西端真矢

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上海・南京旅行記(前篇)~~“反日”の真っただ中で考える日中関係 2012/11/08



 10月半ば、上海と南京へ旅行に行って来た。
 大分前から計画していた旅だったけれど、9月半ばにあの歴史的な反日デモが起こり、一時はキャンセルせざるを得ないのかしら‥と意気消沈。特に南京は、中国や香港の友人たちからも「ちょっと今回は危険なのでは?」「お節介かもしれないけど一言言わせて。中国人の友だちと一緒ならいいけど、一人で行くのは止めた方がいいと思う」とわざわざ連絡をもらうほどだった。
 しかし、10月に入って情勢も落ち着き、待ってましたと出かけることに。その旅で見聞きしたあれこれについて、今日の日記では書いてみようと思う。

 そもそも今回の旅には二つの目的があった。一つは、1930~40年代の建築物や、その時代に関する博物館を見て回ること。もう一つは、人に会い、街を歩き、2012年秋のこの中国を感じて来ること。
恐らくこの日記を読んで下さっている方の多くは後者、「今の中国」の方に関心があるとは思うのだけれど、まずは第一の目的から書いてみようと思う。

旅の目的その一 オールド上海、オールド南京を訪ねる
 今回、8日間の旅の間中、本当によく歩き回った。
 前回の日記にも少し書いたけれど、将来、1940年代に上海に住んでいた曾祖父を舞台背景に使った(主役ではないのです)文章作品を書きたいと思っていて、そのための基礎調査が今回の大きな目的だった。
 そもそも曾祖父が住んでいた建物が、今は上海大厦(英語名:ブロードウェイマンション)という名の5つ星ホテルになっているので、旅の前半2日間はそこに宿泊した。ひょっとしたら、深夜に曾祖父の霊が現れて過去の秘話を聞かせてくれたりして‥などという期待を少ししていたのだけれど、もちろんそんなオカルトじみたことは起こらず、いたって快適に、いわゆるシティホテルライフを満喫した。(5つ星だけれどそれほどお値段も高くなく、最近のホテルほど巨大ではないのでサービスもフレンドリーなかんじ。お薦めのホテルです。下がホテルの写真)
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 この建物は、そもそもは1934年に西洋人向けの高級マンションとして建てられ、やがて日本政府がまるごと購入。政府高官用の高級官舎として使用するようになった。戦後政界のフィクサーとなった児玉誉士夫を長とする阿片・戦略物資などの闇調達機関・児玉機関があったことでも有名だ。
 私の曾祖父は、そんな、何やら冒険話がいっぱい転がっていそうな謀略取引に関わっていた訳ではなく、合法の方の顔、中国を植民地として経営するための経済・金融関係の任務を帯びていた。今回、曾祖父がこのブロードウェイマンションから毎日通っていたであろう或る政府系の銀行、そして「興亜院」という、植民地経営のための省庁が入っていた建物(曾祖父はこの省でも官職を持っていた)、また、曾祖父が交渉相手としていた中国の要人たちの家々、日本陸軍・海軍の駐留施設、列強の租界経営の中核機関‥そういった、未来の作品に登場させたい建物を一つ一つ回り、建物の大きさや構造を把握し、また、或る機関と或る機関がどのくらいの距離を隔てて存在していたのか‥といったような、資料上で知っていた文字情報を体で理解するために街を歩き回っていた。
(下の写真は、そんな建物の一つ。石積みの壁に歴史が感じ取れる)
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幸いなことに、上海でも南京でも多くの建物はまだ昔の姿を保ったまま保存されていて、歴史好きの私にはたまらなく楽しい毎日だった。街をとことこ一人で歩いている時、私の中では、過去と現在が交互に現れてまた消えていたのだ。

             *

また、或る半日は、上海の福州路という道を行ったり来たりして過ごした。この道には大小の書店が集まっているので、各書店の「歴史書」のコーナーで、1930~40年代の日中関係史に関する本を買い集めていた。
もちろん、今では多くの本を日本でもネット購入出来るけれど、やはり現地で「歴史書」コーナーの前に立ち、「こんな本もあるんだ」と偶然手に取ってページをめくってみる。そしてまた隣りの本、また隣りの本へと、蜘蛛の巣が一目ずつ延びて行くように書籍がつながって行く楽しみは書店にはかなわない。おかげで帰りの荷物は本でずっしりと重くなってしまい、トランクに入れて超過料金を取られるのが嫌さに手荷物のスポーツバックに入れて持ち歩いていたら、肩が千切れるかと思うほどだった。
 また、「上海当檔案館」という、日本語で言えば「上海公文書館」に当たる資料館では、曾祖父に関する資料を発見することが出来た。ここにはまだまだ読みたい資料が大量に保管されているので、またの機会に、ただここに通うためだけに上海滞在をしたいと思う。

旅の目的その二 現地の“反日空気感”について
 さて、いよいよ現在の中国について。
 今、戦後最大に日中関係が冷え込んでいるこの時期に中国へ行った、と言うと、日本人の知人にまず質問されるのが、「何か怖い目に遭わなかった?」という問いだ。本当は、「街を歩いていたら中国人に因縁をつけられて、丁々発止と中国語で戦ってね」‥といった武勇伝でも披露したいところなのだけれど、残念ながら?拍子抜けするくらいに何も起こらなかった。
 例えば、デモたけなわの頃は、日本大使館から「危険だから日本人はタクシーに乗るな」指令が出されていたという、そのタクシーでは、私の発音で行き先を告げると外国人だと分かってしまうため、「何人だ?」と訊かれることもあった。
 この質問に対して、今現在、中国にいる日本人は皆一瞬のためらいを感じるはずだ。自分の国籍を堂々と名乗れないというのは本当に悲しいことだけれど、でも、「日本人です」と言ったらもしかしたら乗車拒否に遭うかも知れない。或いは何かケンカを吹っかけられるかも知れない。そのようなタクシー運転手はごくごく一部には違いないけれど、もしかしたら自分がそのごく一部に出くわしてしまった可能性もある。だから一瞬のためらいが生まれることになる訳だ。
 では、「韓国人です」、或いは、「アメリカ移民なの」などと答えるのか?それはあまりにも屈辱的じゃないか――タクシーに乗る、というごく日常的な行為をしようとするだけで、残念ながら現在の日本人は、中国でそんなためらいの渦に追い込まれてしまうという訳だ。

 もちろん、出発前に、この「何人だ?」問題については当然考えていた。そしてやはり私は日本人であることに誇りを持っているので、「韓国人だ」などとは言いたくない、と思っていた。たとえ「ここで降りてくれ」と言われることになっても、「日本人です」と言いたい。議論を吹っかけて来られたら、よっぽど凶暴そうな運転手さんじゃない限り、受けて立とうじゃないかと思っていた。実は、領土問題を語る時に使う単語も事前に覚えて出かけていた。けれど拍子抜けするくらいに何も起こらなかった。

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 例えば、ある晴れた日に上海で乗ったタクシーのおばちゃん運転手さんは、
「今の季節の上海は一番いいでしょう~。暑くもないし寒くもないし。運転手は暑いと大変なのよ~」
といいかんじだし、30代くらいの若めの運転手さん(男性)のタクシーに乗った時には、高速を走っている時に何と1台前の若い女性ドライバーがゲームをしながら運転をしていたようで、急停止(高速で!)。危うく事故になりかけた。その後二人で「ひどい!」「自分勝手過ぎるよ!」「ゲームしながらだからよく道を見てなくて、出口が分からなくなったんじゃない?」「そうだ。それに違いない!」などとバカ女子を罵り合いながら走って興奮冷めやらなかった。
 一度だけ、おじさんの運転手さんに、
「日本と中国の関係は今悪いよね。領土問題、君はどう思う?」
 と訊かれたことがあった。こちらとしては、いよいよ来たかー!と臨戦態勢に入り、
「えーと、日本には日本の考え方があってですね、」
 と途中まで説明していると、
「そういうのはさ、政府同士のことだよね。一般の庶民には関係ないよ。「作秀」って言葉、君は知ってるか?」
 と訊かれた。「作秀」というのは「目立つように華々しいパフォーマンスをしてみせる」くらいの意味で、彼の主張は、政治家たちが「自分は外国に弱みを見せない強い政治家だ」と主張するために、強硬姿勢を示す。或いは、人気取りのために愛国を主張する。今回の領土紛争はそんなショーみたいなものなんだよ、というものだった。
「庶民同士の交流には全く関係ないよね。我々一般の人間は、こういう一回一回の場で普通に楽しく過ごせばいいんだ」
 そう彼は言っていた。

             *

また、或る時は、と或る観光名所に見学に出掛けたら(普通の観光も少しはしているのです)、そこの係員のおじさんに話しかけられた。とても親切に、特別に施設内を細かく案内してくれて、その中で日中関係の悪化に話が及んだ時、
「戦争なんかになったらさ、被害を受けるのは結局一般市民だよ。誰が徴兵されると思う?僕の息子や、君の友人、家族だよねそんなことになったらどうする?空襲で死ぬのもみんな市民なんだよ」
「上層部の人は安全な核シェルターにでも避難して、絶対死なないもんね」
「そうだよ。戦争なんて本当にばからしい。絶対にごめんだよ」
 と力説していた。
 この他にも、日本語を話せる中国人友人とおしゃれカフェでお茶をしていたら、店員さんが日本語で「ありがとうございます」と話しかけて来てくれたり、上で書いた上海檔案館でも、申請の仕組みやマイクロフィルム機の使い方に不慣れな私に、全ての職員の方たちがこれ以上出来ないほど親切に説明をして下さった。以前、日本の国会図書館でやはりマイクロフィルム機の使い方が分からず質問したら、面倒くさそうに対応されたのとは対照的なほどだった。もちろん、国家の資料を見せてもらうので檔案館にはパスポートを提出しなければ入室出来ず、私が日本人だということは職員の方々に知られた上でのことだ。

             *

 また、直接会話をしない間でも、街ですれ違う人たちの対応もいたって冷静だった。
 日本語を話せる中国人の友人や日本人の友人と、地下鉄や道で日本語で話していても特に何も起こらなかったし、南京で、中国全土から観光客が集まって来る中山稜という観光名所に行った時も、日本語で話していても全く大丈夫だった。
 実は南京では、日本語は一言も話さないつもりだった。けれど、待ち合わせしていた現地ガイドさん(日本語ぺらぺらの方)と南京中央駅で落ち合った瞬間、
「ああ、日本語で大丈夫ですよ。南京は落ち着いてますから、平気平気」
 とにっこり笑顔で言われ、ここでもまた拍子抜けすることになった。

 ちょっと補足すると、実は今回、私は南京に友人が一人もいないので、安全のために日本から現地ガイドさんを手配していた。やはり、女の一人旅、何か事件に遭遇した時に現地に知人がいないと、本当に悲惨なことになりかねない。「用心棒としてガイドさんを雇う」という案を、かつての留学仲間で現在中国語ガイドをしている友人が提案してくれ(感謝!)、ベテランのガイドさんを手配してくれた。それであきらめかけていた南京行きが実現出来ることになった訳だけれど、そのガイドさんには、出発前にメールで「会話は基本的には中国語でしましょう」と連絡していた。しかし上記したように駅で会った瞬間に拍子抜けすることになり、そして本当に、怖いことは何も起こらなかったのだ。
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 そもそも、上海から南京へと向かう中国の新幹線=高速鉄道(上の写真)で、隣りに座っていた女の子の着うたからして、宇多田ヒカルだった。着メロではなく着うたなので、思い切り日本語が車内に流れている。それでも誰も、「日本鬼子の歌を流すな!」などと怒ったりしなかった。(ちなみに中国では電車内の携帯使用OK)
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 また、上海に帰る日、南京駅に少し早く着いてしまったのでぶらぶら構内を歩き回り、旅のお供の本を売る“駅ナカ本屋さん“を覗くと、雑誌スタンドのど真ん中に「宮崎駿本」がにぎにぎしく並べられていた(上の写真)。そう、現地の空気は日本で報道されるほど過敏ではないのだ。
       
反感と友好 混ざり合う現地の空気 
 でも、だからと言って、全く敵対的ではないかと言えばもちろんそんなことはない。
 例えば、南京で街を歩いていたら、派手に商売やってます風の大きな不動産屋さんの電光掲示板に、物件情報に混じって「釣魚島(=魚釣島の中国名)は中国の領土」というメッセージが5分おきくらいに流されていた。
 テレビを点ければ「時事解説」「今日の話題」的な、識者を招いてニュースを深く掘り下げる番組では、しょっちゅう尖閣問題が取り上げられていた。中国はテレビ局の局数が多く、そのそれぞれがこのような番組を持っているから、最低1日に1回は尖閣を論じる番組を見かけることになる。
 また、普通のニュースの中でも、日本政府の動き――例えば、玄葉外務大臣がどこの国へ行ってどんな発言をしたのか、国会議員の靖国参拝について、など――と、そして、アメリカ軍の動きに関するニュースは細かく採り上げられていた。一番スポットライトが当たっているのは今のところ日本だけれど、その背後にいる存在として、アメリカの動きに中国が神経をとがらせていることが伝わって来る。
 また、私自身はタクシーで一度も嫌な目には遭わなかったけれど、現地に住む日本人の友人からは、日本人ビジネスマンが酔っぱらってやや大きな声で日本語で喋りながらタクシーに乗ったりすると、運転手さんがわざと大音量でラジオを流し、嫌がらせをする、という話を聞いた。中国のツイッター・微博で、中国人の女の子が「今日、日本人の中年の女性が乗車拒否をされて悲しそうな笑顔を浮かべているのを見た」とつぶやいているのを読んだこともある。今回の私の中国滞在は8日間という短いものだったので乗車拒否に遭わなかっただけで、現地で暮らしていれば1度くらいはそういう目に遭うこともあるのかも知れない。

             *

 また、上海の紀伊国屋書店的な大型書店では、店に入ってすぐの、一番目立つ場所に尖閣問題関連の本が山積みされていた。こういうものを見ると日本人は少なからず緊張してしまうけれど、でも、しばらく見ていても立ち読みしている人は全くいなかった。購入している人も、いない。その書店に行く機会が2日間あったけれど、2日間ともいなかった。唯一購入したのは、そう、私(笑)。政府が発行した小冊子と、研究者が書いたもの、2冊を購入してみた。議論や交渉をする時には、まず、相手の主張をよく研究しなければいけないのだから!
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 この2冊、自分でレジへ買いに行こうかどうしようかと思ったけれど、中国人の友人が「万が一何か起こるといけないから」と、奪い取るようにして代わりにレジへ行ってくれた。こんな小さなことにも小さなためらいが生じ、小さな熟考が必要とされる。それが現在の日中関係だという訳だ。

             *

 それでも、この大型書店でまた別の階へ上がると、日本語学習教材のキャンペーン中で、専属スタッフがエスカレーター前で一生懸命チラシを配っていた。少し離れた所に小さなブースが設置されていたのでちらっと覗いてみると(スタッフはチラシ配りに夢中でブースは無人)、
「日本語を勉強して、J-POPやアニメの情報をがんがん入手しちゃおう!」
といったコピーが書かれたかわいらしいPOPが置かれ、その前の小さな台には申込用紙が2枚載っていた。読んでみると、「無料学習1回OK。希望者は連絡先を書いて下さい」と書かれていて、実際に申し込んだ人の氏名とメールアドレスが記入されていた。めちゃくちゃ個人情報だけど大丈夫かな?と思うと同時に、無造作に、こんな、日本語学習への興味を示す個人情報を置いて行っても平気なほど、上海の世論は落ち着いているということだ、とも思った。そもそも日本語教材をキャンペーンしていても誰も妨害していないし、怒り出す人もいない。そして、こんなにも日中関係が冷めている中、それでも日本語学習に興味を持つ人もいる、という訳だ。

 
中国人の本音と、その本音をどう汲み取るか
 以上、私が実際に見聞きしたことを総合して分かることは、上海でも南京でも、尖閣諸島問題に神経を昂ぶらせ、日本に強い反感を持ち、実際に大小の行動に移す人もいる一方、大多数の人は日本人と同じく、大人の対応をしているということだ。 
 もちろん、日本人が「こうこうこういう理由で尖閣は日本の領土だ」と思っているのと同様に、中国の人もそれと同じくらいの強さで、「こうこうこういう理由で尖閣は中国の領土だ」と思っている。領土問題とはそういうものだろう。
 また、今回の一連の成り行きについては、「今まで棚上げを原則にして経済上での実利を図って来たのに、今回、日本の方からその状態を破った」と、日中双方に何の利益もない、こんなバカなことを何故わざわざ仕掛けて来たんだ、と呆れている人も多い。でも、目の前にいる日本人を罵ったり、暴力を加えたりはしない。それが大多数の中国人が取っている行動であり、そしてまた、多くの人が心の中で、とにかく戦争だけはごめんだと思っていることも透けて見えて来るのではないだろうか。

 現在の中国は、文革時代とは違う。全員が同じ意見を持っている訳ではないし、全員が暴力的に振る舞う訳でもない。日本のニュース報道の多くは、何かが起こった時にだけ中国の対日感情を報じる。例えば、「上海の飲み屋で日本人が殴られた」。それは事実だけれど、大部分の日は何も起こっていないこともまた事実だ。両方報道しなければ公平ではないけれど、「今日も何も起こりませんでした」ではニュースにならないから、当然報道はなされない。
 多くの日本人は、日本のワイドショーや週刊誌、そして時には新聞報道でさえも、かなりテーマの択び方が恣意的であり、ずさんな取材も意外と多いとことに、近年嫌というほど気づかされていると思う。それが、中国報道についてだけは急に正確で公平な取材をしている、と思い込むのは片手落ちというものだろう。
 日本の中国報道には、或る程度偏りがある。そのことを前提として、今はSNSがこれだけ発達しているのだから、中国現地に住む日本人ビジネスマンや、“本社の意向”から自由なフリー日本人ジャーナリストの生活実感ある発言をもっと追うようにした方がいいと私は思う。私自身も日々そうやって、現地の空気感や情報を収集している。
 もちろん、中には最近話題の加藤嘉一氏のような怪しい人物も混じっているが、彼の、経歴だけではなく発言の怪しさも、早くから中国ウォッチャーの間では指摘されていた。大手マスコミは見抜けなかったのか、それとも知っていて敢えて起用し続けていたのだろうか?いずれにしろ、この問題一つ取っても、大手マスコミから発信される中国情報だけを追っていては正確ではないし、スピードも遅いことが分かって頂けると思う。

 そして、日本の報道だけではなく、欧米やアジア各国がどのように尖閣問題を見ているのかも――日本のマスコミによる紹介を通してではなく――自分で直接記事を読みに行った方がいいと、私は思う。本当に、ため息をつきたくなるばかりだけれど、世界は単純ではないことをつくづく思い知らされる。外交は経済とからまり経済は軍事とからまり軍事は外交とからまり合っている。アジア、アメリカ、ヨーロッパの各国は、利益と不利益を複雑に共有し合っている。「外交だけ」「日中間だけ」で解決されるシングル・イシューなど存在しない。今回の旅の間、中国人、日本人の友人と日中関係についてたくさんの話をしたけれど、みんな、どうやってこの問題を改善して行くべきか頭を抱えていた。もちろん、私自身も頭を抱えている。或る友人とは4時間余り話し合ってマラソンでもしたようにへとへとに疲れてしまった。この問題の解決は、本当に難しい。けれど、勇ましい発言やただ危機を叫ぶ発言を繰り返すだけでは何も解決しないことだけは確実だろう。

 もちろん、中国と戦争をしたいならそれでもいいと思う。領土問題は、双方が自分の主張をそのまま突き詰め合えば、結局戦争で決着をつけるしかないのだから。だけどそれで本当に良いと思う日本人、そして中国人がどれほど存在するのか。
 私の話した全ての中国人が、戦争はごめんだと言っていた。そしてそれが中国の大多数の人の考えであるとも述べていた。「もしや戦争になるのか」という黒い雲のような不安が、あのデモの時に生まれた、と。
 もちろん、中には「今すぐ日本と開戦だ」と息巻く鉄砲玉のような人もいるにはいるけれど、それはあくまでも少数派だ。大多数の中国人は、日本のことをあまり、或いはかなり好きではないけれど、戦争だけはごめんだと思っている。この世論の空気感は、実は日本と変わりないのだ。
だとしたら一体どうすれば良いのだろうか?

尖閣問題の落とし所
 ご紹介したいのは、ふるまいよしこ氏という中国在住の日本人ジャーナリストの方の見立てと意見だ。 私は、必ずしも毎回ふるまい氏と同じ見立て・意見を取る訳ではないのだけれど――それは二人の人間の意見が常に一致する訳などないので当たり前のことだ――今回の尖閣問題衝突の“落とし所”については、下にご紹介するふるまい氏の意見に全面的に賛成する。本当は、この私のブログで同様なことを書こうと思って準備していたのだけれど、先に書かれてしまったらもう蛇足になるだけだし、紹介する方が私もずっと楽でありがたいので、そのまま一部を引用させて頂く。

「最近の中国国内報道を読んでいると感じるのは、尖閣「国有化」問題における中国政府の落とし所は「日本に、尖閣をめぐる領土問題が存在することを認める発言をさせること」だと感じている。やっぱり中国政府は、「国有化」が石原購入案後最良の方法だと分かってんのね。」

「となると、日本としては「尖閣は日本の固有の領土だ。これは間違いない。中国(と台湾)は異論があるらしいケド」的な文言でごまかせば、事態を早いとこ適当な落とし所に落ち着けたい中国政府は、国内への翻訳を使って「日本がそう言った!」ということを大宣伝して、「勝った!」とか言って終わらせるんじゃないか、という気がする。彼ら、意外に単純だから。」
(ブログの全文はこちらで↓)
http://wanzee.seesaa.net/article/300372211.html#more

 ふるまい氏と同様、私も、かたくなに「領土問題は存在しない」と言い続けるのはもう無理ではないかと思っている。正式に国際司法の場に提訴しなくとも、
「我々自身は領土問題は存在しないと思っている。しかしそれを認めてない国があることは認める」
 という、どちらとも取れるマジカルな文言を作り、お互いが好きなように解釈出来る状態へ持って行く。それが一番賢明な道ではないだろうか。外交とは、それぞれの国がそれぞれの正義を貫くことではなく、少しずつ妥協し合い、共存のための方便を探すことだと私は思っている。その方便をいかに作り出すかというところに、外交の腕の見せどころがあるのではないだろうか?
 今回の旅を通じて、反発し合っているようでいて、日中の一般市民が望んでいる方向性は一致していると、私は思った。戦争はしたくない。経済の共倒れも困る。自国の面子は守りたい。日中両国は、この三つの意志を共有している。実は両国を見守る周辺諸国の人々だって、三つ目はどうでも良いだろうけれど、前の二つに関しては同意見だろう。
 「日中関係の根本的な改善」という命題は、あまりにも難しく、道のりははるかに険しい。けれど、今回の尖閣諸島をめぐる衝突なら、落とし所はあるのではないか。街を歩き、人と話し、そのことを確信した今回の旅だった。

 ‥ところで、この旅日記では、まだまだ書きたいことがあるのだけれど、ここまでで既に1万字近く書いてしまったので、もう1回に分けて、前後篇2回ものにしたいと思う。
後篇では、「南京大虐殺博物館訪問記」、「南京、不思議な街」、「反日デモで暴れた実働部隊、農民工の怒りの源泉」「反日教育とは何か」といった話題について書きたいと思うので、また読みに来て頂けたらとても嬉しい。
 ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。今日は一旦ここで筆を擱きます。

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