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新世界遺産・平泉への旅。道すがら俳句も詠んでみました。 2011/10/12
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先週、仕事の取材旅行で、今年夏に世界遺産に登録されたばかりの奥州平泉(岩手県)へ行って来ました。今回、諸事情でフォトグラファーと編集者は1週間前に撮影旅行を済ませていたので、完全に一人きりでの取材旅行でした。
実は私は一人旅が絶対出来ない方で、昔々、もつれた恋の悲しみに暮れるあまり勢いでセンチメンタルジャーニー(笑)に出た…ことがただ一度あるだけ。黙々と名所を回って一人食事を食べる…という行為を繰り返していると、どうにも気持ちが暗くなってしまうのです。
かつて一度、ヨーロッパに住む友人を訪ねて旅へ出かけたときも、途中でその友人に急な仕事が入ってしまい、予想外の一人旅に。そのあまりの淋しさに早々と予定を切り上げ、帰国してしまった…ほどの一人旅アレルギーです。
しかし今回は、仕事のための取材旅行。淋しいだのなんだのと甘えたことは言ってられません。良い原稿を書くために見ておかければならない場所は山ほどあるし、お話を伺わなければならない方もいる。新幹線の中でじっと地図を広げ、旅の順路をねったのでした。
さて、お昼に平泉に到着後、まず毛越寺(もうつうじ)へ向かいました。
そしていきなりお昼ご飯です↓
毛越寺の中の茶屋で頂ける、お餅まんじゅう膳。岩手県名物の柔らかいお餅に、胡麻だれ、あんこだれ、味噌だれなど、たれがどれも美味しい~。
その後、毛越寺をゆっくりと回りました。
毛越寺は、かつてこの地に栄えた奥州藤原氏の二代目、藤原基衡が建立した寺院。建物は火災により焼失してしまいましたが、当時の池や優美な人工川=曲水がそのままの形で残っています。平安時代の優雅な庭園の面影を楽しめるなんて素晴らし過ぎる!
*
その後、中尊寺へ向かいました。
今回の旅、私は駅前でレンタル自転車を借り、快適に遺跡から遺跡をめぐりました。平泉は町の規模がそれほど大きくないので、自転車で回るのがまさにぴったりだと思います。
さて、中尊寺では、長い長い、非常に急な参道をひたすら徒歩でのぼります。両側には樹齢数100年と思われる高い杉木立が風に揺れ、この寺が、山を切り開いて作られたのだということを実感させられます。
そして金色堂へ。奥州藤原氏の初代・清衡が建てたお堂で、中の仏像が全て金で彩られていることはあまりにも有名ですね。そのまばゆいことと言ったら…!
この光堂は、松尾芭蕉がかつて「おくのほそ道」の旅で訪れています。その時の読んだ句がかの有名な、
五月雨の 降り残してや 光堂
そこで私も芭蕉にちなんで一句。
秋の杉 翁を見たか 中尊寺
真矢
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中尊寺には金色堂の他に、大小様々なお堂や能舞台が点在しています。また、藤原時代の素晴らしい仏像や仏具などを展示した博物館もあるので、じっくり見て回っているとかなり時間がかかります。
また、服飾史好きとしては、博物館に、金色堂に納められた藤原氏のミイラが着ていた麻の小袖(下着)が展示されていたことに感動。当時の衣服がそのままの形で出て来るなんて、世界中見渡してもなかなかないことだと思います。恐らくお棺の中のミイラは、狩衣など、正式な装束も着せられていると思うのですが、それは展示しないのでしょうか?
この日は毛越寺と中尊寺、そして或る方へのインタビューで終了。夜は武蔵坊というホテルに泊まり、源泉かけ流し!の大浴場に心ゆくまでつかりました。重度の肩こり症の私には至福の時です。
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二日目は、朝もう一度たっぷりホテルの温泉につかった後、無量光院跡、伽羅御所跡、柳之御所跡と、「跡地」系を自転車で回りました。藤原氏は来年の大河ドラマで取り上げられる平清盛と同じく、源頼朝によって滅ぼされてしまうのですが、滅亡前はこの平泉の地で、空前の繁栄を誇っていました。
その御所があった場所が今は、がらんとした平地になり、御所内にかつてあった池や、柱の跡、井戸や道の跡だけが復元されています。かすかな手がかりだけが残されていることがかえって詩情をそそるのです。
「かつてここに、平等院にも負けない優美で巨大な伽藍があったんだな…」
「ここで藤原氏が臣下を謁見していたのか…」
と空想が始まると、歴女の心はもう平安末期へ一っ飛びです。ふと見ると、遠く離れた場所でやはり静かにたたずむ妙齢の男性が一人。ああ、彼もきっと歴男なのでしょう。歴男・歴女の孤独な旅は続きます。
*
ところで、このかつての御所跡を見て芭蕉が詠んだのが、これもまたあまりにも有名な
夏草や 兵どもが 夢の跡
の句です。奥州藤原氏は武士でもあり、最後は頼朝の軍と戦って敗れましたから、ここで「つわもの」という言葉が使われている訳です。芭蕉が訪れた当時はもちろんまだ発掘などされておらず、ただ荒れ果てて草だけが生い茂っていたのでしょう。日本文学史上に不滅の名を刻む名句です。
その後、柳之御所資料館と平泉文化遺産センターで一しきり発掘品を鑑賞。柳之御所からは下駄が出土していて、驚かされました。今とほとんど変わらない形をしていて、服飾史好きはまた感動の坩堝に!この他に、烏帽子も出土しているそうです(本当に貴重!!!)。
また、当時の人々が食事に使った土師器(かわらけ)という食器のかけらが大量に出土しているそうで、何と柳之御所資料館では、「本物です!」とそのかけらを生で展示。自分の手に持って見て、古代の人々と同じ感触を確かめることが出来ます。大量に出土するからこその大判振る舞い。すごいです。
そして柳之御所では、まだまだ発掘が続いています↓
これから何が出て来るのだろうと、歴史好きは新たな発見を期待せずにはいられません。今回の世界遺産認定に当たって、柳之御所は「浄土教の教えを具現化した文化遺産」という趣旨からは外れているため認定外となってしまったのですが、私個人に限って言えば、ここが一番胸をワクワクさせられた遺跡でした。柳之御所資料館に行ったときに、私があまりに熱心に一つ一つの展示物を凝視していたせいか館員の方が話しかけて下さりしばしお話をすることになったのですが、
「この遺跡本当にいいですねー!」
と言うと、
「世界遺産からは外れちゃったんですけどね…」
と淋しそうにつぶやいていらっしゃいました。でも、そんなこと関係ない!古代史ファンの皆さん、歴女・歴男の皆さん、平泉に行ったら柳之御所は外せません!ゼヒ足を運んでみてくださいね!
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その後、平泉駅にほど近い中尊寺通りの「食事処 民家」にて、はっとう汁を食べました。はっとうとは小麦粉で作る太いうどんのようなもので、ちょっとほうとうに似ています。このはっとうが豚汁のようなお汁に入っているのがはっとう汁です。
今年は世界遺産に選ばれたお祝いの年だということで、金箔が浮かんだ金色のはっとう汁。美味。
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お腹がいっぱいになった後は、かつて源頼朝から逃れた義経がかくまわれていた「高舘」という建物があった丘に登りました。
ここから一望する風景は、今も平安時代の面影を宿しているようでもあります↓
平泉を回って思ったのは、どこか飛鳥に似ているなということ。自転車で重要史跡を全部回れるコンパクトなサイズ。そして、この家の下にも、あの畑の下にも、まだまだ遺構や貴重な文物がたっぷり埋まっているに違いない!と思わされるワクワク感。
また、町中どこを曲がっても田んぼにぶち当たるゆったりとした雰囲気も本当に気に入ってしまいました。今回は仕事のための駆け足の旅行でしたが、またゆっくりと、1週間くらい逗留してみたいものだなと思います。
最後に、一句。毛越寺の思い出に。
人びとの 夢のかけらの 萩の花
真矢
京都に強く憧れながらも自らのホームグラウンドである平泉、いや、東北の地を深く愛し、ここに現世の極楽浄土を出現させようとした藤原氏。その寺院も今は芭蕉が詠んだように夢の彼方に消えてしまったのですが、わずかにかつての美しい池の跡をとどめた毛越寺の庭には、まるでその栄華の忘れ形見のように、濃い紫の萩の花が咲いていたのでした…