西端真矢

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明日からの日中関係を考える (上海・南京旅行記後篇) 2012/12/30



 いよいよ年末も押し詰まって来たところで、今年最後のブログを更新したいと思う。
 ここ一カ月ほど、仕事がとてつもなく忙しくなり、全くブログを更新出来なかった。それにも関わらずぶろぐ村のクリック数を見ると、前回の「遅れていてごめんなさい」日記に相当数の方が応援クリックを押して下さっていることが分かり、本当にありがたく、深く感謝しています。ありがとうございました。

 今回は、10月に書いた「上海・南京旅行記」の後篇でありつつ、ただの紀行日記というよりは、日中関係の現状分析と今後の関係構築を考えることに多くの字数を使っている。下に、各章の大まかな内容をまとめたので、皆様、興味のあるところから読んで頂けたらと思う。

       
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各章の概要
1章)+2章) 「南京大虐殺」が意識され、日本からは訪れる人のあまり多くない南京。その南京でふと不思議に思ったことと(1章)、南京大虐殺記念館訪問記(2章)

3章) 今年9月の反日デモ暴動化で、主役として暴れまくった貧しい労働者たち。彼らの中で特に強く反日感情が燃え上がる、その理由を、現地の中国人友人と語り合う中から考えてみた。また、日本メーカーの工場で働く労働者の労働実態についてもレポートする

4章)中国で久しく行われているという 「反日教育」。9月の反日暴動が巨大化した背景には、この反日教育があるとよく指摘されるが、では、「反日教育」とは具体的にどのようなものなのか?現地の人に訊くとともに、それがもたらした意味についても考えてみた 。

5章)+6章)日本の複数の調査で、「嫌いな国」堂々ぶっちぎりナンバー1は、中国。戦後最悪化してしまった日中関係だが、市場としての中国を無視することが出来ないし、また、日本の安全保障の鍵は日中関係にあることも誰にとっても明白だ。この状況下で、一体日本人はどうやって中国とつき合って行ったら良いのか?誰にも確信ある答えは出せないこの難題に、失敗を恐れず、豆腐に頭をぶつける覚悟で、立ち向かってみた。


1)中華民国万歳?不思議の街、南京
 さて、まずは南京の街を旅していてふと不思議に思ったことを書いてみる。
 まずは下の写真を見て頂きたい。写っているのは、私が自分用に買って来たお土産のトランプだ。
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 このトランプに印刷されている女性は、宋美齢。蒋介石の妻だった女性だ。
この日記を読んで下さっている方の中には、「中国現代史についてほとんど何も知らない」という方もいらっしゃるので少しご説明すると、蒋介石というのは、毛沢東の生涯最大の政敵だった、軍人であり政治家である人物だ。1945年に日本が戦争に負け、中国大陸から出て行った後、中国ではすぐに毛沢東率いる共産党と、蒋介石率いる国民党との間で内戦が起こる。そして1949年、共産党が勝利して、今に至る一党独裁支配が続いているという訳だ。負けた側の蒋介石と国民党を支持する人々は台湾へ逃げ、現在に至るまで、国際社会の中で独立国的な立場を保っている。
そんな因縁を持つ中国と台湾だから、中国が今のように経済重視の政策を採る前、共産主義バリバリだった時代(1949~76年)には、彼らの主要な敵は何と言っても台湾だった。今では何かと言うと日本がやり玉に上げられるけれど、当時共産党がののしる対象は、ダンゼン台湾。武力での併合を目指して、何度か軍事衝突が起こりそうにもなった。
 台湾との関係がそんな緊張をはらんだものだったから、例えば1960~70年代、中国の或る町に李さんという人がいたとして、もしもその遠い親戚に台湾に逃げた国民党関係者がいるらしい!‥などということが発覚しようものなら、
「資本主義へと走る反動分子を親族に持つ、李、お前も反動分子だ!」
「ひょっとしてその親戚を通して今も台湾と連絡を取り合っているんじゃないか?共産中国を転覆させようとするスパイじゃないのか君は!?」
と、町中から吊るし上げにあって大変なことになった。(かつての中国のこういうすさまじく狂った日常を知りたい方は、まずはこの正月休み本屋さんへ走り、『ワイルド・スワン』を読んで頂きたい)
  けれど1980年代以降、中国は経済を重視する政策に転向。台湾に対しても、軍事力で一体化させるのではなく、経済での結びつきを強めて「いつの間にか中国の一部になっていた」という、なし崩し作戦を実行しようとしている。
 そんな訳で、ひと昔前なら「宋美齢トランプ」など販売しようものならとんでもない災いが李さん一族郎党に降りかかったものだけれど、今や普通にお土産屋で売られる時代。もちろん李さんの友だちの馬さんが買ったとしても何の問題もない。
 そして、宋美齢がトランプに採り上げられるのは、現在の中国で彼女や蒋介石が根強い人気を誇っていることを表しているのだと思われる(何故なら売れそうにないものは中国人は作らないから)。 実は宋美齢は、ただの政治家夫人だった訳ではなく、例えば日中戦争中、彼女自身がアメリカを遊説旅行に回り、中国への援助を引き出すための広告塔の役割を務めていた。彼女は学生時代はアメリカに留学していたので非常に流暢な英語を話すことが出来、政治家の妻として、その武器を祖国のために最大限に利用していたのだ。
 けれど、彼女の武器は英語だけではない。それは彼女の美貌、カリスマ性、何より生まれつき備えていたエレガンスだったと思う。そもそも彼女がアメリカへ留学出来たのは大富豪の家に生まれたからであり、子どもの頃から最上級の文物に囲まれて育ったために、超一流の審美眼が育まれていた。その審美眼をベースに、たぐいまれなるファッションセンスで優雅に旗袍(=チャイナドレス)を着こなす彼女は、夫とともに華々しく政治の舞台で活動した。エレガントでありながら強い意志を持つ姿が、今では大陸中国でも憧れの対象になっているのだろう。
 かく言う私も実は私はわりと宋美齢ファンで、これまでにもこつこつと、宋美齢本、宋美齢DVDなどの“美齢グッズ”を買い集めて来た(そんなものを買い集めているのは、もしかしたら日本では私だけかも知れない‥)。
 そんな訳で、今回お土産物屋さんでこの美齢トランプを見つけた時も、即、「買い!」と購入したのだけれど、何かがおかしい。そんな、ごくわずかな違和感が心の中に生まれていた。これは一体何なのだろう?その時、その土産物屋で、私はもう一度売り場を見渡して、その正体はすぐに判明した。そう、あまりにも国民党色が強過ぎるのだ。

 実は、私が宋美齢トランプを発見した棚には、隣りに幾種類かの別のトランプが並んでいた。それは、「蒋介石秘蔵写真トランプ」「国民党有名将軍トランプ」「民国名場面トランプ」など。「民国」とは、1912~1949年、共産党がまだゲリラ的存在で、蒋介石の国民党が中国を統治していた時代のことで、これらのトランプでは、その期間の名士や有名な事件の報道写真を、一枚一枚の札に使っているらしい‥それは良いのだけれど、「国民党トランプしか売っていない」こと、言い換えれば、「共産党トランプがない」こと、それが私の違和感の原因だったのだ。
 先にも書いたように、今では中国は台湾に対して太陽政策的政策を取っているから、蒋介石についても一定の評価がなされている。それは、「日本と徹底抗戦して戦った救国の英雄」という評価であり、だから、先ほどの李さんの時代とは違い、「蒋介石トランプ」が売られていても全く問題はない。恐らく、首都・北京の天安門広場近くの土産物屋さん辺りでも売っているかも知れない。
 実際、私は4年前に北京で「蒋介石の一生」的なVCDを売っているのを見かけたことがある。ただ、その隣りには必ず「人民解放軍十大将軍」VCDや周恩来本や毛沢東グッズが並んでいて、かつての敵である蒋介石グッズも売っているにはいるけれど、主流はあくまで共産党グッズ。それが当時の北京のスタンスだった。恐らく今でもそうだろう。
 ところが、南京では、トランプに限らず、共産党グッズが一切ない。本当に、驚いたことに、1軒の土産物屋でも発見出来なかった。3日間の南京滞在中、気をつけてあちこちの土産物屋さんを覗いてみたけれど、どこでも全て、国民党グッズのみの販売。これが私にはとても意外に思えた。

 また、中山稜(革命で清を倒した現代中国の祖・孫文の墓)や、総統府(民国時代の総統官邸)といった歴史名所へ観光に行くと、蝋人形で作った“歴史名場面再現コーナー”があるのだが、そこで再現されているのも何故か“国民党的にメジャー”な場面ばかりだった。
 中には日本が舞台となっている場面さえあって、「孫文先生、日本亡命中に、日本人の支援者も得て結社を起こす」の場面では、畳の部屋・ふすまの向こうに見える富士山と桜・中国人同志たち・一人だけぼさぼさ髪で着物の前がはだけそうな宮崎滔天(孫文の支援者である日本人)といった蝋人形が、孫文の蝋人形と共に再現されている。
 しかし、例えば、抗日戦争のために国民党と共産党が手を結ぶきっかけとなった、1936年の「西安事件」のように、共産党がらみでドラマチックな名場面も幾つかあるはずなのに、再現蝋人形は一切なし。日本人からすると、いつも罵っている日本さえ出て来るのに共産党がらみは一切ない、ということがとても奇妙に感じられた。
 もちろん、南京にも共産党系史跡はある(梅園新村記念館など)。それに、共産党の軍事大学も南京に所在しているし、町のあちこちで、兵士向けに軍服などを売る軍隊商店も見かけることが出来る。町の普通の本屋さんへ入れば、「建国以来人民軍解放軍名勝負」的なムック本も売られている。でも、歴史施設や土産物屋では、圧倒的に国民党グッズの勝利。これが私には本当に不思議だった。
 もしかしたら、南京の人々の中には、「もともとはこっちが首都だったんだ」という誇りや、北京への対抗意識のようなものがあるだろうか?或いは、「国民党で町起こし」という方針でもあるのだろうか?もちろん、元国民党の首都だったということで、南京では台湾人の観光客がとても多い。台湾の人はまず絶対に共産党グッズは買わないだろうから、自然とこうなってしまったのだろうか?
 とにかく、共産党が一党独裁支配するこの国で、ここまで堂々とかつての敵を賛美するグッズ一色で土産物屋が埋められていることが、とても不思議に思えた。この謎の理由をご存じの方がいたら、ゼヒ教えて下さい。

2)南京大虐殺記念館訪問記
 さて、そんな南京について、日本人がまず思い浮かべる言葉と言えば“南京大虐殺”ではないだろうか?それが実際にはどんな事件だったのか、どういう前後関係の中で起こったのか‥ということは知らなくても、“南京大虐殺”という言葉はおそらく大半の日本人が聞いたことがあると思う。
 南京には、その南京大虐殺に関する資料を集めた“南京大虐殺記念館”がある。おそらく日本人にとって地球上で最もアウェーな場所であるこの記念館を、せっかく南京に来たのだから、とにかく訪問してみようと思った。
 始めに断っておくが、南京大虐殺という事件について、現在まで取り沙汰されている論争点――南京大虐殺自体の真偽、虐殺された被害者の人数をめぐる問題など――について、現在の私はまだ勉強中であり、最終的な定見を出せてはいない。そのため、これらの論争点については今回の日記では取り扱わない。そう度々南京に行く機会もないと思われるので、まずはこの事件が中国国内でどのように扱われているのかを、自分の目で見たかった。そのような理由で訪ねた博物館の訪問記ということで読んで頂ければと思う。

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 さて、その南京大虐殺記念館では、敷地の前に着いた瞬間からつらい空気がただよって来る。
 記念館は一棟だけではなく、非常に広大な敷地に巨大な建築物が幾つか点在する形になっているのだけれど、その一番手前の建物の前に、ちょっとビュッフェの絵のように、フォルムを異常に縦長に強調した針金のような女性のブロンズ像が立っているのだ。まるで私たちの心に突き刺さるような細長さ。その女性は私たちへ向けて手を差し出し、その中には殺害された子どもがぐったりと横たわっている。思わずため息が出てしまうような、見ているのがつらくなって来るブロンズ像だ。もちろん、この像は、「これは日本人が行った所業だ」ということを無言のうちに訴えている訳だ。
 そして、入場ゲートへ。一度に大量の人が入場して混み合わないように、50人単位ほどで入場が区切られていて、私たちは屋根付きの長い通路で待つことになる。そこには地の底から響いて来るようなレクイエム系の音楽が「わ~」「う~」と流されており、いよいよこれから悲劇を目撃するのだ、という気分が高まる仕掛けになっている。
 しかし、みんな静かに順番を待っているかと言うと、もちろんここは中国なのでそんなことはあり得ない。学校単位で見学に来ている中高生が多く、入場制限で仲の良い友だちと別の組になってしまうと、「お前だけ仲間外れ~や~い!」とからかったりしている。家族連れも、大声でお喋りしたり携帯で電話をかけたり、中国ではどこででも見かけるおなじみの光景が繰り広げられていた。
 入場料は無料だった。係のおじさんが「歴史を学ぶために国家が無料で開放していますから、しっかり学習して行って下さい」と1回1回の入場ごとに説明している。「ひょっとして、外国人は有料?いや‥日本人だけ有料かも知れない‥?」と身構えたが、そんなことはなかった。パスポートを見せる必要もなく、ただ、入口で荷物検査があって、ペットボトルを持ち込むことは出来なかった。

 さて、中に入ると、いきなり大きなスクリーンが目に入る。1937年12月に日本軍が、南京の、明時代から建つ由緒ある城壁を一部爆破、よじ登って入城。万歳三唱をしている記録映像が流れている。日本人から見るとかなりまがまがしい映像だが、こればかりはどんな極端な右翼の人々も、映像が残っているので否定のしようがないだろう。
 そして続く数室の展示室では、1937年7月の盧溝橋事件に始まる日中戦争最初の5カ月、つまり12月の南京大虐殺へと至る経緯を、写真、年表、地図、遺品、人物紹介などの資料をこれでもかとこれでもかと詳細に並べて展示していた。
 その展示物の中には、例えば、日本軍人が使っていた銃などの武器、また、日の丸国旗に「武運長久」と墨で書かれ、郷里の村の人々がそぞれぞれ名前を署名して日本人出征兵士に贈ったお守りの旗なども展示されていた。戦場に落ちていたものを拾い集めただろうか。また、進軍状況を伝える当時の日本の新聞や雑誌なども多数展示されている。
 一方、“日本軍と戦った勇敢な兵士”ということで、多数の中国人兵士や将軍の写真と、経歴も展示されていた。南京での戦闘は共産党軍ではなく、国民党軍が戦ったのだけれど、国民党だからと言って業績が矮小化されることはなく、きちんと国の英雄として紹介されている。
 そして、これら全ての展示物に、中国語、英語、日本語の解説が付いている。
「え!日本語もあるんだ」
と、私も驚いたけれど、少なからぬ中国人もこれには驚くらしく、
「有日語‥(日本語がある‥)」
 とつぶやく声を何回か聞いた。中国政府としては、日本人もどんどんここへ来て過去の歴史を勉強してください!ということなのだろう。
 そして、その日本語は、非常に正確だった。中国の博物館・公共施設へ行くと、かなり大きな施設でも日本語訳が非常にお粗末で、「いかにも中国の人が訳したな」というレベルであることが多いのだけれど、この記念館に関しては完璧な日本語だった。
 一部、各部屋の冒頭にある“概要紹介”的な大パネルのキャッチコピーだけ、おかしな日本語訳が少し見られたけれど、これは、おそらく展示解説の方は日本人翻訳者に依頼したものの、全部作業が終わった後で大パネルも作ることになり、「うわーもう支払い終わっちゃったよ。仕方ない、予算足りないからここは日本語出来る中国人に訳してもらうか」となったのだろう‥などと、元広告代理店社員としては裏側を想像してしまうのだった。とにかく、全ての展示物に徹底的に日本語訳が付されている。

 閑話休題。
 それにしても、ここの展示は、本当に内容が細かい。紹介されている中国人軍人も、有名な将軍もいるけれど、無名の下士官がほとんどで、その一人一人に、顔写真と、どこの街出身で・何部隊に所属し・いつ南京での戦闘に参加したかの‥そういった解説が付けられている。
 一方で南京戦参加の日本軍人の紹介もあり、松井岩根総司令官など有名将軍はもちろん、中国側と同じく、無名の一般兵士たちについても写真と経歴が展示されている。もしもこの兵士のお孫さん、ひ孫さんがここを訪れたら、いきなり自分のお祖父さんの写真と名前があって衝撃を受けるだろうと思われた。
 また、日本軍の遺品も、武器だけではなく水筒など、直接戦闘に関係ないものも含めて展示が行われている。日本軍がどう南京へ向けて進軍したか、詳細に地図と日程が掲げられてルートが示され、とにかく、全体的に、圧倒的な細かさとボリュームを通じて、南京戦を理解してもらおうという仕組みだ。
このやり方はとても良いと思うが、何しろ量が多いので、一つ一つしっかり見て行ったら一日かかっても終わらないのではないかと思えて来る。中国人の参観者も、最初のうちこそ熱心に細かく見ていたが、だんだんと「もしや‥これは‥とてつもなく量が多いのでは‥」と気づき、やがてさーっと流し見をするようになって来る。
 それでも、やはり目を引く展示物というものはあって、例えば、日本兵が使用していた銃の展示には比較的多くの人が集まっていた。それも、日露戦争以来改良のないまま下級兵士に渡され、日本軍の装備の遅れの象徴だった“三八式歩兵銃”は、見るからに貧弱なのが中国人にも伝わるらしく、あまり人気がない。より破壊力のある(上等兵に渡された?)銃の方に人が集まっていて、特に小さな男の子はやはり万国共通で銃好きだから、
「お父さん、お父さん、あの銃は何?」
「あれは日本軍が使っていたんだよ」
「あれ撃ちたい!撃ちたい!」
などと叫んでいる。(憎っくき日本軍のものなのですが‥)
 また、学校の見学で来ている中高生たちは、日本の当時の新聞の展示を見て、例えば見出しが「皇軍万歳」だったりすると、
「皇軍万歳だって。私、意味分かるよ~」
「私だって分かるよ~」
 などと、日中で漢字は共通なので読み上げて軽いクイズのような感覚で遊んでいる。
 そう、南京大虐殺記念館、と言うとみんなで目を吊り上げて見学しているのでは?と思いがちだけれど、実際はかなりゆるりとした雰囲気で、もちろん中には謹厳なお父さん(共産党員?)に率いられ、家族一同、お父さんの解説を聞きながら回る‥などという真面目グループもいるにはいるけれど、それは本当にごく少数でしかない。大部分の人は「なるほどね、こんなことがあったんだね」といったかんじで、概要をさくさくと見て回っている印象だった。

 もちろん、それでも、ここで見たものの残像は人々の心の中に残り続けるだろう。
 捕虜になった日本兵から押収したという、強姦した女性の写真が展示されていたり(その兵士は自分の強姦の記念に写真を持ち歩いていた、という解説が付いていた)、当時の南京の民家が原寸大で再現され、お姉さんが殺され、お父さんが殺され、家が荒らされ‥という凄惨な現場が蝋人形で再現されてもいた。これは、想像で作った場面ではなく、生き残りの女性の証言に基づいている、とのことで、その女性の証言ビデオもすぐ横で流されている。
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 また、そもそもこの記念館は、虐殺された人々の遺体が遺棄されたその地点に建てられた、とのことで、何層にも白骨が折り重なっている発掘時の状態が、そのまま記念館の中に屋根付きで保存・公開されている。さすがにこの場所でにぎやかにしている人はいなかった。

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 もちろん、これらの展示物に関して、疑義を唱えようと思えば出来るものもあるのかも知れない。
 例えば、「家族がこうこうこういう風に日本軍に殺された」という証言は、その真実性を確かめようがないものもあるだろうし(もちろん、例えば当時南京に居合わせた西洋人神父の証言のように、何らかの傍証により確認出来るものもある)、そもそも南京大虐殺の被害者数300万人という中国政府の公式見解には、発表当初から日本政府・学者が疑義を提え続けている。
 この点を意識してか、記念館では、中国側の全ての主張が客観的証拠に基づいていることを、懸命に示そうとしているように思えた。
 例えば、「そもそも南京には30万人もの人が住んでいなかったはずだ」という日本側の主張に反論するために、或る展示室では、「8月の上海戦で住む所を失った人々が大量に南京に流れ込んだ」という事実に関する資料を、こと細かに展示している。「だから南京には当時、300万人以上の人が住んでいたんです」と間接的に伝えようとしている訳だ。
 また、館には、黒いファイルが無数とも思えるほど並んでいる一室がある。床から天井までの高い高い本棚が幾重にも立ち、その全ての棚に、背表紙に人名が記された黒いファイルがびっしりと収められている。
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 ファイルは参観者が手に取って良いということなので開けてみると、例えばそれが「李某」さんのファイルだとしたら、中には李某さんに関する資料が入っている。何年にどこで生まれ・誰と結婚し・いつ南京に来て・どこどこ商店に勤め・子どもが何人いて・何日に死亡‥といった情報が書かれた資料だ。彼らは全員、南京大虐殺の被害者である、ということだった。
 私が手に取ってみた数名の方のファイルには、1枚ぺらっと、上記のような基本情報を書いた紙が挟まっているだけだったけれど、例えばそれが南京市の有名な商店主で、商業活動の履歴がはっきりと分かっているような人だった場合、 資料はもっと分厚く、写真なども含まれることになるのだろう。
 こうして、この部屋では、死んでいった人々の存在を可視化し、手に取って触れられる状態にすることで、「南京大虐殺は事実である」ということを内外にはっきりと示そうとしているように思われた。

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 建物を出ると、庭の一角には、長崎の平和像のような平和像が建てられている。像の下には「和平」という言葉が刻まれ、南京大虐殺は大きな悲劇ではあるけれど、決して日本を責めるためにこの記念館を作ったのではなく、二度とこういう悲劇が起こらないよう、平和への努力を続けよう、という人類共通のメッセージが込められていることが分かる。また、敷地の一角には日本の平和友好団体が植えた木が何本も育ち、大切に手入れされていることも見て取れる。
 この記念館は、日本人にとって、確かにつらく、目をそむけたい場所ではあるけれど、館全体を通して、直接日本人を責めるメッセージは一切見当たらなかった。そのため、日本人が想像しがちな“狂信的な日本非難の牙城”と言うことは出来ないと思う。
 彼らの表現は、終始、「日本軍国主義が」「日本軍が」、中国を侵略した、という思想で貫かれていて、それは「日本が」「日本人が」と主張することとは全く異なっている。日本人が有史以来、そして未来永劫邪悪なのではなく、あの当時の日本軍国主義が間違っていたのだ、という思想だ。当然、現在の日本を責める語句も見当たらなかった。
 例えば、東京の東京大空襲戦災資料センターや広島の原爆ドームが「アメリカ人は日本人にこんな悲惨な行いをした、悪魔のようなやつらです」と訴えるために存在するのではなく、戦争の悲劇の実態を学び、人類全体への警告とするために存在しているのと同様に、南京大虐殺記念館も、戦争の被害と未来への警告のために建てられている。もちろん、それをどう解釈し、どう政治利用するかは個々の中国人によって異なるけれど、少なくとも館そのものの思想が、崇高な「平和への希求」であることは明らかだ。この点は日本人も公平に認めなければいけないだろう。
 そもそも「南京大虐殺記念館」と日本語訳されることの多いこの館の中国名は、「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」と言う。直訳すると、「中国を侵略した日本軍が行った南京大虐殺に遭遇してしまった同胞たちを記念する施設」という意味だ。南京大虐殺の記念館ではなく、南京大虐殺で亡くなった人々を忘れないようにするための記念館、というニュアンスがはっきりと込められている。
 もちろん、先ほども書いたように、この館をどう政治利用するかは個々の中国人次第だ。
「日本人はこんなに残虐で、その本性は変わるはずがない。今だって隙あらば中国への侵略を企んでいるんだ!」
 と主張するための材料にする人もいるだろうし、また、館内に掲示された碑文には、「国が弱いと他国からこのような侵略を受けてしまうので、強国にならなければならない」とはっきり書かれているものがあり、私はこれは注目に値すると思った。
 つまり、中国共産党政府にとってのこの館の意義は、日本を攻撃することにあるのではなく、むしろ、政府が軍に国家予算をつぎ込み、一党独裁支配体制で国をしっかり管理する、そのことの正当性のためにある。そういう側面があるのではないかということだ。そして、私は、ここに、日中関係がぎくしゃくする時の典型的パターンが表れていると思えてならなかった。
 つまり、多くの中国指導層は、現在の日本が他国への侵略意図を持っていないことは、本当は分かっている。にも関わらず、自分たちの政権基盤を固めるために、敵を掲げて国民の団結を促したい。団結の指導者として共産党があり・軍がある、という思考回路を作り出したいのだ。そのためのダシが過去の敵、日本である。かつては台湾だったけれど、今は日本。この状況に対処する時、こちらがかっかするればするほど彼らを利することになるということに、改めて私はこの博物館の庭で思いを馳せたざるを得なかった。
 そう、日本がかっかして尖閣諸島に上陸したり、アメリカ軍と共同訓練をすればするほど、共産党幹部や、そして――ここが大事だが――軍の急進派は、
「ほらやっぱりあいつらは敵意むき出しだ。いつまた責めて来るか分からない。軍備増強だ」
 と国民に宣伝しやすくなる。むしろ彼らに言質を与えないように常に冷静にふるまい、
「戦争なんてどこの国ともまっぴらごめんだよね。日本人だってそうなんだよ」
 といった、中国の大部分の一般市民と知識層の本音。その本音を彼らが発信しやすい状況を作る。大局的に日本の安全保障を考えた時、このようなやり方のほうがずっと得策なのだ。
 もちろん、だからと言って、完全に軍国主義者を一掃することなど、中国に限らずどこの国でも不可能なのだから、万一の時に備えて、ひそかに着々とそれなりの軍備の備えはしておく。この両面作戦的な道行きが日本人が採れる最も賢いやり方だと私は思うのだけれど、残念ながら石原慎太郎氏をはじめ、勇ましいことだけを唱える人々にはいつまで経ってもこの「中国とやって行くための政治力学」が分からないようだ。
 ‥と、様々なことを思いめぐらせた南京大虐殺記念館だった。誰にでも気軽にお薦め出来る場所ではないけれど、日本の現代史、あるいは日中関係について真剣に考察したい方には、左の方も右の方も、一度は訪問してみる価値ある場所だろう。

3)反日デモで暴徒化した農民工。彼らの日常とは?
さて、今回の中国訪問では、中国人の友人とも何人も会食をした。もちろん日中関係悪化のことは常に話題にのぼり、様々な意見を交換することが出来た。そこで考えたことについて、ここからは書いてみたい。

 日本人に大きな衝撃を与えた9月の反日デモ暴徒化について、暴徒化したのは一部の中国人であり、あのような暴力的な行為を恥ずかしく思う市民、また、冷やかに見つめていた市民も多数いたことは、日本の様々なメディアが後日記として伝え、現在、日本人の中では徐々に常識化しつつあると思う。また、暴徒化した人々の多くが社会的地位の低い労働者階級であることも、多くの日本人が理解し始めているのではないだろうか。中国の友人たちと話していても、ほぼ全員同じように、
「あれは、一部の思慮の足りない、貧しい人々がやったことだから」
 と言う。では、この労働者階級の人々について、私たち日本人は何を知っているだろうか?彼らはどんな背景を持って育ち、現在どのような暮らしをしていて、何を考えているのか?何故彼らが暴徒化したのか?彼らに本当に食い込んでレポートした例はまだとても少ないように思うけれど、それも当然なのかも知れない。例えば日本でも、山谷などのドヤ街に入って行って取材するのは日本人にとってもかなり骨のいる仕事だし、ましてや相手が日本に対して敵意を持っていることの多い中国では、取材は至難の業となるのだから。
 とは言うものの、今回のように日本人にとってあまりにも多くの実害が出る現状を考えると、彼らが一体何を考えているのか、また、何とか彼らの“対日暴走”を抑える手立てはないものか?ということを、私などはつい考えてしまう。そしてこのことについても、今回の旅の間に友人たちと話し合った。

 ところで、この問題を考える時、前提として日本人が理解しなければいけないことが一つある。それは、日本人が思うよりもずっと、中国では階級差別意識が強いということだ。そもそも共産中国は国民の平等を目指して建国された国のはずなのに皮肉な話だけれど、残念ながら、現在の中国は、日本人からすると衝撃的なほどに階級間の差別意識が強い。
 たとえば私たち日本人が、工事現場で働いているおじさんやトイレ掃除のおばさんのことを「彼らは社会のゴミだから」などと言ったりしたら、間違いなく、100パーセント、その人は人間性を疑われてしまうだろう。けれど中国ではそうではない。もちろん、社会的弱者に暖かいまなざしをそそいでいるエリートも非常に多くいるけれど、それでも、そう、中の上以上の階層の半分程の人は、最下層グループにいる人々のことをはっきりとバカにする。そのバカにしっぷりがあまりにもあっけらかんとしているので、私などはいつもショックで二の句が継げなくなってしまうほどだ。
「反日デモでは日本人に嫌な思いをさせて本当にごめんね。でも、理解してもらえたら嬉しいのは、暴れたのは上海とか北京の地元の人間じゃないってことなんだよね。田舎から出て来た、愚かで教養のない労働者がああいうことをするんだよ」
「ああいうヤツらは、まあ、言ってみれば社会の粗大ゴミみたいな存在だから」
「あいつらバカだから、すぐ政府の宣伝に乗って暴れちゃうんだよ」
「ああいうヤツらはもうどうしようもないからさ」
 また、中国のツイッター・微博でこんなつぶやきを見かけたこともある。
「自分の人生がついてないからって、その不満を関係ない日本にぶつけるなんて本当にバカ」(「ついてない」って‥。運のいい・悪いでは片づけられないほどの生まれながらの逆境が存在しているんじゃない‥?と、私などは反論したくなるのだが‥)

 ‥こういうことを言う人が、いかにも甘やかされた成金の息子・娘だったりするなら私も「仕方ないか‥」とあきれるだけなのだけれど、ふだん、非常に礼儀正しくごく常識的で、ちゃんと自分の実力で仕事をしているような人が悪気なく言うから、衝撃はなおさら大きい。何と言うか、昔日本にも穢多・非人という考え方があったけれど、それに近い感覚で、「あいつらは自分たちとは全く別の人間」と線を引く。そういう差別意識がはっきりと感じられる。反日デモで暴れまくった人々は、中国社会の中で、そういう立場に置かれている、ということをまずは理解しなければいけないと思う。

 もちろん、先ほども書いたように、中国のエリート層の全てがそのような差別意識を持っている訳ではない。たとえば、大学時代に、わざわざ志願して1年間貧困地区に住み込み、小学校で教える‥そんなボランティア活動に参加する学生は山ほどいるし(私の友人の中にもいる)、社会の様々な場所で様々な慈善活動も行われている。また、具体的にそういった活動をしていなくても、中国社会の現状に胸を痛めている中間層・エリート層もとても多い。そんな友人たちの幾人かから聞いた話には、考えさせられることが多かった。

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 彼らから教えてもらったのは、中国国内にある”日本メーカーの製品を作る工場”の現状だ。“取材源秘匿の原則”にのっとり具体的なメーカー名を出すことは出来ないけれど、複数の超有名日本企業の製造工場で、中国人労働者がどのように働いているのか?、その現状を聞くことが出来た。
 これらの工場は、日本企業が直接運営している場合もあるし、現地の中国企業や台湾企業と合弁したり、委託をしていたり‥その運営形態は様々だ。とにかく、日本企業の製品を作っている。そして、私の取材源たちは英語か日本語に堪能であるために、それらの製品の生産管理を担当し、工場とマネージメント部門との橋渡し的な役割を担っている。だから工場の実情をよく知っているのだ。
 彼らの話によると、労働者たちは中国のど田舎から出て来て働く、いわゆる農民工で、たいていは工場からほど近い寮に住んでいる。そして毎朝工場に出勤するのだが、新製品の情報が外に洩れることのないよう、セキュリティは非常に厳しく、IDカードをゲートに通して入場しているとのことだった。退場も記録されるので、一旦敷地内に入ったらシフトで決められた時間になるまで、一切外に出ることは出来ないシステムになっている。
 つまり、例えば「今日はちょっと外のラーメン屋でお昼食べたいな」と思っても、「昼休みに工場の周りをお散歩して気分転換したいな」と思っても、出ることは許されない、ということだ。

 また、敷地内に入場した後も、自分の担当するラインにたどり着くまでに、何度も何度もIDカードの関所がある。IDカードには細かく情報が記録されているので、別のラインには決して近づけないようになっているし、生産管理部門など、マネジメント部門がある建物や階にも、彼らのIDカードでは入ることすら出来ないことが一般的だということだ。
 エリート層たちのカードはこうではない。彼らだって自分のデスクがある部屋にたどり着くまでには何度もカード関所のチェックを受けるけれど、でも、昼休みに外に出る自由は存在している。このように、仕事以外の待遇に関して、はっきりとした差が存在している。

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 ところで、私がここで特に昼休みのことを何回か書いたのには理由がある。それは、人間にとって最も基本的な事柄である、「食べること」に関わっているからだ。
 IDカードの種別により外で食事を取れるかどうかは、とても重要だ。何故ならその自由がない限り、必ず敷地内の食堂で昼食を取らなければならなくなるからだ。
この食堂で出される食事は本当にひどいものだと友人たちは私に教えてくれた。はっきり言って、家畜の餌のような味。そして、見た目。白米の上に何らかの汁がかかっているのだけれど、まず、その白米すらも、腐りかけのような米でとても食べられない味だったという。そして食堂自体も地下にあることが多く、窓すら作られていない。そういう所で、労働者たちは来る日も来る日も家畜の餌のような食事を取っている。これが反日デモで暴れた農民工と呼ばれる人たちの毎日なのだ。
 
 そして、彼らの労働は、非常に厳しく管理されている。
「家電の部品を組み立てるなんて単純労働じゃないか、そんなに大変じゃないでしょう」
 と言う人もいるかも知れない。確かに難易度はそれほど高くない場合も多い。けれど、1日の生産量が厳しく決められていて、それを守るために常に一人一人の行動が尋常ではないほど厳しく見張られているという状況を、「精神的に大変じゃない」と言うことは出来ないだろう。どのくらいのレベルでの見張りかと言えば、あくびをしたり、ちょっと手足を伸ばしたりすることにも目くじらを立てられるレベル。そうやって休むと、自分の次のパーツの人へと組み立て中の機会を回すのが遅くなる。だから、所定の労働時間の間、ずっと休みなく、気をゆるめることなく、働き続けなければならない。毎日毎日そうやって働かなければならない。あまり聞きたくない話ではあるけれど、それが日本企業の工場で働く中国人労働者の労働実態なのだ。
 そして、彼らの労働は、所定勤務時間だけで終わる訳ではない。工場は常に親会社=日本企業からの納品締め切り指令に追われていて、残業が言い渡される。残業しないで帰ることの出来る人などいない。多くの工場で、そのくらい当たり前に残業が強制されている。
 私の友人・知人たちは、このような実態の中で、労働者側と経営側との間の位置に立つ。労働者は全員、彼らにとって自国民である中国人であり、経営側は、合弁会社の場合、中国人か台湾人。或いは出向で来ている日本人。中国人・台湾人上司の場合には、その上に日本本国からのオーダーがあるのだから、間接的に、日本人から命令を受けているのと同じことになる。
 明らかに短過ぎる納期。けれど、日本からは絶対に死守せよと言って来る。ただでさえ疲弊している労働者たちをせっつくようなオーダーは出したくないけれど、仕事だからやらざるを得ない。それを、「自分とは違う、愚かな労働者階級だから」と躊躇なく行える人もいるし、強い良心の痛みを感じる人もいる、ということだ。その痛みを私たちは理解出来る。
 もちろん、全ての日本メーカーの製造工場がこのような非人間的な体制を取っている訳ではない。出来る限り労働者の福利厚生に配慮して、労使関係も良好な工場も数多くあるだろう。けれど、全ての日本メーカーの工場が人道的見地から見て正しい運営をしているかと言えば、残念ながらそうでもない。これは紛れもない事実だ。知りたくない事実だけれど、事実を曲げることは出来ない。

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 ところで、上に書いたような工場の実態について、「同じような話をどこかで聞いたことがある」と思われた方も多いのではないだろうか。
 そう、2年前くらいからだろうか、中国国内にあiPhoneやiPadの製造工場で自殺者が相次ぎ、そのあまりにも過酷で非人間的な実態が世界中に報道されるようになった。その報道内容と酷似しているのだ。
このiPhone工場は、中国に進出している台湾企業・富士康(Foxcon)によって運営されている。富士康がアップル社から製造を請け負っている、という関係だ。
 世界中から高まる非難を受けて、ティム・クック社長が今年、訪中。その後、富士康の工賃はかなり上昇した(それでもまだ十分な金額ではないことは明らかだけれど)。恐らく、その時、アップルと富士康の間では激しい交渉があったはずだ。
「人道的配慮のため、従業員にもっと給料を払ってくれよ」
「いやいやアップルさん、だったらうちへの払いをもっと上げて下さらなきゃ。冗談もたいがいにしてくれないと困りますよ。人件費にこんなに払ったら、うちの利益はどうなりますか?うちは別にアップルさんのために慈善事業をやってる訳じゃないんですよ。商売だったらこれは当たり前の話ですよね」
「むむ‥そうは言うけど、こっちだって商売だからねえ。まあ、中国にも台湾にも企業は他にいっぱいあるんだから、別にお宅に出さなくてもいいんですけどね」
「いやいや、そう脅かされても困りますなあ。じゃあ、ここのところでどうですか」
「いや、それは‥これで」
「その中を取ってこれで」
「むむ‥それは困るがその代わりラインをもう少しゆるめてもいい」
「ほう、では、次世代機の納期は押して良いということですね」
「いや‥それは‥」
 といった会話が“グローバル・ビジネスのハード・ネゴシエーション”として戦わされていたことだろう。私たち先進国の人間が手にするあらゆる商品の裏側に、このような事実が存在するし、中国人労働者に非人間的な労働を強いているのは、日本企業だけではない。けれど、日本企業だけが聖人君子である訳でもない。これがまぎれもない現実であるだろう。

4)反日教育の意味
 このような環境で働く中国人労働者の多くは、絶望と同時に、先進国に対してぼんやりとした反感を抱いている。或いは、はっきりと敵意を抱いている人もかなり存在する。例えば日本企業Aの工場で働いている場合、日本が嫌いになるし、アメリカ企業Bの工場で働いていればアメリカが嫌いになる。日本企業Cが合弁相手の台湾企業Dと組んで経営する工場で働いていれば、日本と台湾が嫌いになる。けれど、そこで働く以外生きて行く術がないから、働いている。こういう、からからに乾いた枯れ草のような感情に火種が近づいたらどうなるのか?今回の尖閣諸島問題こそ、その火種だったということではないだろうか。

 中国嫌いの日本人の方と話していてよく思うのは、「中国人は日本人だけを嫌っている」と、そのように認識しているのだな、ということだ。私はその認識は間違っていると思う。もちろん、一般的に言って、中国人の中で日本の嫌われ度数が非常に高いことは事実だ。しかしそれはミクロ的な見方であって、もっと局面を大きく取って見れば、中国人の中に漠然とした、最先進諸国への反感があることが見て取れると思う。清朝末期以降、中国は欧米列強と日本に国のプライドをずたずたにされ、そこからようやく立ち直りかけて今の中国がある。200年近く醸成されて来たこの恨みの感情を軽視することは大きな間違いではないだろうか。今、矛先が向かいやすいのは日本だけれど、この感情は一つ軸が変われば容易に欧米諸国へと転化するだろうと、私は予測している。例えば今回の尖閣諸島問題を受けて、アメリカは、有事の際日本と共同して中国と戦うことを明確に宣言したが、この事実は深い楔となって中国人の感情に沈んで行く。何かの火種が起これば今度は反日暴動ならぬ反米暴動が発生し、アメリカ企業が一斉に標的になることも、十分にあり得ると思う。
 もちろんこれは別にアメリカに限らない。フランスでもドイツでも、領土や人権問題など、何か中国人の民族感情を刺激する対応を取った場合、今度はその国が標的になる可能性は十分にある。
 そしてまた、最初はどこかしらの外国への攻撃からスタートしたものが、中国共産党そのものへと向かって行く可能性も非常に非常に大きいことは、日本人の皆さんももう気づき始めていることと思う。かつて中国をズタズタに引き裂き、今また労働資源として搾取する先進諸国への反感と同時に、その外国資本の誘致など、あらゆる局面において賄賂を受け取り私腹を肥やして来た共産党上層部への反感も、極限まで達しているからだ。

 それでも共産党はまだ存在しているし、軍を手中に収めている彼らを転覆させることは容易ではないだろう。そしてこの状況下で、中国からの嫌われ国ナンバー1が日本であることにも変わりはないと思う。
その根底にはかつての日本の中国侵略があるし(私はかつての日本の中国進出は侵略であったとはっきり思っている。かつてイギリスやフランスやロシアなど欧米列強も中国を侵略したし、同様に、日本も中国を侵略した)、また、その侵略時期が一番新しく、中国の人にも記憶にも最も鮮明、かつ、やったタイミングも引き際も最悪だったというバックラウンドがある。このタイミングの話や引き際の話を始めると現代日中関係史論になって長大な説明が必要なのでばっさりと割愛するが、とにかく、これらの恨みの記憶が中国共産党中枢部の人々の中にやはり消しがたく残り続け、反日の声を容認して来たという、もう一つのバックグラウンドがある。また、先ほども書いたように、共産党への信頼が揺るぎそうになるとこの恨みの感情を焚きつけ、国民の目をそらすために利用して来たという側面もある。
 だから、阿片を売りつけられて国をぼろぼろにされたイギリスへの恨みも、ぼんやりしている間にウラジオストックを奪われたロシアへの恨みも、その他色々な国への恨みもあるけれど、今のところ、まず何と言っても恨みナンバー1は日本なのだ。

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 私は最近、「反日教育」「反日教育」と騒がれる、その反日教育の中身とは具体的に一体どんなものなのだろうかと、訊けそうな中国人には質問するようにして来た。もちろん今回の中国旅行中にも訊いた。そこで分かって来たことは、「反日教育」と言われるものの実相が、地域によってかなりまちまちであるということだ。
 私は最初、何か「愛国教育」といったような授業が例えば週に1度くらい組まれてあり、その中で、かなり体系的に、日本のかつての侵略行為を教えているのかと思っていた。けれど、どうもそういうことではないらしい。具体的な「愛国教育」というカリキュラムは存在せず、例えば国語の授業で読む教材の中に、かつて日本兵にひどい目に遭った農民の物語があったり、歴史の授業の現代史のパートで、日本の侵略行為について学習したりする。これが大体全国標準コースのようだ。
 この他に、例えば南京大虐殺博物館のような日中戦争に関する記念施設が付近にある場合には、見学に行くこともある。また、学校によっては映画観賞会で日中戦争に関する映画を観たりもする(その中では残虐な日本兵がやりたい放題の行いをしている)。しかし、このようなエクストラ的な反日教育は、一切受けなかったという人も存在する。この差がどこから出て来るのかは私の非力な調査では今のところ不明だが、校長、或いは地域の教育委員会の幹部の“反日度合い”によるのかも知れない。
 そして、テレビドラマや映画で繰り返し描かれる、残虐な日本人のステレオタイプ。これが中国人の日本人観に大きな影響を与えていることは否めないと思う。映像作品にことごとく検閲をかける中国共産党が、これらのステレオタイプを容認し、また、作り手の側も反日モノにしておけば検閲を通りやすいことから、量産し続けて来たことがその背景にある。
 以上、これらの複数の要素が混然一体となって、中国人の中に漠然とした反日感情が根強く育っていて、もちろん、人によっては、それが色濃いものとなる。例えば、戦争中に日本軍によって親族を殺された人であれば、反日感情が非常に色濃いものであるのは、人間として当然のことであるし、また、日本のネトうよの一部がそうであるように、自分の現在の社会的地位に不満を抱いている人が、その感情のはけ口として反日の闘士となる場合もある。
 また、日本人からすると被害妄想としか思えないものだけれど、「日本が再び中国を侵略しようとしている」、こういう考えを持つ人が、中国には意外なほど多く存在する。これは、かつて侵略を受けた国にとっては、なかなかその相手に対するイメージを変えられないということが背景にあるのではないかと思われるが、実際に日本に来てみれば、まあ日本人ほど自国軍を持つことについてアレルギーの強い国民も他にないし、他国を侵略する意志など毛頭ないこともすぐに分かってもらえるはずだ‥けれど、残念ながら来日出来る中国人もそうそう多くはない。こうして日本は嫌われ度ナンバー1の位置を占め続け、何かあれば真っ先に暴動や不買運動の対象となる。そういう危険性を抱えながら、日本人は隣国・中国とつき合って行くことになる訳だ。

5)これからの日中関係を考える1~~日中関係悪化に打ち込まれている古い楔、「戦争責任」問題について
 では、これから日本人、はどうやって中国人とつき合っていくべきなのだろう?
「今すぐ武力衝突して尖閣諸島の白黒をはっきりつけるべし」
「中国と全面戦争じゃー!」
という方々もいるにはいるだろうが、到底世論の賛同は得られないことは明らかだ。圧倒的多数の日本人は戦争を望んでいないし、再軍備も徴兵制復活も望んでいない。(実は私自身は自衛隊の合憲化には賛成なのだが)
 また、何やら薔薇色の日中蜜月関係を目指していらっしゃる方もいるにはいて、時に私の周りにはそういう方がキラキラの瞳で近づいて来られるのだけれど、これはこれでまた天真爛漫過ぎると言うか、これまでの日中間の軋轢の歴史を振り返れば、日本人の大多数が中国に良いイメージを抱ける訳がなく、「100パーセントの日中友好を目指しましょう」と旗を振っても多くの賛同を得ることは不可能だろう。そもそも中国人の中に――それも共産党上層部や軍上層部の中に――本気で日本侵攻を考えている人々がいることは事実であり、中国という国を100パーセント純真に信頼することは、決して日本の国益にならないと私は考えている。
 日中関係は、例えば地理的に遠く離れていて経済的利益でもほとんど競合しない日本ーデンマーク関係とは全く違う。デンマークとなら薔薇色の友好関係を築けるかも知れないけれど、隣国であり、これほど複雑な紆余曲折を抱える中国との間では、当分それは不可能だろう。少なくとも私が生きている間は不可能だろう。そうではなく、多くの日本人にとって一番良い道行きは、武力衝突に至らず、且つ互いに経済的にメリットを得る関係を築けること、社交辞令的なにこにこ笑いを互いに浮かべ合える関係であるはずだ。そう、どちらかの国の人間が相手国を旅した時、普通のもてなしで迎えられるような、ごく普通の関係のことだ。残念ながら現在の中国では、たとえば日本人旅行者がタクシーの乗車拒否に遭うなど、時にそれが難しいことがあり、このまま日中関係の悪化が続けば、ますます難しくなってしまう可能性もある。そしてその状態が長引けば長引くほど、現在、日中両国の圧倒的多数の人々が望んでいない、武力衝突へと結びついて行く可能性もまた存在している。

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 このような事態を防ぎ、そこそこの日中関係を築くために、私たち一般の市民一人一人は一体何が出来るのだろう?長い間考え抜いた末に、私は、その最も基礎となる行為は――意外に思われるかも知れないが――日本が過去の戦争責任をはっきりと認めることにだと考えるようになった。国としてもそうだし、私たち市民一人一人が明確に認めることが必要だという意味だ。
 また一方で、中国政府・及び中国マスコミ各媒体は、日本政府が1972年の日中共同声明において過去の侵略行為を正式に謝罪していること、また1978年に訪日した最高政治権力者鄧小平氏との会談において昭和天皇が、92年訪中時の晩餐会において今上天皇が、中国に対して正式に贖罪の言葉を述べていることを、ぼやかさずに中国国民に伝えるべきだと考える。
 これら日中双方の公正な態度が、両国関係の基礎となるはずだ。

 もちろん私は、日本の戦争責任を認めるべきだという私のこの信念を、誰にも押しつけようとは思わない。ただし、日本という国を守り抜いて行くために、“日中関係”このファクターが最大の鍵となっている状況下で、戦争責任の問題を何となくごまかしておくことはもう出来ないということだけは、言いたいと思う。「学校で教えてくれなかったから」「めんどくさいから」という理由で見ないふりをすることは、不可能になりつつあるのではないかということだ。
 そう、あれほどの反日デモが起こった後でも、中国市場から完全撤退しようという日本企業が皆無に近いことは、複数の調査から明らかになっている。現実を直視するビジネスの現場では、中国市場の重要性は明確であり、つまり、日本人はどんなに内心で反感を抱いていても、中国とつき合って行かざるを得ないということだ。中国嫌いの人でも、或る日自分の所属する会社が中国と関わりを持つことは起こり得るし、自分自身、或いは自分の家族が中国担当に回る可能性も十分にあるということだ。
 中国とビジネスをするということは、1度や2度旅行へ行くこととは全く違う。厳しい交渉を行い、日々細かなやり取りを取り交わし、それらの交渉ややり取りを円滑にするために、時には飲み食いすることも必要になって来る。その中で、その人の根本的な価値観をあいまいなままにしておくことはいつしか出来なくなって来ることを肝に銘じなければいけないだろう。酒が深まれば、日中関係、日中戦争に話題が及ぶこともあるし、中国への敵意や蔑視、或いは反感を抱いていればいくら隠していてもそれは、必ず相手に見抜かれて行くものだ。私は外資系企業に勤務していたことがあるので、このことは実体験としてよく分かる。欧米人の中には、アジア人をうわべでは賛美しながら内心では見下している人が少なからずいたもので、しかし、そのような人々のそのような思考は、どんなに隠していても日々のやり取りの中で、現地の従業員や取引先の担当者へと水が染み出すように伝わり、悟られてしまう。これは人間にとって普遍的なことで、日本人が中国、或いは他のどの国へ進出する場合でも全く同じことが起こるだろう。
 だから、本当は、中国が嫌い、或いは中国を見下している人は、中国ビジネスの担当者にはならない方がいいと私は思う。結局のところ現地スタッフや現地消費者の支持を得られない限り、ビジネスで成功を収めることは出来ない訳で、行ったところで何ら良い結果を産み出さないと思うからだ。「嫌いだけど、ビジネスで金だけは稼がせてもらう」、そんな甘い考えは通用しないと考えた方がいい。
 それでも、様々な事情でどうしても嫌々ながら中国に赴任しなければならないのなら、とりあえず一度、今抱いている中国観は全てかっこに入れて、ゼロから中国を判断し直す心構えで行かない限り、何もいい(ビジネスの)成果は上げられないだろう。
 そして、現在、日中関係がここまで袋小路に陥っている状況下で、先ほど挙げた戦争責任の問題を曖昧にしておくことは、ますます難しくなって来ていると私は思う。単純に、タクシーの運転手さんに「一体君はどう思うね?日本人の一般的な考えを聞かせてよ」とストレートに訊かれることも起こり得るだろうし、日本に好感を持ち、日中間のビジネス上でのつながりを何とか積極的に改善しようと意欲を持つような親日派の相手と飲む時でも、「このこんがらがった状況をどうしたらいいのか」という話は、関係が深まれば深まるほど避けては通れない。その時に、「戦争のことはよく分かりません」という態度では、相手の信頼を得ることは出来ないと考えた方がいい。「かつての日本の中国進出は侵略ではなかった」と思うならそれでもいい。相手を説得出来るくらいしっかりと証拠を集めて、堂々と話し合えばいいと思う。あまりいい結果は得られないだろうが、ただ、中国人は日本人と違い、人と議論になること自体を悪いこととは考えていないから、場合によっては「まあ、あいつはこういう考え方だけど、ヤツなりの信念と理論的根拠は持っているんだな。いけすかないけどそこは排除してビジネスのここの面だけつき合おう」という風に方針を決めてくれる、という結果を得られることもあると思う(少ないとは思うけれど)。

 一番良くないのは、何も知らない、分からない、という態度で、過去、しかも自分の祖父母・曾祖父母という近い過去に170万人という数の兵士が中国大陸に渡り、両国合計した死者が2000万人前後生まれた戦争のことを「何だか分からない」という答えで済ます。これは、相手から見れば脱力したくなるほどの失望であり、人によっては当然怒りを伴うものでもあり、また、日本人への不信の最も根底には、この、日本人の曖昧な態度があると私は思っている。
 また、曖昧であるからこそそこには解釈の余地が生まれ、何を考えているのか分からない国民、ひょっとして再び中国を侵略しようと考えているのか?或いは、わざと分からないふりをして話をごまかそうとしているのか?と誤解される。そうではなくて、本当に分からない、学ぼうとしたことがないから知らない、ということが理解されていないし、理解された場合でも、何故これほどまでに切実な過去を学ぼうとしないのか、という怒りを呼びやすい。そして、知らないことで、中国人にとって敏感な日、例えば五四運動記念日や盧溝橋事件記念日、満州事変記念日に上海やら北京やらの繁華街で大酒を飲んで日本語で奇声を上げる、微博で能天気な発言をする…などといった、わざわざケンカを売るような行動を引き起こしてしまうことになる。
 「あの戦争」と呼ばれる戦争に、日本人はいよいよ本当に向き合う時が来ているのではないだろうか。この「戦争」とは、1941年12月8日の真珠湾攻撃からやっと始まるのではない。現代史を少し学べば分かることだが、日本がアメリカとの戦争に追い込まれた根源的な理由は、中国から撤兵出来なかったことにある。よく、「日本が真珠湾攻撃に追い込まれたのは欧米諸国・主にアメリカから石油をストップされてどうにもならなくなったからだ」、と言う人がいるが、何故石油を止められたのか?別にアメリカはただ意地悪で石油の輸出を止めた訳ではなかった。、石油と引き換えに求めていた日本の交換条件があり、それは「中国からの撤兵」だった、つまり、「中国から撤兵すれば石油は送りますよ」と言っていた訳だが、何故か「ABCD包囲網で石油を止められたから‥」論者は、その事実にはほとんど言及しない。
 では、何故日本は撤兵出来なかったのか?そもそもなぜ日本は、1941年当時、中国に、70万人にも及ぶ大量の兵を進めていたのか?それを知るためには、1937年の盧溝橋事件、いや、その前の満州事変(1931年)、更に遡る日露戦争(1904年)、根源的には、1894年の日清戦争から始まっている日中間の相克を、大きくつかみとれるようにならなければならないと思う(大きく、で良い。細かな事実は専門家でない限り必要ない)。坂本龍馬や西郷隆盛や勝海舟が闊歩した、あの、輝かしいはずの明治維新完成のごく間もない時期から始まっていた、この、暗い、負の歴史を大きくとらえることが、日本人にとって今一番必要なことではないかと考えざるを得ないのだ。
 もちろん、日本では全ての言論の自由が認められているのだから、どのような説を唱える人の本を読んでも構わない。ただし、右なら右、左なら左、一方の側だけの解説を読むことは慎むべきだと思う。右も読み、左、或いは中道と呼ばれる著者の解説も読み、その上で、自分の頭で判断する。意見を持つことを恐れてはいけないと、私はこの問題に目をつぶって来た多くの日本人の方に伝えたい。人間は、或る状況下で追い込まれれば必ず意見を持たざるを得なくなる。生きるとはそういうことではないだろうか。

6)中国とどうつき合うか2~~日本人は平和でやさしい民族か?真の愛国とはどのような人々なのか?
 最後に、「日本の戦争責任を認める」ということについて書いてみたい。
 そのために、紹介したい記事がある。反日暴動終了直後、まだ緊張の続く今年9月19日の朝日新聞に掲載されたもので、インタビューを受けているのは鈴木邦男氏。著名な右翼活動家である。記事をスキャンしたものを画像として掲げるが、下のブログ↓
http://aoamanatu.blog.fc2.com/blog-entry-364.html 
に全文が引用されているので、興味のある方はお読み頂ければと思う。とても良いことを話されているので一読をお薦めする。
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 さて、インタビューの中で、鈴木氏はこのように述べられている。
「愛は欠点も失敗も認めた上で愛しいと思う心だということです。日本はアジア諸国に対し、弁解しようのない失敗をおかしてきた。そこを認めずに日本は正しかった、悪いことはしてない、失敗を認めることは反日的だと言いつのり、良いところばかりを愛するのは愛国心ではない。心の痛みが伴わない愛国心は、フィクションにすぎません」

 時々、日本人の友人と話していて、深く違和感を覚えることがある。それは、
「日本人は優しい民族だから」
「日本人ておとなしいでしょ」
「日本人ほど平和を愛する民族は、世界中でも他にいないよね」
 ‥このような言説が、ほとんど常識として語られていることだ。近代史をコツコツ学んで来た人間として、また、歴史好きで、暇さえあれば日本史の書物を読んでいる人間として、何とも居心地の悪い思いを感じずにはいられなくなるのだ。
 “平和を愛するやさしい日本人”という日本人の自己像は、一体いつから育まれたのだろうか?そのセルフイメージと、時折ドキュメンタリー映像番組などで目にせざるを得ない、“中国の地方都市の城壁を大砲でぶち壊してその上によじ登り、「大日本帝国万歳―!」と叫ぶ日本軍人”、“竹槍を振りかざして「鬼畜米英!」と叫ぶ日本人”の映像との激しいギャップを、この人たちは脳の中でどのように処理しているのだろうか?と思うのだ。
 私が一番分からないのは、その人たちが、何故、日本民族だけが決して間違いを起こさない、完全な存在だと思い込めるのか?ということだ。人間は生きていれば必ず、時に道徳的な過ちを犯す。それは人間の集合体である国家であっても同じことだ。誰の人生にも黒く汚れたしみのような瞬間が存在するし、国家にもそれは存在する。これは、不完全な存在である人間と、その人間が作る国家との、避けがたい宿命だ。そのような汚れた過去を一切認めずに、自分は真っ白な、無謬な存在だと主張することは、鈴木氏の言うように、幻想でしかない。確かに汚点は恥である。しかし恥は避けられない。言ってしまえば、日本だけが恥を抱えているのではなく、現在地球上に存在するどの民族にも恥ずべき過去は存在するではないか。
 私が言いたいのは、恥を必要以上に恥じることはないということだ。或いは、恥を必要以上に恐れるべきではない。日本人は決して世界の中で特別に恥ずべき存在である訳ではないし、けれど特別に立派な民族である訳でもない。どの民族もそうであるように、欠点と優秀性を併せ持ち、残虐性と平和を愛する心をも併せ持った、ごく普通の民族だ。それが日本人であると私は考えるし、その自己像のどこに問題があるのだろうか。そのことを、鈴木氏は“心の痛みがともなう愛国心”と言っておられるのではないだろうか。
 痛みとは、自らの失敗、自らの恥を受けとめる時に生まれるものである。「原発の過酷事故は起こらない」と共同幻想を抱いてしまえば過酷事故を想定した対策が出来なくなるように、「日本人は決して間違いを起こさない、平和な民族である」と共同幻想してしまえば、一旦凶暴性が芽生えた時にそれを押さえることは難しくなる。日本人には凶暴性は芽生えないとでも言うのだろうか?しかし、日本人が有史以来常に平和を愛好して来たなどと思うのは大きな間違いであるだろう。歴史教科書の後ろに付いている年表をひもとけば一目で分かる。大和朝廷が誕生した5世紀以来、常に「何々の乱」が起こって政治権力が入れ替わり、その度におびただしい死者が出て街は焼かれた。わざと切れない刀で敵将の首を何度も何度も切って殺す、など、残虐なエピソードにも事欠かない。豊臣秀吉が朝鮮に侵攻した際に、記念品として朝鮮人の耳や鼻を切って日本に持ち帰り、塚にした耳塚も今も京都に残っているではないか。
 日本人は決して純粋に真っ白な、平和愛好民族であるのではない。世界のどの民族もそうである程度に、残虐性を抱え持っている。その残虐性を必要以上に恥じてはいけないし、恐れてもいけない。恐れずに見つめることで、私たちは私たちの残虐性を飼い慣らすことが出来るのではないだろうか。

             *

 このように考える私は、鈴木氏と同様、アジア諸国に対する日本の戦争責任を認める立場にあり、中国の方に問われれば、誰にでもそのように答えて来た。もちろん、自分なりに左右・中立それぞれの論者の文献を読み込みんだ上で出した結論だ。
 私が率直に戦争責任を認めた後で、それ以上この問題を中国の方に追究されたことはこれまでにはないし、友人の日本人の中で同様の状況に置かれ、同様の対応をした人で、それ以上追及された人の話はこれまで聞いたことがない。一般的に、中国人は責任を認めた人に「もっと謝罪しろもっと謝罪しろ」と言いたいのではなく、「日本人は何も悪いことをしていない」という言説に激しく反応する。この違いを認識する必要があるのではないだろうか。
 「日本の戦争責任を認めることが日中関係改善の最も基礎となる」と書いたのはこれに関係する。日本人と話していて時々感じるのは、中国に対する戦争責任を認めてしまうと、悪人と断罪されてその後の全ての関係が、ぐちゃぐちゃになってしまうのではないか?と、極度に敏感になっているのだな、ということだ。だからこの問題に触れない、或いは、見ようとしない。そういう人がとても多いように思う。
 しかし現実には、一旦率直に認めれば、中国人たちは「この人本人がやったことじゃないしね」という、しごく真っ当な反応に落ち着いて行く。一部過激な人が「きーっ!お前も謝れ!謝罪しろ!」といった反応をしても、周りの人が「戦後生まれのこの人に言っても仕方がないだろう」ととりなす、というパターンが一般的であると思う。
 もちろん、一人一人の方がご自分で各説を読んで判断されることだが、もしも日本の戦争責任を認める立場を取る場合は、そのことを必要以上に恐れることはないということをお伝えしたい。真摯な態度で相手国の人に語りかけること。それで十分であり、そこから新しい関係が始まると思うのだ。

 私が時々目にするのは、
「日本はもう十分反省してるってば。日本も東京大空襲とかひどい目に遭って、戦争の悲惨さを十分知ってるもの。だから二度と戦争はしないと誓ってる。それなのに中国はぎゃーぎゃーいつまでも言ってさ!きーっ」
 といったタイプの反応だ。しかし、中国・韓国など侵略を受けた側の人から見れば、
「あんたたちがひどい目に遭ったのは自業自得でしょ」
 としか思えない。私は、このような対応の仕方はとても効率の悪い、下手な手だと考える。「日本もひどい目に遭って云々」、「戦争自体が悲劇である」といった説明は、最初の段階では必要ないのではないだろうか。ただストレートに日本の戦争責任を認める。そこで互いの胸襟が開かれた上で、後日談として、日本もその重い代償を払うことになった、と話せば良いことだ。そしてその後日談を一歩ずつ広げて、戦後の平和日本の歩みがあることを説明する。確かに戦後の日本は平和な羊そのものであるし、また、他国侵略の意志がこれっぽちもないことは明白なのだから、その説明をすれば良い。話す順序を間違えてしまえば、伝わるものも伝わらなくなる。非常にもったいない、まさに下手な手だと言うものではないだろうか。
 そして、このように作られた道筋の上に、現在の両国間の最大の懸案――もちろん、それは尖閣諸島問題である――が登場するが、これは現在進行形の事案であるが故に、交渉の人種である中国との間には条件交渉が成立すると私は思っている。しかし、条件交渉の場に立つために最低限必要な共通認識というものがある訳で、それが、過去の戦争責任をどうとらえるかということ、少なくとも、過去を学び、自分の意見をもつことであるのではないだろうか。日本人は、どうも過去の問題と現在の問題を混乱したまま一緒に取り扱ってしまいるところがあると私は考えている。この二つの問題は分けることが出来るし、また、分けることが必要なのではないだろうか。

             *

 また、私の日記を中国の方もちらほら読んで下さっているようなので、最後に中国の方へメッセージを贈りたいと思うが、日本を責め続けたり、日本をスケープゴートにし続けることは、日本人の心を中国から離れさせ、その結果、何が起こるのか?アメリカにより寄り添うことになるだけだ、ということを、お伝えしたいと思う。
 実はこれは中国政府が最も望んでいなかった成り行きであるはずで、本当は、経済上でも軍事上でも日本と良好な、同盟国的な関係を築き、アメリカと覇権争いをする際の重要な碁石の一つする、という青写真を中国は持っていたはずだと思う――が、このままでは到底不可能となったのは自明のことだろう。
日本に敵対的に振る舞い過ぎることは、中国にとってもまた非常に下手な手である、ということをお伝えしたいし、恐らく私の日記を読んで下さっている方々は知日派、或いは現実路線の方々であると思われるので、私のこのような意見を、様々な形で、ゆっくりじんわりと、中国世論の中に広めて行って頂けたらと願う。

             *

 以上、またもや大変長くなってしまったけれど、上海・南京旅行を通じて考えた日中関係の今後についての日記を、これで終わりにしたい。
 今年、2012年1年間を振り返り、新しい年を迎えるに当たっての心構えについて書く日記はまた年明け1回目にお送りしたいと思うが、私にとって、9月18日に発表した日中関係に関するブログが莫大な反響を呼び起こしたことは、間違いなく、今年一番の大きな出来事だった。
 今、この年の終りに、あのブログを書こうと思った時のことをぼんやりと思い出す。あの1週間。野田首相の国有化宣言をきっかけに中国全土でデモが行われ、幾つかの都市で暴力破壊行動が繰り広げられた。叩き割られるガラス窓、裏返される日本車、日本を罵倒するシュプレヒコール‥日中関係の軋轢には慣れっこの私の心にもこれらの映像は深い傷を与え、16日の昼だっただろうか、近所のコンビニにお菓子を買いに行こうとぼんやり道を歩いていたら、すっと涙が流れて来た。何筋も何筋も涙は流れて止まらず、ああ、私は本当に傷ついているのだな、と初めて自分の傷の深さに気づかされたのだった。
 そして、しばらくして、私が書かなければいけない、と思った。一体あなたは何様なんだと自分に突っ込みたくなるが、その時は、訳の分らぬ使命感に駆られ、無我夢中だった。確かにテレビ画面の向こうから伝えられる暴動は真実だし、中国の政権交代が最も佳境にあることも真実だ。しかしその二つの事実がどうからまっているのか、分かりやすい言葉で語っている解説は一つも見つけられなかったし、また、センセーショナルなデモを冷静に見つめている多くの中国市民がいることも、ほとんど報道されていなかった。更に、ただデモの様子を繰り返し繰り返し報道するだけで、では、この中国と我々一般市民は今後一体どうつき合って行くべきなのかを、一般市民の立場に立って自分の言葉で語っている専門家も、皆無のように思われた。
 誰かがやらなければいけないだろう、という必死の思いが、私をコンピューターに張りつけにして、2日間、一切他のことは出来ず、ひたすら文章を打ち続けていた。そういう必死の思いは伝わるのだなと、今、しみじみと思う。

 今回の日記でも書いたように、日中関係の改善はそうそう一朝一夕には成し遂げられず、私が生きているうちには恐らく大して良くはならないだろうと予測している。けれどだからと言って、あきらめるつもりもない。冷静に状況を見ることと投げやりになることは、私の中では全く別のことだからだ。
 おそらく今回の日記を読んで下さった方の中には、「あなたの言っていることは、右なのか、左なのか」「あなたは一体、中国を信頼しているのか警戒しているのか」と、私の玉虫色ぶりに軽い怒りを覚えている方もいらっしゃるのではないだろうか。
 そう、私は玉虫色だし、それを悪いとは思わない。子ども向けの勧善懲悪物語ならともかく、現実の世界は利益が複雑にからみあう玉虫色の混沌としたものであることは自明のことだろう。それがこと対中国となると頭に血が上り、勧善懲悪や完璧な勝利を求めてしまうのは何故なのだろう?
 人は誰もが気高い一面と下品な一面を併せ持ち、国もまた同様だ。日本人全員が同じ考えを持っているのではないように、中国人も全員が同じ思想を持っている訳でもない。国と国との間には、強く押し通せる条件と押し通せない条件があり、交渉とは、その力と力との、条件と条件との交換である。複雑な世界をそのまま受け入れ、したたかに、その複雑性の中から一歩でも自分に有利に事を進められるよう努力を惜しまない‥このような当たり前の事実を日中関係に当てはめて認識する時に初めて、両国間の平穏な関係が築けると、私は確信している。単純明快さを求めてはいけない。白黒はっきりとした美しい世界をいさぎよくあきらめることが、国際社会の中で生きる初めの第一歩ではないだろうか。国を守るのは、究極的には純粋な愛であるが、愛を守ることが出来るのはしたたかで複雑な知性のみであると、私はそう確信している。

 9月18日以来、長い日記を何度も読みに来て下さった皆様、本当にありがとうございました。皆様にとって新しい1年が、佳きものとなりますよう――

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上海・南京旅行記(前篇)~~“反日”の真っただ中で考える日中関係 2012/11/08



 10月半ば、上海と南京へ旅行に行って来た。
 大分前から計画していた旅だったけれど、9月半ばにあの歴史的な反日デモが起こり、一時はキャンセルせざるを得ないのかしら‥と意気消沈。特に南京は、中国や香港の友人たちからも「ちょっと今回は危険なのでは?」「お節介かもしれないけど一言言わせて。中国人の友だちと一緒ならいいけど、一人で行くのは止めた方がいいと思う」とわざわざ連絡をもらうほどだった。
 しかし、10月に入って情勢も落ち着き、待ってましたと出かけることに。その旅で見聞きしたあれこれについて、今日の日記では書いてみようと思う。

 そもそも今回の旅には二つの目的があった。一つは、1930~40年代の建築物や、その時代に関する博物館を見て回ること。もう一つは、人に会い、街を歩き、2012年秋のこの中国を感じて来ること。
恐らくこの日記を読んで下さっている方の多くは後者、「今の中国」の方に関心があるとは思うのだけれど、まずは第一の目的から書いてみようと思う。

旅の目的その一 オールド上海、オールド南京を訪ねる
 今回、8日間の旅の間中、本当によく歩き回った。
 前回の日記にも少し書いたけれど、将来、1940年代に上海に住んでいた曾祖父を舞台背景に使った(主役ではないのです)文章作品を書きたいと思っていて、そのための基礎調査が今回の大きな目的だった。
 そもそも曾祖父が住んでいた建物が、今は上海大厦(英語名:ブロードウェイマンション)という名の5つ星ホテルになっているので、旅の前半2日間はそこに宿泊した。ひょっとしたら、深夜に曾祖父の霊が現れて過去の秘話を聞かせてくれたりして‥などという期待を少ししていたのだけれど、もちろんそんなオカルトじみたことは起こらず、いたって快適に、いわゆるシティホテルライフを満喫した。(5つ星だけれどそれほどお値段も高くなく、最近のホテルほど巨大ではないのでサービスもフレンドリーなかんじ。お薦めのホテルです。下がホテルの写真)
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 この建物は、そもそもは1934年に西洋人向けの高級マンションとして建てられ、やがて日本政府がまるごと購入。政府高官用の高級官舎として使用するようになった。戦後政界のフィクサーとなった児玉誉士夫を長とする阿片・戦略物資などの闇調達機関・児玉機関があったことでも有名だ。
 私の曾祖父は、そんな、何やら冒険話がいっぱい転がっていそうな謀略取引に関わっていた訳ではなく、合法の方の顔、中国を植民地として経営するための経済・金融関係の任務を帯びていた。今回、曾祖父がこのブロードウェイマンションから毎日通っていたであろう或る政府系の銀行、そして「興亜院」という、植民地経営のための省庁が入っていた建物(曾祖父はこの省でも官職を持っていた)、また、曾祖父が交渉相手としていた中国の要人たちの家々、日本陸軍・海軍の駐留施設、列強の租界経営の中核機関‥そういった、未来の作品に登場させたい建物を一つ一つ回り、建物の大きさや構造を把握し、また、或る機関と或る機関がどのくらいの距離を隔てて存在していたのか‥といったような、資料上で知っていた文字情報を体で理解するために街を歩き回っていた。
(下の写真は、そんな建物の一つ。石積みの壁に歴史が感じ取れる)
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幸いなことに、上海でも南京でも多くの建物はまだ昔の姿を保ったまま保存されていて、歴史好きの私にはたまらなく楽しい毎日だった。街をとことこ一人で歩いている時、私の中では、過去と現在が交互に現れてまた消えていたのだ。

             *

また、或る半日は、上海の福州路という道を行ったり来たりして過ごした。この道には大小の書店が集まっているので、各書店の「歴史書」のコーナーで、1930~40年代の日中関係史に関する本を買い集めていた。
もちろん、今では多くの本を日本でもネット購入出来るけれど、やはり現地で「歴史書」コーナーの前に立ち、「こんな本もあるんだ」と偶然手に取ってページをめくってみる。そしてまた隣りの本、また隣りの本へと、蜘蛛の巣が一目ずつ延びて行くように書籍がつながって行く楽しみは書店にはかなわない。おかげで帰りの荷物は本でずっしりと重くなってしまい、トランクに入れて超過料金を取られるのが嫌さに手荷物のスポーツバックに入れて持ち歩いていたら、肩が千切れるかと思うほどだった。
 また、「上海当檔案館」という、日本語で言えば「上海公文書館」に当たる資料館では、曾祖父に関する資料を発見することが出来た。ここにはまだまだ読みたい資料が大量に保管されているので、またの機会に、ただここに通うためだけに上海滞在をしたいと思う。

旅の目的その二 現地の“反日空気感”について
 さて、いよいよ現在の中国について。
 今、戦後最大に日中関係が冷え込んでいるこの時期に中国へ行った、と言うと、日本人の知人にまず質問されるのが、「何か怖い目に遭わなかった?」という問いだ。本当は、「街を歩いていたら中国人に因縁をつけられて、丁々発止と中国語で戦ってね」‥といった武勇伝でも披露したいところなのだけれど、残念ながら?拍子抜けするくらいに何も起こらなかった。
 例えば、デモたけなわの頃は、日本大使館から「危険だから日本人はタクシーに乗るな」指令が出されていたという、そのタクシーでは、私の発音で行き先を告げると外国人だと分かってしまうため、「何人だ?」と訊かれることもあった。
 この質問に対して、今現在、中国にいる日本人は皆一瞬のためらいを感じるはずだ。自分の国籍を堂々と名乗れないというのは本当に悲しいことだけれど、でも、「日本人です」と言ったらもしかしたら乗車拒否に遭うかも知れない。或いは何かケンカを吹っかけられるかも知れない。そのようなタクシー運転手はごくごく一部には違いないけれど、もしかしたら自分がそのごく一部に出くわしてしまった可能性もある。だから一瞬のためらいが生まれることになる訳だ。
 では、「韓国人です」、或いは、「アメリカ移民なの」などと答えるのか?それはあまりにも屈辱的じゃないか――タクシーに乗る、というごく日常的な行為をしようとするだけで、残念ながら現在の日本人は、中国でそんなためらいの渦に追い込まれてしまうという訳だ。

 もちろん、出発前に、この「何人だ?」問題については当然考えていた。そしてやはり私は日本人であることに誇りを持っているので、「韓国人だ」などとは言いたくない、と思っていた。たとえ「ここで降りてくれ」と言われることになっても、「日本人です」と言いたい。議論を吹っかけて来られたら、よっぽど凶暴そうな運転手さんじゃない限り、受けて立とうじゃないかと思っていた。実は、領土問題を語る時に使う単語も事前に覚えて出かけていた。けれど拍子抜けするくらいに何も起こらなかった。

             *

 例えば、ある晴れた日に上海で乗ったタクシーのおばちゃん運転手さんは、
「今の季節の上海は一番いいでしょう~。暑くもないし寒くもないし。運転手は暑いと大変なのよ~」
といいかんじだし、30代くらいの若めの運転手さん(男性)のタクシーに乗った時には、高速を走っている時に何と1台前の若い女性ドライバーがゲームをしながら運転をしていたようで、急停止(高速で!)。危うく事故になりかけた。その後二人で「ひどい!」「自分勝手過ぎるよ!」「ゲームしながらだからよく道を見てなくて、出口が分からなくなったんじゃない?」「そうだ。それに違いない!」などとバカ女子を罵り合いながら走って興奮冷めやらなかった。
 一度だけ、おじさんの運転手さんに、
「日本と中国の関係は今悪いよね。領土問題、君はどう思う?」
 と訊かれたことがあった。こちらとしては、いよいよ来たかー!と臨戦態勢に入り、
「えーと、日本には日本の考え方があってですね、」
 と途中まで説明していると、
「そういうのはさ、政府同士のことだよね。一般の庶民には関係ないよ。「作秀」って言葉、君は知ってるか?」
 と訊かれた。「作秀」というのは「目立つように華々しいパフォーマンスをしてみせる」くらいの意味で、彼の主張は、政治家たちが「自分は外国に弱みを見せない強い政治家だ」と主張するために、強硬姿勢を示す。或いは、人気取りのために愛国を主張する。今回の領土紛争はそんなショーみたいなものなんだよ、というものだった。
「庶民同士の交流には全く関係ないよね。我々一般の人間は、こういう一回一回の場で普通に楽しく過ごせばいいんだ」
 そう彼は言っていた。

             *

また、或る時は、と或る観光名所に見学に出掛けたら(普通の観光も少しはしているのです)、そこの係員のおじさんに話しかけられた。とても親切に、特別に施設内を細かく案内してくれて、その中で日中関係の悪化に話が及んだ時、
「戦争なんかになったらさ、被害を受けるのは結局一般市民だよ。誰が徴兵されると思う?僕の息子や、君の友人、家族だよねそんなことになったらどうする?空襲で死ぬのもみんな市民なんだよ」
「上層部の人は安全な核シェルターにでも避難して、絶対死なないもんね」
「そうだよ。戦争なんて本当にばからしい。絶対にごめんだよ」
 と力説していた。
 この他にも、日本語を話せる中国人友人とおしゃれカフェでお茶をしていたら、店員さんが日本語で「ありがとうございます」と話しかけて来てくれたり、上で書いた上海檔案館でも、申請の仕組みやマイクロフィルム機の使い方に不慣れな私に、全ての職員の方たちがこれ以上出来ないほど親切に説明をして下さった。以前、日本の国会図書館でやはりマイクロフィルム機の使い方が分からず質問したら、面倒くさそうに対応されたのとは対照的なほどだった。もちろん、国家の資料を見せてもらうので檔案館にはパスポートを提出しなければ入室出来ず、私が日本人だということは職員の方々に知られた上でのことだ。

             *

 また、直接会話をしない間でも、街ですれ違う人たちの対応もいたって冷静だった。
 日本語を話せる中国人の友人や日本人の友人と、地下鉄や道で日本語で話していても特に何も起こらなかったし、南京で、中国全土から観光客が集まって来る中山稜という観光名所に行った時も、日本語で話していても全く大丈夫だった。
 実は南京では、日本語は一言も話さないつもりだった。けれど、待ち合わせしていた現地ガイドさん(日本語ぺらぺらの方)と南京中央駅で落ち合った瞬間、
「ああ、日本語で大丈夫ですよ。南京は落ち着いてますから、平気平気」
 とにっこり笑顔で言われ、ここでもまた拍子抜けすることになった。

 ちょっと補足すると、実は今回、私は南京に友人が一人もいないので、安全のために日本から現地ガイドさんを手配していた。やはり、女の一人旅、何か事件に遭遇した時に現地に知人がいないと、本当に悲惨なことになりかねない。「用心棒としてガイドさんを雇う」という案を、かつての留学仲間で現在中国語ガイドをしている友人が提案してくれ(感謝!)、ベテランのガイドさんを手配してくれた。それであきらめかけていた南京行きが実現出来ることになった訳だけれど、そのガイドさんには、出発前にメールで「会話は基本的には中国語でしましょう」と連絡していた。しかし上記したように駅で会った瞬間に拍子抜けすることになり、そして本当に、怖いことは何も起こらなかったのだ。
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 そもそも、上海から南京へと向かう中国の新幹線=高速鉄道(上の写真)で、隣りに座っていた女の子の着うたからして、宇多田ヒカルだった。着メロではなく着うたなので、思い切り日本語が車内に流れている。それでも誰も、「日本鬼子の歌を流すな!」などと怒ったりしなかった。(ちなみに中国では電車内の携帯使用OK)
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 また、上海に帰る日、南京駅に少し早く着いてしまったのでぶらぶら構内を歩き回り、旅のお供の本を売る“駅ナカ本屋さん“を覗くと、雑誌スタンドのど真ん中に「宮崎駿本」がにぎにぎしく並べられていた(上の写真)。そう、現地の空気は日本で報道されるほど過敏ではないのだ。
       
反感と友好 混ざり合う現地の空気 
 でも、だからと言って、全く敵対的ではないかと言えばもちろんそんなことはない。
 例えば、南京で街を歩いていたら、派手に商売やってます風の大きな不動産屋さんの電光掲示板に、物件情報に混じって「釣魚島(=魚釣島の中国名)は中国の領土」というメッセージが5分おきくらいに流されていた。
 テレビを点ければ「時事解説」「今日の話題」的な、識者を招いてニュースを深く掘り下げる番組では、しょっちゅう尖閣問題が取り上げられていた。中国はテレビ局の局数が多く、そのそれぞれがこのような番組を持っているから、最低1日に1回は尖閣を論じる番組を見かけることになる。
 また、普通のニュースの中でも、日本政府の動き――例えば、玄葉外務大臣がどこの国へ行ってどんな発言をしたのか、国会議員の靖国参拝について、など――と、そして、アメリカ軍の動きに関するニュースは細かく採り上げられていた。一番スポットライトが当たっているのは今のところ日本だけれど、その背後にいる存在として、アメリカの動きに中国が神経をとがらせていることが伝わって来る。
 また、私自身はタクシーで一度も嫌な目には遭わなかったけれど、現地に住む日本人の友人からは、日本人ビジネスマンが酔っぱらってやや大きな声で日本語で喋りながらタクシーに乗ったりすると、運転手さんがわざと大音量でラジオを流し、嫌がらせをする、という話を聞いた。中国のツイッター・微博で、中国人の女の子が「今日、日本人の中年の女性が乗車拒否をされて悲しそうな笑顔を浮かべているのを見た」とつぶやいているのを読んだこともある。今回の私の中国滞在は8日間という短いものだったので乗車拒否に遭わなかっただけで、現地で暮らしていれば1度くらいはそういう目に遭うこともあるのかも知れない。

             *

 また、上海の紀伊国屋書店的な大型書店では、店に入ってすぐの、一番目立つ場所に尖閣問題関連の本が山積みされていた。こういうものを見ると日本人は少なからず緊張してしまうけれど、でも、しばらく見ていても立ち読みしている人は全くいなかった。購入している人も、いない。その書店に行く機会が2日間あったけれど、2日間ともいなかった。唯一購入したのは、そう、私(笑)。政府が発行した小冊子と、研究者が書いたもの、2冊を購入してみた。議論や交渉をする時には、まず、相手の主張をよく研究しなければいけないのだから!
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 この2冊、自分でレジへ買いに行こうかどうしようかと思ったけれど、中国人の友人が「万が一何か起こるといけないから」と、奪い取るようにして代わりにレジへ行ってくれた。こんな小さなことにも小さなためらいが生じ、小さな熟考が必要とされる。それが現在の日中関係だという訳だ。

             *

 それでも、この大型書店でまた別の階へ上がると、日本語学習教材のキャンペーン中で、専属スタッフがエスカレーター前で一生懸命チラシを配っていた。少し離れた所に小さなブースが設置されていたのでちらっと覗いてみると(スタッフはチラシ配りに夢中でブースは無人)、
「日本語を勉強して、J-POPやアニメの情報をがんがん入手しちゃおう!」
といったコピーが書かれたかわいらしいPOPが置かれ、その前の小さな台には申込用紙が2枚載っていた。読んでみると、「無料学習1回OK。希望者は連絡先を書いて下さい」と書かれていて、実際に申し込んだ人の氏名とメールアドレスが記入されていた。めちゃくちゃ個人情報だけど大丈夫かな?と思うと同時に、無造作に、こんな、日本語学習への興味を示す個人情報を置いて行っても平気なほど、上海の世論は落ち着いているということだ、とも思った。そもそも日本語教材をキャンペーンしていても誰も妨害していないし、怒り出す人もいない。そして、こんなにも日中関係が冷めている中、それでも日本語学習に興味を持つ人もいる、という訳だ。

 
中国人の本音と、その本音をどう汲み取るか
 以上、私が実際に見聞きしたことを総合して分かることは、上海でも南京でも、尖閣諸島問題に神経を昂ぶらせ、日本に強い反感を持ち、実際に大小の行動に移す人もいる一方、大多数の人は日本人と同じく、大人の対応をしているということだ。 
 もちろん、日本人が「こうこうこういう理由で尖閣は日本の領土だ」と思っているのと同様に、中国の人もそれと同じくらいの強さで、「こうこうこういう理由で尖閣は中国の領土だ」と思っている。領土問題とはそういうものだろう。
 また、今回の一連の成り行きについては、「今まで棚上げを原則にして経済上での実利を図って来たのに、今回、日本の方からその状態を破った」と、日中双方に何の利益もない、こんなバカなことを何故わざわざ仕掛けて来たんだ、と呆れている人も多い。でも、目の前にいる日本人を罵ったり、暴力を加えたりはしない。それが大多数の中国人が取っている行動であり、そしてまた、多くの人が心の中で、とにかく戦争だけはごめんだと思っていることも透けて見えて来るのではないだろうか。

 現在の中国は、文革時代とは違う。全員が同じ意見を持っている訳ではないし、全員が暴力的に振る舞う訳でもない。日本のニュース報道の多くは、何かが起こった時にだけ中国の対日感情を報じる。例えば、「上海の飲み屋で日本人が殴られた」。それは事実だけれど、大部分の日は何も起こっていないこともまた事実だ。両方報道しなければ公平ではないけれど、「今日も何も起こりませんでした」ではニュースにならないから、当然報道はなされない。
 多くの日本人は、日本のワイドショーや週刊誌、そして時には新聞報道でさえも、かなりテーマの択び方が恣意的であり、ずさんな取材も意外と多いとことに、近年嫌というほど気づかされていると思う。それが、中国報道についてだけは急に正確で公平な取材をしている、と思い込むのは片手落ちというものだろう。
 日本の中国報道には、或る程度偏りがある。そのことを前提として、今はSNSがこれだけ発達しているのだから、中国現地に住む日本人ビジネスマンや、“本社の意向”から自由なフリー日本人ジャーナリストの生活実感ある発言をもっと追うようにした方がいいと私は思う。私自身も日々そうやって、現地の空気感や情報を収集している。
 もちろん、中には最近話題の加藤嘉一氏のような怪しい人物も混じっているが、彼の、経歴だけではなく発言の怪しさも、早くから中国ウォッチャーの間では指摘されていた。大手マスコミは見抜けなかったのか、それとも知っていて敢えて起用し続けていたのだろうか?いずれにしろ、この問題一つ取っても、大手マスコミから発信される中国情報だけを追っていては正確ではないし、スピードも遅いことが分かって頂けると思う。

 そして、日本の報道だけではなく、欧米やアジア各国がどのように尖閣問題を見ているのかも――日本のマスコミによる紹介を通してではなく――自分で直接記事を読みに行った方がいいと、私は思う。本当に、ため息をつきたくなるばかりだけれど、世界は単純ではないことをつくづく思い知らされる。外交は経済とからまり経済は軍事とからまり軍事は外交とからまり合っている。アジア、アメリカ、ヨーロッパの各国は、利益と不利益を複雑に共有し合っている。「外交だけ」「日中間だけ」で解決されるシングル・イシューなど存在しない。今回の旅の間、中国人、日本人の友人と日中関係についてたくさんの話をしたけれど、みんな、どうやってこの問題を改善して行くべきか頭を抱えていた。もちろん、私自身も頭を抱えている。或る友人とは4時間余り話し合ってマラソンでもしたようにへとへとに疲れてしまった。この問題の解決は、本当に難しい。けれど、勇ましい発言やただ危機を叫ぶ発言を繰り返すだけでは何も解決しないことだけは確実だろう。

 もちろん、中国と戦争をしたいならそれでもいいと思う。領土問題は、双方が自分の主張をそのまま突き詰め合えば、結局戦争で決着をつけるしかないのだから。だけどそれで本当に良いと思う日本人、そして中国人がどれほど存在するのか。
 私の話した全ての中国人が、戦争はごめんだと言っていた。そしてそれが中国の大多数の人の考えであるとも述べていた。「もしや戦争になるのか」という黒い雲のような不安が、あのデモの時に生まれた、と。
 もちろん、中には「今すぐ日本と開戦だ」と息巻く鉄砲玉のような人もいるにはいるけれど、それはあくまでも少数派だ。大多数の中国人は、日本のことをあまり、或いはかなり好きではないけれど、戦争だけはごめんだと思っている。この世論の空気感は、実は日本と変わりないのだ。
だとしたら一体どうすれば良いのだろうか?

尖閣問題の落とし所
 ご紹介したいのは、ふるまいよしこ氏という中国在住の日本人ジャーナリストの方の見立てと意見だ。 私は、必ずしも毎回ふるまい氏と同じ見立て・意見を取る訳ではないのだけれど――それは二人の人間の意見が常に一致する訳などないので当たり前のことだ――今回の尖閣問題衝突の“落とし所”については、下にご紹介するふるまい氏の意見に全面的に賛成する。本当は、この私のブログで同様なことを書こうと思って準備していたのだけれど、先に書かれてしまったらもう蛇足になるだけだし、紹介する方が私もずっと楽でありがたいので、そのまま一部を引用させて頂く。

「最近の中国国内報道を読んでいると感じるのは、尖閣「国有化」問題における中国政府の落とし所は「日本に、尖閣をめぐる領土問題が存在することを認める発言をさせること」だと感じている。やっぱり中国政府は、「国有化」が石原購入案後最良の方法だと分かってんのね。」

「となると、日本としては「尖閣は日本の固有の領土だ。これは間違いない。中国(と台湾)は異論があるらしいケド」的な文言でごまかせば、事態を早いとこ適当な落とし所に落ち着けたい中国政府は、国内への翻訳を使って「日本がそう言った!」ということを大宣伝して、「勝った!」とか言って終わらせるんじゃないか、という気がする。彼ら、意外に単純だから。」
(ブログの全文はこちらで↓)
http://wanzee.seesaa.net/article/300372211.html#more

 ふるまい氏と同様、私も、かたくなに「領土問題は存在しない」と言い続けるのはもう無理ではないかと思っている。正式に国際司法の場に提訴しなくとも、
「我々自身は領土問題は存在しないと思っている。しかしそれを認めてない国があることは認める」
 という、どちらとも取れるマジカルな文言を作り、お互いが好きなように解釈出来る状態へ持って行く。それが一番賢明な道ではないだろうか。外交とは、それぞれの国がそれぞれの正義を貫くことではなく、少しずつ妥協し合い、共存のための方便を探すことだと私は思っている。その方便をいかに作り出すかというところに、外交の腕の見せどころがあるのではないだろうか?
 今回の旅を通じて、反発し合っているようでいて、日中の一般市民が望んでいる方向性は一致していると、私は思った。戦争はしたくない。経済の共倒れも困る。自国の面子は守りたい。日中両国は、この三つの意志を共有している。実は両国を見守る周辺諸国の人々だって、三つ目はどうでも良いだろうけれど、前の二つに関しては同意見だろう。
 「日中関係の根本的な改善」という命題は、あまりにも難しく、道のりははるかに険しい。けれど、今回の尖閣諸島をめぐる衝突なら、落とし所はあるのではないか。街を歩き、人と話し、そのことを確信した今回の旅だった。

 ‥ところで、この旅日記では、まだまだ書きたいことがあるのだけれど、ここまでで既に1万字近く書いてしまったので、もう1回に分けて、前後篇2回ものにしたいと思う。
後篇では、「南京大虐殺博物館訪問記」、「南京、不思議な街」、「反日デモで暴れた実働部隊、農民工の怒りの源泉」「反日教育とは何か」といった話題について書きたいと思うので、また読みに来て頂けたらとても嬉しい。
 ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。今日は一旦ここで筆を擱きます。

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明日、中国へ 2012/10/15



明日から、1週間、中国旅行へ出る。今回の旅の目的地は、上海と南京。誰と会い、どこを見るか?手配も終わり荷物の準備も完了して後は出発を待つばかりの夜は、心なしかいつもより長く感じられる。

今回の旅行には、実は大きな目的がある。それは、母方の曾祖父の足跡を訪ねて歩くというものだ。
私の曾祖父は、1940年代に上海で暮らし、南京へも出張で度々訪れていた。外国暮らしを嫌う曾祖母が東京に残ったため、単身での上海暮らしであり、どうやら中国人の恋人もいたらしい。そして上海で重い病にかかり、日本へと緊急搬送。間もなく東京で息を引き取ることになる――

             *

今も日本と中国の関係に暗い影を投げかける、1930年代から40年代にかけての日本の中国侵略。その最重要都市であった上海で、曾祖父は明治以降の近代日本が自ら作り出した矛盾と罪を、一身に体現する立場に追い込まれた。
日本の負の歴史であると同時に、私の血族の負と苦しみの歴史である、この、曾祖父と上海との関わり。その歴史について、私は中国に興味を持って以来長い間目をそらし続けて来た。しかし、2008年、李安監督がこの時代の上海に生きた人々を描いた映画『色、戒』(日本題『ラスト、コーション』)を観た夜、全てが一変する。その夜、まるでスクリーンの向こうから曾祖父が私に呼びかけて来たかのように、「この時代に真剣に向き合わなければいけない」という思いが、母親の肌を食い破って世の中に生まれ出る鬼子にも似て、私の中に湧き上がって来たのだ。
以来、4年間、日中戦争史と日本の占領政策史、また、日中秘密和平交渉史に関わる基礎資料を読み込み、今年、上海と南京へ行くだけの最低限の資格が、私の中にようやく出来上がったと感じた。その思いを胸に航空券とホテルの手配を進め、全ての予約を終えた9月、中国で、あの、歴史に残る反日暴動が起こる。私は居ても立っても居られぬ思いでブログを書き上げ、信じられないほどの大きな反響を受け取ることになった‥
今、私は、自分と中国との深い縁、いや、縁というやわらかな言葉では言い尽くせない、何か強い因果のようなものをひそかに感じている。私が明日宿泊するホテルは、曾祖父がかつて住んでいた住居だ。時代、血、国家‥個人を越えた大きなもの。そのうねりの中で曾祖父はきっと、私を万感の思いで迎えてくれると思う。いつの日か、1930年代・40年代の上海を、現代の上海そして東京に接続する作品を書くこと。それが私の人生の目標であり、そのための新しい一歩を、明日から歩いて来ようと思う。今、この夜、耳元に、上海のあのなつかしいざわめきが聞こえる――

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最近の日中関係悪化に当たって思うこと(前回の補足) 2012/09/30



中国で起こった反日デモについて、「100都市以上で開催!」「尖閣沖に向けて中国漁船1000隻出発!」「打ち壊される日本企業工場!」と続々と伝わる強烈なニュースをそのまま真っさらに受けとめるのではなく、もう少し立体的に眺めるための初めの一歩になれたら‥そんな思いで書いた前回のエントリーが、信じられぬほどの大反響となりました。
FacebookとTwitterでの推奨クリック合計が約3万1千回以上。ブログ村での応援クリックが約5万回以上に及び、もちろん、重複して押して下さった方もいらっしゃると思うのですが、何も押さなかった方もいらっしゃると思われ、合計するとやはり8万人くらいの方に読みに来て頂いたのではないかと推測しています。(私はサイトに訪問者のカウンターをつけていないため、正確な数が分からないのです)また、多くの皆さんからメールも頂戴しました。

そもそも私はブログにも書いた通り、国際政治学や日中関係論の専門家ではありません。
そんな私が今回書かずにいられなかったのは、
「どうやら中国の至る所でデモが暴徒化しているみたいだ‥」
「中国人は一人残らず日本人を憎んでいるのかねえ。そんな国とはとてもやって行けないな」
そのような、単純で、不安と怒りに満ちた見解が、ふだん比較的良識高く暮らしている友人知人の中にも見られたことに、衝撃を受けたからです。
また、以前中国に留学や駐在をしていたことがある方、或いはまだ中国語がそんなに上手く喋れないけれど今中国に駐在して頑張っている方、中国に親近感があり中国関連のニュースは時々チェックしている方‥そんな親中派知人も大きく動揺し、
「自分がかつて(或いは昨日まで)過ごした中国の印象は悪くなかったのに、国有化問題を境に全てが変わってしまったのだろうか?」
そんな疑問に苦しんでいる姿も、私にとっては大変衝撃的でした。これを何とかしなければいけない。そんな思い寝ても覚めてもとり憑かれたようにして二日間を掛けて書いたブログがこれほどまでに多くの方の支持を頂いたことに、感無量の思いです。

私としては、
*共産党は単純な一枚岩ではなく、非常に複雑な政治体だということを理解してもらいたい
*中国人全員が単細胞な暴徒である訳ではなく、理性的な市民も数多くいることを理解してもらいたい。そして、理性的な市民と上手く連帯出来るように、日本の世論も賢くありたい
*「反日」が政治的に利用されやすいことを理解した上で、中国と向き合ってほしい

この三つのことを理解して頂けたら‥と願って書いた文章であり、頂いた反応を見る限り、所期の目的はかなり達成出来たのではないかと思っています。
ここから先は、私などよりもずっと多くの情報ソースをお持ちの中国政治を専門とする学者の方々、また、中国問題専門のジャーナリストの方々が書かれた書籍や寄稿を読んで頂きたいと思っています。そもそもがその橋渡しになることを願って書いた文章だったのですから。

             *

そんな訳で、最近の日中関係をめぐるエントリーは、今日のブログで一旦終わりたいと思っていますが(もちろんこれからも折りに触れて書くつもりですが)、幾つか、前回書き足りなかった補足説明的なことがあるので、この後書いてみたいと思います。また、日中関係は今後どうあるべきなのか?日本人は中国とどうつき合って行くべきなのか?そういう大きなグラウンドデザインについての私の意見を、最後に書きたいと思います。

まず、前回のブログで書き足りなかったことについて。
その第一は、チャイナ9をめぐる椅子取りゲームについて、です。
ただでさえ文章が長くなっていたので前回は話を政治局常務委員=チャイナ9に絞りましたが、
実はこの椅子取りゲームは、9人のポストだけをめぐって行われている訳ではありません。
党や政府の要職、都道府県知事に当たる各省のトップ。そういった重要ポストにいかに自分の派閥の人材を押し込めるか?また、全国の警察組織の要職には誰を?軍の要職には?トップのチャイナ9から始まって、全国の要職を広大に網羅する中国ならではの大スケールの派閥闘争が、繰り広げられているという訳なのです。

しかも――これも話が複雑になり過ぎるため前回は書きませんでしたが――そこには、“時間軸”という観点も存在しています。
例えば胡錦濤氏と温家宝氏は70歳定年を迎えるため今年で政界を引退すると前回書きましたが、では、例えば胡氏が故郷の安徽省に帰って毎朝太極拳でもしつつすらすらと墨で漢詩をしたためながら暮らすかと言えば絶対にそんなことはなく(表面上は目くらましとしてそうするかも知れませんが)、全国各ポストに送り込んだ自分の息のかかった人材を裏で操りながら、新主席・習近平氏が定年引退する10年後、今からそこを睨んで、これからも一日一日采配を振るい続ける腹づもりなのです。だから、チャイナ9を含む全国の主要ポストの椅子取りゲームは、10年後を睨んで行われていた訳です。
この時間感覚の長さはまさに中国的です。
しかもこれは決して胡錦濤氏側だけが行っていることではありません。10年前に政界引退したはずの江沢民氏。この化け物のような老人が、既にこの10年間、日々胡錦濤氏を妨害しつつ(笑)やり続けて来たことなのです。

             *

ここに私が前回書き足りなかったもう一つのことがあります。それは、中国の政治闘争の度を越したすさまじさ。それ故に生まれる一種の“物語的面白さ”ということです。
人の国の政治を「面白い」などと不謹慎な!と言われてしまうかも知れませんが、自分の国のことではないからこそ一歩引いて見ることが出来、面白がることも出来る。
だって、まるで妖怪のようではありませんか!胡錦濤氏と江沢民氏、二人はこれからもどちらかの命が先に尽きる日まで、ワイヤーアクションで吊られて華麗な技を繰り広げる香港映画の“竹林の奥に住む武侠の達人仙人”のように、長い長い戦いを繰り広げる…そんな絵が見えて来ます。

或いはこんな風に見るのも面白くはないでしょうか。
今回、私のブログをリツイートして下さった方のツイート一覧を時々拝見していたのですが、3000リツイートに一名くらい、「チャイナ9とか何かかっこいいな」とか、「チャイナ9か。三国志好きにはたまらないぜ」と書いてらっしゃる方がいて嬉しくなりました。
そう、不謹慎かも知れないけれど、面白いものは面白い。これほどまでに時間的にも空間的にも壮大、且つ内容がすさまじい政治劇が見られる国など他に存在しないと思うのです。
彼らが繰り広げる攻防のあり様は本当にすさまじいものです。敵派閥を攻めるための突破口(=汚職の証拠と発表のタイミング)を見つけると、その人物には、死刑、全財産没収などの激しい罰が容赦なく執行されます。本人だけではなく、一族郎党、天国から地獄へ真っ逆さま。そもそも汚職の金額や暮らしぶりもまたとんでもなく豪華です。三国志、水滸伝、項羽と劉邦といったような、中国古代王朝の興亡を描いた歴史物語を読んでいるように思えてならないのです。
思うのですが、江沢民氏にしろ胡錦濤氏にしろ薄熙来氏にしろ習近平氏にしろ誰にしろ、21世紀なので便宜上は仕方なく背広を着て眼鏡をかけたりしていますが、本当は、項羽や劉邦が着ていたあの服、諸葛孔明も着ていたあの長い服を着て胸まである髭でも生やしている方が、ずっとふさわしいのではないでしょうか。
中国は、どこまで行っても中国。いまだ古代王朝風の政治史劇が続いている国。いや、内政に関してはどうしてもそうなってしまう国だと考えた方が、何かこちらにも対処の仕方があるように思えてなりません。
そう、一人の皇帝が君臨して国を治める「王政」方式は、一応1912年に滅ぼされた清で最後となったはずですが、その後小国が乱立する五胡十六国時代のような一時期が続き、夷狄(含:日本)の侵入も受けた後、「民」の国が、立つ!…が、すぐ滅ぼされて南海の小島に移り、「共」の時代となる‥このように考えた方が、何かすっきりとして来ないいでしょうか。
もちろん、「民」の国とは蒋介石が率いた「中華民国」のことであり、「共」とは毛沢東率いた「中華人民共和国」のことです。その五代目が、間もなく即位するのだ、と‥

もちろん中国もこれからは、亀の歩みではあるものの透明度の高い民主政治へと三歩歩いて二歩下がりながら向かって行くことと思いますが‥例えば我々日本でもほとんど全ての人が「原発みたいに危険なものなど無しで済む国でありたい」と思ってもなかなか簡単には全廃することが出来ていないように、中国もそうすぐには変われません。それに一々キーキーいきり立つよりも、「ヤツら、またこんなぶっ飛んだことやってるよ」「うわー周永康ってほんと悪役キャラ」と面白がりながら観察した方が、相手の思考方法が分かり、攻めどころも、逆に今は攻めない方がいい時期だなということも、見えて来ると思うのです。
そう、こういう言い訳を引っ提げて、常日頃私は『多維』『博訊』などといった中国の裏政治ネタが集まるサイト(中国語で書かれています)を、特に仕事の原稿が書けない深夜などに目をらんらんとさせて読んでいます。もちろん多くの日本人の方にとって中国語のサイトを直接読むことは難しいと思うので、
『Useless Journal of China』
http://d.hatena.ne.jp/ujc/ 
『KIMBRICS NOW』 
http://kinbricksnow.com/archives/cat_50046504.html
などのサイトを時々覗いてみることをお薦めしたいと思います。私は、これらのサイトを見るといつも「同好の士がいるのだなあ」と嬉しくなります。日々繰り広げられる中国の政治暗闘ニュースを日本語に翻訳しつつ、皮肉の利いた文章で解説してくれています!

             *

巨大で複雑で色々とトンデモなくて、でも、市場としてはかなり魅力的な国、中国。
この国と、結局のところ皆さんはどうやってつき合って行きたいと思われるのでしょうか?どうつき合うことが一番日本のためになると思われるでしょうか?戦争?それとも盲従?その大きなグラウンドデザインがないまま一つ一つの事象に恐怖をおぼえたり激怒したりしていても、意味がないと私は思うのです。
私の考え、つまり、最終的な目標地点は、前回のブログにも書いた通り、「そこそこの関係を作ること」です。気に食わないところもいっぱいあるけれど、戦争をすればどちらが勝っても(と言うよりゲリラ戦法を取れば半永久的に戦争は続けられますし)、お互い国力の大きな減退は目に見えているから、そうならないように渋々握手する関係。中国に対して怒りや恐怖を感じた時には、いつもそこに戻って冷静に意見をまとめ、発信し、行動する。そんな日本になれたらいいなと思っています。
そして、この時に問題になって来るのは“軍事力”をどう扱うかということではないかとも考えています。この問題に関しては、盲目的な友好主義には、私は反対の立場です。中国の中に、激しい反日主義者や、覇権主義者がいることは事実なのですから、その勢力を警戒しなければならないし、抑止力としての或る程度の武力(アメリカとの提携を含む)を、日本の側も持っていなければならないと思っています。
中国人とつき合っていて思うのは、日本人とは美学が違うということです。日本人は、最後の最後のところは損得を無視して、無謀と分かっていても突撃。花と散って死ぬのを美しい生き方とする。そういう美学を持っています。しかし中国にはそんな美学は存在しません。中国人の美学は、したたかに状況を読み取って一手でも二手でも良い手を指し続け、どこまでもどこまでもしぶとく生き延びて何事かを成し遂げるというところにある。だから、血気盛んな軍人でも、必ず冷静な計算をします。こりゃあこっちも被害がかなり出るぞという戦争は、決して仕掛けて来ません。
だから、武力は蓄えておかなければいけない。けれど、刺激し過ぎてもいけない。また、戦前のように武力に関わる人間が「無謀な突破で花と散ろうぜ」と言い出さないように、常に武力の側にいる人間たちを監視もしなければならない。もう、そんな難しいこと出来ないよ!と言いたくなるけれど、覚悟を決めてやって行くしかないのではないでしょうか。

今回、全国の皆様から頂いた感想の中に、少なからず、「あなたのブログを読み終わった時、涙が流れました」という言葉がありました。その涙は何故流れたのだろう?と私は考えます。(実は私も書きながら涙が流れていました)
思うのは、戦後70年近く、幸運にも戦争をせずに生きて来られた日本人が、今回初めて、あまりにも理解し合うことが難しい巨大な他者と向き合い、薄氷の思いで平和を維持して行こうとすることの苦しさ。その苦しさを私は今日々感じて生きているし、読んで下さった方もそれを読み取って共感して下さったからこそ、涙は流れたのではないでしょうか?
それでも、苦しくても、やり抜かなければならない。日中関係は今戦後最悪の地点にいるけれど、私は頂いた反響に、やはり希望も感じています。それは、「これまでただただ中国を憎んでいたけれども、そう単純な話ではないということが分かった。もっと中国を研究しなければいけない」「全てがもやもやしていたけれど手がかりが出来た」という感想を、何通も頂いたからです。日本の多くの人たちは、これほど怒りや不安が高まった中にいても、解決策や客観的な情報をしっかりと探し出そうとしている。もちろん私のブログなどはその小さな小さな一歩に過ぎないのであり、これからも皆さんの探究は続いて行くでしょう。その賢明さ、良識の高さに、私はやはり希望を感じています。

一方で、苦言を呈したいのは、一面的な情報だけを伝えて人々の不安や怒りを煽るだけ煽り、解決のために何の提言もない一部の大手メディアです。大衆的な媒体であるからこそ、建設的な試みをすれば大きな成果を産み出すことが出来るのに、本当にもったいない。その一言に尽きます。
「だってざっくばらんに言えばさ、真面目な内容じゃ売れないんだよ」
「タイトルだって記事だって、扇情的にするのは当たり前でしょう?地味じゃ見向きもされないんだよ」
そう言うのでしょうか?
だけど今回ばかりは私はこう反論したいのです。私のような無名の人間が書いた、かなりかなり長ったらしい文章がここまで読まれたということは、こういうことにこそ、多くの人が本当に、心の底から探し求めているものがあったということではないでしょうか?
どうやったら、中国と戦争をしないで済むのか?お互い多少の痛み分けとしながら共存して行く道はどこにあるのか?そもそも中国人とは一体何を考えている人々で、どうつき合って行けば戦争に至らずに済む関係が築けるのか?多くの日本人が本当に知りたいと思っているのは、そういう、掘ってみれば単純ではないことがありありと見えて来る、複雑で客観的な情報、そして丁寧な分析、提言であり、それをきちんと追い続けることは、私のブログがここまで読まれたことを見れば、案外、売り上げにだってつながるのではないか。私はそう伝えたい気持ちでいっぱいです。

             *

本当は1回で終わるはずだったのに、あまりの反響に2回続けてエントリーした今回の日中関係悪化に関する考察、ひとまずはこれで終わりたいと思います。
もちろん、これからも私の中国に関する興味は尽きることなく続いて行くし、地道な民間交流活動のお手伝いをこれから新しく始めようとも決めているので、折りに触れて、日中関係について、或いは中国人と個人的に・民間レベルで、上手くやって行くための方法について‥そんなことを何かしら書くこともあるかと思います。(これまでもそう言ったことは書いて来ましたし)また時々このブログを覗きに来て頂けたら嬉しく思います。

しばらくは、本業の“あれこれ色々なことに手を出しているライター”に戻ります。
仕事をしつつ、このブログでは、女性の生き方、日々の暮らしの中でふと感じた喜怒哀楽について、また、趣味の着物についてのコーディネート日記、哲学・文学・美学についての論考も時には書いて行きたいと思います。今回を機に私のブログを知って頂いた皆様、どうぞまた時々遊びに来て頂けたら嬉しく思います。
そうそう、来月には、1週間ほど、渦中の中国へと旅行に出る予定です。安全には最大の注意を払いつつ、中国の今の空気を読み取って来ようと思っています。
本当にこの度はたくさんの皆様に読んで頂きありがとうございました。心より心より、感謝申し上げます。

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中国・反日デモ暴徒化の背景と、日中関係の今後~~最も基礎から解説! 2012/09/18



中国で連日強烈な反日暴力行動が続き、多くの方から意見を訊かれるので、このブログにまとめてみたいと思います。
もちろん、ネット上には既にたくさんの中国政治専門家の方の解説が現れていますが、専門家だけに、「これくらいの基本背景は分かってるよね」という前提で書かれているものがほとんど。しかし友人たちと話していて思うのは、多くの日本人はこれまで「あの国って何となくうさんくさい」と、中国に関わるのを避けて生きて来たため、中国通の方から見ればごく基礎の基礎の、スーパーベーシックな知識も全く持ち合わせていない。だから、専門家の方々が易しく書いたつもりの解説を読んでも、いま一つ分からないまま終わる‥そんな状況が生まれているように思います。そしてそこから中国に対する新たな誤解や、間違った対処法も生まれてしまうように思うのです。
そこで、私のブログでは、アホらしいから専門家は書かない最も基本的なところから始めて、現在の過激デモがどうして生まれたのか、そして今後どう推移して行くと思われるのか、日本市民は彼らとどうつき合って行けば良いかについての私なりの意見まで、お伝えしたいと思います。

デモ過激化の背景には、中国共産党内部の熾烈な派閥闘争がある!
まず、今回の過激なデモの背景として必ず押さえておかなければならないのは、今、中国が激烈な政治闘争の中にあるということです。しかもその最高潮に達した時期にある。今回の過激デモは決して単純な反日デモではなく、中国内部の政治とものすごく大きな関わりを持っているということを、理解する必要があると思います。

では、今、中国政治で何が起こっているのか。これについて書いてみたいと思います。
私が色々な日本人の方と話していて思うのは、多くの日本人の皆さんは、中国共産党はびしっと一枚岩で一致団結していると思っていらっしゃる。
また、現在の共産党のトップ=総書記であり、したがって国家のトップ(=中国ではその地位を「国家主席」と呼びます)でもある胡錦濤氏が、絶対的な権力を持って党を統率していると思っていらっしゃる。この二つは共に誤解です。
中国共産党上層部には幾つも派閥があり、常に激しい闘争を繰り返しています。また、毛沢東時代とは異なり、現在の最高政治判断は全て会議によって下されています。意外と民主的(笑)なのです。‥しかし、もちろん裏がありますが‥

13億の国を動かすたった9名の人間とは?
さて、この最高政治判断を下す会議を、「中国共産党中央政治局常務委員会」と言います。要するに、共産党の役員会議。普通の国なら国の政治は、選挙によって択ばれた政治家から成る内閣が動かしますが、中国には選挙がなく一党独裁なので、共産党の役員会議で国を動かしてしまっている訳です(恐ろしいことですね‥)。
メンバーは、9名。胡錦濤氏も、震災の時に被災地を訪問に来た温家宝氏も、この常務委員会のメンバーであり、つまり、常務委員です。“チャイナ9”という呼び方がありますが、あれだけの人口を抱える中国を、最終的にはたった9名の人間が動かしているのです。

この常務委員会には、毎月2回開くこと、などといった開催規定がある訳ではありません。何か行政上の問題が生じた時に、その都度召集。そしてあの巨大国の進路が、9名での多数決によって決定されているという仕組みとなっています。
多数決と言うととても民主的で、何だか小学校の学級会のようなほのぼの感がありますが、チャイナ9の多数決。これは世界で最も重い多数決と言えるかも知れません。

さて、この常務委員9名には、序列がつけられています。その序列は、
1)これまでの職務歴
(何省のトップを務めたか。その省の重要度はどのくらいか‥といったこと。日本に例えれば、経済的にあまり規模の大きくない岐阜県のトップを務めていたという実績より、大阪府の知事を務めていた方が評価は上になります)

2)実績
(実際にどんな実績を挙げたか。たとえば、在任中に経済成長を押し上げたとか、犯罪撲滅に成果を挙げたとか)

といった、「或る程度」客観的な評価から成っています。現在、胡錦濤氏が序列1位であるため、共産党の総書記、そして同時に国家主席の地位についているという訳です。
だから、9名の中で胡氏がかなり強い発言権を持っていることはいるのですが、多数決制であるため、常に他の8名と協議・牽制し合いしながら行政を推し進めなければいけない。これが中国政治の実情です。現在の中国の国家主席は、決して独裁的権力を持っている訳ではないのです。

いよいよ今、9人を択ぶ政治の季節
さて、先ほど「或る程度客観的な評価」と書きましたが、ここに大きなからくりがあります。あれだけ大きな国ですから、行政の実務能力がある人間もうようよといる。つまり、常務委員になれそうな人材も多数いるということで、その中で、「誰を常務委員にするのか」という大きな問題が生じるのです。
日本の会社を考えてみて下さい。或る程度大きな会社であれば出世レースというものが展開され、誰が役員になり誰がなれなかったか、その裏にはどんな派閥抗争があったのか‥毎年、人事の季節には社内でひそひそと噂話が飛び交うものです。
これと同じことが人口13億の国家レベルで、中国の常務委員についても起こっています。李と自分は政治信条が近いから李を入れたい。或いは、李なら自分の手足となって動いてくれる人材だから李を入れたい‥現常務委員9名一人一人に思惑があります。
また、常務委員以外の実力者たち‥例えば軍の実力者や、常務委員にはなっていないけれど政治的実力を持つ者、長老‥などなどそれぞれがそれぞれの思惑を持ち、派閥を組み、自分たちの推す候補を入れるために離合集散を繰り返す。これが、現代中国政治の真髄なのです。

では、最終的に、どうやって「誰を常務委員にして、誰は入れない」と決めるのか?これは、常務委員会そのものではなく、もう一つ別の会議によって決められます。
では、その会議は一体いつ開かれるのか?これが、今回の反日デモの過激化と大きな関係を持っていると思われるのです。

そもそも、チャイナ9を択ぶ「常務委員決め会議」。ここにはどんなサイクルがあるのか?例えば毎年1度択ぶのか、どうなのか?
実は、そこには、あっけないほど素朴なきまり、「定年制」が存在します。
日本の会社だと、「社長職は70歳まで」と決まっていてもヒゲで三段腹で愛人が五人いる剛腕社長がむりやり社則を変えて、80歳まで居座り続ける、ということもままあります。しかし中国はここでも意外と民主的で、常務委員は70歳まで。5年に1度開かれる党大会の時点で70歳になる常務委員は、たとえ共産党総書記兼国家主席である胡錦濤氏であっても、必ず退場しなければなりません。
実は、今年2012年とは、まさにこの5年に1度の党大会の年。そして党大会は毎回秋に開かれることが慣例となっており、今から1カ月後の、10月後半頃の開催が有力視されています。つまり、次の5年間の中国トップ9人が、10月にお披露目となる訳です。
特に今回は定年を迎える常務委員がことのほか多く、9名のうち7名が退場します。胡錦濤氏も温家宝氏も退場。がらっと入れ替わる新常務委員に誰を押し込むか、で、今年に入った頃から激烈な政治闘争が繰り広げられているという状況なのです。

ところで、この新メンバー、10月の党大会で「発表される」のであって、「択ばれる」のではありません。実は、毎回、党大会に先立つ7~8月頃、北京の北にある北載河という避暑地でわざわざ特別に非公開の会議を招集し、そこに、チャイナ9メンバー、軍幹部、元老、有力政治家が集まり、じっくりと話し合った末に決定を下すのが慣例です。つまり、新メンバーは党大会前に既に決まっているということ。党大会はそれに承認を出すための場に過ぎないという訳です。
今回も、8月前半に国の有力者が北載河に集まり、秘密会議が開かれていました。しかしどうも今年はそこでは決まり切らなかったらしい、というのがもっぱらの評判です。つまり、チャイナ9の椅子取りゲームは今もまだ続いている。非常に非常に不安定な政治状況であり、そこに新たな要素、「反日」というカードが現れた。今回のデモがこうまで過激化した背景には、このような事情があると思われるのです。

「反日」はただの「反日」ではない。極度に政治的意味を帯びている、という事実
ここでもう一つ押さえておかなければいけない基本事項は、「反日」という概念が中国政治においてどのような意味を持っているか、ということです。
中国では政治闘争が激烈化して来た時に、「反日」が踏み絵にされるということがままあります。A派とB派が対立した時に、「自分たちはどの程度反日か」という問題を持ち出して、
「ほら、B派はかつて我が国を侵略した日本に、こんなに媚を売っている。あんなやつらに国の舵取りをする資格はない!」
と攻撃の材料にするのです。実際、ここを突かれて(これだけが原因ではありませんが)転落した総書記が過去に存在します。1987年の胡耀邦総書記のケースです。胡耀邦氏は現代中国の指導者中、最も強く民主化を推し進めようとしていた人物だと思いますが、それに不満を持つ勢力が、日本と円満な関係を築こうとしていた氏の外交姿勢をウィークポイントと捉え、攻撃。失脚へ導く材料の一つにしました。本当の目的は反日ではなく、民主化を遅らせること。そのダシに日本が使われたのです。

日本人は、このことを頭に叩き込んでおかなければいけないと思います。
中国政治にとって日本とは、水戸黄門の「この印籠が目に入らぬか!」の逆バージョン的存在。「反日!」と叫べば誰も異議は唱えられない、正義の御旗です。
小学校から教育の現場で繰り返し繰り返し叩き込まれ、一種の道徳スローガンのようになっていますから、これに表立って反発を唱えることは、今の中国では難しい。特に政治家にとっては最高に難しい。靖国参拝や尖閣諸島問題など、何か中国人のナショナリズムを刺激する行動を日本側が取った場合、もしも穏当に処理しようとすれば、そこを突かれて失脚してしまうかも知れないのですから。

2012年秋、「反日カード」の使い方
そんな中国の、最も政治闘争が最も激烈化している今、この時期に、尖閣諸島の国有化問題が勃発した。これは、例えてみれば戦場でせめぎ合っている魏・呉・蜀の軍勢の上に、空から白い紙がひらひらと舞い落ちて来たようなものです。この紙の使い方次第で敵を攻撃出来る!或いは、下手に使えば敵から攻撃される!
‥そんな状況の中、各軍はそれぞれまず、敵に後ろは見せられません。各派とも、「日本に強く抗議しよう」「全国主要都市でデモを起こそう」「漁船を大量に派遣するなど、ぎりぎり危険なラインまで圧力を掛けて日本の譲歩を引き出そう」で一致。これに反対すれば「売国奴!」「政治家の資格なし!」「あっちの派閥は弱腰外交を掲げてる!」と攻撃され、チャイナ9の椅子取りゲーム闘争で不利になってしまうのですから。
だからこそ、各派、暴走の危険性は分かっていても、デモを容認。
実際、様々な企業や商店に市当局から動員が掛けられ、集合地点で「うちの職場はちゃんとデモをやりました」という証明のために記帳。そしてぐるっと所定の場所をデモ行進。中には終わるとお弁当がもらえる市さえあるとの情報を、私はTwitterで写真付きで見ました。そして市から用意された帰りのバスに乗って、解散。
「中国70か所で反日デモ」と報道されていますが、大部分の都市ではこのようなおつき合いの官製デモがほとんどで、デモが行われている一帯以外では、ごく普通の日常生活が営まれています。動員がかからなかった企業・商店に勤めていれば、情報さえ知らない。「どこでデモをやってるの?」と訊かれるほどだということです。
ただし、デモの情報は、中国の新インフラとなりつつある中国版ツイッター・微博など、オンライン上の様々なサイト、またチラシなどでも呼びかけられていますから、こういった、職場単位で集められた人々以外の参加者も加わることになります。そしてここに、過激行動を取る人も出て来るのです。

政治に利用されてしまう哀しき暴走労働者たち
これまでにも日本でも多くの報道がなされているので中国に興味のない人にもよく知られているように、中国の現在の経済発展は非常にいびつなものであり、強烈な所得格差の犠牲者となった低賃金労働者は、社会への大きな怒りを心の内側にため込んでいます。残念ながらそういった人々の教育水準は高くなく(それは決して彼らのせいではありません)、義務教育で教えられた通りの鬼畜日本人のイメージを持ち続けている。日本人と会ったこともなければ話したこともないので、このイメージが変わりようがないのも仕方がないことなのかも知れません。
それに、実際、何世代か前の親族を戦時中日本軍によって殺された人が多数存在していることも亦厳然たる事実です。
よく、ただにこにこと「日中友好」とこちらが善意を持っていれば全て上手く行くと思っている日本人がいますが、それは全く違う。日本人の多くが何となくロシア人を好きになれないし信用出来ないのと同じように、いやそれよりもずっと強いレベルで、中国の人々のベースに、日本への不信感が存在しています。だから焚きつけられると一気に火が燃え上がってしまうということも、肝に銘じておかなければいけない基本事項の一つです。
ただし、そんな彼らも、中国共産党の弾圧の恐ろしさは身にしみて知っていますから、政府が「デモをしてよし」とお墨付きを出さない限り、たとえテーマが「反日」であったとしても決して率先して過激な行動は取りません。
しかし今回は、上述したように政治情勢不安定な中、政府上層部が「反日」を声高に叫ばなければならない状況です。その御用機関であるテレビも新聞も、しきりに日本を攻撃している。「よし、この波に乗っていいんだな」と労働者たちは判断する訳です。そして現場で興奮して暴れる‥こういうケースが多々生まれているようです。

ただし、このような人々を野放しに行動させることは、やがて解放されたエネルギーが日本から逸れ、彼らを今本当に不幸にしている存在、現在の中国の特権階級、そう、共産党上層部とその周辺へ向かう可能性を多分に秘めています。それを分かっていても、敵に背中は見せられないから、上層部は「反日デモ禁止」とは言えない。恐らく、「或る程度でかい事件が起こったら統制を始めよう」と、各派無言の胸のうちに思ってスタートさせたのではないでしょうか。少なくとも、81年前に満州事変が勃発した今日、負の記念日の9月18日までは、決して厳しい取り締まりは出来なかったものと思われます。

暴動を扇動する「煽り屋」の存在~~五つの噂
ところで、微博に中国人自身が上げている数々の情報から、各地の暴動では、時に明らかに扇動者と見られる人物がいることが分かっています。
例えば西安では、「日本車をひっくり返せ!」と扇動する男性がおり、この人物が市の警察職員であることが確認されています。(下記URL参照)
http://ameblo.jp/capitarup0123/entry-11358323933.html
また、私は、北京で、日本大使館の前でシュプレヒコールを挙げていた人物が、「前に別の事件の時に接触した公安の人間だ」、とつぶやく書き込みも見ました。
組織された官製デモ。暴発する貧困層。この2要素の他に、明らかに、政府上層部の指示で煽り役として送り込まれている人間がいる。青島では日本のスーパーが大略奪に遭いましたが、もしかしたらこのような大暴発の背後には、導線役となる人物がいたのかも知れない、と思わされます。

では、彼らは一体何者なのか?誰の差し金でこのような扇動者の役割を果たしているのか?現在、ネット上では中国発・日本発で様々な情報が飛び交っています。真偽のほどは分かりませんが、一つ一つ見て行くことで現在の中国の政治情勢が良く分かるので、ここで短くご紹介してみたいと思います。

まず、第一の説は、胡錦濤主席や温家宝氏が所属する「団派」と呼ばれる派閥が仕掛けている、というものです。
団派とは、実務能力に優れているために中央にのし上がって来た実力派集団で、大きくは、中国の民主化を目指し、縁故で地位や金が回る現在の腐敗体質を何とか清浄化しようと頑張っている集団とされています。
外交も協調路線を目指しているため、いつも「日本に弱腰だ!」と非難されているくらいなので、反日デモを過激化させるはずはないのですが‥政権闘争のこの時期、弱みを見せないために敢えてデモを先鋭化させ、「どうだ、この時代に過激な愛国一本槍で行くとこういう結果を招くんだ」と他派に牽制をかけている、という説。
或いは、幾つかの地域でデモを過激化させて日本をびびらせ、尖閣問題において少しでも譲歩を引き出して成果を挙げる。その成果によって常務委員決めの椅子取りゲームを有利に進めようとしている‥という見方も出ています。

第二の説は、一代前の国家主席・江沢民氏を長とする「上海派」が仕掛けている、というものです。この派閥は現在の椅子取りゲームで劣勢に立たされているため、敢えて混乱を引き起こして団派の長である胡錦濤氏が舵取りに失敗したところで、一気に攻勢に転じようとしている、という見立て。

三つ目の説は、序列が高く次期主席に内定している習近平氏とその周辺の「太子党」が仕掛けている、というもの。
太子党とは「二世グループ」くらいの意味で、父親、或いは祖父が共産党革命の貢献者だった人々、つまり党幹部の子弟たちのことです。共産主義とは本来平等社会の建設を目指したはずですから「お父さんが偉かったから子どもも出世」という現象は有り得ないはずなのですが‥残念ながら現在の中国にはこんな人は大勢います。
太子党・上海派、共にその地位を利用して蓄財に走る傾向が強く、利害関係が一致することも多い。両派は混然となって存在しており、現在、団派に押され、習氏たち二世軍団も劣勢に立たされています。次の5年間、一人でも多く自分と共同歩調を取ってくれる人間を常務委員会に入れるために、習氏自ら混乱を引き起こして団派の失点を狙おうとしている、という説です。

また、今回、幾つかのデモにこんな横断幕が現れて人々を仰天させました。
「薄書記快回来!(薄書記、早く帰って来て!)」
この「薄書記」とは、この春に失脚した重慶市のトップ・薄熙来書記のことです。賄賂授受に絡んでその妻がイギリス人実業家を毒殺していた事件は、日本でも大きく報道されました。
こんな薄氏は、賄賂にまみれまくっているので全く清貧な人物ではないのですが、チャイナ9入りを目指して重慶で行った政策は、貧しい人に団地を与える、国が北朝鮮状態だったために全員が貧乏だった60年代の革命ソングをみんなで合唱して、平等だった昔を回顧する‥といったパフォーマンス政策。これが、資本主義化した現在の中国を苦々しく思う共産主義原理主義の人々の支持を集めています。
今回のデモでは、幾つかの地域で毛沢東の肖像画が登場したり、それどころか、何と60年代の文化大革命当時の服装でデモをする人々まで現れました。現状に不満を持つ彼ら原理主義系の人々が、今回の反日デモに乗じて混乱を引き起こし、一気に薄熙来復活を狙っている‥ということもあり得ないとは言えないと思います。彼らの扇動により過激化した地域も幾つかはあったのではないでしょうか。

また、もう一つ、軍の中の急進派が関与しているのではないかという説もあります。
中国に限らずどの国でも、軍や軍需産業界は規模の拡大を狙うものであり、一瞬即発で軍事衝突‥といった事態が起こることは、軍の発言権を増し、予算の拡大につながる喜ばしいことです。
また、これも中国に限らずどこの国でもそうですが、軍の中には過激な軍国主義者がいるものです。彼らがデモを過激化して日中関係を悪化させ、勢力拡大を狙っているということも、また、それによって自分たちに近い候補者を常務委員に入れることを狙っていることも、十分考えられるように思います。

以上、ネットで囁かれている「反日デモ暴徒化の煽り役探し」、五つの説をご紹介しました。
色々な方から質問されるので私自身の考えを述べれば、胡主席や次期主席である習氏は平和な政権移行を通じて自らの権力を高めることを目指していると思われ、不確定要素を増やすだけの暴力的混乱は望んでいないように思えてなりません。
軍の一部や、上海派、共産主義原理主義者たちが互いにばらばらに暴動引き起こしているのではないかという気がしますが、もちろん、私は新聞記者でもないし学者でもないので、あくまでネット上で収集した情報と、中国に住む日本人・中国人の友人からの情報をもとにしての推測です。今のところ、中国政治専門家の方々の間では、「胡主席首謀説」が優勢のようではありますが、恐らく真実が見えて来るのはしばらく経ってからのことになるでしょう。

反日中国とどうつき合うか?(1)
とにかく、言えることは、日本という存在は中国政治においてスケープゴートにされやすいということ。全くこちらからすればいい迷惑ですが、これはもう仕方がないことだと受け入れるしかないのだと思います。それを基礎とした上で、日中関係の進め方を考える。この姿勢を持たなければいけないのだと思うのです。
例えば、中国で政争が起こっている時には、無難にじっと“やり過ごし系”の応対をするべきではないでしょうか。何故ならば問題の本質と関係ないところで「反日」がカードとして利用され、事態がどんどん複雑化することになってしまうからです。‥まあ、まさに現在がこの状態である訳ですが。
そして、過激な反日行動の裏には多くの場合、何らかの政治勢力の意志が存在し、それに煽られて過激化してしまう一部市民がいる、という事実。これも“中国リスク”として肝に銘じておくべきでしょう。
このように書くと一部の盲目的な日中友好派からは「嫌中を煽るようなレッテルを貼るな」と言われてしまいそうですが、日中関係を本当に改善して行くためには、今ある事実を直視するところから始めなければいけないと私は思っています。
中国人のベースには、反日感情がある。これは厳然とした事実です。しかしそれがすぐに発火しやすい人と、理性によって、過去の日本人と現在の日本人を分けて考えている人も存在する。日本人がやらなければいけないことは、これら理性的な人と太い信頼のパイプを作り、理性的な意見が主流となって、煽られやすい人々に論戦で勝てる下地を作り出すことだと思うのです。

中国の希望 理性的市民
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上の写真は、今回のデモの際に北京で撮られたものです。彼女が掲げているスローガンを訳したので読んでみて下さい。

「私たちは戦争を、地震を、水害を乗り越えて来た。
ここはファシストの土地ではなく、私たちの土地。
暴力によって築き上げたのではない。

そう、ここはもう文革を行う場所ではない。
この土地で開かれた平和の祭典・オリンピックを全世界が見つめた、
その場所ではないか。
暴力を停止しよう。
私は知っている。私たちの祖国はかつて愛にあふれていたことを」

この写真に限らず、微博上には、暴力行動の停止や話し合いによる解決を促す意見・写真が多数掲載されています。広州の日本領事館が入るビルがガラスを割られるなどの被害を受けた跡を、自主的に掃除に来た中国人の学生たちもいました。
私たち日本人は、中国人の中に、短絡的に暴力に走る一群の人々がいることを認め、それについては自衛をして行くしかないでしょう。しっかりと負の面に目を向けない限り危機が予測出来ず、正しい自衛も出来ない。自衛出来ていないことで新たなトラブルに巻き込まれ、そのトラブルが更に日中関係を悪化させる。そのことを肝に銘じるべきだと思います。
しかし一方で、中国人全員が同じように粗暴だと思い込むことも、明らかな事実の誤認であると思います。暴動を扇動した人々のことを、「権力の手先になって暴力を煽り、中国の対外イメージを決定的に貶めた」と憎み、また、実際に破壊や略奪行為をした人々のことを「政治の道具に利用された脳の足りないバカ」と罵倒する多くの人がいることを、心に留めておいて頂きたいと思います。
                  
反日機運、今後の展開
今後、日中対立はどう推移するのか?
私の考えでは、今日、満州事変記念日の918以降は、デモは引き締め傾向に向かうのではないかと思っています。10月後半の党大会を無事に終わらせるために、そろそろ「市民はいい子にしててね」と、厳しく管理する局面に入る、ということです。
団派、上海派、太子党、軍、共産主義原理主義者‥いくら派閥闘争をしているからと言って、彼らの力の源泉が共産党一党独裁にあることに変わりはありません。党の権威を失うような混乱は避けたいはずで、そろそろ大会に向けて落ち着いた雰囲気作りが求められているのではないか?と思うのです。
一方、尖閣諸島周辺への漁船と漁船監視船の派遣は、党大会まで、或いは党大会終了も五月雨式に続くのではないか?と思っています。
理由は、一つには、この威嚇航行によって日本政府から何らかの譲歩を引き出せないかという思惑もあるだろうし、また、デモ容認と同じく、敵に背中を見せないためのパフォーマンスとして、各派とも強硬姿勢を支持している、ということもあるのではないでしょうか。実際に監視船団が尖閣諸島の周辺を航行することで、愛国主義者の溜飲が下がることも計算に入れているのではないかと思います。

それにしても気になるのは、党大会がいつ開かれるのか、ということです。
予定日まで1カ月程しかないのにまだ日程の発表がないのは異例のことであり、やはり相当深刻な駆け引きが繰り広げられているのではないでしょうか。今月初め、習氏が2週間も姿を見せなかったことも、異例としか言いようがありませんでした。

反日中国とどうつき合うか?(2)
このような状況下、日本人がまずしなければいけないのは、これまでと同様、在留中国人に暴言や暴力行為を行わないことだと思います。品位の差で世界の世論を味方につけることは絶対に必要であり、また一方、中国人は非常に面子を気にする民族なので、もしもまだ暴力行為が続く場合は、YoutubeやTwitterなどでどんどん世界に向けてその画像を拡散させ、面子を失わせた方がいいと私は考えています。「暴力行為は国の恥になる」と、労働者層、そして労働者層を利用しようとする上層部まで身にしみて認識してもらうことが、今後の日本人の安全確保につながります。また、多くの理性的な中国市民がまっとうな意見を発信するための、援護射撃にもなると思うのです。

私は、今後、中国に対して「ここから先は絶対に譲れない」というラインをはっきり告げることが何より大切だと思っています。以前に別のエントリーでも書きましたが、中国人は交渉の民族です。だから尖閣問題に限らず、どんな場合でもまず必ず吹っかけて来る。それに一々動揺せず、どこからが譲れないラインなのかをはっきりさせることが、交渉の第一歩だと思うのです。
もちろん今回の尖閣諸島問題の場合は、これを中国の領土とすることなど有り得ない訳ですから、ここが絶対のライン。これを越えたらアメリカと組んであんたんとこと戦争だよ!ということを、はっきり告げることです。政府のレベルでもそうだし、民間のレベルでも、もしも尖閣が話題になったら――あくまで理性的にではありますが――この話をするべきだと思っています。
もちろん、日本人のほとんどの人が戦争をしたくないように、中国の大部分の人も戦争など望んでいません。しかし、ただ日中友好とにこにこ笑っていれば戦争暴発の危機がなくなるというのは、ちょっと違うと思うのです。こちらに相応の力と覚悟があってこそ、初めてお互いの力が拮抗する。そして、最悪の事態を避けようという力学が働く。それが中国人とのつき合い方の要諦だと、私は確信しています。
私は、今後、もしも尖閣沖で両国の監視船が接触するなど不測の事態が起こった場合、最終的にはアメリカか、或いはロシアなど近隣の大国に仲介に入ってもらい、調停交渉をするしかないのでは?と思っています。その上で、「アジアの安定のために」という誰もが納得するお題目を掲げて、両者棚上げをはかる。これが最も妥当な道なのではないか、と。そのためにこそ、絶対譲れないラインを強く主張しなければならないと思っています。

これからの中国ビジネス進出
中国ビジネスについては、日本企業は、今後、中国リスクを真剣に考えるべきだと思います。年間予算の中に「店を破壊された時の修繕費」を入れておく(理不尽ですが)くらいの、冷静な予想と覚悟がなければ進出しない方がいい。
また、「先進国日本から来ました」的などこか偉そうな気持ち、或いは物見遊山気分で駐在するのではなく、いざという時に自分を助けてくれる人、また、冷静な意見を提出してくれる人、そういう自分の味方、日本の味方を作れるような国際マインドを持った人材、本気で向こうの人と交われる人材でなければ、今の中国にのこのこ出て行くのはあまりにもリスクが大き過ぎるのではないでしょうか。

それでも、あの広大な大地で勝負してみたいという冒険スピリットの持ち主はいるだろうし、あの巨大な人口もビジネスの観点からはやはり魅力的でしょう。リスクは覚悟した上で出るのか出ないのか。これまでの日本は「品質」という一点で中国市場で勝負して来ましたが、今後はアップルのように、何があってもやっぱりあの商品を持ちたい!というブランドキャラクター作りをすることも必要になって来るのかも知れません。
もちろん、海外に出て行くということは、今平穏な国であっても一度不況期に入って社会が不安定になれば、「今まで低賃金でこき使いやがって!」と、外資は常に敵対視される危険性をはらんでいます。どの国に出るにしてもリスクはある訳ですが、今後も尖閣問題の落とし所が見つけられない限り、また、片づいたとしても潜在的に反日感情がある国ではいつまた不買運動や過激デモが起こらないとも言えず、日本人にとって中国は最もリスクが高い国になった。そう言わざるを得ない状況だと思います。

絶対絶やさない、民間交流の灯
私自身は、16年前に中国に興味を持ち、以来、何度も日中関係の冷え込みを経験して来ましたが、それでも今日この時に至るまで、「中国っておっもしろい国だなー」という中国愛は1ミリも変わっていません。もちろん私だって今回のような暴力行為は許せませんし、そのような行為を働く中国人は大嫌いです。ぬくぬくと私腹を肥やす腐敗官僚も、そもそも共産党の一党独裁も最悪のシステムだと思っています。でも、それが全てではなく、その裏側に豊饒に存在している中華世界の面白さに魅せられているから、やっぱり中国愛は変わることはありません。
そもそも私が中国語を学び始めた頃は、中国の経済発展など夢にも考えられない人がほとんど。「何故遅れた国の言葉を勉強するのか?」と真顔で訊かれることもありました。お金儲けをしたいから学んだのではなく、ただ好きだから学んだのであって、だからまた関係悪化の時期が来ても、淡々とこれまで通りの中国愛を貫いて行くだけです。
でも、実利を求めて中国に出た/或いは出ようとするのなら、先ほど書いた通り潜在的に反日の国ではまた今回のようなことが起こる可能性は十分にあり、相当な覚悟を持たないとやって行けない時代に入ったのではないかと思っています。築き上げたものをあっと言う間に失うかも知れないし、それでもまたぼちぼち立ち上がれる根性がなけれなならない。そんな覚悟を持つのは大変なことだろうと思います。
それにしても、大体において、国と国との関係が100%友好になる必要などないと私は思っています。ビジネスの場を考えても、同僚や取引先と、大して気も合わないし趣味も合わなくたって、それでも何とかプロジェクトは進んで行きます。いや、仕事なのだから、進めて行かなければなりません。ビジネスの上での適当な関係さえ築ければそれで十分なのであり、全人的な交わりなどなくても良い。
日中両国も、何とか今回暴発を回避して落とし所を作り、大部分の国民が互いに「あいつら何か気に食わない」と思いながらも、でも「戦争やるのもバカらしいしね。仕方ねえ」と、渋々つき合って行く。そういう所へ持って行く妥協案を探るべきだと思っています。そしてそれはきっと出来るはずだと思うのです。何故なら中国とロシアだってすわ戦争かと言うほどの犬猿の仲だったのにも関わらず、今ではそこそこの関係を築けているですから、日本と中国にだってやれないことはない。そしてごく少数の、それでもまだ中国大好き!日本大好き!というお花畑人間たちだけが、ラブラブ日中交流を続けて行けば良いのでは、と。

正直言って、中国など好きになっても損なことばかりです。日中関係で何かあるとまるで中国代表のように扱われ、上司やら同僚やらから敵意に満ちた言葉を投げかけられたことも何度もありました。それでも、やっぱり私はあきらめられません。そして、同じように絶対あきらめないだろうなという日本人の友人を、何人も知っています。
全員が門を閉ざしてしまったら、中国はますます偏狭な愛国主義に陥ってしまう。今回のように危機的状況が起こった時に、裏からお互いの妥協点を探るための交渉役もいなくなってしまう。私のようなバカ者たちがいくら損をしてもまた出かけて行って友情を育むからこそ、少しずつ空気も変わって行くのだと信じています。
ふだんしょっちゅう着物を着ていることからも分かって頂けるように、私は大の愛国者でもあります。大体において、愛国だの日本の素晴らしさは云々かんぬんだのと声高に叫ぶ日本人ほど、和食を食べる以外何一つ自国の文化を知らず失笑もののことが多いのですが、歴女で華道茶道を学び日本美術に子どもの頃から触れて育った着物き〇がいの私が、でも、中国も好きなのです。私は、中国の民主化は、愛する祖国・日本の防衛に必ず役立つと確信しています。もちろん一人一人の力はあまりにも小さいけれど、その一つ一つの風穴なくしては、中国に真に自由な空気が入り込むこともない。尖閣沖をパトロールする海上保安庁の皆さんのご苦労を想いながら、何とか暴発が避けられることを願い、そして、何度目かの「あきらめない」という言葉を思い浮かべる、満州事変81周年の今宵です。

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中国でタクシーにぼられない方法~~或いは、タクシーの後部座席から考える日中関係 2012/06/28



最近、私の周りで、中国出張へ行く人、或いは中国駐在に行く人(含・夫の駐在について行く妻)が爆発的に増えている。
これまでは、“中国好き”の人が自ら手を挙げて中国ビジネスに関わることが多かったように思うけれど、最近の特徴は、「中国に特に何の関心もなかったのに、社命で行くことに‥」という人がほとんどだということだ。日中間の経済的結びつきは深まる一方で、この流れは当分変わらないように思える。そんな中、日本人が中国へ行って最初に出くわす関門、或いは洗礼。それは、“料金をぼったくろうとするタクシー運転手”の存在ではないだろうか?
そこで今日の日記では、中国に関わって15年!の私が、やつらの虚をついてぼったくりを撃退する方法をご伝授するとともに、日本人と中国人の間に存在する気質の違い――或いは文化の違いと言ってもいいかも知れない――について考察してみたいと思う。

      *

まず、ぼったくりタクシー撃退法について。
先日、東京から北京に移り住んで新規事業を興すべく奮闘されている日本人ビジネスマンの講演を聞く機会があったが、その方もこう言っていた。
「中国の運転手は、必ず料金を吹っかけて来ます。でも僕はそんなの払うのは嫌なので、必ず闘いますね。運転手の椅子を後ろからがんがん蹴るのなんかしょっちゅうです」
すごい…確かにここまでやればぼったくられることはなさそうだけれど、背が低く、腕っぷしの弱さが丸見えの私にはちょっとハードルが高過ぎる。と言うより、ほとんどの日本人は「ちょっとそれは自分には無理」と感じるのではないだろうか。
そこで私のやり方はこうだ。
中国人の弱みにつけ込む。

例えば、以前、広州へ旅行に行った時、やはりタクシーでぼったくられそうになった。空港のタクシー乗り場で「**ホテルまで」と告げてタクシーに乗ると、途中からどうもメーターがおかしい。事前に空港―ホテル間の平均運転時間と平均料金を調べていたのだが、ホテルの直前で、その1.7倍くらいの値段が出ているのだ。そこで私はまず、運転手さんに話しかけてみた。
「ねえ、ちょっとこの料金高いんじゃないですか?」
「いやいや、ちゃんとメーター倒してるから」
「メーターがおかしいんじゃないかと思うんだけど」
「そんなことは、ない」
ここで私はため息をつく。大きな大きなため息だ。そしてこう言い放ってみた。
「あーあ、やっぱり、広州はダメだね」
これである。
「空港も、スタジアムも、ほんと素晴らしいけど、でも、しょせん見かけだけだってよーーーく分かった。やっぱり広州はまだまだ三流都市だわ。私は今週上海にも北京にも行ったんだけど(注・本当は北京にしか行ってない)、上海と北京の運転手さんはちゃあんとルールを守ってましたよ!やっぱりダメだ、広州は。まだまだだ。モラルってものが出来てない。北京好!上海好!広州不好!」
と一気にまくしたてる。最後の三語は日本語に直すと、「北京最高!上海最高!広州最低!」というほどの意味になるだろうか。すると運転手さんの顔色ががらっと変わってこう言った。
「じゃあ、いくらならいいんだよ!」
私は日本のガイドブックで事前に仕入れていた金額を彼に告げた。正規料金なのだから彼もこれで損はしないはずで、商談は成立。降り際、彼は私にこう言った。
「…悪かったね。だけど俺たちも空港で毎日毎日ずーっと長い時間列に並んで、やっと客にありつけるんだ。特に今日はすごく並んだんだよ」
「ふーん、そうなんですか。大変でしたね。どうもありがとう!」

        *

私のこの作戦のポイントは何か。
それは、「中国人の郷土愛につけ込む」。
これである。
多くの日本人の皆さんは“中国人”と言うと、みんな金太郎飴を切ったように同じメンタリティで生きていると思い込んでいるようだけど、それは大きな間違いだ。何しろあれだけ広大な国であり、地方ごとに風土もかなり違うから、それぞれの街が独自のメンタリティを持っている。そして中国人の郷土愛は、かなり強い。だから攻めるときはそこを利用するのが効果的なのだ。特に、他の都市と比較してやること。これが一番効く。
たとえばあの運転手さんと、もしもどこかの屋台で隣りの席になって一対一で飲んでいたとしたら、彼もとても冷静に、
「最近の広州にはこんな問題があってね、もう、ダメだね。上海に大きく後れを取ってるよ…」
などと語る可能性はかなり高い(中国人の自己客観視能力は、実はとても高いのだ)。しかしいきなり「北京グー!上海グー!広州ダメ!」、外国人にこういう持って行き方をされると、熱い郷土愛と面子がつい顔を出してしまう。俺がここでぼったくりをすると、広州の面子が…くーっ北京や上海には負けるのだけはヤだゼ…こう思わせて勝ちに持ち込むのである。

         *

「もう中国は嫌だ、中国人にひどい目に遭わされた」或いは、「中国は何もかもがめちゃくちゃ過ぎて疲れる。カオス!もううんざり!」
中国と仕事で関わって、そんな風に言う人がいる。その気持ちは分からないでもないのだけれど、何かちょっとお門違いなんじゃないかなあと思ってしまううのもまた事実だ。
中国は、交渉の国だ。或いは、融通の国、と言ってもいいかも知れない。
何事も最初からきまりがあるのではなく、その都度お互いの出方やお互いの権力具合を探り合って、少しでも多くの果実をもぎ取れるよう、シビアな駆け引きをする。それが彼らの文化であり、中国に行ったら、それがスタンダード。つまり、ルールがないことがルール(笑)なのだから、そのことに文句を言っても仕方がない。嫌なら中国に行かなければいいし、中国と一切取引をしなければ良い訳だけれど、そうも行かなくなっているのが21世紀の日本人が直面している過酷な現実である訳だ。だとすればどうしたらいいのか?

日本人は、ルールを作り、ルールを守ることを最も大切にする。
それは素晴らしいことだし、世界から称賛されることもあるけれど、時にルールマニアとバカにされていることもあることを忘れない方がいいと思う。何よりも、自分たちの考え方だけが世界のスタンダードだとは思い込まない方がいいのではないだろうか。
実際、世界各地域の様々な国が参加して何かルール作りをしようと会議を開くと、「人類愛」「世界平和を目指して」「緑の地球を守ろう」などといった美しい理念は無残に消滅。各国・各地域がてんでに自国の主張をがなり合い、紛糾に終わることが多い(例えば2009年のCOP15/国連気候変動コペンハーゲン会議)。
先週土曜日(23日)の朝日新聞にはFIFAの理事を務めた小倉純二氏のインタビューが出ていて、とても良いインタビューなので皆さんにもゼヒ読んでほしいのだが、FIFAでも会議が紛糾すると、公用語は英語と決まっているのに各国代表が自分の母国語でがなりたて始めるのだそうだ。もちろん、何を言っているのかお互い全く分からない。英語通訳はついているものの、追いつかないくらいの速さでまくし立てるので用をなさないのだとか。
恐ろしい世界である。
私はそこまで紛糾した場面に居合わせたことはないけれど、それでも、留学や、仕事で外国人クライアントと交渉を行った時に、にっちもさっちも行かない状況に陥ったことは何度もある。
それは、あ・うんの呼吸とか、「だってこのあたりが常識でしょう」といった“線”が一切存在しない世界だ。力比べ、条件交渉、そして妥協によってしか物事は一歩も前に進まない。そうやってやっと作ったルールだって、またすぐ変更されることがしょっちゅうなのだ。

世界の現実がこうであることを考えると、日本人の美点である“ルールと礼節ある行動”を前面に押し出し、守れるだけ守り続けようと頑張るのはまあいいとしても、その美点を交渉や圧力行動の材料にする、くらいのしたたかさがなければ、この国の存在感は年々弱体化するだけではないだろうか。そう、やはり、交渉力を磨かなければいけない、と思う。中国のタクシー運転手さんやら、家具の修理を頼んだ職人さんやらと日々やり合うことなど、ルール大好き純朴日本人にとっては格好の練習相手だと思うのだが、どうだろうか。

          *

ところで、そんな交渉人生の国、中国で、一切の交渉が消滅する場面が三つある。
最後にその三つをご紹介してこのブログを終わりたいと思う。
一つは、一方がもう一方を、圧倒的な武力で押さえつける時。
中国人は各自がてんでばらばら、こんにゃくのように融通無碍な交渉をあの広大な土地の上で展開しまくっているので、強力に統治しようとすれば、武力を持ち出すしかない(なかった。少なくとも、これまでは)。これを熟知しているのが共産党であり、毛沢東だった訳だ。

そして、二つ目のケースは、親子愛が登場した時。
中国人の親子間の愛情は、日本人には想像出来ないほど強い。親と子、祖父母と孫の間には多くの場合、一切の計算を超越した無償の奉仕行動が互いに強く強く存在する。

最後、三つ目の場面。これは、意外に思う方も多いかも知れないが、“親友になった時”だ。
中国人はしばしば、友人と、義兄弟・義姉妹の関係を結ぶ。実際に指を少し切って血判状のようなものを作って誓い合うことすらいまだにあるし、そういった目に見える行為はなくても、一旦「私はこの人が好きだ」「この人物はすごい。感服した」と認知したら、とことん相手を信頼し、決して裏切ることはない。互いに相手のために助け合い、共にいい暮らしが出来るよう、大げさではなく墓場に行く日まで、何かと協力し合って生きて行く。
多くの日本人は、(言葉の問題もあって)そこまでの深い関係を中国人と築いたことがないから、中国人は信用出来ない、すぐ裏切る、と言うのだけれど、実はそれは中国人に「大したことない人物だな」と値踏みされている、ということなのだ。
中国人が一旦相手に心服したら、「もうちょっと放っておいてくれないかな」「いや、そこまでしてもらう価値、私にはないから」とこちらが言いたくなるくらい、とことん助けてくれるし、とことん信用してくれる。それが中国人という民族なのだ。

中国という饅頭は、表面の皮だけ食べると食当たりを起こしてしまう、不思議な食べ物だ。けれどがぶりと食いつけば中には、とてつもなく濃く、まろやかな、極上の餡が隠されている。
そこへたどり着くには、そう、毒など屁でもないと受け流してがぶりと口を開ける度量の大きさが必要だ。彼らは日々ちまちまとした交渉ごとを吹っかけ合いながら、相手の、その度量の大きさを見きわめている。ああ、中国人。こんなことを書いていると、また中国へ行きたくなってしまう!

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讀郁達夫的小説(中国語日記) 2012/06/11



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昨天開始讀郁達夫的小說。
我這次選了他的小說, 是一兩年前看的婁燁導演的片子影響我的緣故。
他在「春風沉醉的夜晚」裡頭使用了幾次郁達夫的文章。看的時候我覺得婁燁的畫面產生的某種憂鬱的感覺和郁達夫的文章產生的流氓的感覺配合得很非常好。但,本性比較懶惰的我到今年為止一直沒有勁去讀郁達夫的小說,是因為我的中文能力還不到完全沒有問題著讀中文小說的水平而已。
可是,很奇怪,昨天晚上忽然間有「想讀郁達夫的文章!」的意欲。回首過來,看婁燁的電影這個體驗每次有一樣的過程。剛剛看完的時候的感受很曖昧,所以表面上很容易雲煙過眼。但,實際上,它在我的心裡頭的很深的地方沉沒,而有一天忽然間浮出過來。
就這樣,我正在讀郁達夫的小說。題目叫「南遷」。

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(中国語日記)年頭一個日本人的一個希望 2012/01/03



作為一個日本人、去年是我人生中最難過的一年。
我們日本人都在「地震國」出生的、所以、從小一直有將來有一天會遭遇大地震的心裡準備。可是核電站的爆發呢。。。
就這樣、去年受到最大的打擊的我們目前一步一步地走復興的路。可是路途還遙遠、我衷心希望我們「真正」能夠復興日本、我們的國家。
我這裡寫了「真正」這個說法有理由。就是因為這次事故後的九個月裡我們漸漸地理解了、事故的遠因就在我們從第二次世界大戰后建立的社會體制裡暗中存在。所以、我們現在應該修建的復興的路就是重新建立全面新的社會體制和新的社會思想。我不知道我們這個世代能夠做到這麼大的義務。可是除了全力以赴地模索之外沒有別的路。

在新的年頭我就這樣思考我國家目前面對的問題的同時、忽然間、也發覺到好像世界上的所有國家有它們固有的社會問題。希望這新的一年裡、在這個瞬間在這個世界上呼吸空氣的所有的不放棄希望的人都能夠保持前進的勇氣。真希望。

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中国のバブル、日本のバブル 2011/06/20



あるとき、知人からとても残念なニュースを聞いた。それは中国人の友人・Sくんに関するニュースで、「Sくんが驚くほど変わってしまった」という嫌な話だった。
私とその知人は10年くらい前にS君と知り合った。Sくんは以前日本の大学に留学していて、卒業後は日本企業に就職、日本人女性と結婚して東京で働いていた。私たちはその頃にSくんと知り合い、温厚な性格の彼にとても良い印象を抱いていた。やがて私の仕事が猛烈に忙しくなり、Sくんやその周辺の友人たちと会う機会が減って行く中で、風の便りにSくんが中国に戻り、今は上海で働いているという消息を聞いたことがあった。それから数年が過ぎた後で、久し振りに彼に関するニュースを耳にしたのだった。

その知人は上海でSくんに会った。
久し振りの再会を喜んでお茶をした後、知人がSくんの買い物につき合って回った先は、グッチ、プラダ、コーチなど上海にある数々の有名ブランド店だったそうだ。Sくんはそれらの店で女性向けの小ぶりのバッグを次から次へと買い求め、全く隠す様子もなく、複数の浮気相手やキャバクラの気に入りの女の子に配るのだと言っていたそうだ。そして唖然としている私の知人に、
「君にも一つ買ってあげようか?」
と言ってのけ、彼女を更に唖然とさせた。実直で温厚で、いつも皆の調整役。奥さんを大切にしていたあのSくんは一体どこへ行ってしまったのだろう?

おそらく、中国に何としてでも進出したい日本企業と中国側との橋渡しが出来る存在として、日本人並みの日本語力を持つSくんには次から次へと仕事が舞い込んだのだろう。その収入と、イケイケどんどん昇り調子の上海の空気が混ざり合って、どうやらSくんの性格まで根本的に変えてしまったようなのだった。
「こんなことしていて、奥さん、大丈夫なの?」
と心配して訊いた知人に、
「いいんだよ。この中にはあいつの分のバッグもあるし、あいつは俺から金さえ受け取れれば文句言わないんだから」
とSくんは言ったそうだ。全く唖然とするほかない。

          *

中国に未曽有の好景気が訪れてから、もう何年が経つだろうか?
震災の影響で今は減ってしまったとは言え、一頃は銀座や新宿のブランド店の前に中国人を乗せた観光バスが横づけになり、大量に買いあさる姿がよく見かけられた。
北京や上海の高級レストラン、バー、ホテルを何軒か訪れたことがあるが、ヨーロッパから超一流のデザイナーを呼び寄せて内装や家具に湯水のように金を使い、東京、香港、ニューヨーク、ミラノ‥どこにも引けを取らない上等で趣味の良い空間が街のそこかしこに生まれていた。街を歩けば古ぼけた家々が次々と立ち退き対象になり、その後には新しいマンションやオフィスビルが姿を現す‥
そっくりだ、と思わざるを得なかった。そう、20年前に私が体験した、バブル時代の日本に今の中国は瓜二つなのだ。

          *

日本がバブル景気に沸いていた頃、私は高校生、そして大学生だった。
私の高校にはお父さんが不動産デベロッパー関係の事業をやっている同級生が何人もいて、その羽振りの良さはものすごかった。調子に乗って、ヨーロッパで貴族の子弟が社交界にデビューする際の舞踏会・デビュタントに日本から参加した子までいたくらいだ。(何ともこっぱずかしい話だが‥)
その後私が進学した大学はわりとブランドイメージの良い大学で、そこの女子学生=そう、女子大生だというだけで、どこへ行ってもものすごくちやほやされて過ごした。
お父さんが不動産屋、或いはアパレル関係の会社を経営している‥という肩書き(?)の二世たちが街中にうようようごめいていて、彼らが皆ベンツだのアウディだのを乗り回し、海へ行こう軽井沢へ行こうとすぐ連れて行ってくれた上に、いつも食事を御馳走してくれた。学内でもとびきりきれいで有名な先輩は、怪しげな青年実業家とつき合っていて誕生日のプレゼントはミンクのコートだったりもした。

その頃、友人が原宿の有名なオープンカフェでアルバイトをしていた。その子がバイトで貯めたお金でイタリア旅行へ行くことになったとき、同じバイト仲間の見た目がとてもかっこいいギャルソン男子先輩たちが「アルマーニのシャツ買って来て」と、彼女にお金を渡して先輩命令を出した。それも、
「エンポーリオはダメ。ジョルジョで買って来い」
と指定が付いているとのことだった。
「エンポーリなんて(廉価版だから)ダサイ」
ということらしいのだけれど、その人たちは別にどこかの財閥のお坊ちゃまでも青年実業家でもない。ぶっちゃけて言えば、ワンルームマンション住まいのカフェの店員。そんな彼らも“アルマーニのシャツ”というステイタスを身にまとって、意気揚々と原宿のカフェで働いていた‥そんな時代なのだった。

その頃、イタリア語を勉強していた私は何回かイタリアにホームステイに行っていたが、ミラノ、ローマ、フィレンツェのプラダやグッチの店は、日本人観光客であふれかえっていた。彼らは一言もイタリア語を解せず、いやもちろん英語さえもおぼつかず、商品を指で差して買い物をしていた。そう、まるで今銀座で見かける中国人のように。腰にはウェストポーチを巻きおよそおしゃれとは言いがたいTシャツなどを着込み、集団で固まって道を歩くその手には、グッチやプラダの紙袋ががさがさと提げられていた。
ああ、バブル時代の日本人。

やがて私が大学3年の終り頃から、バブルがはじけるだろうという暗い予想が人々の口にのぼるようになった。そしてその予想通り、大学4年次にバブルは完全にはじけ、2011年の今日に至っている訳である。

          *

バブルがはじけた後、青山や原宿辺りを闊歩していた不動産業二世、或いはアパレル業二世の青年たちは、きれいさっぱりどこかへ消えてしまった。電話をしてもつながらない。彼らは一体どこへ行ってしまったのだろうか?そして彼らが乗り回していたアウディやBMWは?
高校の同級生の羽振りの良かった不動産デベロッパー業のお父さんの会社は、銀行管理になったり倒産したり、お父さんが都内の公園で死体になって見つかった人までいた。お母さんが有名な画廊を経営していた同級生もいたけれど、その絵画の授受にまつわる億単位の裏金が派手に焦げつき、刑事事件として世間を騒がせたりもした。
バブルの真っただ中で、“ブランド大学女子大生(苦笑)”という最も有利なカードを手にしながらそれを有効活用するでもなくぼやーっと適当に流して過ごしていた私は、バブルがはじけた後も大して痛みを感じずに済んだが、その波に高く高く乗って有頂天でサーフィンした人ほど、後の闇は濃くなったと思う。

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先週、中国政府は預金準備率を引き上げ、政策金利も今月中には利上げを実行するという観測が流れている。加熱するバブルによって異常なほどに物価が上がり、去年400円だった野菜が700円近くに上がるスーパーインフレ傾向だというのだから、何とかこれを鎮静化させるために利上げせざるを得ないのだろう。
実際、この数カ月内でも、フフホトで大暴動が起き、広州付近の町でも3日間に亘る大暴動が起き、江蘇省や天津の市政府の建物が爆弾テロに遭った。日本のバブルは、程度の差こそあれ国全体が一様に豊かになったけれど、中国のバブルの場合は、開発の主体である共産党幹部とその周辺人物が突出して富み、多くの貧困層が取り残されたまま、という異常な形でのバブルとなっている。そこに物価高がやって来たなら、これら取り残された人々が大きな怒りを貯め込むのは当然のことだろう。

4年前、上海のタクシーに乗ったとき、建ち並ぶ新しい超高層ビル街の威容をぼんやりと眺めながら、運転手さんにこう言ったことがあった。
「すごいね、中国は本当に発展しているね」
運転手さんの返事はこうだった。
「何が発展だ。君に何が分かるんだ。この発展は我々庶民には何一つ関係がない」
そのすごい剣幕に、私はただ黙り込むしかなかったのだった。
中国のバブル。
その渦中にいると何故か忘れてしまいがちになるのが人間の悲しい習性だが、永遠に続く好景気は存在しない。喚起された需要がまた喚起された需要を呼ぶ幻想のダンスには、必ずどこかでその幻想を支え切れない局面が訪れ、ステップを止めざるを得なくなる。そのときに、あのタクシーの運転手さんは、上海のブランド店で次々とヨーロッパブランドのバッグを買いあさっていたSくんは、どこへ流れて行くのだろうか?

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2000年頃だろうか、世界経済の中で中国の持つ重みが日に日に増し始めていた頃、私は中国にかなり期待するところがあった。植民地主義を掲げた列強の侵略以来、欧米諸国にやられっぱなしだったアジアから、やっと超大国が出現する。白人だというだけで何故かいまだにアジア人を見下すことが多い欧米人を、とうとう心底圧倒出来る日が来るだろう。それが私の期待だった。
そして、4000年の歴史を持つこのナチュラルボーン超大国は、西欧風の白か黒かの教条的な哲学ではなく、独自の東洋風の世界観をもってして、世界に新たな魅力的な秩序を打ち出すことが出来るのではないか。どこかでそんな期待をかけている自分もいた。
けれど、結局のところ中国の経済発展が国民にもたらしたものは、バブル期の日本人と寸分変わらないSくんのような、金と、他人が決めたブランドという体系による権威づけに明け暮れる品位のない中国人を増やすだけのことだったのかも知れない、とも思う。中国人が日本をけなすときに「小日本」という言葉をよく使うけれど、何だ、あなたたち「大中国」さんも、結局のところ「小日本」と変わらないバブルダンスをしているだけなんだね、と大きな失望を味わうしかないのが今の心境だ。
その上更に中国政府の対外政策は悲しいほどに凝り固まった覇権主義で、世界各国に「中国嫌い」を増やしつつある。この事実も、中国の人々はもっと深刻に受け止めた方が良いだろう。15年前に中国映画に恋をして、北京に留学して以来一貫して親中派の私が言うこの心からの忠告に、どうか耳を傾けてほしいと思う。

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悲しいのは、中国の経済成長に乗って自分も一旗揚げようと中国に渡っている日本人で、その中には、地方の中国共産党幹部とのコネクションを自慢したり、「マヤさん、あの張さん(仮名)はどこどこ省政府の幹部の息子さんで、すごいんですよ」と耳打ちしたりする人がいることだ。中国で生まれ育った訳でもあるまいし、日本人のあなたがどうしてここまで向こうの人々さえ欠陥があると認めるシステムに取り込まれてしまうのか、と、慨嘆するしかないではないか。
また、中国で行っている自分のビジネスがそれなりに上手く行って、自分は今どんな高級料理を食べられる身分になって北京でどんな高級マンションに住んでいて‥と、バブル時代の悲しい日本人そのままに、外づけのヒエラルキーに自分をあてはめて得意になっている日本人がいる。日本で育ち、過去にバブルに踊った自国の人々の愚かな姿を見ていながら、中国に渡ってまでまた同じ価値でしか人生を測ることが出来ないのか‥と、これもまたため息をつくばかりだ。

もちろん、私の中国人の友人の中にも、また、中国に渡って奮闘している日本人の友人の中にも、このようなみっともない人々とは正反対の“本物の”人たちがいる。中国のバブルは早晩はじけるだろう。そのときに、これらの人々が受ける波が少しでも痛手の少ないものであることを、心から、願う。
そして、たとえバブルがはじけたとしても、巨大な人口を抱える中国の購買力は日本にとっていついかなるときでも無視出来るものではなく、この難しい国とどうつき合って行くかを常に考え続けて行かなければならないだろう、ということを、ため息をつきながら思う。

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「中国人の友だち」 2010/06/24



先週、大雨の降る夜、中国人の友人のTちゃんと食事をした。Tちゃんは上海生まれで、まだ二十四歳?二十五歳?北京の或る大学の日本語学科を卒業して、今は日本で働いている。

Tちゃんと知り合ったのは、2年前の冬だった。共通の知人がいたとか仕事の会合で席が隣りだったとか、そういう“顔の見える”つながりから知り合ったのではなく、実は、ネットを介して友人になった。私はふだん、“顔の見えない”関係が苦手でなるべくウェブ・ベースの交際はしないようにしている方だから、Tちゃんとのそのような出会い方は、例外中の例外だ。彼女と知り合った経緯を振り返ると、人と人との縁の不思議さについて、思いをめぐらさずにはいられない。

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“餃子事件”という事件を、今でも覚えている人は多いと思う。2008年1月、兵庫県と千葉県のスーパーで買った中国産の冷凍餃子を食べた家族が、重度の食中毒を起こした事件だ。
日中双方の警察が調べてみると、餃子には毒性の強い農薬が含まれていて、しかも、日本側の調査によれば、餃子が日本に運び込まれた後、毒性物質を混入させる機会は極めて乏しく、おそらく、どう考えても、中国国内を出る前に混入されたと考えるのが自然だった。
しかし、中国側はこれを真っ向から否定。面子にこだわり、どこまでも自分の非を認めない頑迷なその態度は日本人の感情を逆なでした。連日、中国に対する怒りの報道が続き、中国のイメージは過去最悪に近い状態に陥ったのだった‥。

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昔からの友人はよく知っているが、私は宿命的と言っていいくらいの中国好きだ。中国、香港、台湾に友人も多く、いつも日中関係が上手く行くように願っている。だから、靖国参拝問題、チベット問題、ガス田問題‥日中間で何かが起こる度に、いつも心を痛めて来た。
何しろ私の場合、恋人が中華人という時期も結構あるので(今はいませんけど!)、そういうときは、日中間の問題が自分の恋愛問題に発展する可能性のある、一種の時限爆弾になる。結婚願望はない方だけれど、人生には何が起こるか分からないのだから、私の場合、中華系の人と結婚する可能性だって結構あるだろう。日中間が紛争状態になれば、人生にものすごく大きな影響が出るのだ。切実に切実に、日中友好を願っている。

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そんな私だから、餃子事件が起こったときは、非常に暗い気持ちになった。ちょうどそのとき、大切に思う人はまたしても中華系の人だったから、暗い気持ちはよけい増幅されていた。何しろそのとき、電車に乗って吊革広告を見上げれば餃子事件、テレビを点ければワイドショーで餃子事件(憎々しげに中国混入説を否定する中国警察トップの記者会見)、新聞の一面も餃子事件、インターネット上には中国を罵倒する書き込みがあふれていた。「あーあ」とため息をつくしかない。
そんなとき、ずっと以前から参加していたmixi上の日中友好系コミュニティに、中国人の女の子が日本語で書き込みをしているのを偶然目にした。
その女の子は、北京の大学で日本語を学び、今、東京の大学に留学に来ている大学3年生だと言う。近所のレストランでバイトをしてるのだけど、お客さんはみんな中国の悪口を言うし、テレビを点ければ餃子事件の話題。新聞の一面も餃子事件、インターネットには中国を罵倒する書き込みだらけ。もう私、本当に暗い気持ちになっちゃった。何もかもが嫌になっちゃった。そう書き込まれていた。

その書き込みを読んだとき、心の底の深いどこかから、「何かしなければいけない」という気持ちが湧き上がった。紛糾する餃子事件に対して、微力ながら私が何か運動を起こす‥とかそういうことではなくて、この一人の中国人の女の子に対して、何かしなければいけない、と思ったのだ。

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昔々、中国に興味を持つずっと以前、まだ大学生だった頃から(ちなみにその頃の私はどちらかと言うとヨーロッパかぶれ。イタリア語をまあまあ話すことも出来た)、私はずっと国際交流ということに関心があった。そのときによく耳にしたことがある。
「日本人は、留学する人はそこそこ多く、それなりの体験を持って国に帰って来るけれど、留学生を受け入れる数は圧倒的に少ない」
それから、こんなこともよく言われていた。
「アメリカに留学すると、たいていの人はアメリカを好きになって国に帰る。でも日本に留学すると、かなりの人は日本を嫌いになって国に帰る。特にアジアの留学生は、たいていは日本を大嫌いになって国に帰る」
このことが、いつも私の心に棘のように刺さっていた。

日本人は、島国根性である。これは厳然とした事実だと思う。
何しろ数千年も、たまたま海に囲まれた国だったために、外国との大きな交流や大きな戦争や、そして、ここが一番大事なところだけれど、難しい政治交渉をすることなしに暮らして来ることが出来た。これほどどっとたくさん異国の人と交流するのは、本当に日本の歴史上、初めてのことと言って良いのだ。なかなか一朝一夕に「国際的」になれなくても仕方がない、と思う。
それより残念なのは、明治以降、日本人の中に培われてしまった根深いアジア蔑視の意識だ。最近は大分改善されているとは思うけれど、まだまだ、たとえば同じ言い間違いを白人さんがすれば尻尾を振って「チャーミング☆」と思う人も、背が小さくて黄色い肌のアジア人の留学生が間違えば「ち、ダサイ」と思う。そういう人がいるのは、残念ながらこれも厳然とした事実だと思う。自分も小柄で黄色い肌のアジア人なのにさ!そもそも小柄で黄色い肌で何が悪いんだ!‥と一人私が憤慨しても、差別意識というものも、なかなかそう簡単には消えてなくならない。

もともとの異文化交渉苦手体質とアジア差別意識、この二つを日々浴びせられれば、アジアからの留学生が日本嫌いになっても仕方がないだろう。でも、いつも思うのだが、これほど残念なことがあるだろうか?
例えば私は中国に留学して、楽しいことをいっぱい経験してもっともっと中国を好きになって日本に帰って来た。だから、日中間で何か問題が起これば、「確かにその問題は中国が悪いけれど、その裏にはこういう歴史的事情があってね」「日本から見えるのは共産党政府だけだけど、実は中国人の大多数も、決して共産党に心から賛同している訳じゃない。今のところ仕方がないから共産党体制で行ってるだけなんだよ」と、中国の現状を説明する、無償のスポークスマン役を買って出ることになる。留学生というのは、そういう存在ではないだろうか。留学生は国にとって大切な大切なお客様であり、一旦ファンになってもらえれば、高いお金を払って海外広報などしなくても、自然に日本という国の代弁者になってくれる、頼もしい人材なのだ。

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一つの国と一つの国が経済上の必要性から関係を持つようになれば、必ず利害の衝突が生まれる。100パーセント友好に進む二国間関係なんて、あり得ない。どこにも存在しない。そんなものを夢見ても意味がない。幻想に過ぎない。だからこそ、何かが起こったときに潤滑油が必要だし、その潤滑油の調整によって、妥協点を見出していかなければならない。それが幻想に惑わされない、現実に沿った二国間関係というものではないだろうか。
では、何が潤滑油になるのか?私の考えでは、それは、「相手の国を知っている人材」、これに尽きるのではないかと思う。

個人的な興味から、この数年、国際関係史に関する資料を大量に読み込んでいるが、二国間で政治的問題が発生し、その最も難しい局面に差しかかったとき、結局最後の武器になるのは、武力でも資金力でもないのではないかと感じる。それはただのカードに過ぎないのだ。カードを見せつつ、交渉の、本当の最後の武器になるのは、「相手の中枢部と直接話が出来る人材」「相手の国の話法にのっとって、こちらの事情を説明出来るような、そういう話し方が出来る人材」そういう人材を持っているか否か、そこにかかっているように思うのだ。
たとえば今回の普天間問題のような難しい問題が起こったときに、アメリカに乗り込んで政権の中枢部の人材と、どこかの暖炉のあるクラブハウスででもソファに足を組んで座りながら、何時間も話し合えるような人材。相手の国の言葉を使いこなしつつ、かつ、人間として好感を持たれ、一目置かれるような交際を、既にその国の人たちと何年も築いているような人材。そういう人材を多く持っているかいないかで、国際交渉の成敗は大きく分かれる。これは現代史が教える一つの事実ではないかと思う。

そしてこれは逆もまた然りで、自国から、相手の国に乗り込んで行くだけでは実は十分ではない。相手の国からこちらへと乗り込んでくれる人材を育てておくという発想も、同じくらい重要なのではないかと思う。
そう、それは、日本語を話し、何か二国間問題が起こったときに、その問題に関わる日本国内の重要人物と、例えば美しい日本庭園の見える日本料理屋辺りで何時間でも、腹を割って話が出来る人材。日本を愛し、日本の歴史を理解し、日本の国民性を理解した上で、今起こっている問題の妥協点を探り、本国に説明に帰ってくれる人材。そういう人材を育てているかいないかで、二国間問題の行方が大きく左右された例、これも、歴史の中で多数学ぶことが出来るのだ。
  
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‥だからこそ、2008年、「餃子事件」という笑ってしまうような名前の事件が起こり、ネット上の日中交流コミュニティで一人の中国人留学生が深い嘆きのメッセージ書き込んでいるのを見たとき、私は、「この人に、必ず連絡しなければいけない」と思った。
もちろん、私は、政府の要人でもないし、経済界の大物でもない。将来そんなものになる可能性も、こればかりは全くないだろう。でも、もしかしたらこの女の子は、将来中国政府の、或いは中国経済界のホープになるかも知れないではないか。もちろん、そんなものにならなくたって別にいい。中国の、ただの団地のおばちゃんでも全く構わない(中国にも団地があります!)。この人は、日本に興味を持って、上手な日本語を書いて、日本人の中に入り込んでバイトをしてみたりしている積極的な女の子だ。こういう人をみすみす日本嫌いにして国に帰すほど、馬鹿げた、悲しいことはないじゃないか。何の因果か私は中国を好きになって、かつて中国でたくさん楽しい思い出をもらって日本に帰って来た人間なのだから、ここで一つ、中国に恩返しをしなければいけない。じゃなければ男が、いや、女がすたると言うものではないか。骨の髄まで水滸伝的に義侠心気質の私は腕をまくり、この女の子に連絡を取ることにした。それが、Tちゃんだったのだ。

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Tちゃんとは、その後、吉祥寺で会った。
何しろ吉祥寺と言えば女の子が反射的に「わー!」「かわいい!」と声を上げてしまう女子心くすぐり系雑貨屋さんの宝庫だ。そんな店を何軒か案内して楽しんでもらい、それからカフェでお茶をしてその日は別れた。「日中間の未来や如何に」など、難しい話をした訳ではない。最初に出したメールに、確か、
「日本人にも色々な人がいます。全員が中国を悪く思っている訳ではないから、日本のことを嫌いにならないでください。良かったら、ちょっとお話しませんか」
といったようなことを書いた記憶はあるが、実際に会った後は、難しい話は一切しなかった。お互いを知るための、普通の自己紹介と普通の会話、交わしたのはそれだけだった。

それから、また別の日、中国好き・アジア好きの友だちとの集まりに、Tちゃんを連れて行った。皆で中国映画を観に行ったりホームパーティーを開いたり‥そのうち、私なしでもTちゃんとそれぞれのメンバーが会うようになり、新しい友人関係が生まれたことは、私にとって何よりも嬉しいことだった。これでもうTちゃんも、“日本嫌いの留学生”にはならないに違いない。

やがてTちゃんの留学期間も終り、北京の大学に戻ることになった。向こうでの大学生活はあと1年。皆で開いたお別れの食事会の日、Tちゃんは、「これから就職活動が始まるけど、出来れば日本企業の中国支社か、中国企業の日本関連部門なんかで、日中貿易に関わる仕事をしたい」と言った。これからも日本に関わろうとしてくれてるんだ!またの再会を約束して、皆からの寄せ書きをTちゃんに贈った夜だった。

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それから、半年後。Tちゃんのmixi日記に「日本企業に就職が決まりました」という書き込みが入った。そのわずか1年半ほど前、「もう何もかもが嫌になった」と書かれていたのと同じmixiの上に!
時はちょうどリーマン・ショックの打撃が一番大きいときで、日本人学生でさえ就職が決まらない人が大勢いる中、成長株のネットワーク企業の営業職として、内定が出たのだ。おそらく、将来の中国進出を睨んでの人材の先行投資だろう。「9月からは、会社が用意してくれた寮に住み、東京の都心のオフィスで働きます」‥期待でいっぱいのTちゃんの日記を読んで、深い感慨を覚えずにはいられなかった。

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それから、約10カ月。仕事に慣れて来たというTちゃんから、「久し振りに食事しよう」という連絡をもらった。Tちゃんは吉祥寺に良いイメージを持ってくれているらしく、吉祥寺で会いたいと言う。そして先週、二人で食事をすることになったのだ。

そうして久し振りに会ったTちゃんの、成長ぶりは私の想像以上だった。文系出身だと言うのに、同じく文系の私にはさっぱり分からないネットワーク?ソリューション?セキュリティ?システム?の仕組み?を完全に理解し(しかも日本語で!)、それを日本企業や日本国内の外資系企業に、営業マンとして売っていると言う。更に今はまだお客さんの大部分が英語圏出身のため、英語でセールストークをしているとか。
「Tちゃん、英語出来たんだっけ?」
「あんまり出来なかったけど、毎日使っているうちに今は大丈夫になった」

更によくよく話を聞いてみると、同僚・先輩の日本人ともとても上手くやっているようで、色々話してくれるこぼれ話が面白くて思わず大笑いしてしまう。同期の日本人の女の子の中には仲良しがいるそうで、3時には二人でお茶タイムを取ったりもしているとか。寮の部屋の写真もすごくきれいだったし、何もかも順調な社会人生活のスタートのようだ。あっと言う間に時間が過ぎて、また時々食事をしようねと約束をして吉祥寺駅まで見送った。

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Tちゃんを見ていると、まさに今世界に伸びようとしている、新しい世代の中国人の力を感じる。
中国人本来の積極性と、中国という大競争社会を勝ち抜いて来た底力。基本的能力の高さ。更に、日本語と英語を使いこなし、これからの世界最大市場の言語・中国語を、ネイティブとして使いこなすことが出来る利点。そしてここが一番重要なことだけれど、中国では何がマーケティング的に刺さるのか、肌で理解してもいる。更に、ITビジネスにも強い。これからの世界のトップ・エリートは、間違いなく、彼女のような人材だろう。こういう人材が日本ファンでいてくれることほど、頼もしいことはないではないか。
おそらくこれから彼女は、会社の当初の期待通り、この日本企業の中国進出の斥候隊となって中国市場へと乗り込んで行くのだろう。こういう人材を時間をかけて育てようとする日本企業もなかなか抜け目ないなと感心させられる一方、はたと考えたりもする。そうやって、いつか彼女が中国へ“出て行く”とき、彼女は一体、日本企業のために働いているのだろうか?母国・中国のために働いているのだろうか?と。
おそらくそれは彼女自身にもよく分らないことなのだろう。彼女は自分自身のために働き、そしてその彼女自身は、中国にも塗られているし、日本にも塗られている。これからのアジア世界は、そのようにして成立していくのだろう。

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ほんの数年前、傷ついた弱々しい留学生だった彼女に、今は教えられることが大変多い。いつも私はこのようにして中国とは好運(ハオユン)=ラッキーが続くのだが、それはきっと私の記憶にはよみがえらない、あの広大な大地の国の人たちとの何十世代も前からに亘る因縁からやって来るのだと考えるのは、夢見がち過ぎるだろうか。今夜は秘蔵の茉莉花茶でも飲んでみようか。