂で昼食を取らなければならなくなるからだ。
この食堂で出される食事は本当にひどいものだと友人たちは私に教えてくれた。はっきり言って、家畜の餌のような味。そして、見た目。白米の上に何らかの汁がかかっているのだけれど、まず、その白米すらも、腐りかけのような米でとても食べられない味だったという。そして食堂自体も地下にあることが多く、窓すら作られていない。そういう所で、労働者たちは来る日も来る日も家畜の餌のような食事を取っている。これが反日デモで暴れた農民工と呼ばれる人たちの毎日なのだ。
 
 そして、彼らの労働は、非常に厳しく管理されている。
「家電の部品を組み立てるなんて単純労働じゃないか、そんなに大変じゃないでしょう」
 と言う人もいるかも知れない。確かに難易度はそれほど高くない場合も多い。けれど、1日の生産量が厳しく決められていて、それを守るために常に一人一人の行動が尋常ではないほど厳しく見張られているという状況を、「精神的に大変じゃない」と言うことは出来ないだろう。どのくらいのレベルでの見張りかと言えば、あくびをしたり、ちょっと手足を伸ばしたりすることにも目くじらを立てられるレベル。そうやって休むと、自分の次のパーツの人へと組み立て中の機会を回すのが遅くなる。だから、所定の労働時間の間、ずっと休みなく、気をゆるめることなく、働き続けなければならない。毎日毎日そうやって働かなければならない。あまり聞きたくない話ではあるけれど、それが日本企業の工場で働く中国人労働者の労働実態なのだ。
 そして、彼らの労働は、所定勤務時間だけで終わる訳ではない。工場は常に親会社=日本企業からの納品締め切り指令に追われていて、残業が言い渡される。残業しないで帰ることの出来る人などいない。多くの工場で、そのくらい当たり前に残業が強制されている。
 私の友人・知人たちは、このような実態の中で、労働者側と経営側との間の位置に立つ。労働者は全員、彼らにとって自国民である中国人であり、経営側は、合弁会社の場合、中国人か台湾人。或いは出向で来ている日本人。中国人・台湾人上司の場合には、その上に日本本国からのオーダーがあるのだから、間接的に、日本人から命令を受けているのと同じことになる。
 明らかに短過ぎる納期。けれど、日本からは絶対に死守せよと言って来る。ただでさえ疲弊している労働者たちをせっつくようなオーダーは出したくないけれど、仕事だからやらざるを得ない。それを、「自分とは違う、愚かな労働者階級だから」と躊躇なく行える人もいるし、強い良心の痛みを感じる人もいる、ということだ。その痛みを私たちは理解出来る。
 もちろん、全ての日本メーカーの製造工場がこのような非人間的な体制を取っている訳ではない。出来る限り労働者の福利厚生に配慮して、労使関係も良好な工場も数多くあるだろう。けれど、全ての日本メーカーの工場が人道的見地から見て正しい運営をしているかと言えば、残念ながらそうでもない。これは紛れもない事実だ。知りたくない事実だけれど、事実を曲げることは出来ない。

             *

 ところで、上に書いたような工場の実態について、「同じような話をどこかで聞いたことがある」と思われた方も多いのではないだろうか。
 そう、2年前くらいからだろうか、中国国内にあiPhoneやiPadの製造工場で自殺者が相次ぎ、そのあまりにも過酷で非人間的な実態が世界中に報道されるようになった。その報道内容と酷似しているのだ。
このiPhone工場は、中国に進出している台湾企業・富士康(Foxcon)によって運営されている。富士康がアップル社から製造を請け負っている、という関係だ。
 世界中から高まる非難を受けて、ティム・クック社長が今年、訪中。その後、富士康の工賃はかなり上昇した(それでもまだ十分な金額ではないことは明らかだけれど)。恐らく、その時、アップルと富士康の間では激しい交渉があったはずだ。
「人道的配慮のため、従業員にもっと給料を払ってくれよ」
「いやいやアップルさん、だったらうちへの払いをもっと上げて下さらなきゃ。冗談もたいがいにしてくれないと困りますよ。人件費にこんなに払ったら、うちの利益はどうなりますか?うちは別にアップルさんのために慈善事業をやってる訳じゃないんですよ。商売だったらこれは当たり前の話ですよね」
「むむ‥そうは言うけど、こっちだって商売だからねえ。まあ、中国にも台湾にも企業は他にいっぱいあるんだから、別にお宅に出さなくてもいいんですけどね」
「いやいや、そう脅かされても困りますなあ。じゃあ、ここのところでどうですか」
「いや、それは‥これで」
「その中を取ってこれで」
「むむ‥それは困るがその代わりラインをもう少しゆるめてもいい」
「ほう、では、次世代機の納期は押して良いということですね」
「いや‥それは‥」
 といった会話が“グローバル・ビジネスのハード・ネゴシエーション”として戦わされていたことだろう。私たち先進国の人間が手にするあらゆる商品の裏側に、このような事実が存在するし、中国人労働者に非人間的な労働を強いているのは、日本企業だけではない。けれど、日本企業だけが聖人君子である訳でもない。これがまぎれもない現実であるだろう。

4)反日教育の意味
 このような環境で働く中国人労働者の多くは、絶望と同時に、先進国に対してぼんやりとした反感を抱いている。或いは、はっきりと敵意を抱いている人もかなり存在する。例えば日本企業Aの工場で働いている場合、日本が嫌いになるし、アメリカ企業Bの工場で働いていればアメリカが嫌いになる。日本企業Cが合弁相手の台湾企業Dと組んで経営する工場で働いていれば、日本と台湾が嫌いになる。けれど、そこで働く以外生きて行く術がないから、働いている。こういう、からからに乾いた枯れ草のような感情に火種が近づいたらどうなるのか?今回の尖閣諸島問題こそ、その火種だったということではないだろうか。

 中国嫌いの日本人の方と話していてよく思うのは、「中国人は日本人だけを嫌っている」と、そのように認識しているのだな、ということだ。私はその認識は間違っていると思う。もちろん、一般的に言って、中国人の中で日本の嫌われ度数が非常に高いことは事実だ。しかしそれはミクロ的な見方であって、もっと局面を大きく取って見れば、中国人の中に漠然とした、最先進諸国への反感があることが見て取れると思う。清朝末期以降、中国は欧米列強と日本に国のプライドをずたずたにされ、そこからようやく立ち直りかけて今の中国がある。200年近く醸成されて来たこの恨みの感情を軽視することは大きな間違いではないだろうか。今、矛先が向かいやすいのは日本だけれど、この感情は一つ軸が変われば容易に欧米諸国へと転化するだろうと、私は予測している。例えば今回の尖閣諸島問題を受けて、アメリカは、有事の際日本と共同して中国と戦うことを明確に宣言したが、この事実は深い楔となって中国人の感情に沈んで行く。何かの火種が起これば今度は反日暴動ならぬ反米暴動が発生し、アメリカ企業が一斉に標的になることも、十分にあり得ると思う。
 もちろんこれは別にアメリカに限らない。フランスでもドイツでも、領土や人権問題など、何か中国人の民族感情を刺激する対応を取った場合、今度はその国が標的になる可能性は十分にある。
 そしてまた、最初はどこかしらの外国への攻撃からスタートしたものが、中国共産党そのものへと向かって行く可能性も非常に非常に大きいことは、日本人の皆さんももう気づき始めていることと思う。かつて中国をズタズタに引き裂き、今また労働資源として搾取する先進諸国への反感と同時に、その外国資本の誘致など、あらゆる局面において賄賂を受け取り私腹を肥やして来た共産党上層部への反感も、極限まで達しているからだ。

 それでも共産党はまだ存在しているし、軍を手中に収めている彼らを転覆させることは容易ではないだろう。そしてこの状況下で、中国からの嫌われ国ナンバー1が日本であることにも変わりはないと思う。
その根底にはかつての日本の中国侵略があるし(私はかつての日本の中国進出は侵略であったとはっきり思っている。かつてイギリスやフランスやロシアなど欧米列強も中国を侵略したし、同様に、日本も中国を侵略した)、また、その侵略時期が一番新しく、中国の人にも記憶にも最も鮮明、かつ、やったタイミングも引き際も最悪だったというバックラウンドがある。このタイミングの話や引き際の話を始めると現代日中関係史論になって長大な説明が必要なのでばっさりと割愛するが、とにかく、これらの恨みの記憶が中国共産党中枢部の人々の中にやはり消しがたく残り続け、反日の声を容認して来たという、もう一つのバックグラウンドがある。また、先ほども書いたように、共産党への信頼が揺るぎそうになるとこの恨みの感情を焚きつけ、国民の目をそらすために利用して来たという側面もある。
 だから、阿片を売りつけられて国をぼろぼろにされたイギリスへの恨みも、ぼんやりしている間にウラジオストックを奪われたロシアへの恨みも、その他色々な国への恨みもあるけれど、今のところ、まず何と言っても恨みナンバー1は日本なのだ。

             *

 私は最近、「反日教育」「反日教育」と騒がれる、その反日教育の中身とは具体的に一体どんなものなのだろうかと、訊けそうな中国人には質問するようにして来た。もちろん今回の中国旅行中にも訊いた。そこで分かって来たことは、「反日教育」と言われるものの実相が、地域によってかなりまちまちであるということだ。
 私は最初、何か「愛国教育」といったような授業が例えば週に1度くらい組まれてあり、その中で、かなり体系的に、日本のかつての侵略行為を教えているのかと思っていた。けれど、どうもそういうことではないらしい。具体的な「愛国教育」というカリキュラムは存在せず、例えば国語の授業で読む教材の中に、かつて日本兵にひどい目に遭った農民の物語があったり、歴史の授業の現代史のパートで、日本の侵略行為について学習したりする。これが大体全国標準コースのようだ。
 この他に、例えば南京大虐殺博物館のような日中戦争に関する記念施設が付近にある場合には、見学に行くこともある。また、学校によっては映画観賞会で日中戦争に関する映画を観たりもする(その中では残虐な日本兵がやりたい放題の行いをしている)。しかし、このようなエクストラ的な反日教育は、一切受けなかったという人も存在する。この差がどこから出て来るのかは私の非力な調査では今のところ不明だが、校長、或いは地域の教育委員会の幹部の“反日度合い”によるのかも知れない。
 そして、テレビドラマや映画で繰り返し描かれる、残虐な日本人のステレオタイプ。これが中国人の日本人観に大きな影響を与えていることは否めないと思う。映像作品にことごとく検閲をかける中国共産党が、これらのステレオタイプを容認し、また、作り手の側も反日モノにしておけば検閲を通りやすいことから、量産し続けて来たことがその背景にある。
 以上、これらの複数の要素が混然一体となって、中国人の中に漠然とした反日感情が根強く育っていて、もちろん、人によっては、それが色濃いものとなる。例えば、戦争中に日本軍によって親族を殺された人であれば、反日感情が非常に色濃いものであるのは、人間として当然のことであるし、また、日本のネトうよの一部がそうであるように、自分の現在の社会的地位に不満を抱いている人が、その感情のはけ口として反日の闘士となる場合もある。
 また、日本人からすると被害妄想としか思えないものだけれど、「日本が再び中国を侵略しようとしている」、こういう考えを持つ人が、中国には意外なほど多く存在する。これは、かつて侵略を受けた国にとっては、なかなかその相手に対するイメージを変えられないということが背景にあるのではないかと思われるが、実際に日本に来てみれば、まあ日本人ほど自国軍を持つことについてアレルギーの強い国民も他にないし、他国を侵略する意志など毛頭ないこともすぐに分かってもらえるはずだ‥けれど、残念ながら来日出来る中国人もそうそう多くはない。こうして日本は嫌われ度ナンバー1の位置を占め続け、何かあれば真っ先に暴動や不買運動の対象となる。そういう危険性を抱えながら、日本人は隣国・中国とつき合って行くことになる訳だ。

5)これからの日中関係を考える1~~日中関係悪化に打ち込まれている古い楔、「戦争責任」問題について
 では、これから日本人、はどうやって中国人とつき合っていくべきなのだろう?
「今すぐ武力衝突して尖閣諸島の白黒をはっきりつけるべし」
「中国と全面戦争じゃー!」
という方々もいるにはいるだろうが、到底世論の賛同は得られないことは明らかだ。圧倒的多数の日本人は戦争を望んでいないし、再軍備も徴兵制復活も望んでいない。(実は私自身は自衛隊の合憲化には賛成なのだが)
 また、何やら薔薇色の日中蜜月関係を目指していらっしゃる方もいるにはいて、時に私の周りにはそういう方がキラキラの瞳で近づいて来られるのだけれど、これはこれでまた天真爛漫過ぎると言うか、これまでの日中間の軋轢の歴史を振り返れば、日本人の大多数が中国に良いイメージを抱ける訳がなく、「100パーセントの日中友好を目指しましょう」と旗を振っても多くの賛同を得ることは不可能だろう。そもそも中国人の中に――それも共産党上層部や軍上層部の中に――本気で日本侵攻を考えている人々がいることは事実であり、中国という国を100パーセント純真に信頼することは、決して日本の国益にならないと私は考えている。
 日中関係は、例えば地理的に遠く離れていて経済的利益でもほとんど競合しない日本ーデンマーク関係とは全く違う。デンマークとなら薔薇色の友好関係を築けるかも知れないけれど、隣国であり、これほど複雑な紆余曲折を抱える中国との間では、当分それは不可能だろう。少なくとも私が生きている間は不可能だろう。そうではなく、多くの日本人にとって一番良い道行きは、武力衝突に至らず、且つ互いに経済的にメリットを得る関係を築けること、社交辞令的なにこにこ笑いを互いに浮かべ合える関係であるはずだ。そう、どちらかの国の人間が相手国を旅した時、普通のもてなしで迎えられるような、ごく普通の関係のことだ。残念ながら現在の中国では、たとえば日本人旅行者がタクシーの乗車拒否に遭うなど、時にそれが難しいことがあり、このまま日中関係の悪化が続けば、ますます難しくなってしまう可能性もある。そしてその状態が長引けば長引くほど、現在、日中両国の圧倒的多数の人々が望んでいない、武力衝突へと結びついて行く可能性もまた存在している。

             *

 このような事態を防ぎ、そこそこの日中関係を築くために、私たち一般の市民一人一人は一体何が出来るのだろう?長い間考え抜いた末に、私は、その最も基礎となる行為は――意外に思われるかも知れないが――日本が過去の戦争責任をはっきりと認めることにだと考えるようになった。国としてもそうだし、私たち市民一人一人が明確に認めることが必要だという意味だ。
 また一方で、中国政府・及び中国マスコミ各媒体は、日本政府が1972年の日中共同声明において過去の侵略行為を正式に謝罪していること、また1978年に訪日した最高政治権力者鄧小平氏との会談において昭和天皇が、92年訪中時の晩餐会において今上天皇が、中国に対して正式に贖罪の言葉を述べていることを、ぼやかさずに中国国民に伝えるべきだと考える。
 これら日中双方の公正な態度が、両国関係の基礎となるはずだ。

 もちろん私は、日本の戦争責任を認めるべきだという私のこの信念を、誰にも押しつけようとは思わない。ただし、日本という国を守り抜いて行くために、“日中関係”このファクターが最大の鍵となっている状況下で、戦争責任の問題を何となくごまかしておくことはもう出来ないということだけは、言いたいと思う。「学校で教えてくれなかったから」「めんどくさいから」という理由で見ないふりをすることは、不可能になりつつあるのではないかということだ。
 そう、あれほどの反日デモが起こった後でも、中国市場から完全撤退しようという日本企業が皆無に近いことは、複数の調査から明らかになっている。現実を直視するビジネスの現場では、中国市場の重要性は明確であり、つまり、日本人はどんなに内心で反感を抱いていても、中国とつき合って行かざるを得ないということだ。中国嫌いの人でも、或る日自分の所属する会社が中国と関わりを持つことは起こり得るし、自分自身、或いは自分の家族が中国担当に回る可能性も十分にあるということだ。
 中国とビジネスをするということは、1度や2度旅行へ行くこととは全く違う。厳しい交渉を行い、日々細かなやり取りを取り交わし、それらの交渉ややり取りを円滑にするために、時には飲み食いすることも必要になって来る。その中で、その人の根本的な価値観をあいまいなままにしておくことはいつしか出来なくなって来ることを肝に銘じなければいけないだろう。酒が深まれば、日中関係、日中戦争に話題が及ぶこともあるし、中国への敵意や蔑視、或いは反感を抱いていればいくら隠していてもそれは、必ず相手に見抜かれて行くものだ。私は外資系企業に勤務していたことがあるので、このことは実体験としてよく分かる。欧米人の中には、アジア人をうわべでは賛美しながら内心では見下している人が少なからずいたもので、しかし、そのような人々のそのような思考は、どんなに隠していても日々のやり取りの中で、現地の従業員や取引先の担当者へと水が染み出すように伝わり、悟られてしまう。これは人間にとって普遍的なことで、日本人が中国、或いは他のどの国へ進出する場合でも全く同じことが起こるだろう。
 だから、本当は、中国が嫌い、或いは中国を見下している人は、中国ビジネスの担当者にはならない方がいいと私は思う。結局のところ現地スタッフや現地消費者の支持を得られない限り、ビジネスで成功を収めることは出来ない訳で、行ったところで何ら良い結果を産み出さないと思うからだ。「嫌いだけど、ビジネスで金だけは稼がせてもらう」、そんな甘い考えは通用しないと考えた方がいい。
 それでも、様々な事情でどうしても嫌々ながら中国に赴任しなければならないのなら、とりあえず一度、今抱いている中国観は全てかっこに入れて、ゼロから中国を判断し直す心構えで行かない限り、何もいい(ビジネスの)成果は上げられないだろう。
 そして、現在、日中関係がここまで袋小路に陥っている状況下で、先ほど挙げた戦争責任の問題を曖昧にしておくことは、ますます難しくなって来ていると私は思う。単純に、タクシーの運転手さんに「一体君はどう思うね?日本人の一般的な考えを聞かせてよ」とストレートに訊かれることも起こり得るだろうし、日本に好感を持ち、日中間のビジネス上でのつながりを何とか積極的に改善しようと意欲を持つような親日派の相手と飲む時でも、「このこんがらがった状況をどうしたらいいのか」という話は、関係が深まれば深まるほど避けては通れない。その時に、「戦争のことはよく分かりません」という態度では、相手の信頼を得ることは出来ないと考えた方がいい。「かつての日本の中国進出は侵略ではなかった」と思うならそれでもいい。相手を説得出来るくらいしっかりと証拠を集めて、堂々と話し合えばいいと思う。あまりいい結果は得られないだろうが、ただ、中国人は日本人と違い、人と議論になること自体を悪いこととは考えていないから、場合によっては「まあ、あいつはこういう考え方だけど、ヤツなりの信念と理論的根拠は持っているんだな。いけすかないけどそこは排除してビジネスのここの面だけつき合おう」という風に方針を決めてくれる、という結果を得られることもあると思う(少ないとは思うけれど)。

 一番良くないのは、何も知らない、分からない、という態度で、過去、しかも自分の祖父母・曾祖父母という近い過去に170万人という数の兵士が中国大陸に渡り、両国合計した死者が2000万人前後生まれた戦争のことを「何だか分からない」という答えで済ます。これは、相手から見れば脱力したくなるほどの失望であり、人によっては当然怒りを伴うものでもあり、また、日本人への不信の最も根底には、この、日本人の曖昧な態度があると私は思っている。
 また、曖昧であるからこそそこには解釈の余地が生まれ、何を考えているのか分からない国民、ひょっとして再び中国を侵略しようと考えているのか?或いは、わざと分からないふりをして話をごまかそうとしているのか?と誤解される。そうではなくて、本当に分からない、学ぼうとしたことがないから知らない、ということが理解されていないし、理解された場合でも、何故これほどまでに切実な過去を学ぼうとしないのか、という怒りを呼びやすい。そして、知らないことで、中国人にとって敏感な日、例えば五四運動記念日や盧溝橋事件記念日、満州事変記念日に上海やら北京やらの繁華街で大酒を飲んで日本語で奇声を上げる、微博で能天気な発言をする…などといった、わざわざケンカを売るような行動を引き起こしてしまうことになる。
 「あの戦争」と呼ばれる戦争に、日本人はいよいよ本当に向き合う時が来ているのではないだろうか。この「戦争」とは、1941年12月8日の真珠湾攻撃からやっと始まるのではない。現代史を少し学べば分かることだが、日本がアメリカとの戦争に追い込まれた根源的な理由は、中国から撤兵出来なかったことにある。よく、「日本が真珠湾攻撃に追い込まれたのは欧米諸国・主にアメリカから石油をストップされてどうにもならなくなったからだ」、と言う人がいるが、何故石油を止められたのか?別にアメリカはただ意地悪で石油の輸出を止めた訳ではなかった。、石油と引き換えに求めていた日本の交換条件があり、それは「中国からの撤兵」だった、つまり、「中国から撤兵すれば石油は送りますよ」と言っていた訳だが、何故か「ABCD包囲網で石油を止められたから‥」論者は、その事実にはほとんど言及しない。
 では、何故日本は撤兵出来なかったのか?そもそもなぜ日本は、1941年当時、中国に、70万人にも及ぶ大量の兵を進めていたのか?それを知るためには、1937年の盧溝橋事件、いや、その前の満州事変(1931年)、更に遡る日露戦争(1904年)、根源的には、1894年の日清戦争から始まっている日中間の相克を、大きくつかみとれるようにならなければならないと思う(大きく、で良い。細かな事実は専門家でない限り必要ない)。坂本龍馬や西郷隆盛や勝海舟が闊歩した、あの、輝かしいはずの明治維新完成のごく間もない時期から始まっていた、この、暗い、負の歴史を大きくとらえることが、日本人にとって今一番必要なことではないかと考えざるを得ないのだ。
 もちろん、日本では全ての言論の自由が認められているのだから、どのような説を唱える人の本を読んでも構わない。ただし、右なら右、左なら左、一方の側だけの解説を読むことは慎むべきだと思う。右も読み、左、或いは中道と呼ばれる著者の解説も読み、その上で、自分の頭で判断する。意見を持つことを恐れてはいけないと、私はこの問題に目をつぶって来た多くの日本人の方に伝えたい。人間は、或る状況下で追い込まれれば必ず意見を持たざるを得なくなる。生きるとはそういうことではないだろうか。

6)中国とどうつき合うか2~~日本人は平和でやさしい民族か?真の愛国とはどのような人々なのか?
 最後に、「日本の戦争責任を認める」ということについて書いてみたい。
 そのために、紹介したい記事がある。反日暴動終了直後、まだ緊張の続く今年9月19日の朝日新聞に掲載されたもので、インタビューを受けているのは鈴木邦男氏。著名な右翼活動家である。記事をスキャンしたものを画像として掲げるが、下のブログ↓
http://aoamanatu.blog.fc2.com/blog-entry-364.html 
に全文が引用されているので、興味のある方はお読み頂ければと思う。とても良いことを話されているので一読をお薦めする。
%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%82%A6%E7%94%B7%E5%B0%8F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%BA.jpg

 さて、インタビューの中で、鈴木氏はこのように述べられている。
「愛は欠点も失敗も認めた上で愛しいと思う心だということです。日本はアジア諸国に対し、弁解しようのない失敗をおかしてきた。そこを認めずに日本は正しかった、悪いことはしてない、失敗を認めることは反日的だと言いつのり、良いところばかりを愛するのは愛国心ではない。心の痛みが伴わない愛国心は、フィクションにすぎません」

 時々、日本人の友人と話していて、深く違和感を覚えることがある。それは、
「日本人は優しい民族だから」
「日本人ておとなしいでしょ」
「日本人ほど平和を愛する民族は、世界中でも他にいないよね」
 ‥このような言説が、ほとんど常識として語られていることだ。近代史をコツコツ学んで来た人間として、また、歴史好きで、暇さえあれば日本史の書物を読んでいる人間として、何とも居心地の悪い思いを感じずにはいられなくなるのだ。
 “平和を愛するやさしい日本人”という日本人の自己像は、一体いつから育まれたのだろうか?そのセルフイメージと、時折ドキュメンタリー映像番組などで目にせざるを得ない、“中国の地方都市の城壁を大砲でぶち壊してその上によじ登り、「大日本帝国万歳―!」と叫ぶ日本軍人”、“竹槍を振りかざして「鬼畜米英!」と叫ぶ日本人”の映像との激しいギャップを、この人たちは脳の中でどのように処理しているのだろうか?と思うのだ。
 私が一番分からないのは、その人たちが、何故、日本民族だけが決して間違いを起こさない、完全な存在だと思い込めるのか?ということだ。人間は生きていれば必ず、時に道徳的な過ちを犯す。それは人間の集合体である国家であっても同じことだ。誰の人生にも黒く汚れたしみのような瞬間が存在するし、国家にもそれは存在する。これは、不完全な存在である人間と、その人間が作る国家との、避けがたい宿命だ。そのような汚れた過去を一切認めずに、自分は真っ白な、無謬な存在だと主張することは、鈴木氏の言うように、幻想でしかない。確かに汚点は恥である。しかし恥は避けられない。言ってしまえば、日本だけが恥を抱えているのではなく、現在地球上に存在するどの民族にも恥ずべき過去は存在するではないか。
 私が言いたいのは、恥を必要以上に恥じることはないということだ。或いは、恥を必要以上に恐れるべきではない。日本人は決して世界の中で特別に恥ずべき存在である訳ではないし、けれど特別に立派な民族である訳でもない。どの民族もそうであるように、欠点と優秀性を併せ持ち、残虐性と平和を愛する心をも併せ持った、ごく普通の民族だ。それが日本人であると私は考えるし、その自己像のどこに問題があるのだろうか。そのことを、鈴木氏は“心の痛みがともなう愛国心”と言っておられるのではないだろうか。
 痛みとは、自らの失敗、自らの恥を受けとめる時に生まれるものである。「原発の過酷事故は起こらない」と共同幻想を抱いてしまえば過酷事故を想定した対策が出来なくなるように、「日本人は決して間違いを起こさない、平和な民族である」と共同幻想してしまえば、一旦凶暴性が芽生えた時にそれを押さえることは難しくなる。日本人には凶暴性は芽生えないとでも言うのだろうか?しかし、日本人が有史以来常に平和を愛好して来たなどと思うのは大きな間違いであるだろう。歴史教科書の後ろに付いている年表をひもとけば一目で分かる。大和朝廷が誕生した5世紀以来、常に「何々の乱」が起こって政治権力が入れ替わり、その度におびただしい死者が出て街は焼かれた。わざと切れない刀で敵将の首を何度も何度も切って殺す、など、残虐なエピソードにも事欠かない。豊臣秀吉が朝鮮に侵攻した際に、記念品として朝鮮人の耳や鼻を切って日本に持ち帰り、塚にした耳塚も今も京都に残っているではないか。
 日本人は決して純粋に真っ白な、平和愛好民族であるのではない。世界のどの民族もそうである程度に、残虐性を抱え持っている。その残虐性を必要以上に恥じてはいけないし、恐れてもいけない。恐れずに見つめることで、私たちは私たちの残虐性を飼い慣らすことが出来るのではないだろうか。

             *

 このように考える私は、鈴木氏と同様、アジア諸国に対する日本の戦争責任を認める立場にあり、中国の方に問われれば、誰にでもそのように答えて来た。もちろん、自分なりに左右・中立それぞれの論者の文献を読み込みんだ上で出した結論だ。
 私が率直に戦争責任を認めた後で、それ以上この問題を中国の方に追究されたことはこれまでにはないし、友人の日本人の中で同様の状況に置かれ、同様の対応をした人で、それ以上追及された人の話はこれまで聞いたことがない。一般的に、中国人は責任を認めた人に「もっと謝罪しろもっと謝罪しろ」と言いたいのではなく、「日本人は何も悪いことをしていない」という言説に激しく反応する。この違いを認識する必要があるのではないだろうか。
 「日本の戦争責任を認めることが日中関係改善の最も基礎となる」と書いたのはこれに関係する。日本人と話していて時々感じるのは、中国に対する戦争責任を認めてしまうと、悪人と断罪されてその後の全ての関係が、ぐちゃぐちゃになってしまうのではないか?と、極度に敏感になっているのだな、ということだ。だからこの問題に触れない、或いは、見ようとしない。そういう人がとても多いように思う。
 しかし現実には、一旦率直に認めれば、中国人たちは「この人本人がやったことじゃないしね」という、しごく真っ当な反応に落ち着いて行く。一部過激な人が「きーっ!お前も謝れ!謝罪しろ!」といった反応をしても、周りの人が「戦後生まれのこの人に言っても仕方がないだろう」ととりなす、というパターンが一般的であると思う。
 もちろん、一人一人の方がご自分で各説を読んで判断されることだが、もしも日本の戦争責任を認める立場を取る場合は、そのことを必要以上に恐れることはないということをお伝えしたい。真摯な態度で相手国の人に語りかけること。それで十分であり、そこから新しい関係が始まると思うのだ。

 私が時々目にするのは、
「日本はもう十分反省してるってば。日本も東京大空襲とかひどい目に遭って、戦争の悲惨さを十分知ってるもの。だから二度と戦争はしないと誓ってる。それなのに中国はぎゃーぎゃーいつまでも言ってさ!きーっ」
 といったタイプの反応だ。しかし、中国・韓国など侵略を受けた側の人から見れば、
「あんたたちがひどい目に遭ったのは自業自得でしょ」
 としか思えない。私は、このような対応の仕方はとても効率の悪い、下手な手だと考える。「日本もひどい目に遭って云々」、「戦争自体が悲劇である」といった説明は、最初の段階では必要ないのではないだろうか。ただストレートに日本の戦争責任を認める。そこで互いの胸襟が開かれた上で、後日談として、日本もその重い代償を払うことになった、と話せば良いことだ。そしてその後日談を一歩ずつ広げて、戦後の平和日本の歩みがあることを説明する。確かに戦後の日本は平和な羊そのものであるし、また、他国侵略の意志がこれっぽちもないことは明白なのだから、その説明をすれば良い。話す順序を間違えてしまえば、伝わるものも伝わらなくなる。非常にもったいない、まさに下手な手だと言うものではないだろうか。
 そして、このように作られた道筋の上に、現在の両国間の最大の懸案――もちろん、それは尖閣諸島問題である――が登場するが、これは現在進行形の事案であるが故に、交渉の人種である中国との間には条件交渉が成立すると私は思っている。しかし、条件交渉の場に立つために最低限必要な共通認識というものがある訳で、それが、過去の戦争責任をどうとらえるかということ、少なくとも、過去を学び、自分の意見をもつことであるのではないだろうか。日本人は、どうも過去の問題と現在の問題を混乱したまま一緒に取り扱ってしまいるところがあると私は考えている。この二つの問題は分けることが出来るし、また、分けることが必要なのではないだろうか。

             *

 また、私の日記を中国の方もちらほら読んで下さっているようなので、最後に中国の方へメッセージを贈りたいと思うが、日本を責め続けたり、日本をスケープゴートにし続けることは、日本人の心を中国から離れさせ、その結果、何が起こるのか?アメリカにより寄り添うことになるだけだ、ということを、お伝えしたいと思う。
 実はこれは中国政府が最も望んでいなかった成り行きであるはずで、本当は、経済上でも軍事上でも日本と良好な、同盟国的な関係を築き、アメリカと覇権争いをする際の重要な碁石の一つする、という青写真を中国は持っていたはずだと思う――が、このままでは到底不可能となったのは自明のことだろう。
日本に敵対的に振る舞い過ぎることは、中国にとってもまた非常に下手な手である、ということをお伝えしたいし、恐らく私の日記を読んで下さっている方々は知日派、或いは現実路線の方々であると思われるので、私のこのような意見を、様々な形で、ゆっくりじんわりと、中国世論の中に広めて行って頂けたらと願う。

             *

 以上、またもや大変長くなってしまったけれど、上海・南京旅行を通じて考えた日中関係の今後についての日記を、これで終わりにしたい。
 今年、2012年1年間を振り返り、新しい年を迎えるに当たっての心構えについて書く日記はまた年明け1回目にお送りしたいと思うが、私にとって、9月18日に発表した日中関係に関するブログが莫大な反響を呼び起こしたことは、間違いなく、今年一番の大きな出来事だった。
 今、この年の終りに、あのブログを書こうと思った時のことをぼんやりと思い出す。あの1週間。野田首相の国有化宣言をきっかけに中国全土でデモが行われ、幾つかの都市で暴力破壊行動が繰り広げられた。叩き割られるガラス窓、裏返される日本車、日本を罵倒するシュプレヒコール‥日中関係の軋轢には慣れっこの私の心にもこれらの映像は深い傷を与え、16日の昼だっただろうか、近所のコンビニにお菓子を買いに行こうとぼんやり道を歩いていたら、すっと涙が流れて来た。何筋も何筋も涙は流れて止まらず、ああ、私は本当に傷ついているのだな、と初めて自分の傷の深さに気づかされたのだった。
 そして、しばらくして、私が書かなければいけない、と思った。一体あなたは何様なんだと自分に突っ込みたくなるが、その時は、訳の分らぬ使命感に駆られ、無我夢中だった。確かにテレビ画面の向こうから伝えられる暴動は真実だし、中国の政権交代が最も佳境にあることも真実だ。しかしその二つの事実がどうからまっているのか、分かりやすい言葉で語っている解説は一つも見つけられなかったし、また、センセーショナルなデモを冷静に見つめている多くの中国市民がいることも、ほとんど報道されていなかった。更に、ただデモの様子を繰り返し繰り返し報道するだけで、では、この中国と我々一般市民は今後一体どうつき合って行くべきなのかを、一般市民の立場に立って自分の言葉で語っている専門家も、皆無のように思われた。
 誰かがやらなければいけないだろう、という必死の思いが、私をコンピューターに張りつけにして、2日間、一切他のことは出来ず、ひたすら文章を打ち続けていた。そういう必死の思いは伝わるのだなと、今、しみじみと思う。

 今回の日記でも書いたように、日中関係の改善はそうそう一朝一夕には成し遂げられず、私が生きているうちには恐らく大して良くはならないだろうと予測している。けれどだからと言って、あきらめるつもりもない。冷静に状況を見ることと投げやりになることは、私の中では全く別のことだからだ。
 おそらく今回の日記を読んで下さった方の中には、「あなたの言っていることは、右なのか、左なのか」「あなたは一体、中国を信頼しているのか警戒しているのか」と、私の玉虫色ぶりに軽い怒りを覚えている方もいらっしゃるのではないだろうか。
 そう、私は玉虫色だし、それを悪いとは思わない。子ども向けの勧善懲悪物語ならともかく、現実の世界は利益が複雑にからみあう玉虫色の混沌としたものであることは自明のことだろう。それがこと対中国となると頭に血が上り、勧善懲悪や完璧な勝利を求めてしまうのは何故なのだろう?
 人は誰もが気高い一面と下品な一面を併せ持ち、国もまた同様だ。日本人全員が同じ考えを持っているのではないように、中国人も全員が同じ思想を持っている訳でもない。国と国との間には、強く押し通せる条件と押し通せない条件があり、交渉とは、その力と力との、条件と条件との交換である。複雑な世界をそのまま受け入れ、したたかに、その複雑性の中から一歩でも自分に有利に事を進められるよう努力を惜しまない‥このような当たり前の事実を日中関係に当てはめて認識する時に初めて、両国間の平穏な関係が築けると、私は確信している。単純明快さを求めてはいけない。白黒はっきりとした美しい世界をいさぎよくあきらめることが、国際社会の中で生きる初めの第一歩ではないだろうか。国を守るのは、究極的には純粋な愛であるが、愛を守ることが出来るのはしたたかで複雑な知性のみであると、私はそう確信している。

 9月18日以来、長い日記を何度も読みに来て下さった皆様、本当にありがとうございました。皆様にとって新しい1年が、佳きものとなりますよう――

☆ブログランキングに参加しています。よろしければ下の二つの紫色のバナーのどちらか、またはページ最上部のFacebookやTwitterのバナーを、応援クリックお願い致します☆
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 40代の生き方へ
にほんブログ村
にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ
にほんブログ村

日記を書けない日々 2012/12/20



rps20121220_194840.jpg
毎日非常に忙しくなってしまい、なかなかブログを更新出来ない日が続いています。
某ウェブサイトのための取材で都内や東京近郊の県をあちこち移動したり、と或る企業の販促物の原稿を書いたり、と或るイベントの企画書を書いたり打ち合わせをしたり‥
まだ来週半ばまで、ばたばたした日々が続くので、年内あと一回ブログを更新出来るかどうか‥
気長に待って頂けたらありがたく思います。

写真は、群馬県へ取材に行った日、移動の電車の中で撮ったもの。
売店に売っていた豆こけし(たったの350円!)があまりにもかわいかったので、旅のお伴に。

☆ブログランキングに参加しています。よろしければ下の二つの紫色のバナーのどちらか、或いはブログ冒頭のFacebokkやツイッターやのボタンを応援クリックお願い致します☆
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 40代の生き方へ
にほんブログ村
にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ
にほんブログ村