西端真矢

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東博「やまと絵展」レビューとグッズ開封、今日の白猫チャミ情報おまけ付き 2023/11/17



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昨日、東京国立博物館の「やまと絵展」へ。
あの広い平成館会場のほぼすべてが名品という発狂寸前怒濤の展示を、半日かけて堪能する。
平安の王朝世界を描いた絵巻物の中で、やはり「源氏物語絵巻」は抜群に上手いのだな、とか、「信貴山縁起絵巻」の線ってこんなにきれいなのか、とか、石山切の料紙のデザイン感覚がここまでミリ単位でしゃれているとは!などなど、比較してみること、実物で見ることで分かることが多々ある。

衝撃を受けたのは、仁和寺所蔵の「僧形八幡神影向図」。
この作品は、私は初見で、そして、私が勉強不足で知らなかっただけなのかも知れないが、日本美術の中でこのような構図を見たことがないし、また、このようにドラマティックな神仏の描き方も、このようにドラマティックな人間と神仏の関係の描き方も見たことがない。激しくショックを受け、立ち尽くす。特異な一枚だと思うし、とにかくかっこいい。かっこいいのだ。

最も愛する作品は二点ある。
国宝の「日月四季山水図屏風」と、展示最後の部屋に出て来る「浜松図屏風」(「浜松図屏風」はこの部屋に二点あるが、鳥がめちゃくちゃ飛びまくっている方)。この二作品に日本美術のすべてが集約されているようにも感じられて、見ていて涙があふれてしまう。
‥‥と、他にも思うこと、感じたことは山ほどあるが、キリがないのでこのくらいにしておく。

そして手術後まだ体調も本調子ではないためくたくたになり、今日は一日家でまったりと過ごした。
実は、ミュージアムショップでぬいぐるみを買って来ていた。「鳥獣戯画」から採った、烏帽子をかぶった白猫人形。相当かわいい。
我が家の愛猫チャミが白猫のため、あなたはまたこうやってものを増やしてどうするつもりなのか?断捨離を進めてるんだよね?という自らが自らに問う激しい叱声を聞きながらも、ぎゅっと握りしめてレジ前の長蛇の列に並んでしまうのだった。(会場、大変混んでいます)

しかし‥‥
ケリケリして遊んでくれたら‥‥
白猫meets白猫のインスタ映え写真が撮れるのでは?‥‥
という淡い期待は猫あるあるで見事に裏切られ、一秒間見つめただけで、ふん、と無視されるのだった‥‥
そして図録のページを行きつ戻りつして余韻に浸る。会期は12月3日まで。ぜひ足を運ばれたい。

『源氏物語』原文読書を終えて思うことつれづれ(全篇を貫く因果応報システム対照表付き) 2018/08/23



先日、『源氏物語』全五十四帖を、一言一句、原文で読み終えた。第一帖の「桐壺」を読み始めたのが2015年の秋の初め頃だから、ほぼ三年がかりということになる。やはり相当に感慨深い。

私を『源氏物語』へと導いてくださった方
そもそも『源氏』を読もうと思ったきっかけは、今は亡くなってしまった或る方からのうながしによるものだった。日本の古典文化全体に通じ、特に『源氏物語』ときものの研究で知られるその方が、たまたま私の書いたものを読んで、「この人に、私の持っている知識をすべて伝えて死んでいきたい」と仰ったという。大きな驚きだった。
「来月から、とにかく毎月先生のお宅へお伺いしてはどうか」
と、先生の言葉を伝えてくれた編集者の方は勧めてくれた。けれど、その頃、ちょうど私は本を書こうとしていた時期で、先生のところへ伺うからには、当然それなりに勉強をしていかなければならないし、伺った内容を自分なりにまとめ咀嚼するための復習の時間も必要だろうと考えると、私の脳のキャパシティでは、本の執筆と同時進行で行うのは不可能なことと思えた。そこで、
「まずは本を書いてからにしたい」
とお返事をした。版元との契約で一年で書き上げなければいけないと決まっていたから、その一年だけ待って頂く。先生は、ご高齢とは言え、「まだまだ心身ともに元気いっぱい。あと十年は生きられる」と仰っていると言うし、時間はたっぷりあると思えたのだ。
ただ、その一年の間に『源氏物語』だけは読み進めておこうと決めた。恥ずかしながら、それまで、飛び飛びでしか『源氏』を読んだことがなかった。それも、一部は『あさきゆめみし』の漫画だったり、現代語訳だったりする。こんな状態で先生の前に出る訳にはいかないから、毎朝、食事を取る間とその後の30分ほど、つまり毎日一時間弱を“源氏原文読書”にあてることに決めた。ところがそれからしばらくして、あっけなく、そして一度もお会いすることもないままに、先生が亡くなってしまったのだった。

こうして私の“源氏原文読書”は行く先を失った。
もう先生にお会いすることもないのだから、このまま止めてしまってもいい。それでも、やはり最後まで読み終えようと決めたのは、一つには、私を信じてくださった先生のお心に報いたいと思ったから。
もう一つは、きものや茶の湯など日本の伝統文化に関する取材依頼が増え、自分自身もそれこそを自分の分野としたいと思うようになっていたからだった。日本文化というあまりにも深く広大な分野に携わっていく以上、『源氏』や『平家』など古典を読み込むことは不可欠だろう。たとえばきものの文様にも、能や歌舞伎の演目にも、古典は繰り返し採り上げられている。もちろん現代語訳で読んでも良いが、文章を生業とする以上、普通の人に出来る以上のアプローチをしなければいけない。そんな風に考えて、そのまま――胸の中で先生の御霊に手を合わせながら――源氏原文読書を続行することにしたのだった。

石の上にも二年半――原文をすらすらと読めるようになるまで
それにしても、私の原文読解スピードは、かたつむりよりもまだ遅いくらいに遅々としたものだった。何しろ文章の仕事をしているくらいだから子どもの頃から本が何よりも好きで、けれど、好きな分、すらすらと読めないとイライラして古文は楽しいと思えなかった。まったく素養がないままいきなり『源氏』を読むのだから、最初のうちは一時間かけても数行しか進まないこともざらだった。昭和の半ばに出た「岩波古典文学大系」版を使ったのだけど、何しろほぼすべての語の意味が分からないから、いちいち本文の上に設けられた注釈を見る。それをまた原文に当てはめしばらくじーっと首をひねっていると、おぼろげに意味が分かって来たかも知れない‥というようななさけない状態だった。
しかも、この状態が二年半ほども続いたことが更になさけなかった。当初の期待では、何しろ毎日読むのだし、一年も経てばすらすらと読めるようになるのでは?と思っていたが、そうは甘くなかったのだ。どんなに進んだとしても、一日2ページがやっと。こんなに読んでいるのにほとんど進歩がないとは、と、ふと悲しく思うこともあったけれど…、不思議なことに、「宇治十帖」と呼ばれる最後の十帖に入って少しした頃から、突然、読めるようになっていた。ふと気がつくと8ページも進んでいて我ながらびっくりする。分からない単語が出て来ても、「こういう意味かな?」と思うとたいがいは当たっている。どうやら私の脳は二年半の時をかけて、古典の基本言語ソフトを構築したようだった。

『源氏物語』は強姦の物語
こうして自力で読み切った『源氏物語』に、では、どんな感想を持ったかを書いてみようと思う。
まず、総じて言えることは、よく、
「源氏に出て来る女たちの中で、私は朧月夜が好き~。色っぽいよねえ」
「実は花散里が賢いよね。控えめに控えめに出て、男にとって癒し度の高い港のような存在になって、特に美人じゃないけど結局は自分の方に引きつける(私もそんなタイプかも、うふ)」
などと、源氏好きの或る種の女性たちが熱中して語り合うような入れ込み方が、私にはまったく出来なかった、ということだった。
時代背景が違うのだから紫式部を責めても仕方がないのだけれど、ただひたすら男の愛に頼り、男の愛を待って暮らす、という『源氏物語』の中の女性たちの生き方に、私のような、完全に対等な男女関係を求める女は髪の毛一筋も共感出来ない。
そう言えば、上に書いたような「源氏の女性では、私は~」と熱中して語る女の子たちは、人生の最大価値基準に「もてるか/もてないか」を置き、「結婚できなければ女として終わり」と考える子が多かったことを思い出して、むべなるかな‥とため息をついたりもするのだった。
『源氏』の研究者の中には、これは「強姦の物語だ」と喝破した女性の学者がいたという。私もその意見にまったく同意する。『源氏』を読んでいくと分かることは、もちろんすべてではないが、強姦から始まる関係が非常多いということだ。
平安の公達たちは、どこそこの家に美人ちゃんがいるらしい、と噂を聞くと、あの手この手を使って塀や壁の隙間から覗いて確かめる(覗きのエピソードが実に多いのだ)。そして、よし、本当に美人だ、となると強引に押し入ってものにする。身分の低い男性から上位階級の女性へ、ということはないものの、身分の高い男性から下の階級の女性へ、あるいは対等な階級同士なら、強姦OK。このどこに共感出来ると言うのだろうか? 
おそらく「源氏の中の女性では~」ときゃぴきゃぴのたまう女の子たちも、この部分は()に入れた上で話しているのだろうと思いつつ、私は最後までまったく乗り切れずに読み終えた、というのが真っさらな正直なところだ。

私の好きな名シーンその一 第三十八帖「鈴虫」
それでも、いいなと思う場面はいくつかある。例えば、第三十八帖の『鈴虫』。
これは、源氏の晩年、五十歳の年を描いた帖で、その少し前、源氏は上皇から半ばむりやりその娘を正室に押しつけられる。女三宮と呼ばれる美貌の姫君で、けれど二十ほども年齢が開いていることもあって、夫婦仲はしっくりといかない。
そんな中、或る日、女三宮は以前から彼女に憧れていた柏木に強引に犯され(ここでもまた強姦から関係が始まる)、何度か関係を持つうちに不義の子を妊娠してしまう。偶然にその事実を知って、強い怒りと悲哀をおぼえる源氏。けれど皇女を離縁することも出来ずにいる。一方、女三宮も罪の意識から突然に髪を下ろし(=髪を短くする)、源氏の邸宅にはとどまるものの、出家するという道を選ぶ‥
「鈴虫」の帖では、そのようなほの暗い日々の中で、或る日、源氏が女三宮の部屋を訪ねる。髪を下ろしたとは言え、まだ女三宮は若く、輝くばかりに美しい。その姿を見ればむらむらともう一度抱きたいような気もして来るけれど、出家した女に手を触れることも出来ない。名残惜しい、残り火のような情だけがほのかにただようその時、庭では秋の鈴虫が鳴いている…という、人間の愛憎の念はそれを抱く本人にも一筋縄では整理がつけられない複雑のような執着なのだと思いいたらせる、何とも言えず風情のある帖で、文章にも艶があり、私は全五十四帖の中でこの帖を最も美しいと感じた。

私の好きな名シーンその二 第三十一帖「真木柱」
もう一つ、第三十一帖の「真木柱」にもほろりとさせられる挿話がある。
この帖には真木柱という幸薄い少女が登場する。お母さんが、今で言う精神疾患を患い、髭が濃いために髭黒の大将(この名前もすごい)と呼ばれているお父さんとの関係が破綻。家庭が機能不全家庭に陥っているのだ。
やがて髭黒は都中の噂となるほど美しい、玉蔓という若い女子に入れ上げ、ついにお母さんを離縁。真木柱も一緒に家を出て行くことが決まる。何ともひどい髭黒だが、それでも真木柱はやっぱりお父さんが好き、というところが、読んでいてほろりとさせられる。
そして、いよいよ家を出て行く日、生まれ育ち、馴れ親しんだその家の中でも特によくもたれて座って過ごした気に入りの柱(というものが平安の女子にはあった!)の前で、真木柱は別れの歌を詠み、その歌を書き記した紙を友に贈るように、柱の割れ目にそっと隠す‥この場面では彼女のいじらしさに思わず涙がにじんだ。
そして、恐らく作者の紫式部も書いていて真木柱があまり不憫に思えたのか、決してその後の彼女を不幸にはしていない。
最初の結婚では夫から好かれずまだしばらく薄幸が続くものの、その嫌な夫が病死して再婚した相手とは気持ちが合い、幸せな夫婦生活を送る。ああ良かったな、と、実は他の登場人物にはたいがい不幸な結末を用意していて底意地の悪さを感じさせる紫式部なのだが、この子にだけはほっこりした結末にしてくれたのか、とお礼を言いたくもなったりもする。そんな「真木柱」の帖なのだ。

『源氏物語』全篇で、一番おいしい思いをした女は誰か?
ところで、その真木柱はあまり美人ではないという設定で、そう言えば、もう一人あまり美人ではないのに幸せになった登場人物がいたころを思い出す。
落葉宮、という名前からして地味な姫君(上皇の娘)は、ルックスがパッとしない上にすぐ下に絶世の美女の妹がいて、いつも日陰の存在。現代にもあるある、と頷ける設定になっている。
けれどこの落葉嬢、朝廷中の全女子が憧れるイケメン男子と結婚する。それが先の「鈴虫」の帖に登場した柏木で、先にも書いたように本当は女三宮に憧れ続けている。そう、落葉の絶世の美女の妹とは、この女三宮なのだ。
柏木が落葉を正室に迎えたのは、源氏のもとに嫁いでしまった女三宮があきらめられず、「お姉さんなら女三宮に似ているかもしれない」という、いわば身代わりとしてだった。落葉からすれば、「そんなことで私を選ばないで」と言いたかっただろうが、さらにひどいことに柏木から「やっぱり君はぱっとしないよ。まるで落葉のようだね」と残酷な言葉を投げつけられる。その上彼はやはりあきらめ切れず虎視眈々と機会を狙って源氏の家にこっそり忍び込み、女三宮を無理やり手籠めにして不倫するのだから、落葉の結婚は何ともみじめに破綻したと言えるだろう。
ところが、柏木は色々あってぽっくり早死にしてしまい、その後、柏木と並ぶイケメンで、やはり全都女子(ぜんみやこじょし)の憧れだった夕霧(源氏の息子)が、何故か落葉に一目惚れするという意外な幸運が訪れる。
実は、この夕霧、「ちょっと不美人な子が好き」という変わった趣味の持ち主で、そう言えば現代でも「え?こんなかっこいい**君の彼女が、何故この冴えない女の子?」というカップルに出会うことを思い出す。うんうん、いるよね、こういう男子、と深くうなずける設定なのだ。
結局落葉は夕霧と結ばれ、気づいてみれば、美人でもないのに当代を二分する二人のスーパーイケメンとうふふした女子ということになる。もしかしたら、『源氏物語』中、一番おいしい目を見た女子と言ったら彼女かも知れない、という筋立てになっているこのあたりにも、生まれついての美人や金持ち女は不幸に落とすけれど、けなげな冴えない子にはほのぼのした幸せを、という“作者の特権”をなぎなたのように振りまわす紫式部の屈折した魔の手を、私などは感じたりもするのだ。

全五十四帖、七十年の物語を貫くもの――因果応報のシステム(図表付き)
ここまでは、『源氏物語』の個別の場面を採り上げて来た。
その中にも源氏の息子の名が登場したように、『源氏物語』は光源氏からはじまってその息子、孫まで三代、七十年以上に及ぶ長大な物語だが、その根底には全篇を読み通すことで初めて見えて来る大きなテーマが埋め込まれているのではないだろうか――ということを、半ばほどまで読み進めた頃から感じるようになった。ここからはそのことを検証してみようと思う。

その主題とは、当時の人々の人生観の根幹をなしていた仏教思想から来る「因果応報」の思想で、紫式部はその「因果」に人がからめ取られ、もがき続ける様相そのものを描きつくそうとしていたのではないかと思えるのだ。
そもそも「因果応報」とは、自分が為した行いの是非が、自分自身、或いは、子や孫など自分の後の世代の人生に多大な影響をもたらすという考え方だ。『源氏物語』の因果はこの法則にのっとり、主人公の光源氏が生まれる以前、その父母の世代から始まっている。

      *

光源氏は、天皇の第二王子としてこの世に生を享ける。
母親は下流貴族家の出身で、桐壷の更衣と呼ばれる女性だ。光源氏と言うと輝くばかりに美しく、女性にモテモテの羨ましい男、ということばかりが強調されるが、実は「出身はいま一つ」という設定なのだ。
平安の朝廷では、結婚は自由意志ではなされなかった。家格が釣り合っていることが何より重要で、その最たるものである天皇の正妻=中宮に選ばれるのは、上流貴族の中でも特に限られた数家の出の女性だけ。法律には一言も書かれていないけれど、そういう不動の法則が動いていた。
それら最名門の数家の一族は、やがて中宮から王子が生まれ、その子が次の天皇になることを期待する。天皇の祖父であるということを利用して絶大な権力を振るうという、独特の回りくどいシステムが平安期に働いていたことは、歴史の授業で学んだ通りだ。

桐壷の更衣は、だから、この権力システムに飛び込んで来た目障りなエラーということになる。下流の出のくせに、女の魅力で天皇を虜にしてしまった魔性の女。しかしあの女が男の子を生み、その子に天皇位が移ったら一体我々の家はどうなるのか?――
名門「右大臣家」出身の中宮、弘徽殿の女御にすれば、桐壷の更衣は夫の愛を奪った憎い女であると同時に、実家の没落を招くかも知れない恐怖の対象だった。
ここから、弘徽殿の女御はその政治力のすべてを使って桐壷に激しい集団いじめを仕掛けていく。やがてそのストレスから、病にかかり早逝してしまう桐壷。忘れ形見に輝くばかりに美しい息子、光源氏を残して。

これが、すべての因果の始まりだ。
本来、愛とは、人と人とが我知らず引き合う「自然な」ものであるはずだが、その「自然の愛」が「人工の愛」と衝突して、人工の愛の中に生きていた女を激しく傷つけた。そこに強い怒りの情念が生まれ、因果応報のシステムが動き出したのだ。
そして『源氏物語』では、この因果応報のシステムが七十年に渡って興亡を繰り返すことになる。その様を手書きの乱筆で恐縮だが下の表にまとめてみたので参照してほしい。
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一つの愛が激しい傷を生み、その傷が次の傷を生み、その傷口がまた次の傷口を招く。しかも空恐ろしいことには、当事者たちがこの因果応報の輪の中にいることを知らずに、無自覚に次の傷を生み出していくことがあることで、人はまるで大きな力に操られてもがき苦しむ影絵のように思えて来る。そして、この力から逃れる道はないのだろうか、ということにも思いがめぐる。

紫式部が本当に書きたかったこと
よくよく物語を眺めてみれば、この力が断ち切られても良さそうな場面はいくつかあった。
例えば、朱雀帝が源氏を大きな心で許した時(上掲図の青字部分参照)また、朱雀帝に許されて都に戻った源氏が、自分を地方(須磨・明石地方)へ追いやった弘徽殿の女御に復讐をすることをしなかった時。
けれどそのような寛大の心を持ったとしても、まるで体の奥深くに潜伏して発症の時をうかがう厄介な病原菌のように、因果応報のシステムは長い時を経て再び作動し始める。もしかしたら、人間は永遠にこの働きを断ち切ることは不可能なのかも知れない。或いは、死によって、死に準ずる出家を果たすことをもってしてようやくシステムはその輪を停止するのかも知れない――ということを、物語は最後に暗示して幕を閉じる。

それにしても、こうして七十年の時を超えて作動し続けるこの因果のシステムを概観する時、改めて、それが、一人の女の激しい情動から生まれたことに慄然とさせられる。
実は、システムとは外れた脇のストーリにはなるが、『源氏物語』には、もう一人、弘徽殿の女御と同様の強い憎悪の念をみなぎらせる女性が登場する。若き日の源氏の恋人の一人で、源氏への執着のあまり嫉妬の念が我知らず肉体を抜け出し、ライバルの女性にとり憑きついに殺してしまうという恐ろしい女性だ。
六条の御息所、というその人は、高い教養の持ち主で、多くの取り巻きに囲まれ自宅は文芸サロンとしてにぎわっている。けれど、最高度に上品で優雅なその振る舞いの腹の底にははかり知れないほどの情念を抱え込み、白昼の光の下では決して相手をとり憑き殺そうなどと夢にも思っていないのに、夜の闇の中で情念が知性を越えて動き出す。
だから、紫式部は、人を根底から揺り動かすものは情念であるということを言い続けているのではないだろうか。五十四帖もの長大な紙片を尽くし、理性をはみ出すほどの深い執着が因縁を発生させ、世界はその力に操られているという一つの様相を描き出すことが、彼女を執筆に駆り立てた動機なのではないだろうか。その情念は、足枷多く、従属的な立場に閉じ込められているからこそ、女の中に強く深く宿る。そして世界を裏側から動かしているというすがたをも告発しているように見える。

貴族社会の滅亡と紫式部
ところで、『源氏物語』の世界を、現実の歴史の中に置くということをしてみたい。
『源氏物語』を読んでいると、地方出身の田舎者や、その田舎に派遣されて租税の取り立てを行う受領階級やその家族、また、荒々しい武士階級の人々を、粗野で無粋な者として、貴族たちが蔑む場面が度々出て来る。
けれど、大きな視点で眺めてみれば、貴族の彼らのその優雅な生活は地方からの税や武士が守る荘園の作物によって成り立っているのであり、ここに激しい搾取が行われていることは明らかだが、『源氏物語』にはそのような社会的な視座はまったく存在していない。貴族たちは呆れるほどに歌やおしゃれや蹴鞠遊び、そして恋愛にうつつを抜かし、仏教に深く帰依しているとは言ってもそれはあくまで自分の成仏のためであり、たとえば奈良時代の光明皇后(そう言えばこの人は貴族藤原氏の出だった)のように、貧しい人や病に苦しむ人々に施しをしようなどと考える人物は一人として出て来ない。それどころか、例えば気に入った女子を愛人の一人に加えるとなると、最高級の部材を使ってとんてんかんてんと愛人用ハウスを建てて迎える、など、その享楽と散財ぶりはすさまじいばかりだ。これでは、いつまでも他の階級が黙っている訳がないし、革命が起こって当然だと思わされる。
事実、紫式部が生まれる30年ほど前に、既に地方武士勢力が中央に反抗する大反乱を起こしている。その動揺は何とか鎮圧出来たものの、平安貴族最高の栄華を極めた紫式部の同時代人、藤原道長の死の直後からやはり同様の武士の大乱が度々起こりそれを押さえるために貴族階級は別の武士の力に頼り、これが、源氏や平氏の台頭を招いていく。紫式部の存命中から既に貴族社会という壮麗な建築物の土台は腐り始めていたのだけれど、しかし、そのような滅びの予感は、『源氏』の中にはまったく描かれていない。
爛熟した小宇宙の中で生きる人々のありようを冷徹に見つめた彼女も、より大きな社会的な視座という点では盲目だったということか。或いは、この物語は、有名な「いずれの御時にか(どの天皇の御代かは分からないのですが)」という一文から始まるけれど、様々な研究から、紫式部の生きた同時代より少し前の時代、900年代前半頃の平安朝廷に時代を置いていると言われている。そのことを考え合わせれば、そうすることで、紫式部は貴族社会崩壊の予兆を描き込まずに済んだ、目を背け続けた、と言えるのかも知れない。

終わりに
以上、長い長いこの物語を読み終えて思うことをつらつらと書き綴ってみた。もちろんこれらは私一人の見方に過ぎない。『源氏物語』を読み込んで来た先達の友人知人の皆さんと、これからは機会あるごとにこの永遠不滅の古典について語り合うことが出来ればと願っているし、そして今は新しく、『平家物語』を読み始めている。毎朝、少しずつ。

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青山で、武士の精神とファッションを写し出した写真展を見る(着物コーディネイト付き) 2017/06/18



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一昨日に引き続き、昨日も着物で青山へ出かけました。目的は、スパイラルホールで今日まで開かれている、エバレット・ケネディ・ブラウンさんの写真展「ジャパニーズ・サムライ・ファッション」を見ること、そしてトークショーを聞くことでした。
エバレットさんは1980年代より日本で暮らすアメリカ出身の写真家で、本展では、「相馬野馬追」に参加する「武士」たちの肖像と装束を撮影しています。
相馬野馬追のことは、何となく知っている方も多いのではないでしょうか。一言で言えば、武士の野外訓練。起源は鎌倉時代と言われ、複数の組に分かれた武士たちが藩主の前で、神旗争奪を目指して競い合います。全国に多々ある武士イベント・武将イベントがいわばコスプレであるのとは一線を画し、殿様の席に座っているのは、現在で第34代となる本物の藩主。馬追いに参加するのも、今が江戸時代ならお城に詰めて殿に仕えていた、本物の家臣や、その城下の人たち。彼らが代々家に伝わる本物の甲冑や篭手、鎧直垂を身につけ、全身全霊でお役を全うするという訳です。
同時に発売された写真集の序文によると、ふだんはタクシー運転手など、ごく普通の市民生活を送るこの「武士」たちは、旧藩主の相馬家の当代のことを「若殿」と呼び、常に気にかけて暮らしているのだそうです。つまり、この人たちの中には、今もまだ江戸時代の武家の精神のあり方が、生きている。エバレットさんはそれを写し出そうと試みたのでした。
     *
…と偉そうに書きましたが、実は一昨日まで、私はこの写真展のことを全く知りませんでした。一昨日、このブログに書いたように、友人との食事会に行くため青山に向かい、けれど早く着き過ぎてしまったため、「スパイラルで何かやってないかな」とたまたま足を向けたことでこの展覧会に出会ったのです。
これまでにも何度か書いているので覚えていてくださる方もいらっしゃると思いますが、私は大の武士ファッション好きです。着物好きの中には、襲(かさね)の色目など、公家の装束がお好きな方が多いようなのですが、もうダンゼンの武家派。私のためにあるような写真展じゃないの、とワクワク見ていたら、会場にエバレットさんがいらっしゃり、明日、ISSAY MIYAKEのデザイナー・滝沢直己さんとのトークショーがありますよ、とご案内を頂きました。そこでこれも何かのご縁と、再び青山を訪ねたのでした。
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さて、上の写真で分かるように、相馬の「武士」たちの写真は、モノクロで撮られています。それも「湿版」と呼ばれる、幕末から明治時代にかけて行われていた撮影技法。詳しい説明は省きますが、とてつもなく大掛かりで面倒な技法です。エバレットさんは、わざわざその技法を選択して「武士」を撮っているという訳なのです。
ご存知の通り、「武士」は明治時代に消滅してしまいました。つまりはエバレットさんのこの作品群は、その消滅した武士たちを、消滅した時代と同時代の技法で撮影している、ということになります。
最初、私は、純粋に服飾史好きとしての興味、つまりは「甲冑の下でどのように着物や武具が身につけられているか」を見たいという思いで写真を見始めました。しかし、すぐに、これらの写真が現出しているもの、江戸から明治への変化どころか、ロケットが宇宙を探索し、人々がスマートフォンやバーチャルリアリティを普通に使いこなす劇的なテクノロジーの変化を経てもなお相馬の人々の精神の古層に「武士の魂」が宿っている、ということに大きな衝撃を覚えました。
もちろん、こうして言葉で書いているだけでは、なぜそこに武士の魂があると言えるのか、分かって頂けないと思います。実際に会場へ出向いて、写真に写っている武士たちのその面構えを見たとき、西端が言っていたのはこういうことだったのか、と感じて頂けることになるでしょう。
          *
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上の写真は、トークショー中のエバレットさん(左)と滝沢さん(右)。
エバレットさんは、武士に限らず、明治維新以降に日本人が失ってしまった――いや、忘れてしまった、と言った方が良いのでしょう――優れた精神性を探求すること、再現することを芸術活動の核心に置いています。現在も、縄文土器や日本の旧家の人々を撮影するシリーズを撮り続けているのだそうです。
今回、そんな彼の相馬のシリーズに触れられたことは、私にとって非常に大きな励ましになりました。と言うのも、皆さんもご存知の通り、私はとにかくきものが好きで好きで、何とかして後の世代にきものを残して行きたいと願っている人間ですが、けれど、もう無理なのかもしれないと思うことも、実は多々あるのです。
日本というこの文化の根底は、豊かで四季の変化多い「自然」であると私は思っています。しかし、今多くの人はアパートやマンションで育ちアパートやマンションに暮らし、ビルディングで働き、自然の変化に興味を持たない。或いは、花屋に行かなければ変化を意識しない。しかもその花屋には、明治以前の日本には存在しなかった、洋花しか売られていない。この国の土から生え出る自然から切り離されてしまった以上、もう何をどう叫んでも「本当の日本」は帰って来ないのではないか。きものも茶も和歌も、滅びるしかないのではないか、と絶望してしまうことも多いのです。
それでも、エバレットさんのこの相馬の写真群にあまりにも色濃く現れる「武士の魂」を見ると、まだ間に合うのかも知れない、と思えます。
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また、写真展には、上の写真のように、肖像写真とは対照的にカラーで撮影し、しかもコンピューター処理をほどこした野馬追の武士たちの武具や装束の写真も展示されていました。今我々が日常的にまとう洋服ファッションとは全く違った色の組み合わせ、そして数百年を伝え続けられた文様が生き生き着こなされている様が、ここには映し出されています。そう、ここにも、明治以来140年、戦後からは70年ほどの「短い」時間では決して消し去ることは出来ない、色濃い、美の感覚が、私たちの脳、或いはDNAの古層に眠っているのではないか、そんな希望を感じてしまうのです。
出会ったのが会期終了の三日前だったため、もう今日しか日程がないのが残念ですが、本日、お時間のある方はぜひ青山スパイラルホールに足をお運びいただければと思います。
    *
下の写真は、会場で、エバレットさんの今回の相馬シリーズの写真集「JAPANESE SAMURAI FASHION」を出した版元「赤々舎」の元社員?或いは「赤々舎」を手伝っていらっしゃる、棚橋さんと↓
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ちなみに帯周りと足元はこんな風です↓
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(村山大島紬の単衣に、米沢「近賢織物」の紙布帯。最強に軽くて楽で、しかもお洒落でしょ、と自慢の組み合わせです。足元は、浅草「辻屋」の塗り下駄)

棚橋さんとも、今回知り合ったばかり。共通の友人(香港人の写真家)がいると判明して、大いに盛り上がったのでした。そう、この写真展に行き当たったのも偶然なら、関係者に共通の友人が、しかも外国人の友人がいることも偶然。今は大きな仕事を終えた後にぼーんと心のドアを開いてふらふらとさまよっている時期なので、偶然が飛び込んで来てくれるのかも知れません。

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これから読みたい本のリスト 2016/03/15



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自宅缶詰でひたすら本の原稿を書く「原稿軟禁生活」も、はや二カ月半。
脱稿したら、国内の某地に旅行へ行きたい!友人の**さん、**さん、**さん(以下、続く)とお食事してあれこれお喋りしたい!美術館に行きたい!映画を観たい!‥などなどやりたいことを妄想しながら頑張っていますが、中でも、「好きな本を読みたい!」という願望が、このところ特に頭の中でちかちかするようになって来ました。
いや、毎日大量に本を読んではいるのです。いるのですが、今読んでいるのは、総て、今書いている本の資料となる本。その中からももちろんたくさんの学びがあって、全く無駄な時間ではないとは言うものの、やはり、気持ちのおもむくまま、自分が読みたい本を読むこととは違います。
また、そもそも私は、本を最初から最後まで通読することが好きなのですが、現状、資料として読む本は、時間との関係から必要な部分だけを読むことも多い。これが心理的に非常に大きなストレスになっています。
思い切り、好きな本を、通読したい!
日々高まる願望を、原稿の合間に…と言うより、原稿が書けない時の逃避活動として、ワードファイルに暗~く打ち込んでいたのが、冒頭の写真です。気がつけば随分たまって来て、二十六冊。小説あり、歴史関係あり、服飾史あり、政治学あり…
下にコピペしてみましたが、脱稿したらこれらの本をガンガン読書するつもりです。どれもすぐさま読みたい本なのですが、一冊目はどれにしようか。今は毎日毎日、日本に関連した本ばかりを読んでいるので、外国人が書いた、外国が舞台の本が良いかな、という気もします。そうなると、ジョセフィン・テイの「時の娘」か、ウンベルト・エーコの「前日島」でしょうか。その次はどの本を読もうか‥
ああ、この中に、あなたの興味を引く本はあるでしょうか‥?

「儒学殺人事件」小川和也
「時の娘」ジョセフィン・テイ
「『辻が花』の誕生」小山弓弦葉
小笠原強さんの論文
「前日島」ウンベルト・エーコ
「屋根裏の散歩者」江戸川乱歩
「地政学入門」曾村保信
「大原御幸」林真理子
「『汪兆銘政権』論」土屋光芳
「利休の茶会」筒井紘一
「外交官の一生」石射猪太郎
「夜の蝶」川口松太郎
「中庸」
「明治のお嬢さま」黒岩比佐子
「毛沢東」遠藤誉
「京都嫌い」井上章一
「和宮様御留」有吉佐和子
「愛国と信仰の構造」中島岳春、島薗進
「古墳とヤマト政権」白石太一郎
「戦中派不戦日記」山田風太郎
「消滅世界」村田沙耶加
「満州事変の裏面史」森克己
「落日の豊臣政権」川内将芳
「女であること」川端康成
「大久保利通と東アジア」勝田政治
「明治大正昭和 不良少女伝」平山亜佐子
「鬼の研究」馬場あき子


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宇野千代自伝『生きて行く私』に見る股のゆるさと宇野千代きものについて 2013/11/04



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 3、4年ほど前、歯医者の待合室だかどこかで偶然手に取った女性誌で、ファッションディレクターだったかアートディレクターだったか今ではもう忘れてしまったけれど、何かしゃれた職業の女性が宇野千代の自伝『生きて行く私』を自分の好きな本と紹介していて、以来、いつかこの本を読んでみたいと思っていた。
 それからわりと忙しく日々を過ごしてあっと言う間に3年ほどが過ぎてしまったのだけれど、特にこの10か月ほどは一日も休みなく仕事に追われていた生活がほんの少し小休止したので、そうだ、『生きて行く私』を読んでみようと、飛びつくように読み始めたのだった。
 宇野千代の小説はこれまで一冊も読んだことがなかったけれど、八十歳でも振袖を着ているとか、桜が好きで一年中桜のきものを着ているとか、「私、死なないような気がするんです」という有名な台詞などは耳にしたことがあって、面白そうな女性だなと興味は持っていた。
 それに、そのカタカナ職業の女性も、“生き方に一つの美学を貫いた凛とした女性の一代記”といった紹介をしていたから、きもの好きの私としては人生の美学ときものの美学とが美しく一体化したような、何かとてつもなくしゃれた随筆が読めるのではないかと期待したのだ。

          *

 さて、ページをめくり、四分の一ほどしたところで、その美しい期待は大きな見当違いだったということにつくづく気づかされた。だからと言って読む価値がないかと言えばそんなことはなく、むしろ無類に面白い。
 では、一体この自伝はどんな書物なのか、と言えば、それは、宇野千代という女性の股の話だ。宇野千代先生が行く先々ですぐ男性に股を開き、人々がえっと仰天する。ここでもここでも股を開いているけれど、おそらく行間のここでも股を開いていて、だけど何かはばかりがあってここについては書いていないな、と同性ならすぐ読み取れてしまう。そんな風にあっけらかんとそこかしこで股を開きまくっている女の一代記が、この自伝随筆集なのだ。
 ‥とこう書いてしまったら身も蓋もないと思われるかも知れないけれど、これこそが彼女の人生の総てを集約した一言なのだ、ということに、『生きて行く私』を読めば気づいて頂けると思う。
もちろん、千代先生は野間文芸賞や芸術院賞を受賞し、うるさ型の小林秀雄をも驚嘆せしめた偉大な作家だった。また、一時代を築いたファッション誌の編集長をしていたこともあるし、趣味のいいきものを世に送り続けたきものデザイナーでもあった。
 しかし、女が前に出るのが今よりもずっと難しかった時代、何が彼女をそこまでの場所へと押し上げたのかと考えてみれば、その心底根底にあったものは、「あら、この男、ちょっと素敵」と思った瞬間すぐに股を開き、それでもなびかない男の元には毎日毎日職場にまで押しかけて「あの、私の股は開いてますけれど」と執拗に知らせ続ける、その、周囲の目を一切気にせず自分の欲望に向かって素直に自分を全開に出来る純粋無垢な魂のようなもの。それを彼女が保持し続けていたからこそ、あの時代に大きな成功と幸せをつかみ取ることが出来たと分かるのだ。

 もちろん、そのようないわゆるふしだらで自堕落な生き方をしていたらそれなりのしっぺ返しはある訳で、その中で、よりくっきりと見えて来る人生悲喜劇の輪郭が、おそらく彼女の小説の主題となったのではないか、ということにも、読んでいれば自然に思い至る。そうなると私などはがぜんこの上は、千代先生の代表作も読んでみようじゃないかという気にもさせられるのだった。

          *

 ‥という訳で、私が最初に雑誌で読んだしゃれた職業の女性に言いたいことは、股の話は股の話だとちゃんと書いてほしい、ということだ。
 確かに千代先生の偉いところは股だけの女に終わらずそれを偉大な作品や事業に変え得る知恵と文才とセンスを持っていたことにあるけれど、股がゆるかったことがまたその人生の最大の特徴であり、その股ゆえにこそ知恵も磨かれたのだ、ということを、女性誌的にこぎれいにまとめるのはどういう安全策なのだろう、と一人文句を言いながら表紙を見返したりもしたのだった。

          *

 ところで、千代先生の名誉のために付け加えておけば、人生のごく一時期を除いて、先生は誰にでも彼にでも股を開いていた訳ではなかった。尾崎士郎、北原武夫、東郷青児‥彼女が股を開いた男の列伝には綺羅星のような名前が並ぶ。そして、彼女は、あきれるほどに分かりやすい“イケメン好き”でもあった。才能がある上に見た目も美しい男性と恋仲だったのだから、何とも痛快な話ではないか。
 そんな“宇野千代”の名前を冠したきものが、今も綿々と作られていることはきもの好きなら誰もが知っているだろう。先生の股の開き具合を思うと正直うら若い娘さんの振袖にはどうかと思うが、三十五過ぎた女が小紋などに着るとしたら、何ともしゃれている、と思うのだ。


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『平清盛』は何故つまらないか? 一視聴者の意見 2012/03/30



今年の大河ドラマ『平清盛』が大不評で、いよいよ視聴率が10パーセントを切るのでは?と噂されている。
私は歴女なので、大河ドラマは基本的に大好きだ。去年の『江』はあまりにも脚本がひどくて途中で放棄してしまったけれど、その分、今年の『清盛』には期待していた。でも、確かに出来は良くないと思うし、視聴率が上がらないのも納得出来る。その理由を私なりに書いてみようと思う。

そもそも『清盛』が始まった当初、兵庫県知事が「画面があまりにも汚過ぎる」と文句をつける事件があった。現在の視聴率低迷も、この汚い画面作りが大きな原因ではないか?そんな意見も根強い。
でも、これは当時のリアリティを追究した結果であり、十二単や蹴鞠に代表される雅の世界を楽しんでいたのは特権階級の貴族だけ!庶民はぼろを着て京都の町も貴族の邸以外はおんぼろの小屋ばかり!そんな超絶格差社会への不満が武士の台頭=つまり清盛の成功につながって行くのだから、ドラマの伏線作りとしてはとても正しいと思う。
それに、汚い画面は決して低視聴率の真の原因ではないのではないか。だって、思い出してもみてほしい。高視聴率だった一昨年の『龍馬伝』だって、しょっちゅう汚らしい男たちがボロを着て走り回っていたではないか。香川照之などそのあまりの汚らしさでかえって人気が出ことを、2年経って皆忘れてしまったのだろうか?

私は、このドラマの最大の敗因は、脚本だと思う。
脚本のどこがダメかと言うと、清盛が“天然ボケのいい人”にしか描かれていないところが壊滅的にダメだと思うのだ。
そもそもこの時代と言うのは、信長や秀吉という、ゲームや漫画でもおなじみのあのキャラクターたちが登場する戦国時代よりは、マイナーな時代ではある。だから人物に感情移入がしにくいことは事実だ。
でも、日本人なら皆中学の国語の時間に、『平家物語』の冒頭の一節を朗読させられたはずだ。そう、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…(中略)奢れるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」というあれである。
正確な意味は分からなくても、一度は「頂点を極めたゼ!」と奢りたかぶった者が、例えばバブル紳士のように、例えばホリエモンのように、いつしか歯車が狂って没落してしまうこともある。それが人の運命のはかなさだよね…このニュアンスは日本人なら誰でも、『平家物語』の一節からぼんやり感得しているはずだ。

つまり、特に歴史好きではなくても、日本人一般の心の中で平家というのは“一回は大成功した人”という共通イメージでとらえられているということだ。もちろん歴史愛好家にとっては、数百年間続いて来た貴族支配を打ち破り、初めて武家政権を作ったすごいヤツ、という認識でとらえられている。
そういう、“頂点を極めた人物”という共通イメージを、我々は無意識に現代の自分たちの生活に当てはめながらドラマを見ているはずで、それをNHKが全く忘れてしまっているように思えるところに、今回の敗因があるのではないだろうか?
どういうことかと言うと、ごく当たり前のことだが、政治経済で頂点を極める人間が“天然ボケのバカ”であることは有り得ない、ということだ。そのような人物はやはり人の心を読むことにたけ、権力の有り所に敏感で、どうやったらその権力を自分の元へ引き寄せられるのか、深く分析出来る知力を持っている。私たちは誰でもそのことを経験で知っているし、その経験を元にドラマを見ているということだ。
だから、たとえ子ども時代であっても、青春時代であっても、後に大きな大きな政治的栄光を手にする人物が、ただただ素朴でドジばかり、だけど憎めないいいヤツであったわけがな・い・よ・ね!と突っ込みを入れたくなってしまうのだ。もっと若い頃から目から鼻に抜けるような権謀術数の片鱗が見え隠れしていたは・ず・だ・よ・ね!と。その突っ込みがつまり、継続視聴の放棄=視聴率の低下につながっているのではないだろうか。

でも、ここまで書いていてはたと気づいた。日本の憲政史上、最も愚鈍な人物が総理大臣の座についた一時期があったことを。そう、“鮫の脳”と言われたあの人、日本人の忘れたい過去、森喜朗首相である。
まあ、あの方は各派色々な政治バランスの上で首相にまつり上げられたのだろうが、今の清盛の描かれ方だと、大人になるとあんなかんじ、森首相になってしまいそうなかんじなのである。一体誰が、森首相のおバカな青春時代を毎週毎週テレビの前に律儀に座って見たいと思うだろうか?NHKと脚本家は、この事実をよくよく考えた方がいいのではないかと思う。

           *

もちろん、NHKだって脚本家だってずぶの素人ではないのだから、今までの回は汚い絵作りと同じく、ドラマに周到に張った伏線のつもりだったのだろう。清盛が少しずつ少しずつ成長して行き、貴族の世から武士の世へと政治体制が変わる大転換のあの時代、昨日の敵と今日は手を組むようなあの複雑な時代をしたたかに生きる男に成長する…1年間かけてそのドラマを見せるつもりだったのだろう。
しかしあまりにもテンポが遅過ぎる!見ている側の視聴者たちはスマートフォンのゲームで遊ぶ時代。原発がメルトダウンしてアフガニスタンやイラン情勢は一触即発、中国やらインドやらに追い上げられているこのめまぐるしい変化の時代に打ち出すエンターテイメントとして、あまりにもテンポが遅過ぎることを、よくよく恥じ入ってほしいと思うのだ。
もちろん、最初の1、2回くらいは、清盛が若気の至りで失敗ばかりしていてもいい。でも立派に一家を構えるようになった今も、毎回失敗しては→反省→でもまた失敗。こんな人、今の社会ならとっくにリストラされているだろう。
私たちはそんな話を見たいのではない。天然ボケの好人物のどたばた奮闘記なんて全く求められていない。求められているのは、複雑な時代を複雑な内面で生き抜いて行く、時に非情、時に悲哀をただよわせた、強く美しく知力に満ちた男の物語だ。それももちろんおとぎ話に過ぎないのかも知れないが、おとぎ話にも時代の要請というものがある。今の清盛の描かれ方は、時代のリアリティと全く呼応していない。NHKは画面作りのリアリティばかりに血道を上げるのではなく、肝心の主人公造形のリアリティにもっと心血を注がなければいけないと思うのだ。

         *

ここまでは脚本について書いたが、実はキャスティングにも問題はあったのではないかという気はしている。
清盛を演じているのは松山ケンイチだが、私のような歴史好きが平清盛と聞くと一般的にイメージするのは、この彫像ではないだろうか↓
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京都の六波羅蜜寺にある重文の彫像で、私も実物を見たことがあるが、痩せて神経質そう、且つ、底知れぬ恐ろしさを持つ雰囲気。全くマツケンの持つイメージ=「いい人そう」とは異なっている
そして、おそらく現実の清盛もこの彫像の方に近かったのだろうと想像してしまう。これも歴史好きなら誰もが知っている事実だが、清盛は決して一代でのし上がった人物ではない。彼の祖父と父が既に相当な財力と地位を築き、そのバックグラウンドの上に満を持して登場した三代目。そう、言ってみれば“新興財閥の御曹司”が清盛だ。小さい頃からそれなりに贅沢な調度に囲まれ、父たちは貴族社会に地位を築こうと画策していたのだから、和歌や有職故実をみっちり教え込んで、青年に達する頃には優雅な物腰が板についていたはずだ。
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↑上の写真は、清盛が厳島神社に奉納したお経、「平家納経」(のごくごく一部)。これも平家と聞いたときに歴史好きが真っ先に思い出すものの一つだ。この絢爛!この華麗!歴史愛好家にとっての平家のイメージは決定的にこれである。
つまり、このドラマは、人物の内面造形の面でもリアリティがない上に、外見イメージも大きく清盛を離れていることにひどくがっかりさせられてしまうのだ。現在、清盛のライバル源義朝を玉木宏が演じているが、彼の方が私の心の中に刻み込まれた清盛の外見イメージには近い。或いは、崇徳上皇を演じている井浦新、伊勢谷雄介なども良いのではないか…。
しかし、今さら配役は変えられないのだから仕方がない。役者には演技力という武器がある。清盛には瀬戸内海の海賊たちを束ねた強面の一面もあるのだから、マツケンには優雅と荒々しさを兼ね備えた、新たな清盛像を作り出してほしいと願うばかりだ。

しかし、それには何よりも脚本が変わることが必要だ。ここまで視聴率が落ちたのだから当初の計画はきっぱりと棄てて、清盛の成長を一気に早めるべきだと思う。周囲の知者たちに教わってやっと何かをなす清盛ではなく、自ら知謀をめぐらし、自らの手で時代を少しずつ動かして行く男。江もそうだったけれど、受動的な主人公ではなく、主体的な主人公を描いて見せなければ、現実に複雑な時代を生きている今の視聴者は全く魅力を感じない
今回の脚本は『江』とは違い、清盛以外の人物はよく描かれていると思う。曲者揃いの脇役たちの中で、更に抜きん出て深謀遠慮のある人物として、清盛を悪とすれすれのきわどい線上を意志を持って歩かせる。そして「時代を切り開くためにはこうするしかなかったのだ」と視聴者にため息をつかせつつ納得させる。そんな、限りなく悪に近い男の魅力と悲劇を描き出すドラマに、変貌して行ってほしいと思う。

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私の本棚~~この2ヶ月間に読んだ本 2011/08/25



もっと頻繁にブログを更新したいのですが仕事に追われ、8月いっぱいはどうにもままならない毎日。そこで今日の日記では――若干お手軽にはなりますが――最近二ヶ月間に読んだ本を羅列したいと思います。
人の本棚覗くのって楽しいですものね~って、言い訳がましいでしょうか?
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さてさて、上の写真に写っている本の山の下の方から、この2ヶ月間に読んで来たものです。

『図説江戸4 江戸庶民の衣食住』 竹内誠監修 (学研)
全ページ豊富な図解と写真入りで、江戸文化のどうでもいいような隅々までを解説してくれる日本文化好きにはたまらない一冊。

別冊歴史読本 『江戸城大奥ガイドブック』 (新人物往来社)
連続ドラマ『大奥』マニアの友人R子から、『大奥』熱がだんだん感染。影響されて借りてみました。DVDも観始めており、今後はまる予感‥

『できることから』 小堀貴美子 (講談社)
ごく普通の家庭のお嬢さんとして育ちながら、茶道・遠州流家元と恋に落ちたことで、家元夫人となった貴美子奥様の奮闘記。
結婚一年目は、毎日、午前中ひたすらずーっとお茶を点てさせられる‥。先祖の月命日など、何かと言うといちいちきちんと着物に着替え、月に何度もお墓参り‥。毎日夕食には懐石料理を作る‥など、いくら好きな人と一緒になるためとは言え、私には絶対無理なことオンパレードの毎日。或る意味皇室に嫁ぐより大変かも。貴美子さん、すごいです。

『1988 我想和這個世界談談』 韓寒 (国際文化出版公司)
これは中国語の小説です(日本語訳はまだ出版されていません)。中国の人気作家・韓寒の作品。みずみずしい挿話にあふれた、ひりつくような痛みをともなう青春小説。ところどころ、偶然を多用し過ぎている点が残念ですが。
1988というのは主人公が乗っている車の愛称ですが、これは天安門事件(1989年)の1年前を暗示しているのでしょうか?小説のストーリーと天安門事件との間に隠された関係があるのかどうか、検証してみようと思いながらやれていません‥。誰か代わりにやってくれないかなー。
途中で死んでしまう重要人物が、どうも1989年に死んでいるようで…細かく読んで行くと裏のストーリーがあるように思います。

『茶 利休と今をつなぐ』 千宗屋 (新潮新書)
武者小路千家の若宗匠による茶の湯入門書。基本知識を押さえつつ、茶の湯の精神の真髄を伝えようとする千氏の熱意にあふれた、感動的な好著です。

『足利義政』 ドナルド・キーン (中央公論新社)
足利義政の、将軍としてはダメダメだった生涯と、文化の庇護者・創造者としては超一流だった別の一面を、流麗な筆致であますことなく伝えてくれる名評伝。

『中国を拒否できない日本』 関岡英之 (ちくま新書)
著者は、元三菱銀行員として中国と多数の交渉歴を持つ中国通。その後、外交問題の評論家に転身したという経歴の持ち主です。その著者が放つ、日中関係論であり日米関係論である本著は、傾聴すべき点が多々あると思いましたが、日本における原発運用の脆弱性を予見出来なかった点は、差し引いて見なければいけないと思います。

『女中譚』 中島京子 (朝日新聞出版)
1930-45年頃を舞台にした小説を読むのが趣味の一つです。この短編集も正にその時代を扱ったもの。単に世相を描くだけでなく、人間心理の奇怪なひだに分け入る力量が素敵!

『女系家族』 山崎豊子 (新潮文庫)
山崎豊子は、後期の社会派作品も素晴らしいのですが、自身のルーツである大阪船場の上流階級を描いた前期の小説群も傑作揃いです。着物の描写も多数出て来るので、着物好きには二度美味しい小説。

『はじめての支那論』 小林よしのり・有本香 (幻冬舎新書)
中国を徹底的にけなしてあースッキリ、という本かと思いきや、内容はもっとずと深く、中国問題はアメリカ問題と同義であり、「日本人がこれからグローバル化とどう向き合って行くのかが問われているのだ」ということを論じています。
1)日中戦争・太平洋戦争に対する歴史認識 
2)中国人を単純に一般化し過ぎて論じている点
3)過去の中国文化への理解力が恐ろしいほど低く、失笑レベル
‥の3点は私と意見が違っていたり・残念であったりする点ですが、それ以外の論点に関しては「自分が小林よしのりと相当意見が近いとは‥」と驚愕。

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冒頭の写真で積み上げられた本のうち、一番上の二冊は現在読んでいる本です↑

『東アジア国際環境の変動と日本外交1918-1931』 服部龍二 (有斐閣)
第一次世界大戦終了から満州事変に至るまでの10年余の日本外交を、日本、イギリス、アメリカ、そして中国の資料も駆使して分析する現代史の専門書。ノートを取りながら、現在半分ほど読み進めたところです。

『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』 開沼博 (青土社)
原発なしで生きられるならそうしたい。そのためには、地震国日本に何故ここまで原発が増殖したのかを徹底的に見つめなければならない。その作業なしに新しいフェーズへ向かう打開策は生まれて来ない‥これは、そのための検証の書物である‥そういう視点がおそらく貫かれている本かと思います。(今日から読み始めたので、もしかしたら違っているかも知れません)
福島出身の新進社会学者が、おそらく自らの故郷の恥部を直視しながら、徹底的に日本の地方都市の現実と向き合った論考であると推測され、その恥部はつまり日本人全員の恥部である訳なのだから、私もこの本を読むことによって、厳しいこの現実に向かい合って行こうと考えています。

‥以上、この2カ月の間の読書の記録でした。
着物好きとしては、今月は『美しいキモノ』と『きものSalon』の二大着物雑誌の最新号が発売された月でもあり、ほっと頁をめくるのもまた心楽しい、忙中の閑なのであります!
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「村上春樹のダメなおじさん化について、その他」 2010/12/01



今週の日記は、またもやばたばたと忙しく過ごしている日々の短信雑記と、ドラマや小説の感想などを。

*毎日が忙しい。その最大の理由は、ライター仕事が重なっているため。この数年継続して仕事を頂いている某サイトの1年ごとのリニューアルが始まり、これから2ヶ月で、50本近くの取材をこなさなければならない。もちろん、取材を終えたら原稿を書かなければならない訳で‥‥考えただけでも目が回り始める‥‥

*更に今年は、ビジネス関係の某書籍のお仕事も同時進行で頂いているため、忙しさに拍車がかかっている。
こちらの仕事では、これまで自分が遊びを通じて、また、広告代理店勤務時代を通じて知り合った方々に取材をすることになりそう。中には何年かぶりで会うなつかしい人もいて、仕事を忘れて、会うこと自体が楽しみになっていたりして☆

*夏頃に悪戦苦闘していた書籍の仕事。実は諸事情で発売が延びていたけれど、ようやく発売日程が決定。年明け、上旬~中旬頃になりそう。
そして‥‥じゃじゃーん、発売を記念して1月末に講演をすることも決定。その準備が大変なのであーる!‥‥が、これはとても楽しい大変さでもある。現在、レジメを鋭意作成中。

*1月末には、現在見て頂いているこのホームページも改訂予定。新しく撮り下ろしの写真を入れたいと思っているので、当然、撮影をしなければならない。室内ではなく外で撮りたい写真なので、考えただけでも寒そう~と憂鬱になる。しかしやらねばならないだろう。
そして、実は撮影よりも大変なのは、(私の場合)暗室作業だ。私の写真の「私らしさ」の半分は、実は暗室作業によって作られているから。
けれど私は、暗室作業がとってもとっても嫌い。だから誰か代わりにやってくれる人がいたらどんなに嬉しいか、と思う。しかし、「えーとですね、ここの緑はもう少し深いかんじの緑で」と言ってみたって、その「深さ」を他人と共有することなど不可能だと分かっている。だからやっぱり自分でやるしかない。ぐすん‥‥

*忙しいとは言え仕事ばかりしていると脳が硬直してしまうし鬱々ともしてしまう。だからもちろん遊びにも出かけている。出かけるときに、別に洋服で行ったって全然構わないのだけれど、やはり今の私は何だか着物を着て行きたい。それで着付けをしたり髪の毛を着物風に結ったり帯と着物の組み合わせを考えたりしていると、合計するとかなり時間を着物のために費やしている、と思う。そうか、着物を止めれば私の人生はもっと楽になるのかも知れない、とも考える。でもそんなことは魁皇に「相撲を止めろ」と言うのと同じくらいに無理な相談なのだ。だからやっぱり私は今日も着物の箪笥を開けたり閉めたりしている。何しろこの頃の私は夢の中でまで新しい帯を買っていたり(←願望)、羽織がなくなって探し回っていたりするのだから‥‥

*そんな“着物に夢中生活”に狂喜乱舞の出来事が!
最近私と母との間の会話の半分は着物のことなのだけれど、その日も延々と着物話をしていたところ、昔人から頂いて、頂いたこと自体を忘れていた村山大島の反物があることを、母が突然思い出したのだった!(注*村山大島とは、東京・多摩の武蔵村山市辺りで織られている紬)
忘れられていたこの反物さん、押し入れから救出してみると焼けもカビもなくとてもきれい。長い長い眠りからついに目覚める日がやって来たのだった!早速仕立てに出したところ、年内には上がって来ることに。きゃー!

*将来作りたいと思っている作品のために、或る方から「この資料を読んでみると良い」と薦められた専門書籍がある。日本語ではなく、英語の書籍。しかもとても分厚い。しかもしかも或るツテを使って某公共機関から借りているため、あと一月ほどで返却しなければならない。
‥‥計算してみたところ、毎日5ページずつ読み進めなければいけないと判明。仕事が重なりまくり着物も着たい中、一日5ページずつ苦手な英語の専門書を読む苦役(ど~も私、英語が好きになれない)。女四十歳、歯を喰いしばっています。

*とは言うものの、たまにはテレビも観る。『龍馬伝』の最終回、龍馬を暗殺する刺客役の市川亀治郎の演技が素晴らしかった。
顔のどアップにカメラアングルが寄る中、すさまじい演技で、幕府終了によってアイデンティティの全てを失った武士階級の悲しみと怒りを表現。共演の名優・香川照之の演技さえかすんで見えるほどだった。一気に亀治郎ファンに!

*そしてたまには映画も観る。岡本喜八の『日本のいちばん長い日』。
昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾決定から天皇の玉音放送が流れるまで‥‥のたった1日の間に起こった「大日本帝国最後のあがき」的出来事の数々を史実に基づいて映画化した作品。私はこの監督のカット割りや編集の尺(1カットの長さのこと)が好みではないので、それほど良い映画だとは思わなかったけれど、各俳優の演技はそれぞれ素晴らしい。
しかし、東郷外相を演じている俳優が枢密院議長の平沼騏一郎に似過ぎていて、昭和史おたくの私は頭が混乱。東郷外相が出て来る場面の度に、「え?何で誇大妄想右翼の平沼がこんな現実路線の発言を?」「え、何で外交音痴の平沼がこんなに自信を持って条文解釈を?」といちいち反応。無駄に疲れる‥‥

*最近、新聞広告で、村上春樹の新作『眠り』が発売されることを知った。
実は私はかつてかなりの村上春樹ファンで(『羊をめぐる冒険』の素晴らしさ!)、「同時代人として、どうしても生の村上春樹を一目見ておきたい」と、『ねじまき鳥クロニクル』の読売文学賞授賞式当日、会場のパレスホテルまで行ってロビーをうろうろ。ついに本物をわりと近くで眺めることに成功した‥‥という過去さえ持っている。
しかし、彼の真の全盛期は、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』までだった、と今の私は思っている。『ねじまき鳥』まではまだ許容範囲だけれど、それ以降の作品は全て駄作。何故彼の作品がこれほどまでに世界で称賛されるのか、全く理解出来ない。
特に最新作『IQ84』はひどかった。まだこの後BOOK 4が発売されるのなら別だが、ここで終わるのなら紙パルプ資源の無駄使いとしか言いようがない。

*大体私は、「愛」を人間の諸問題の解決策に持ち出す人間を全く信用しないのだ。それは或る意味、「ごめんで済めば警察はいらない」という警句に似ている。つまり私は、「愛で済めば芸術はいらない」と思っているということだ。これをもう一度別の言葉で言い換えてみれば、「愛だけでは解決出来ないからこそ、芸術が必要とされる」、ということになる。これは、私が自分の人生の根本原理に据えている強固な信念の一つだ。
翻って、『IQ84』は、愛を金科玉条とし、愛が全てを救うと謳い上げる小説である。私から見れば、このような無意味な幻想を撒き散らす文学作品は、「無意味だから無意味」としか言いようがない。

*そんな村上春樹だが、短編小説には、『世界の終わり』以降もかつてと同様優れた作品が散見される。中でも『眠り』は、内容、文体ともに素晴らしく、彼の作品の中でも最も好きなものの一つだ。
しかし‥‥その傑作を、今回、“今の村上春樹”が改編して新『眠り』として発表したようだ。かつての恋人が落ちぶれていたりつまらないおじさんになっている姿を見たら女は誰しも悲しみを感じるものだと思うが、私にとってはそんなつまらないおじさんになり下がった“今の村上春樹”が、かつての自分の輝かしい業績を自らの手でめちゃくちゃにしているのではないか‥‥と大変に心配だ。書店に行こうかと考え、ふと立ち止まる。いつか心に余裕がある日に手に取ってみよう。

*実は仕事と講演準備とホームページ改訂準備と英語書籍閲読と着物生活の他に、もう一つ新たなタスクが浮上している。
一月に一度通っているお茶の教室で、いつかは越えなければならない壁に直面したのだ。どういうことかと言うと、家でこつこつ稽古しないと絶対に手が覚えない或る所作があって、それを今の時点でマスターしなければいけないと気づいたのだ。‥‥と言うことはつまり、最低二日に一度くらいは黙々と部屋でその所作の練習をしなければいけない、ということになる。忙しいときに限って‥‥。

‥‥とこんな調子で、冬の初めをばたばたと過ごす日々。けれどそんな忙しい毎日にも強い味方があって、それは、秋に吉祥寺にオープンした二大施設、アトレとコピスの中にある数々のお菓子屋さん。私は無類のお菓子好きでもあるので、毎日夕方になると深夜に食べる分の“今日のお菓子”を買い出しに吉祥寺へ。特にKEYUCAのモカクリームサンドイッチ最高!

「秋風沈酔的晩上」 2010/11/07



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(中国語日記の後に日本語での日記が続きます。内容は同じです)

今天我看了婁燁導演的最新片子「春風沈醉的晚上」。
它的日方宣傳公司在電影院裡交給我們的徵詢意見票上有了「請隨便寫這部電影的感想」的問題。我覺得這是一種很難回答的答案。
因為上次看婁燁的作品的時候也一樣、他的片子、剛看完的時候我對它一切沒有什麼感想。反而過了兩、三天後、慢慢地浮現過來 「對。人生就是那樣過」 的感受。
婁燁的電影、也許、跟人生太相似。如果有人突然來我家每天一直追我拍攝我的生活而把它銀幕上放的話、剛看完之後我能夠擁有什麼感受呢?婁燁的作品就這樣存在。我很崇拜他。

今日、私が世界中で最も好きな映画監督の一人であるロウ・イエの最新作『スプリング・フィーバー』を観て来た。
映画館で配られていたアンケートには「この映画の感想をお書き下さい」という項目があって、私はそこではたとペンを止めてしまう。何故なら、前作の『天安門、恋人たち』もそうだったのだけれど、彼の作品に対してはいつも観た直後には何一つ感想が浮かんで来ないからだ。‥‥けれど、何日かが過ぎると、「そうだよね。人生って、あんな風に流れ流れて行くしかないものだよね」という静かな思いが浮かんで来る。
たぶん、ロウ・イエの映画は、人生にあまりにも似過ぎているのだと思う。自分の人生の一時期を誰かに来る日も来る日も撮影されてそれがスクリーンに映し出されるのを観たとき、人はとっさに感想など語れるものだろうか?ロウ・イエの映画はそんな風に存在している。

*ロウ・イエ=婁燁
*『スプリングフィーバー』原題=『春風沈醉的晚上』。春風も酔う夜、といった意味。
*『スプリングフィーバー』公式サイト(予告編有り) http://www.uplink.co.jp/springfever/index.php

映画『ANPO(安保)』 2010/10/08



本当は、今週の日記はお着物日記にするつもりだった‥‥のだけれど、日曜日にuplinkで観たドキュメンタリー『ANPO』がとても良かったので、レビューを書いてみようと思う。
http://www.uplink.co.jp/factory/log/003682.php

『ANPO』は、日本で生まれ、中学までを日本で過ごしたアメリカ人女性、リンダ・ホーグランド氏の初監督作品。ずばり、日米安全保障条約をめぐるドキュメンタリー映画だ。
私の日記を毎週楽しみにして下さっている読者の方々(←ありがとうございます!)の中にはあまり政治の話に詳しくない方も多いので、ごくごく簡単に分かりやすい比喩を使って説明させて頂くと、日米安保条約とは、憲法によって「軍隊を持たない」と決めている日本というこの国が、アメリカとの間に結んだ軍事についての契約だ。他国から、日本の主権を侵す軍事行為があった場合、日米は協同してこれと戦う。要するに、誰かが日本にケンカを売って来たら、アメリカ軍が必ず助けに行きますよ、という用心棒契約だ。

もちろん、タダで用心棒になってくれるお人よしがこの世に存在する訳もなく、その見返りとして、日本はアメリカに、本来日本のものであるはずの国土の一部を貸し出している。そしてその土地を、アメリカが軍事基地として使うことを認めている訳だ。この状態があまりにも普通になってしまったために、今やあまり疑問に思う人もいないが、でも、たとえば、もしも旅行に行って、フィリピン軍の基地がモンゴルにあったなら、或いはノルウェー軍の基地がイタリアにあったなら、かなりびっくりするのではないだろうか?自国の土地を他国の軍人が歩き回るというのは、本来、大変大変異常な光景のはずである。

しかもアメリカは、この日本の基地から、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして現在は中東との戦争に、続々と兵力を送り出している。これらの戦争は、ただちに日本の国益を、安全を侵すようなタイプものではないから、つまり、アメリカが巨大な軍事力を振りかざして発展途上国に戦争を仕掛けているのを、日本人は内心苦々しく思いながら、自分の身の安全を守るために、その後方支援をしている訳だ。
この状況をドラえもんを使ってたとえるなら、ジャイアンがしずかちゃんをひどくいじめているので嫌だ嫌だと思いながらも、自分の身を守るために、やはり見て見ぬふりをするしかないのび太くん。だって、スネオが攻めて来たときにはジャイアンに守ってもらうんだもん!現実を直視すれば、それが今の日本の姿であることは間違いない。

                *

『ANPO』は、この現実の姿を私たちに突きつける。アメリカ人だからこそ撮れた映画だと言ってもいいだろう。
もちろん、日本にも、この現実を改変しようという動きはいつもあった。基地のほとんどが集中してしまっている沖縄。その沖縄県民の方々から現在特に強く上がっている基地反対の声もその一つだし、そもそも憲法を改定して、自前の軍隊を持とうという動きも常にある(それはおそらく徴兵制につながって行くだろう考え方だ)。安保条約が結ばれたのは1951年だが、有効期間は10年ずつと定められていたため、1960年と70年には条約を延長するかどうかをめぐり、国中に「安保闘争」が繰り広げられた(70年以降は1年ごとに延長している)。

今回の映画『ANPO』は、特にこの1960年時の日本の状況を採り上げている。
この年、日本中に安保反対の激しいデモが起こり、その中では死者さえも出た。多くのアーティストがこの運動に共鳴し、数々の素晴らしい現代美術作品が残され、それでも安保条約は延長された。今はほぼ忘れ去られてしまっているこれらの作品群を『ANPO』の中でホーグランド氏は私たちに紹介し、また、作り手たちの直接の証言をも丹念に拾い集めている。更に、何故今それらの作品が忘れられてしまったのか?ということにも思いを馳せさせる。
実際、私は、横尾忠則と会田誠の作品を除き、それらの作品群の存在を全く知らなかった。石内都と石川夏生の写真作品は見ていたが、そこに安保問題との関連を読み取ることは出来ていなかった。それは、「アメリカ軍の基地が日本の国土にあって当たり前」という感性と、どこか底流でつながっている意識なのだろう(自戒を込めて)。

               *

ところで、日本とアメリカとの間のこの用心棒契約は、アメリカに絶対的な腕力があったからこそ意味があった。
ジャイアンを用心棒にして、のび太はぬくぬくとテレビゲームやファッションや漫画や音楽や自閉的アートや商売に精を出していれば良かったのだ。
しかし、ジャイアンが年を取って自慢の腕力にも老いが目立ち、一方、スネオがジャイアン並みに力をつけた現在。しかもそんなスネオ野郎が最近ではいつの間にか一人ではなく、空き地の中に何人も増えて来てしまっているのだ。こんな新しい空き地情勢の中で、一体のび太はどう振る舞っていけば良いのだろうか?しかもジャイアンはどうやらこの新しいスネオの一人に、多額の借金をして弱みを握られているらしい。この新しいスネオとは、もちろん、中国のことである。

               *

もちろん、ジャイアンの力はいまだにそれなりに強い。のび太に腕力がないことは明々白々なのだから、生きるための戦力として、用心棒契約を続けることに実際上の意味がある。けれど、この日、映画上映の後にホーグランド監督と歴史社会学者の小熊英二氏との対談があり、そこで二人が語っていたことには真実が含まれていると私は感じた。
それは、ジャイアンを信用し過ぎるな、ということだ。
「アメリカの内部事情はがたがたですよ。もうそんなに体力は残っていません」
「日本と中国の間に何かが起こったとき、中国の意を立てることの方がアメリカの国益にかなうと判断すれば、アメリカは、平気で、中国の言うことを聞けと日本に命じて来ると思いますよ」

まずは、戦後65年間、アメリカが日本に何をして来たのか。日本人はそれをどう受け取って、どう生きて来たのか。アメリカとはどういう国なのか。その現実をしっかり直視すること。
その上で、これからの難局をどう切り抜けて生きて行くのか?のび太が生き延びるための保険をジャイアン一人だけに掛けることが、果たして正しい選択と言えるのか?他にはどういう方法があるのか?この日、映画上映も座談会も満員の聴衆で埋まった会場からは、次々と熱い質問が飛び交い、たくさんの日本人がこの問題に真剣に向き合い始めていることを感じた。ドラえもんの力、生き延びて行く知恵を私たちの中に得るために、まずはこの映画を手始めにするのも良いかも知れない。

映画『ANPO』公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/anpo/
公式ツイッター
http://twitter.com/ANPO_jp

お着物日記は次に。今回は大島紬!