西端真矢

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日々雑感と、中国・薄熙来事件 2012/04/19



進 こんな私のつたない日記を必ず読みに来て下さる方がいてとてもとてもありがたく、なるべく週1回は更新したいと思っているのですが、今週は何だか忙しく、まとまった日記を書く余裕がありません。そこで覚書日記を。

 そもそも何故こうも毎日がばたばたしているのか、その理由を考えてみると、

1 仕事がそこそこ忙しい
ありがたいことです‥。

2 お茶が忙しい
実は今週末、通っている教室のお茶会があり、私も薄茶を点てることになりました。そのため毎日1~2回、自宅の和室にて最初から最後まで通しで点前の稽古をしています。
そして通し稽古の後は、苦手な部分のみを繰り返す割り稽古。あっと言う間に1時間は過ぎてしまいます。更に稽古の後は道具を洗ったり乾燥させたりといった片づけ作業あり、これを一日2セットやっているとかなりの時間を消費するのですね。

3 家事が忙しい
私は独身で、両親が住む実家の別棟で“半一人暮らし”をしています。食事は基本毎日自分で作りますし、掃除洗濯、買い出しももちろん自分で。やはり家事に使う時間はバカになりません。何とか掃除をしないで生きて行けないものでしょうか‥。

4 薄熙来で忙しい
特に中国に詳しくない方でも、最近、「薄熙来」、この名前を耳にすることがあるのではないでしょうか?
薄熙来、はくきらい、中国語ではポー・シイライと発音します。中国の政治エリートで、将来国家主席になる可能性だってなかったとは言えなかった人物。ところがそのイケイケの彼に、今年2月大事件が勃発。それをきっかけに、中国政局のすさまじい暗闘が浮き彫りになり、現在目が離せない情勢となっているのです。
一体どうすさまじいのか?
それをしっかり書いていると何時間あっても足りないので残念ながら全てカットしますが、中国政治の実権を握ろうと、現在の国家主席である胡錦濤も含め、最上層部に君臨する数十名が日々押したり戻したりの権力闘争を展開しているのですね。
中国はやはり国が大きい。たとえば三人の組織で何かを伝えようと思ったら静かな声で語りかけても十分理解してもらえますが、それが百人の組織だったら、大声を出さなければ全員には聞こえません。そして後ろの方の人にもこちらの意志がしっかり伝わるように、何らかのパフォーマンスが必要となります。この例えと同様、中国は国がばかでかいが故に、全ての政治的振る舞いが日本とは比べ物にならないくらいの大きさに増幅されてしまうのです。
だから中国の現代史は、その巨大な増幅でわんわん耳がつぶれそうなほどの暗闘の連続でした。大躍進失敗、文化大革命、劉少奇失脚、林彪謎の死、四人組、華国鋒失脚、胡耀邦失脚、天安門事件、趙紫陽失脚…中国に興味のない皆さんも、このどれか一つくらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。
私が中国に興味を持ったのは、1996年。勉強すればするほど中国政治のすさまじさに圧倒され、しかしその全ては既に“勉強の対象”であって、自分が実際に目撃したものではありませんでした。
それが、今、目の前で、間違いなく500年後1000年後にも歴史の教科書に記述され、繰り返し繰り返し映画や小説などの題材になるであろう、そう、おそらくロールプレイングゲームの題材にだってなるだろうすさまじい政治劇が繰り広げられているのです。現在進行形であり、明日は何が起こるのか予測がつかない状態。中国マニアとして、これにどうしようもなく心惹きつけられてしまうのはやむを得ないではありませんか!
…と言う訳で、日々ネットを検索し、中国語サイト、日本語サイト、英語サイトを渉猟。気がつくと1時間、2時間が経っているのでした。薄熙来で忙しい。笑いごとではありません…

…という訳で、相変わらずばたばたと日々を過ごしています。とにかく今週末でお茶会は終わるので、来週からは少し楽になるはず。薄熙来事件の鎮静化を望みますが、何しろ脇役だけでも、美貌の妻によるイギリス政商殺人事件、フェラーリを乗り回す甘いマスクの放蕩息子…と役者は十分。それに加えて、軍を動員したクーデター計画の噂、巨額の裏金海外送金、恐怖の文革時代へと回帰する意味不明の政治運動、数々の冤罪でっちあげ捜査、拷問、これまでじっと爪を隠していた胡錦濤の鮮やかな反撃…とすさまじい展開を見せています。来週も忙しくなるかも知れません…

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友の訃報 2012/04/10



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 友人が心筋梗塞で突然亡くなり、昨日、告別式に参列した。
 一時期、私はほぼ毎週末クラブで遊んでいた時期――10年近い期間――があって、彼とはその頃に知り合いになった。「毎週末」と書いたが考えてみると当時はシーンが一番盛り上がっていた時期で様々な音楽的実験が東京中のあちこちで行われていたから、週末だけではなく、平日にもたくさん素晴らしいパーティーがあった。私は当時会社勤めで激務の仕事を終えて渋谷のど真ん中に借りていたアパートにぽんと仕事のバッグを置くと、深夜12時、1時から、歩いてすぐのクラブへDJたちの音を聴きに行っていた。そんな中によく彼の顔もあったのだ。
 私たちが集まっていたのは通称「小箱」と呼ばれる小さなクラブで、平日の夜だとせいぜい15人、多くてもたかだか30人くらいしか客は集まっていなかった。だからみんなが顔見知りだった。規模は小さかったけれど――実は後にそれはそこそこに大きなムーブメントへ成長して行くのだが――そこには最高に新しく、最高にレベルの高い音楽が流れていた。そして昼の時間に私たちを支配する金や地位とは一切関係のない、真の平等王国が開かれていた。大してお酒の飲めない私はせいぜいラムコークとかモヒートとか、そんなお酒を2、3杯道連れに、音楽に全身をひたしていた。翌朝にはまた10時にオフィスへと出かけて行かなければならないと分かっていても、睡眠時間を削ることを少しも惜しいとは思わない、絶対的な価値がそこにはあった。

          *

 葬儀の後、その“クラブ時代”の友人たちと食事に行った。色々思うところがあって今の私はほとんどクラブには顔を出さなくなっているから、私の中ではあの頃は“クラブ時代”と区分されているのだ――苦笑してしまうけれど。
 そしてその食事の席では誰がそうしようと決めた訳でもないのに、みんながぽつりぽつりと亡くなった彼の話題をリレーのように交代で話し続けていて、そこには当時のクラブと同じように、自由で“本当のかんじ”が流れているのだった。
 クラブに集まる人間の常として、どこかものぐさだったり適当だったり常識はずれな習慣を持っていたりするものだけれど、亡くなった彼にもその特徴はほぼ全てあった。だから私たちは彼のそのひどさを笑い、だらだらと共に過ごした時間をぼんやりと思い出し、どこにも着地点のない会話がいつまでもいつまでも続いていた長い夜や午後が切れ切れにそのとき私たちの座るチェーンレストランのテーブルの上に一瞬よみがえっていた。
 そして、そんな風にぼんくらそのもである癖にこれと思い決めた一点だけにはあきれるほどの頑迷さを示すのもまたクラブに集まる人間の常であり、彼も、譲れないその一点においては、アフリカの奥地の金鉱を開拓する商社マンにも劣らぬ情熱で未開の地を切り拓こうとしていた。ただ商社マンと決定的に違うのは、小箱のクラブに集まるような人間のやることには絶望的に金がついて来ないということだけなのだ。もちろん私たちは彼のその情熱的な一面についても語り合った。

 彼は、文筆を志していた。友人の一人が生前彼からもらったという分厚い原稿の束を持って来ていて、私が初めて見るその小説の題は『カシューとナッツ』というものだった。
 ぱらぱらと目を通すとカシューとナッツという二人の主人公が形而上的な課題の周りをぐるぐるダンスしているような、そんな話のようで、哲学科出身でヴィトゲンシュタインを崇拝する私は、こういうことはもう全て後期ヴィトゲンシュタイン思想によって完璧な形で成し遂げられてしまっているから、後から何をやっても無自覚の、色褪せたエピゴーネンになってしまうだけなのに、と言いたくなってしまうのだが、でも、文学は自由区域の楽市楽座なのだ。やりたいことをやる人を止める権利は誰にもない。それにもしかしたらそこからたとえ当初意図したものとはまるで違っていたとしても、新しい地平が開けることだってあるかも知れないではないか。

 一方、彼の棺には村上春樹の『風の歌を聴け』が納められていたことを私は思い出す。私には彼があの小説に出て来る鼠のように思えてならない。鼠もまた小説を書いていた。そして鼠が主人公の「僕」に1年に1度その原稿を送って来るように、彼もまた友人たちに自分の小説を配り続けていた。
 鼠は金持ちの家に生まれ、誰にでもやさしくそしてちょっと頼りなかった。彼もまた金持ちの家に生まれ誰にでもやさしくどこか頼りなく、けれど違っている点は、鼠は全く小説を読まなかったけれど彼は多くの小説を読み、そして、鼠は最後に一つの意志を持って死んで行くが、彼は突然落とし穴に落ちるように死に吸い込まれて行ったということだ。たぶん彼はまだ自分が死んだことを分かっていないのではないだろうか。

          *

 彼と最後にまともに話をしたのは3年くらい前だったと思う。
 季節は夏で、そのときですら私にとってはもう久々に訪れる場所だった青山のクラブで、明け方、店の外に置かれたぱっと見ベッド台のように見える変てこな椅子の上に座って話をした。彼は最近発見したという若い詩人のことを興奮して喋っていた。その人を世に出すためにzineを出すなど、出来ることを何でもしたいと言っていた(のちに彼はそれを本当に実行することになる)。
 また、別の日、それは冬のことで、畳敷きの居酒屋で開かれた仲間同士の忘年会の席で彼と話をした。そのとき、どういう話の流れでそういうことになったのかまるで覚えていないのだけれど、私が、「将来こういうものを書きたいと思っていて、今、こういう資料を読んでるの。いつか書けるといいんだけど」といったようなことを話すと、「書けるよ、絶対」と彼は即答してくれた。
 こういうとき、「そうか、頑張ってね」と答えるのが一般的だと思うし私自身もそうすると思うのだけれど、そのとき彼はそう即答し、そう断定した。それはやはり私にとってとても嬉しいことだったし、彼が何かを断言するのをそれまであまり聞いたことがなかったから、今でも強く印象に残っている。顔を見ると静かに微笑んでいた。

 この二つの記憶のどちらが先でどちらが後の出来事だったのか、今ではもう思い出せない。とにかく私の中にある最後の彼の記憶は、こんな風に、少し熱を帯びている。
 昨日、一緒に食事をした仲間の一人が彼の「いい顔の写真がある」と見せてくれた写真があった。「これがヤツの決め顔なんだよね」とみんなで覗き込んでちょっと笑った、そのいい顔を、最後の二つの記憶の中で彼は私に見せてくれていたのだ。その記憶は一生消えることはないだろう。彼に出会えたことを心から感謝して、心から冥福を、祈る。

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神の手を持つ男――世界的心臓外科医へのインタビュー原稿、掲載されました。 2012/04/05



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『チーム・バチスタの栄光』のモデルにもなった、日本が世界に誇る心臓外科医、須磨久善先生をインタビューした記事が、JALの機内誌『SKYWARD』4月号(国際版)に掲載になりました。

今では医学の教科書にも載るほどのスタンダードになった心臓バイパス手術法を発明し、また、難手術中の難手術であるバチスタ手術という新心臓手術法を日本で初めて成功させ、後にその改良術式を編み出し…その他にも、ここには書き切れないほど数々の世界的業績を挙げ続けて来られた須磨先生。
もちろん、体のどのような部位の手術も患者さんの健康を預かる重い重い責任を負っていますが、特に心臓手術は、1ミリレベルの手元の狂いがそのまま命に直結する恐ろしさと背中合わせだということを、今回、取材前の資料読みで戦慄とともに理解しました。
先生はその手術を5000回近く行われ、それはつまり、その5000回の全てにおいて、人の命と死のそのぎりぎりの淵に立ち、命の側に引き戻す、そんな、私には到底、1度でも行うことが難しいような責任と闘い続けて来られた方なのです。
しかも、ただ心臓外科医であるだけで偉大なことだと私などは思うのに、先生はそれだけでは満足されず、もっと多くの患者さんを救いたい!と、常に新しい術式、新しい概念の病院、新しい医学普及の方法を模索され続けて来ました。そして今また新しいクリニックを設立し、驚くべきことに今回は心臓ではなく「再生医療」という新分野へ、六十代にして挑戦を始められています(詳しくはインタビューにて!)。

       *

もう私は資料読みの段階でどんどんどんどん緊張が高まってしまい、こんな偉大な方に一体私などが本当に良いインタビューが出来るのか?と、当日は決闘会場にでもおもむくような心境でした。(きっと電車の中では悲壮感がただよっていたと思います。何しろ緊張のあまりコートにクリーニング店のタグをつけたまま電車に乗っていました!もー誰か声掛けてよー!)

しかし実際にお会いした先生は、天才ならではの圧倒的なカリスマ光線を放ち、そう、人間は、たとえばダイヤモンドがきらきら光っているとそれで手を切ってしまうかも?などとは考えずに思わず近づいて行ってしまうように、緊張も一瞬のうちに吹き飛び、「この人とお話ししたい!」そんな気持ちでインタビューをさせて頂きました。
そして帰り道、私、編集長、フォトグラファー一同、全員須磨先生ファンに。その後編集長とランチに行ったときも、気がつくと1時間くらい、熱で浮かされたように須磨先生の話をしていたほどでした。
そんな渾身のインタビュー、JALに乗られると席の前のポケットにある、あの機内誌に載っています。ゼヒ読んで頂けたらと思います。

         *

今回、先生とお会いして一番感動したことは、先生のご努力、先生の圧倒的な才能、その全てが、「人に喜んでもらえると、自分が嬉しい」そんな、幼い子どもと全く変わらない素朴な喜びから生まれているということでした。
その、単純で、純粋で、もしかしたらすれた大人ならふふんと鼻で笑ったりするようなたった一つの想いが、多くの人の「命」を本当に救い、圧倒的に人々の心をつかみ、医学界に新しいムーブメントを起こし続けているのです。自分の仕事の進め方、生き方について、改めて見直すきっかけになった須磨先生との出会いでした。
このインタビューの題は「A Good Heart」。JALで旅される方、ゼヒお読み頂けたら嬉しいです!

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大衆小説、その悲しい運命 2012/04/03



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古本屋をうろうろしていて、偶然、古い文学全集の中の一冊、舟橋聖一の巻を見つけた。
以前、仕事で昭和高度成長期の文壇や世相について調べていたことがあって、そのときによく舟橋聖一の名前を目にすることがあったので、一度ちゃんと読んでみたいと思っていた。それで、固いケースに入っていたその本を引っ張り出して中を確かめてみると、『悉皆屋康吉』という中篇などが収められている。
“悉皆屋”というのは着物を着ない人にはなじみがない言葉かも知れないが、たとえば白生地にこちらの注文通りに文様や色を染めてくれたり、つけてしまった染みを取ってくれたり、或いはおばあさんにもらった着物のサイズが小さいので袖を出してもらう…そんな、着物に関するありとあらゆることを請け負ってくれる商売のことだ。着物好きの私としては、「これは買いでしょ!」とすぐレジへ持っていた。何しろたった105円だったのだし。

さて、帰宅して早速読み始めると、とても面白い。
大正後期のエログロナンセンス・和製デモクラシーの時代、世の中がやけっぱちに沸き立っていた騒々しいあの一時代から昭和の初め、戦争の予感が暗く漂い始める憂い深き時代までを、康吉という一人の若者が丁稚として悉皆屋の一番下から修業を積み、様々な人に出会い、影響を受けながら、やがて自分の店を構え、新しい色、新しい文様に挑戦するようになるまでの一代記を描いている。それが単に着物屋の一生物語ではなく、当時の世相とからめて書いているところに深みがあるのだ。物語は雪の夜で終わるが、これは恐らく、この瞬間、康吉の住む日本橋から少し離れた首相官邸や青山の高橋是清邸で、そう、二・二六事件が静かに進行しているのだな、と…そのように類推させる終わり方であり、何とも心憎い演出であると感嘆した。上質のエンターテイメントを読んだ喜びに、ほっとため息をついて本を閉じたのだった。

ところで、その後、舟橋聖一の作品を他にも読んでみたいと思い、105円で買った本の解説に書かれていた「夏子もの」と呼ばれる一連の作品群、夏子という芸者の人生を幾つもの短編で綴ったシリーズを読みたいと思ったのだけれど、アマゾンと日本の古本屋で探しても、一冊もない。この「夏子もの」は一つ一つの短篇の題が『フラ・フープする夏子』『寝もやらぬ夏子』『川開きの夏子』『キンゼイを読む夏子』『山茶花ただよう夏子』と、何とも美しく楽しいのでゼヒ読んでみたいのに!
そこで、図書館に行けばきっと「舟橋聖一全集」があるだろうと探してみたのだけれど、そもそも全集が出ていないようだった。
そしてまた、ちょうど舟橋聖一と同じ頃に一大人気を博していた小説家・川口松太郎の『夜の蝶』という非常に有名な、今でもキャバクラ嬢やバーのホステスを指して言うあの“夜の蝶”の語源となった小説(二人のホステスの華麗な闘いを描いた物語)を前から読んでみたいと思っていたのでついでに探してみると、これも図書館には所蔵されていなかった。それどころか、川口松太郎の本がほとんどないに等しいのだ。仕方なく帰宅してからアマゾンと日本の古本屋で『夜の蝶』を探してみると、恐ろしく高い値段、14000円もする古本が一冊あるきりだった。

         *

私は考え込んでしまった。
舟橋聖一と川口松太郎と言えば、一世を風靡した小説家で、今に例えるなら石田衣良や東野圭吾、宮部みゆきあたりに当たるだろうか。それが、没後まだそれほど長い時間が経っているという訳でもないのに、代表作を読もうと思っても、図書館ですら見つけられないのだ。
彼らの作品は、いわゆる“純文学”かと言われればそうではないだろう。純文学の定義は難しいが、ごくごくざっくりと言ってしまえば、文学上の新しい叙述法に挑戦しているか、或いは、哲学的問題を取り扱っているか、ということが大きくは基準であると言って良いのではないだろうか。
では、そうではない文学作品はどう扱われるのかと言えば、大衆小説、今の言葉ではエンターテイメント小説、と総称されている。読んでいると脳が痛くなって来る奇抜な叙述法も、深刻或いは不条理な哲学的考察もなく、しかし、社会や人生を深いまなざしで描いた上質な文学――そういう文学をいつの時代も人々は強く求めていると私は確信しているが、しかし、これらは普通純文学とは認定されない。あくまで“大衆小説”という範疇に分類されることになる。
まあ、分類などどうでも良い。一番大切なことは、読者がその小説を愛し、またいつか繰り返し読みたいと思い、人生の大切な同伴者になるかどうか、ということだろう。もちろん純文学の作品群の中にもそういう力を持った作品はたくさんあるし、同様に、大衆文学の中にも、あるということだ。その尺度をもってとらえるなら、純文学と大衆小説の間にどのような高低もないと、私は考えている。

             *

ところで、冒頭で書いた仕事で昭和高度成長期の文学と世相について調べていたときに、いわゆる純文学に分類される文豪たちの作品をあれこれと渉猟することがあった。そこで気づいたことは、「ずいぶん低レベルな作品もあるな」という事実だったのだ。
たとえば川端康成など、何しろノーベル賞を獲っているのでばっちりと全集が出ているし、文庫でも中篇、短篇、様々な作品が絶えず発刊され続けている。しかし、例えば『古都』などを読んでみると、構成があまりにも雑で文体もそう練られているとは思えず、「これ、まだ下書きなのでは?」というレベルとしか私には思えなかった。
そしてよくよく文庫本の解説頁を読んでみると、何と川端本人が、「この小説は私の頭の調子があまり良くないときに書いたもので、文体とか色々いまいちなんです」などというようなことを、ぬけぬけと言い訳がましく書いているではないか!(だったら出すな!と私は言いたい)それでも一度“純文学”に認定されてしまえば、後生大事に扱われて、読者はいつでも手に取ることが出来るという訳である。今は川端だけを一例に挙げたが、他の文豪たちにも同様の低レベルの作品はたくさんあった。

       *

私は大衆小説というものに刻印された悲しい運命にため息をつきたくなる。
確かに大衆小説の中には吹けば飛ぶような作品も多いことは事実だ。また、内容には深みのある作品でも、文体の格がどこか低く、或いは浅く、そのぎこちなさに読み進めるのに一苦労するものがあることもまぎれもない事実ではないかと思う。特に平成以降頃からのエンターテイメント小説作家たちの文体の浅さ、或いは“語調の均整が取れていないかんじ”とでも言ったら良いのだろうか、それにはたとえ人気作家と呼ばれる人でも目をおおうほどのレベル低下があると思う。
しかし、例えば舟橋聖一の小説に、そのような文の乱れは一切存在しない。文体は淡々として格調高く、何の心配もなくこの作家の漕ぐ船に乗り続けていられる、と言う、ゆるぎない安定感のようなものが感じられる。それはおそらく、私が買った古本の解説に書かれていた事実と関係があるのだろう。その解説によれば舟橋聖一は十代の頃から膨大な哲学書と文学書(時に原書)を読みあさり、その文学的教養の上に大衆小説を書いていたということだ。最近たまたま有吉佐和子の傑作エンターテイメント小説『悪女について』を再読することがあったが、有吉佐和子の文体もまた、一つも難しいところはないのと同時に、語法、語調の均整は申し分がなかった。昭和期、大衆小説の黄金時代を築いた一群の作家たちの文学的修養は現在の作家たちとは比較にならないほど深く、その基礎の上に書かれた大衆小説=エンターテイメント小説は、だから、極上の喜びを私たちにもたらしてくれる。これを純文学ではないからと軽視して顧みないことは、あまりにも口惜しいことではないだろうか。

文学の本当の価値とは何だろう。
少なくとも私たち読者に出来ることは、したり顔の学者やら評論家やらによる総合的な作家評価(=純文学認定)などは軽々と無視し、作品本位の評価を徹底する、そのことに尽きるだろう。目の前に繰り広げられた作品世界に、今、どれほど心奪われたのか、その奪われ方の強度のみを唯一の価値基準とすること。そして作家たちが私たちの心を奪うのにどれほどの技術を用いたのか、一作ごとに、その職人技のみを注視すること。
一つの救いは舟橋聖一の『悉皆屋康吉』が、講談社学芸文庫から復刊されているということだ。そう、私たち読者からの絶え間ない注視があれば、作品は必ず世代から世代を生き延びることが出来るのだ。
『悉皆屋康吉』、ぜひ読んでみて下さい。
(2行上の“舟橋聖一の『悉皆屋康吉』”をクリックするとアマゾンページに飛びます)

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