西端真矢

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足元で眠る猫を見ながら仕事をする幸せ 2011/10/26



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なるべく一週間に一度は日記を更新したいと思っているのですが、先週から今週いっぱいにかけてはどうにも忙しく、本格的なものは難しそう。
そこで先ほど携帯のカメラで、我が家の猫を撮ってみました。
カタカタと原稿を打つ私の足元でうつらうつら眠る白猫チャミ。すぐそばにストーブが点いているので、床の上に直接眠っていてもぽかぽかのハズです。最近はよくこの定位置で、私の仕事を見守ってくれています。
原稿が書けなくて苦しいときも、ふと心がなごむ瞬間。チャミありがとう~♪

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香港の俊英写真家9名が集合「発光する港 香港写真の現在」展へ行って来ました 2011/10/20



月曜夜、銀座の現代アートギャラリーガーディアンガーデンで11月17日まで開かれている写真展「発光する港 香港写真の現在2011」展のアーティストトーク&オープニングレセプションへ行って来ました。
この写真展には友人の写真家・呉世傑(Ng Saikit/ン・サイキット)が出品しています。彼の作品は大判という最高級のカメラを使って現代都市を撮っているのですが、構図にどこか水墨画の風景画を思わせるような端正で雄大な美学があり、とても好きな写真家です。他にはどんな作品があるのだろう?と興味津津で出かけました。

写真展開催を記念して行われたアーティスト・トークで、サイキットが自らの作品について語っているところがこちらの写真。
会場は満席でした!すごい!(ピンボケすみません)↓
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こちらの写真はややピントが合っています。
マイクを持っているのがサイキット。隣りにいる方が今回の展覧会のキュレターの呉嘉寶さん(台湾人)。日大の写真学科を卒業しているので日本語ぺらぺらです↓
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出品作品のごーく一部はこんなかんじ↓
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森山大道や荒木惟義を思わせる陳偉江さんの作品群には――上の写真はおとなしいのですが――女性性器がバーンと映っていたり、娼婦と思われる女の子が安ホテルで裸で映っていたりする「人生の一瞬を切り取る」刹那な衝動に満ちた写真があふれていました。

対して、張偉楽さんの作品は、何と、フィルムの代わりにiphoneを使用。暗室でネガを置く場所にiponeをセットし、インターネットに接続して露光。それを印画紙に焼き付けた写真群です。
何を焼きつけているかと言うと、フェイスブックのアルバムに公開されている見知らぬ人の写真。「現代」を、行為からも被写体そのものからも表現しようとするコンセプチュアルな写真です。
陳偉江さんの写真は最も古典的・伝統的な写真行為。その対極にある写真行為ですね。

何柏基さんの写真はカラー。光り輝き過ぎている電気の街・香港を強烈に表現しています。原発事故以降の日本人には胸に突き刺さる写真と言えるかも知れません。

一方、パノラマカメラを使って、開発によって日々変わって行く香港の海岸線を撮り続けているのが余偉健Vincent Wuさん。彼は通信社と契約する報道カメラマンでもあり、東日本大震災のときは取材で東北を回ったそうです。
実は彼は更にもう一つの顔を持ち、香港で写真専門のギャラリーThe Upperstation Galleryを経営しています。
http://theupperstation.com/
東日本大震災取材から帰国後、日本を少しでも援助しようと、香港の写真家たちに呼びかけ、「言葉」という写真展を開催。収益を全額日本赤十字に寄付してくれました。その活動のことは聞き知っていたので、当日会場で、
「本当に感謝しています。ありがとう」
とお礼を言うと、
「これは世界のどこででも起こることなんだ。助けるのは当然だよ」
と仰っていました。改めて、香港の写真家たちの温かい心、日本をこんなにも好きでいてくれることに感謝!

写真の真ん中にぽかりと空いた黒い穴とその周りの眩しい白い光が印象的なのは、何兆南(South Ho)さんの作品。
香港郊外のトンネルや地下道を使って、現実とも夢ともつかない不思議な世界を写真の上に現出させています。私はとても好きな写真です。
彼とは今回初対面でしたが色々お話をしてみたところ、次はまた違うシリーズを考えているもよう。どんな世界を打ち出してくれるのか、とても楽しみです。また、何さんは日本の伝統文化にもとても関心があるようで、谷根千の町並みが好きだし、今度和紙作りの講習にも参加すると言っていました。外国の若い男の子が日本の伝統文化に興味を持ってくれているなんてすごく嬉しいですね!

他にも、ポラロイドで香港の日常を切り取っている写真家、暗室でのネガ操作によってペインティングのような写真を作る写真家‥と作風は様々。とても良い写真展だと思いますので、ゼヒ皆様足をお運びください。銀座駅からすぐ。11月17日まで。詳しい情報は下記にて↓
http://rcc.recruit.co.jp/gg/exhibition/gg_exh_201110/gg_exh_201110.htmlhttp://www.news2u.net/releases/90843

最後に、サイキットと一緒に作品の前で記念撮影。ああ、香港に行きたくなりました!
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村山大島紬作り・体験講座レポート 2011/10/18



染め・織り・日本服飾史について奮闘勉強中の私。少し前のことになりますが、9月30日、村山大島紬の体験講座に参加して来ました。
村山大島紬とは、東京の西の北側、埼玉県との県境に近い“村山地域”で生産される絹織物の名称です。私は東京の吉祥寺育ちですから、西側・多摩地区の人間。村山大島こそ私の“郷土の布”だわー!と常々思って来ました。その体験講座が開かれるとなったら、これは参加しない手はありません。

さて、当日、武蔵村山市にある「村山織物協同組合」の会館へ。何と、こんなかわいらしいレトロな建物でした!
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この建物は昭和3年の建築。村山大島が全国的に大人気を博し、売れに売れていた時代に建てられたものだということです。
ちなみに、「村山」とは、その昔、志村けんの「東村山音頭」で有名になった東村山市・武蔵村山市一帯を差す名称です。江戸時代から大正にかけての村山大島は、更に幅広い地域、埼玉側の狭山や所沢まで含んだ一帯で織られていたのだそうですが、その後、村山地域のみで作織られるようになったとのことです。

さて、建物の中に入ると、1階には村山大島の歴史や技法を学べる展示室がありました↓
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その後、講座の会場である2階に上がると…機織り機がズラリ。布好きとしてはテンションが上がりまくります。
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この講座は毎年秋に開かれている人気講座で、定員オーバーのため抽選。当選確率は2倍以上だったそうです。クジ運が良くてラッキーでした!

           *

さて、講座は、まず染めの体験からスタート。村山大島紬で実際に使われる“板締め”の技法を簡易的に使って、絹のスカーフを染めます。
これが板締めの様子。
本来なら板と板の間に糸を挟むのですが、この講座では布を挟んで染めます↓
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その後、板を藍の中につけます。藍は藍色のはずなのですが、この段階ではまだ緑色だ、というのが驚きでした↓
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45分ほど経った後、藍から板を引き出しているところ。まだ緑色です↓
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しかし5分程経つと、布が藍色に変わって来ていることが分かると思います。
空気に触れて酸化することで、藍色に変わる訳です↓
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その後、水洗↓
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そして乾かしているところ。真剣です。
この後天日干しで完全に乾かしました↓
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             *

お昼休憩を挟んで、午後は織りの体験が始まりました。
一人ずつ横に先生がついて、コースターを織ります。
写真で、機(はた)の横に立っているおじいさんたちが、先生。実際の村山大島の織り手さんです。機織りというと女性の仕事というイメージがありますが、村山大島は男の織り手さんもとても多いようです。皆さんとても親切で、本当に楽しい授業でした。
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私も頑張って挑戦中。
この瞬間、写真を撮って頂いた方と会話を交わしていたので笑っていますが、
一瞬後には超真顔でした!↓
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手元のアップがこちら。
緯糸(よこいと)を通す杼(ひ)を右手に持っています↓
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参加者思い思いの柄行きに織り上がったコースターたち↓
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また、コースター以外に、実際の着物反物も少しだけ体験で織らせてもらいました。
詳しい説明は省きますが、織物の文様は、機の上に乗るまでは経糸(たていと)と緯糸(よこいと)、全くばらばらに製作されています。
それが、初めて機の上で出会い、一枚の布に織り上げられて行く!
その仕組みが、実際に体験してみて初めて身にしみて理解出来ました。
そして、機の上できっちりと経と緯の文様を合わせることが、どれほど難しいのかも!
やはり何事も百聞は一見に如かず。この講座に参加してみて本当に良かった。
そしてこれが、私が少しだけ織らせてもらった反物です↓
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            *

これまでの人生で、私はただの一度も機というものに触ったことがなく、今回が全く初めての機織り体験でした。
実感したことは、手織りの機というのは、本当に少しずつしか進まないのだなということ。一目一目、人が機を動かして少しずつ少しずつ布が出来上がって行く。何か奇跡のような気持ちさえして来ました。ああ、本当に、着物を大切に着なきゃいけない!この文化をなくしてはいけない!そんな風な、どこか泣きそうな思いに突き動かされた私なのでした。

会館では村山大島紬の販売もしていて、「わー今はこんなにスタイリッシュな文様や色がいっぱいあるのだなー!」と全部買い占めたくなってしまいます。
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私は、洋服の文様をそのまま着物の反物に載せただけの着物というのはどうも好きになれないのですが、これらは古典文様に現代感覚を加えたもので、どれもとても素敵だと思います。

そしてつい一反買ってしまいました!
じゃん!紬らしい鳥と花の伝統絣文様ですが、色合いや配置で現代的な感覚を醸し出しています。
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数か所難がある部分があり、市場には出せないお品とのことで、受講者特別優待、何と1万円で購入出来ました。信じられません!!!
もちろん難の部分は仕立てのときに見えない部分に使ってもらうよう指示したいと思います。単衣に仕立てて、来年の初夏と初秋にデビュー。きゃー!

一緒に受講していた方が仰った一言。
「村山大島って、名前が良くないんじゃないかな?だって、何だか大島の二番手、みたいなかんじでしょ。だけど、こんなに素敵な紬なんだもん、堂々と、“村山紬”でいいんだよね!」
確かにその通りだなと思いました。
多摩の人間として、私が育った土地にこんな素晴らしい紬があることを誇りに思います。これからも頑張ってお仕事をして、村山紬を買い集めたい…そんな“働く動機”があってもいいですよね!


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新世界遺産・平泉への旅。道すがら俳句も詠んでみました。 2011/10/12



先週、仕事の取材旅行で、今年夏に世界遺産に登録されたばかりの奥州平泉(岩手県)へ行って来ました。今回、諸事情でフォトグラファーと編集者は1週間前に撮影旅行を済ませていたので、完全に一人きりでの取材旅行でした。
実は私は一人旅が絶対出来ない方で、昔々、もつれた恋の悲しみに暮れるあまり勢いでセンチメンタルジャーニー(笑)に出た…ことがただ一度あるだけ。黙々と名所を回って一人食事を食べる…という行為を繰り返していると、どうにも気持ちが暗くなってしまうのです。
かつて一度、ヨーロッパに住む友人を訪ねて旅へ出かけたときも、途中でその友人に急な仕事が入ってしまい、予想外の一人旅に。そのあまりの淋しさに早々と予定を切り上げ、帰国してしまった…ほどの一人旅アレルギーです。
しかし今回は、仕事のための取材旅行。淋しいだのなんだのと甘えたことは言ってられません。良い原稿を書くために見ておかければならない場所は山ほどあるし、お話を伺わなければならない方もいる。新幹線の中でじっと地図を広げ、旅の順路をねったのでした。

さて、お昼に平泉に到着後、まず毛越寺(もうつうじ)へ向かいました。
そしていきなりお昼ご飯です↓
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毛越寺の中の茶屋で頂ける、お餅まんじゅう膳。岩手県名物の柔らかいお餅に、胡麻だれ、あんこだれ、味噌だれなど、たれがどれも美味しい~。

その後、毛越寺をゆっくりと回りました。
毛越寺は、かつてこの地に栄えた奥州藤原氏の二代目、藤原基衡が建立した寺院。建物は火災により焼失してしまいましたが、当時の池や優美な人工川=曲水がそのままの形で残っています。平安時代の優雅な庭園の面影を楽しめるなんて素晴らし過ぎる!
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          *

その後、中尊寺へ向かいました。
今回の旅、私は駅前でレンタル自転車を借り、快適に遺跡から遺跡をめぐりました。平泉は町の規模がそれほど大きくないので、自転車で回るのがまさにぴったりだと思います。

さて、中尊寺では、長い長い、非常に急な参道をひたすら徒歩でのぼります。両側には樹齢数100年と思われる高い杉木立が風に揺れ、この寺が、山を切り開いて作られたのだということを実感させられます。
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そして金色堂へ。奥州藤原氏の初代・清衡が建てたお堂で、中の仏像が全て金で彩られていることはあまりにも有名ですね。そのまばゆいことと言ったら…!
この光堂は、松尾芭蕉がかつて「おくのほそ道」の旅で訪れています。その時の読んだ句がかの有名な、

  五月雨の 降り残してや 光堂

そこで私も芭蕉にちなんで一句。

  秋の杉 翁を見たか 中尊寺
              真矢
       *

中尊寺には金色堂の他に、大小様々なお堂や能舞台が点在しています。また、藤原時代の素晴らしい仏像や仏具などを展示した博物館もあるので、じっくり見て回っているとかなり時間がかかります。
また、服飾史好きとしては、博物館に、金色堂に納められた藤原氏のミイラが着ていた麻の小袖(下着)が展示されていたことに感動。当時の衣服がそのままの形で出て来るなんて、世界中見渡してもなかなかないことだと思います。恐らくお棺の中のミイラは、狩衣など、正式な装束も着せられていると思うのですが、それは展示しないのでしょうか?

この日は毛越寺と中尊寺、そして或る方へのインタビューで終了。夜は武蔵坊というホテルに泊まり、源泉かけ流し!の大浴場に心ゆくまでつかりました。重度の肩こり症の私には至福の時です。

          *

二日目は、朝もう一度たっぷりホテルの温泉につかった後、無量光院跡、伽羅御所跡、柳之御所跡と、「跡地」系を自転車で回りました。藤原氏は来年の大河ドラマで取り上げられる平清盛と同じく、源頼朝によって滅ぼされてしまうのですが、滅亡前はこの平泉の地で、空前の繁栄を誇っていました。
その御所があった場所が今は、がらんとした平地になり、御所内にかつてあった池や、柱の跡、井戸や道の跡だけが復元されています。かすかな手がかりだけが残されていることがかえって詩情をそそるのです。
「かつてここに、平等院にも負けない優美で巨大な伽藍があったんだな…」
「ここで藤原氏が臣下を謁見していたのか…」
と空想が始まると、歴女の心はもう平安末期へ一っ飛びです。ふと見ると、遠く離れた場所でやはり静かにたたずむ妙齢の男性が一人。ああ、彼もきっと歴男なのでしょう。歴男・歴女の孤独な旅は続きます。

       *

ところで、このかつての御所跡を見て芭蕉が詠んだのが、これもまたあまりにも有名な

   夏草や 兵どもが 夢の跡

の句です。奥州藤原氏は武士でもあり、最後は頼朝の軍と戦って敗れましたから、ここで「つわもの」という言葉が使われている訳です。芭蕉が訪れた当時はもちろんまだ発掘などされておらず、ただ荒れ果てて草だけが生い茂っていたのでしょう。日本文学史上に不滅の名を刻む名句です。

その後、柳之御所資料館と平泉文化遺産センターで一しきり発掘品を鑑賞。柳之御所からは下駄が出土していて、驚かされました。今とほとんど変わらない形をしていて、服飾史好きはまた感動の坩堝に!この他に、烏帽子も出土しているそうです(本当に貴重!!!)。
また、当時の人々が食事に使った土師器(かわらけ)という食器のかけらが大量に出土しているそうで、何と柳之御所資料館では、「本物です!」とそのかけらを生で展示。自分の手に持って見て、古代の人々と同じ感触を確かめることが出来ます。大量に出土するからこその大判振る舞い。すごいです。

そして柳之御所では、まだまだ発掘が続いています↓
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これから何が出て来るのだろうと、歴史好きは新たな発見を期待せずにはいられません。今回の世界遺産認定に当たって、柳之御所は「浄土教の教えを具現化した文化遺産」という趣旨からは外れているため認定外となってしまったのですが、私個人に限って言えば、ここが一番胸をワクワクさせられた遺跡でした。柳之御所資料館に行ったときに、私があまりに熱心に一つ一つの展示物を凝視していたせいか館員の方が話しかけて下さりしばしお話をすることになったのですが、
「この遺跡本当にいいですねー!」
と言うと、
「世界遺産からは外れちゃったんですけどね…」
と淋しそうにつぶやいていらっしゃいました。でも、そんなこと関係ない!古代史ファンの皆さん、歴女・歴男の皆さん、平泉に行ったら柳之御所は外せません!ゼヒ足を運んでみてくださいね!

             *

その後、平泉駅にほど近い中尊寺通りの「食事処 民家」にて、はっとう汁を食べました。はっとうとは小麦粉で作る太いうどんのようなもので、ちょっとほうとうに似ています。このはっとうが豚汁のようなお汁に入っているのがはっとう汁です。
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今年は世界遺産に選ばれたお祝いの年だということで、金箔が浮かんだ金色のはっとう汁。美味。

          *

お腹がいっぱいになった後は、かつて源頼朝から逃れた義経がかくまわれていた「高舘」という建物があった丘に登りました。
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ここから一望する風景は、今も平安時代の面影を宿しているようでもあります↓
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平泉を回って思ったのは、どこか飛鳥に似ているなということ。自転車で重要史跡を全部回れるコンパクトなサイズ。そして、この家の下にも、あの畑の下にも、まだまだ遺構や貴重な文物がたっぷり埋まっているに違いない!と思わされるワクワク感。
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また、町中どこを曲がっても田んぼにぶち当たるゆったりとした雰囲気も本当に気に入ってしまいました。今回は仕事のための駆け足の旅行でしたが、またゆっくりと、1週間くらい逗留してみたいものだなと思います。

最後に、一句。毛越寺の思い出に。

   人びとの 夢のかけらの 萩の花
                  真矢

京都に強く憧れながらも自らのホームグラウンドである平泉、いや、東北の地を深く愛し、ここに現世の極楽浄土を出現させようとした藤原氏。その寺院も今は芭蕉が詠んだように夢の彼方に消えてしまったのですが、わずかにかつての美しい池の跡をとどめた毛越寺の庭には、まるでその栄華の忘れ形見のように、濃い紫の萩の花が咲いていたのでした…

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庭に咲いた芙蓉の花を生けてみました。 2011/10/12



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*庭に芙蓉の花がたくさん咲いたので、水引と一緒に生けました。芙蓉は、朝咲いて、夜にはもうしおれてしまいます。一日だけの命がはかない花。

*花器は、父方の祖父が所有していたものですが、箱が見当たらず(どこかにあると思うのですが…)、正式な由緒が分かりません。
裏を見ると「赤膚 玉泉」とあり、奈良の赤膚焼きの「大塩玉泉窯」のものと思われます。祖父母は奈良に住んでいた時期が長かったので、おそらく正しいかと。どっしりとしていながら口の部分は優美で、なかなかいい花器だなと思います。

*秋になってまた花の種類が増えて来たので、なるべく生け花するように心がけたいと思います!

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かわいくて頭が良くてスポーツが出来る女の子 2011/10/03



~~かわいくて頭が良くてスポーツも出来て明るい性格の女の子はみんなの憧れ!…のはず……だけど、そこには大きな落とし穴が?というお話です~~

私には一つの宿命があって、子どもの頃から、同性の友人にとても慕われて生きて来た。もともとの性格があまり統率力がある方ではないし人を支配したいという願望もさらさら持っていないので、学級委員になったり学年に何人かいるリーダー的存在の女子になることはなかったが、その代わり、“コアな”とでも言うほかないような、一部の“コアな女子たち”に静かに・熱く慕われ、非常に重大な秘密を打ち明けられたりして生きて来た。

そして、このようなことは、私の人生のかなり早い段階から常に私の周りに起こり続けていたので、例えば王族一家に生まれた人間が王族としての振る舞いを自然に身につけているように、私にとって、女の子たちの心の奥底の悩みに耳を傾け、時には一緒になってその解決策を考えることは、この地球から私が引き受けた一つの勤めとして、日常の中のあまりにも自然な振る舞いとなっていた。何が言いたいのかと言うと、私はたぶん普通の人より、女の子というものがどういう存在か理解していると思うのだ。

          *

ところで、私が何故突然こんな話を始めたかと言うと、最近、テレビのニュース番組で、今の子どもたちに関する或るニュースを見たからだ。
そのニュースでは、或る大手の学習塾がレポートされていた。名門中学校に毎年多数の児童を送り込むその進学塾に、最近は体育のクラスが併設されているのだという。まさか、勉強ばかりかスポーツでも上位を獲るスーパー小学生を育てようとしているのかしら?と思いきやそうではなく、教えているのは、跳び箱や鉄棒。それも、ごくごく低い段、ごくごく平凡な棒一本の鉄棒が教室の真ん中に据えられているだけだ。そこで何が教えられているのかと言うと、例えばどうしても逆上がりが出来ない子。どうしても跳び箱を3段以上飛べない子。そういう子たちの横に先生がついて、ゆっくりと、何回でも時間をかけて、逆上がりが出来るように・跳び箱4段が飛べるように、指導するためのクラスだというのだった。通常の勉強のためのクラスの他に、オプションとして、希望すればこのような体育補修クラスに入ることが出来るのだそうだ。

このニュースを見たとき、私は両刃の剣だなと感じた。
確かに、それまで体育の授業で、どうしても逆上がりが出来ずクラスメートから忍び笑いを浴びていたAちゃんがやさしい先生の絶え間ない励ましのもと、何とか逆上がりを身につけて次の体育の授業では逆上がり完遂!となれば、それはそれでめでたいことではあるだろう。もしかしたら子どもたちの心には、そのとき深い達成感や自信の感覚が生まれているのかも知れない。何一つ悪いことはない。良いことづくめ――な話のようだが、果たしてそうだろうか?とも思うのだ。

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私がそんな風に思うのには理由がある。冒頭で書いたように女子たちから慕われやすい宿命を負った私はこれまでに多くの女の子たちの悩みを聞いて生きて来たが、特にこの10年程、社会の中で出くわした初めての、そして(私から見れば)とても小さな挫折や失敗に、あっけなく崩壊してしまう女性たちが増えていると感じるのだ。
彼女たちは皆、非常に良い大学を卒業している。そして容姿もかわいらしく、男性にも人気がある。間違ってもガリ勉タイプではなくファッションやメイクにも関心があり、そして実際そのセンスもとても良い。
過去に学校やバイト先で上手く友人関係を育むことも出来、対人スキルも問題がないと思われて来た女の子たち。彼女たちは運動神経もそこそこ良く、更に、出身家庭もまずまずの収入水準だ。自分に娘がいたら「こんな風に育ってほしい」と願うような女の子たち。でも、こういう子が一番危ない、と思うのだ。

彼女たちに共通している要素は何か?と言えば、それは、挫折を経験したことがない、ということに尽きる。もっと言えば、恥をかいたことがない。更にもっと詳しく言えば、自分の面子を大きく失うような体験をしたことがない、ということだ。
彼女たちがこれまでに体験して来た挫折と言えば、おそらく失恋くらいのものだろう。しかし、恋愛というのは個人と個人の間の相性から成る部分が非常に大きく、社会に出て仕事をして行くときに必要と考えられている“公的な能力”が問われる場ではない。要するに恋愛とはプライベートな領域の中で起こることであり、そこでの挫折経験は、公的な領域での挫折にはカウントされない、ということだ。

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さて、そんな挫折知らずの彼女たちが優秀な大学をそつない成績で卒業。そつないメークとそつないファッションで、いざ社会に出て働き始める。ところが仕事と言うのは、理不尽なことの連続だ。仕事とは要するにどういうことかと言えば、「あなたに金を支払ってくれる人が、あなたの優位に立つ」、この一言に尽きる。
人間はご飯を食べなければ生きて行けない。
今は物々交換の時代ではなく、貨幣を媒介としてご飯を得る社会体制であるのだから、ご飯を得るためにはお金を稼がなければならない。そう、お金はご飯そのものなのだ。だからお金は人間にとってとてつもなくとてつもなく大切なものだ。その大切なものを誰かが別の誰かに支払うとき、それが大切なものであると本能的に分かっているが故に、支払う側の心には驕りが生まれる。そして、支払われる側の心にはどうしても卑屈な感情が生まれて来る。
そんなことは間違っている。金は労働の対価であり、労働者と支払者の間には労働を媒介にして対等な関係が…という正論はもちろんその通りであり、私も常々そのように振る舞おうと努めているつもりだが、社会の実際の姿を見るとき、残念ながら、間違っている人々の方が大変多いというのが現実だ。

だからこそ、仕事の場には理不尽なことが次から次へと起こる。金を支払う側=顧客、給料を査定する側=上司は、あなたに対して驕りの感情を持っている。あなたの息の根を止めることが出来ると思っている。そして実際にその通りなのだ。
クライアントに、「あの子生意気。このプロジェクトから外してよ」と言われたら、あなたがそのプロジェクトに残れる可能性はゼロ%だ。クライアントがどんなに無理なスケジュールを押し付けて来ても、どんなに悪辣な値切りをして来ても、どんなに下品なセクハラ発言をしたとしても、真っ向からそれに歯向かったら、あなたはそのプロジェクトに残る可能性はない。それはこの仕事に対してあなたの収入が0円になるということであり、フリーだったら文字通り、このプロジェクトからあなたが1円の収入でも得る望みは断たれてしまう。また、もしもあなたが会社に所属していたとしたら、会社から見てあなたのこのプロジェクトでの貢献度は0円、無収入な役立たずになったということを意味してしまう。そしてそれは社内でのあなたの評価を著しく下げる。
……このようにして、あなたの明日のご飯代は消えて行く。或いは、先細って行く…という訳だ。そして、ご飯が食べられなかったら人は、死ぬしかない。

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だからこそ、人は、どんなに理不尽だと思ってもお金を支払ってくれる相手に卑屈に頭を下げ、何とか理不尽な条件を弱めるために卑屈な努力を続けて行く。これほど卑屈な、奴隷的姿はない。しかし、これが仕事をするということの現実の姿なのだ。

仕事をしていると、時々、今の自分って、本当にかっこ悪いな…と思うことがある。さっき自分の前に鏡がなくて本当に良かった。あのクライアントに情けなく頭を下げている姿。あの私のごくごく真っ当な怒りを、ぐっと抑えなければいけなかったときのみじめなぐんにゃり顔。あんなものを鏡で見たらきっと私は発狂してしまうに違いない!…しかし、あなたは本当は自分のその卑屈な姿を、心の中に持っている大きな姿見の中にはっきりと見つめているのである。
それでも、何とか、人はまた明日のために歩き始める。上司やらクライアントやらのためにはらわたが煮えくりかえって眠れなかった夜があっても、トイレでそっと涙をぬぐった日があっても、何とか「仕方ない。まあ、仕事ってこういうものだし」「いつか偉くなってあいつを見返してやる」そんなことを心の中でつぶやきながら、お金を稼ぐために、生きて行くためにまた歩き始めて行く。
ところが、どうしても立ち上がれなくなってしまう人がいる。それが、この日記のタイトルに使った“かわいくて頭が良くてスポーツが出来て、それに加えてそこそこ良いお家で育った女の子たち”だ。彼女たちはこれまでの人生でただの一度も、面子を失うような立場に追い込まれたことがない。だってかわいいから男の子たちに好感をもたれて外見で損をしたことがないし、勉強が出来たから劣等生の情けない気持ちを味わったこともないし。もちろん、スポーツもそこそこ出来たから跳び箱4段が飛べずにくすくす後ろの方から笑われたりしたことなんてあるわけないし、マラソン大会でビリでゴールインして皆から拍手(心の中で失笑)で迎えられたこともないし。あ、そうそう家が貧乏ってわけでもないから人にバカにされたこともなかったしネ!
そんな彼女たちは社会に出て初めて、クライアントやらおっさん上司のセクハラ発言やら嫉妬深い中年の女性上司の意地悪攻撃やらとの理不尽な果てしなき交渉に立ち向かうことになる。そして、あっけなく自我崩壊。鬱状態に陥ってしまい、出社拒否、という結果になることが非常に多いのだ。

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彼女たちは本当は、クライアントやらセクハラ上司やら意地悪女性上司やらに負けたのではない、と私は思う。彼女たちが負けたのは、本当は、自分自身だ。理不尽な人々の理不尽な行為に卑屈に対処しなければならない自分。その情けない自分の姿を何とかだましだまし受け入れることが、どうしても出来ないからこそ、彼女たちは一歩も前に進めなくなってしまう。

私はふだん、署名なしで書く或るウェブサイトのお仕事で、お医者様に日々インタビューを続けている。或る時、子どものアレルギーを専門とされる先生が、こんなことを仰っているのを聞いて膝を打った。
「アレルギーは、遺伝という先天的な原因から起こることがほとんどで、どうすることも出来ません。でも、子どもは免疫力が弱いためにそのアレルギー体質が激しく出るのであって、だんだんと、成長につれて免疫系統が強くなって行くと、アレルギー反応も少しずつ弱まって行きます。
ところが、今のお母さんたちは、お子さんを心配するあまり、アレルギー反応を引き起こす食べ物やハウスダストを、完璧なまでに排除しようとする。そうすると子どもたちは逆に、いつまでもアレルギーから抜け出せないのです。
アレルギーを抑えて行くためには、少しずつ、子どもの免疫力の発達に従って、アレルギーを起こす物質に触れさせなければいけません。そのときはもちろん多少のアレルギー反応を引き起こすことは覚悟しなければいけません。かなり強い発作が起こったり、湿疹がいっぱい出たり、つらいことがたくさんあります。でも、そうやって少しずつ慣らして行くことで、アレルギーと折り合いをつけられる体が作られて行くんです」

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このお話を伺ったとき、私は、私が目にしたたくさんの“社会に出て自我崩壊してしまう素敵な女の子たち”も全く同じ問題を抱えていると感じた。人は子どもの頃から長い時間をかけて、少しずつ、失敗、恥をかくこと、面子を失うようなこと…そういう“情けない自分”の姿に、自分を慣らして行かなければいけない…はずなのに、彼女たちにはそういう体験がなかったのではないだろうか?

飲み会や旅行などで夜も更けて行くと、
「私、中学の頃さ、ほんと数学が出来なくて、10点とか取って真っ青になって、ほーんとつらかったなあ。今でも数学のテストの夢見るもん」
「分かる!私は水泳が苦手でいつもビリで、水泳大会の日は何とか熱が出るようにって、1週間前から毎日シャワーを1時間頭に掛けたりしたよ~」(←実はこれ、私の話です)
「私は絵が下手でさあ。教室の後ろに貼り出されると明らかに私の絵だけへなちょこで、ほんと生き恥ってかんじだったなあ。図画の時間が吐き気がするくらい嫌いだった…」(←これも私の実話)
…こんな話に花が咲くことがある。どれも本人にとってはとてもつらい思い出だが、でも、本当は自分がこのような思い出を持てたことを、ラッキーと思わなければいけないのだ(だから堂々と書きました~)。
子ども時代の失敗、学生時代の生き恥など、何と言うこともない。何故ならばそこにはお金は関わっていない。生きることは関わっていないからだ。だからこそ、その“やさしい”環境の中で、思い切り失敗の練習をしておいた方がいい。自分の情けない姿、どうやっても上手く出来ない分野、そういうものを否応なしに心に刻みつける訓練をしておいた方がいい。そうやって、アレルギーに少しずつ慣れて行く子どもたちのように、失敗や、面子を失うことや、情けない自分の姿に慣れて行くのだ。

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先ほども書いたように、残念ながら社会に出れば、面子を失うことなど数限りなくある。これはアレルギーの子どもがそのアレルギー体質を遺伝によって先天的に持ってしまったことと同様、生きている以上決して避けることは出来ない現実だ。社会というのは先天的にそういう場であるはずなのに、自分はそこそこ何でも出来るなどと思い込んでしまうこと。そして二十何歳かになって初めて“どうにもならないこと”と出会って卑屈な自分の姿に生まれて初めて直面したら、一体どういうことが起こるのか?もろくも自我崩壊。出社拒否症の“素敵女子”の出来上がり、という訳だ。

だから、私は、この日記の前半で書いた「跳び箱補修クラス」や「鉄棒逆上がりクラス」に首をかしげてしまう。跳び箱なんて飛べなくてもいいし、逆上がりが出来なくて皆からくすくす笑われたって、本当はその子にとっては何よりも得難い経験になる。そうやって子どもは、恥をかかなければいけないのだ。
生きて行くことは楽じゃない。この楽じゃないという事実は誰にも変えることは出来ない。だったら、その中で何とか生き延びることが出来るための免疫力をつけることこそが、社会に出る前に必要な準備ではないだろうか?
情けない自分の姿に慣れること。どうやったって三流以下の自分の苦手分野がたくさんあることをよくよく思い知ること。その上で、どうやって、「自分が生きて行くためのお金を稼ぐのか?」を考えられるようになること。やられたら、上・手・く・¥やり返す。いつか見返すための力を蓄える。そういうしぶとさは、思い切り恥をかいてみない限り養うことは出来ないのだ。

私の意見は極端だろうか?でも、たくさんの女子たちを見て来て、私は自分の意見は決して間違っていないと確信している。
そう、この日記を読んでいるあなたがもしも女の子を育てていらっしゃるのなら、傷つかないように傷つかないようにと、大事に育て過ぎてはいけない。
また、もしもこの日記を読んでいる若いあなたが、だって私って自然に何でもそこそこ上手く出来ちゃうん素敵な女の子なんだもん、仕方ないじゃない、と思うなら、これからの人生ではあなたの身の上に「どうしてこんなにかわいくて頭が良くてスポーツも出来ていい家で育って正しいことをしている私の上にこんなひどいことが起こるの?!」と絶望したくなるような出来事が、か・な・ら・ず起こると思った方がいい。それに耐えられる力をつけるために、自分より更にとてつもなく能力の高い人々が集まる場所へ敢えて出て行って嘲笑されるなど、何らかの予行演習をしておいた方が良い。
或いは、そんなものは私は必要ない。だって私の能力はとてつもなく高いんだもの、どこへ行ったって何を始めたって必ず上手くやれるわ、と思うなら、他人はそんなあなたのことを激しく憎んだり妬んだりしていると思った方がいい。そしてその風が、否応なくあなたの身の上に吹き始めると思った方がいい。それがあなたの足を引っ張り、いつかあなたの命取りになると思った方がいい。どうやったらその風を和らげる人間になれるかを考えておいた方がいい。
まったく人生は楽じゃないのだ。

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