西端真矢

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これから読みたい本のリスト 2016/03/15



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自宅缶詰でひたすら本の原稿を書く「原稿軟禁生活」も、はや二カ月半。
脱稿したら、国内の某地に旅行へ行きたい!友人の**さん、**さん、**さん(以下、続く)とお食事してあれこれお喋りしたい!美術館に行きたい!映画を観たい!‥などなどやりたいことを妄想しながら頑張っていますが、中でも、「好きな本を読みたい!」という願望が、このところ特に頭の中でちかちかするようになって来ました。
いや、毎日大量に本を読んではいるのです。いるのですが、今読んでいるのは、総て、今書いている本の資料となる本。その中からももちろんたくさんの学びがあって、全く無駄な時間ではないとは言うものの、やはり、気持ちのおもむくまま、自分が読みたい本を読むこととは違います。
また、そもそも私は、本を最初から最後まで通読することが好きなのですが、現状、資料として読む本は、時間との関係から必要な部分だけを読むことも多い。これが心理的に非常に大きなストレスになっています。
思い切り、好きな本を、通読したい!
日々高まる願望を、原稿の合間に…と言うより、原稿が書けない時の逃避活動として、ワードファイルに暗~く打ち込んでいたのが、冒頭の写真です。気がつけば随分たまって来て、二十六冊。小説あり、歴史関係あり、服飾史あり、政治学あり…
下にコピペしてみましたが、脱稿したらこれらの本をガンガン読書するつもりです。どれもすぐさま読みたい本なのですが、一冊目はどれにしようか。今は毎日毎日、日本に関連した本ばかりを読んでいるので、外国人が書いた、外国が舞台の本が良いかな、という気もします。そうなると、ジョセフィン・テイの「時の娘」か、ウンベルト・エーコの「前日島」でしょうか。その次はどの本を読もうか‥
ああ、この中に、あなたの興味を引く本はあるでしょうか‥?

「儒学殺人事件」小川和也
「時の娘」ジョセフィン・テイ
「『辻が花』の誕生」小山弓弦葉
小笠原強さんの論文
「前日島」ウンベルト・エーコ
「屋根裏の散歩者」江戸川乱歩
「地政学入門」曾村保信
「大原御幸」林真理子
「『汪兆銘政権』論」土屋光芳
「利休の茶会」筒井紘一
「外交官の一生」石射猪太郎
「夜の蝶」川口松太郎
「中庸」
「明治のお嬢さま」黒岩比佐子
「毛沢東」遠藤誉
「京都嫌い」井上章一
「和宮様御留」有吉佐和子
「愛国と信仰の構造」中島岳春、島薗進
「古墳とヤマト政権」白石太一郎
「戦中派不戦日記」山田風太郎
「消滅世界」村田沙耶加
「満州事変の裏面史」森克己
「落日の豊臣政権」川内将芳
「女であること」川端康成
「大久保利通と東アジア」勝田政治
「明治大正昭和 不良少女伝」平山亜佐子
「鬼の研究」馬場あき子


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宇野千代自伝『生きて行く私』に見る股のゆるさと宇野千代きものについて 2013/11/04



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 3、4年ほど前、歯医者の待合室だかどこかで偶然手に取った女性誌で、ファッションディレクターだったかアートディレクターだったか今ではもう忘れてしまったけれど、何かしゃれた職業の女性が宇野千代の自伝『生きて行く私』を自分の好きな本と紹介していて、以来、いつかこの本を読んでみたいと思っていた。
 それからわりと忙しく日々を過ごしてあっと言う間に3年ほどが過ぎてしまったのだけれど、特にこの10か月ほどは一日も休みなく仕事に追われていた生活がほんの少し小休止したので、そうだ、『生きて行く私』を読んでみようと、飛びつくように読み始めたのだった。
 宇野千代の小説はこれまで一冊も読んだことがなかったけれど、八十歳でも振袖を着ているとか、桜が好きで一年中桜のきものを着ているとか、「私、死なないような気がするんです」という有名な台詞などは耳にしたことがあって、面白そうな女性だなと興味は持っていた。
 それに、そのカタカナ職業の女性も、“生き方に一つの美学を貫いた凛とした女性の一代記”といった紹介をしていたから、きもの好きの私としては人生の美学ときものの美学とが美しく一体化したような、何かとてつもなくしゃれた随筆が読めるのではないかと期待したのだ。

          *

 さて、ページをめくり、四分の一ほどしたところで、その美しい期待は大きな見当違いだったということにつくづく気づかされた。だからと言って読む価値がないかと言えばそんなことはなく、むしろ無類に面白い。
 では、一体この自伝はどんな書物なのか、と言えば、それは、宇野千代という女性の股の話だ。宇野千代先生が行く先々ですぐ男性に股を開き、人々がえっと仰天する。ここでもここでも股を開いているけれど、おそらく行間のここでも股を開いていて、だけど何かはばかりがあってここについては書いていないな、と同性ならすぐ読み取れてしまう。そんな風にあっけらかんとそこかしこで股を開きまくっている女の一代記が、この自伝随筆集なのだ。
 ‥とこう書いてしまったら身も蓋もないと思われるかも知れないけれど、これこそが彼女の人生の総てを集約した一言なのだ、ということに、『生きて行く私』を読めば気づいて頂けると思う。
もちろん、千代先生は野間文芸賞や芸術院賞を受賞し、うるさ型の小林秀雄をも驚嘆せしめた偉大な作家だった。また、一時代を築いたファッション誌の編集長をしていたこともあるし、趣味のいいきものを世に送り続けたきものデザイナーでもあった。
 しかし、女が前に出るのが今よりもずっと難しかった時代、何が彼女をそこまでの場所へと押し上げたのかと考えてみれば、その心底根底にあったものは、「あら、この男、ちょっと素敵」と思った瞬間すぐに股を開き、それでもなびかない男の元には毎日毎日職場にまで押しかけて「あの、私の股は開いてますけれど」と執拗に知らせ続ける、その、周囲の目を一切気にせず自分の欲望に向かって素直に自分を全開に出来る純粋無垢な魂のようなもの。それを彼女が保持し続けていたからこそ、あの時代に大きな成功と幸せをつかみ取ることが出来たと分かるのだ。

 もちろん、そのようないわゆるふしだらで自堕落な生き方をしていたらそれなりのしっぺ返しはある訳で、その中で、よりくっきりと見えて来る人生悲喜劇の輪郭が、おそらく彼女の小説の主題となったのではないか、ということにも、読んでいれば自然に思い至る。そうなると私などはがぜんこの上は、千代先生の代表作も読んでみようじゃないかという気にもさせられるのだった。

          *

 ‥という訳で、私が最初に雑誌で読んだしゃれた職業の女性に言いたいことは、股の話は股の話だとちゃんと書いてほしい、ということだ。
 確かに千代先生の偉いところは股だけの女に終わらずそれを偉大な作品や事業に変え得る知恵と文才とセンスを持っていたことにあるけれど、股がゆるかったことがまたその人生の最大の特徴であり、その股ゆえにこそ知恵も磨かれたのだ、ということを、女性誌的にこぎれいにまとめるのはどういう安全策なのだろう、と一人文句を言いながら表紙を見返したりもしたのだった。

          *

 ところで、千代先生の名誉のために付け加えておけば、人生のごく一時期を除いて、先生は誰にでも彼にでも股を開いていた訳ではなかった。尾崎士郎、北原武夫、東郷青児‥彼女が股を開いた男の列伝には綺羅星のような名前が並ぶ。そして、彼女は、あきれるほどに分かりやすい“イケメン好き”でもあった。才能がある上に見た目も美しい男性と恋仲だったのだから、何とも痛快な話ではないか。
 そんな“宇野千代”の名前を冠したきものが、今も綿々と作られていることはきもの好きなら誰もが知っているだろう。先生の股の開き具合を思うと正直うら若い娘さんの振袖にはどうかと思うが、三十五過ぎた女が小紋などに着るとしたら、何ともしゃれている、と思うのだ。


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『平清盛』は何故つまらないか? 一視聴者の意見 2012/03/30



今年の大河ドラマ『平清盛』が大不評で、いよいよ視聴率が10パーセントを切るのでは?と噂されている。
私は歴女なので、大河ドラマは基本的に大好きだ。去年の『江』はあまりにも脚本がひどくて途中で放棄してしまったけれど、その分、今年の『清盛』には期待していた。でも、確かに出来は良くないと思うし、視聴率が上がらないのも納得出来る。その理由を私なりに書いてみようと思う。

そもそも『清盛』が始まった当初、兵庫県知事が「画面があまりにも汚過ぎる」と文句をつける事件があった。現在の視聴率低迷も、この汚い画面作りが大きな原因ではないか?そんな意見も根強い。
でも、これは当時のリアリティを追究した結果であり、十二単や蹴鞠に代表される雅の世界を楽しんでいたのは特権階級の貴族だけ!庶民はぼろを着て京都の町も貴族の邸以外はおんぼろの小屋ばかり!そんな超絶格差社会への不満が武士の台頭=つまり清盛の成功につながって行くのだから、ドラマの伏線作りとしてはとても正しいと思う。
それに、汚い画面は決して低視聴率の真の原因ではないのではないか。だって、思い出してもみてほしい。高視聴率だった一昨年の『龍馬伝』だって、しょっちゅう汚らしい男たちがボロを着て走り回っていたではないか。香川照之などそのあまりの汚らしさでかえって人気が出ことを、2年経って皆忘れてしまったのだろうか?

私は、このドラマの最大の敗因は、脚本だと思う。
脚本のどこがダメかと言うと、清盛が“天然ボケのいい人”にしか描かれていないところが壊滅的にダメだと思うのだ。
そもそもこの時代と言うのは、信長や秀吉という、ゲームや漫画でもおなじみのあのキャラクターたちが登場する戦国時代よりは、マイナーな時代ではある。だから人物に感情移入がしにくいことは事実だ。
でも、日本人なら皆中学の国語の時間に、『平家物語』の冒頭の一節を朗読させられたはずだ。そう、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…(中略)奢れるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」というあれである。
正確な意味は分からなくても、一度は「頂点を極めたゼ!」と奢りたかぶった者が、例えばバブル紳士のように、例えばホリエモンのように、いつしか歯車が狂って没落してしまうこともある。それが人の運命のはかなさだよね…このニュアンスは日本人なら誰でも、『平家物語』の一節からぼんやり感得しているはずだ。

つまり、特に歴史好きではなくても、日本人一般の心の中で平家というのは“一回は大成功した人”という共通イメージでとらえられているということだ。もちろん歴史愛好家にとっては、数百年間続いて来た貴族支配を打ち破り、初めて武家政権を作ったすごいヤツ、という認識でとらえられている。
そういう、“頂点を極めた人物”という共通イメージを、我々は無意識に現代の自分たちの生活に当てはめながらドラマを見ているはずで、それをNHKが全く忘れてしまっているように思えるところに、今回の敗因があるのではないだろうか?
どういうことかと言うと、ごく当たり前のことだが、政治経済で頂点を極める人間が“天然ボケのバカ”であることは有り得ない、ということだ。そのような人物はやはり人の心を読むことにたけ、権力の有り所に敏感で、どうやったらその権力を自分の元へ引き寄せられるのか、深く分析出来る知力を持っている。私たちは誰でもそのことを経験で知っているし、その経験を元にドラマを見ているということだ。
だから、たとえ子ども時代であっても、青春時代であっても、後に大きな大きな政治的栄光を手にする人物が、ただただ素朴でドジばかり、だけど憎めないいいヤツであったわけがな・い・よ・ね!と突っ込みを入れたくなってしまうのだ。もっと若い頃から目から鼻に抜けるような権謀術数の片鱗が見え隠れしていたは・ず・だ・よ・ね!と。その突っ込みがつまり、継続視聴の放棄=視聴率の低下につながっているのではないだろうか。

でも、ここまで書いていてはたと気づいた。日本の憲政史上、最も愚鈍な人物が総理大臣の座についた一時期があったことを。そう、“鮫の脳”と言われたあの人、日本人の忘れたい過去、森喜朗首相である。
まあ、あの方は各派色々な政治バランスの上で首相にまつり上げられたのだろうが、今の清盛の描かれ方だと、大人になるとあんなかんじ、森首相になってしまいそうなかんじなのである。一体誰が、森首相のおバカな青春時代を毎週毎週テレビの前に律儀に座って見たいと思うだろうか?NHKと脚本家は、この事実をよくよく考えた方がいいのではないかと思う。

           *

もちろん、NHKだって脚本家だってずぶの素人ではないのだから、今までの回は汚い絵作りと同じく、ドラマに周到に張った伏線のつもりだったのだろう。清盛が少しずつ少しずつ成長して行き、貴族の世から武士の世へと政治体制が変わる大転換のあの時代、昨日の敵と今日は手を組むようなあの複雑な時代をしたたかに生きる男に成長する…1年間かけてそのドラマを見せるつもりだったのだろう。
しかしあまりにもテンポが遅過ぎる!見ている側の視聴者たちはスマートフォンのゲームで遊ぶ時代。原発がメルトダウンしてアフガニスタンやイラン情勢は一触即発、中国やらインドやらに追い上げられているこのめまぐるしい変化の時代に打ち出すエンターテイメントとして、あまりにもテンポが遅過ぎることを、よくよく恥じ入ってほしいと思うのだ。
もちろん、最初の1、2回くらいは、清盛が若気の至りで失敗ばかりしていてもいい。でも立派に一家を構えるようになった今も、毎回失敗しては→反省→でもまた失敗。こんな人、今の社会ならとっくにリストラされているだろう。
私たちはそんな話を見たいのではない。天然ボケの好人物のどたばた奮闘記なんて全く求められていない。求められているのは、複雑な時代を複雑な内面で生き抜いて行く、時に非情、時に悲哀をただよわせた、強く美しく知力に満ちた男の物語だ。それももちろんおとぎ話に過ぎないのかも知れないが、おとぎ話にも時代の要請というものがある。今の清盛の描かれ方は、時代のリアリティと全く呼応していない。NHKは画面作りのリアリティばかりに血道を上げるのではなく、肝心の主人公造形のリアリティにもっと心血を注がなければいけないと思うのだ。

         *

ここまでは脚本について書いたが、実はキャスティングにも問題はあったのではないかという気はしている。
清盛を演じているのは松山ケンイチだが、私のような歴史好きが平清盛と聞くと一般的にイメージするのは、この彫像ではないだろうか↓
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京都の六波羅蜜寺にある重文の彫像で、私も実物を見たことがあるが、痩せて神経質そう、且つ、底知れぬ恐ろしさを持つ雰囲気。全くマツケンの持つイメージ=「いい人そう」とは異なっている
そして、おそらく現実の清盛もこの彫像の方に近かったのだろうと想像してしまう。これも歴史好きなら誰もが知っている事実だが、清盛は決して一代でのし上がった人物ではない。彼の祖父と父が既に相当な財力と地位を築き、そのバックグラウンドの上に満を持して登場した三代目。そう、言ってみれば“新興財閥の御曹司”が清盛だ。小さい頃からそれなりに贅沢な調度に囲まれ、父たちは貴族社会に地位を築こうと画策していたのだから、和歌や有職故実をみっちり教え込んで、青年に達する頃には優雅な物腰が板についていたはずだ。
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↑上の写真は、清盛が厳島神社に奉納したお経、「平家納経」(のごくごく一部)。これも平家と聞いたときに歴史好きが真っ先に思い出すものの一つだ。この絢爛!この華麗!歴史愛好家にとっての平家のイメージは決定的にこれである。
つまり、このドラマは、人物の内面造形の面でもリアリティがない上に、外見イメージも大きく清盛を離れていることにひどくがっかりさせられてしまうのだ。現在、清盛のライバル源義朝を玉木宏が演じているが、彼の方が私の心の中に刻み込まれた清盛の外見イメージには近い。或いは、崇徳上皇を演じている井浦新、伊勢谷雄介なども良いのではないか…。
しかし、今さら配役は変えられないのだから仕方がない。役者には演技力という武器がある。清盛には瀬戸内海の海賊たちを束ねた強面の一面もあるのだから、マツケンには優雅と荒々しさを兼ね備えた、新たな清盛像を作り出してほしいと願うばかりだ。

しかし、それには何よりも脚本が変わることが必要だ。ここまで視聴率が落ちたのだから当初の計画はきっぱりと棄てて、清盛の成長を一気に早めるべきだと思う。周囲の知者たちに教わってやっと何かをなす清盛ではなく、自ら知謀をめぐらし、自らの手で時代を少しずつ動かして行く男。江もそうだったけれど、受動的な主人公ではなく、主体的な主人公を描いて見せなければ、現実に複雑な時代を生きている今の視聴者は全く魅力を感じない
今回の脚本は『江』とは違い、清盛以外の人物はよく描かれていると思う。曲者揃いの脇役たちの中で、更に抜きん出て深謀遠慮のある人物として、清盛を悪とすれすれのきわどい線上を意志を持って歩かせる。そして「時代を切り開くためにはこうするしかなかったのだ」と視聴者にため息をつかせつつ納得させる。そんな、限りなく悪に近い男の魅力と悲劇を描き出すドラマに、変貌して行ってほしいと思う。

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私の本棚~~この2ヶ月間に読んだ本 2011/08/25



もっと頻繁にブログを更新したいのですが仕事に追われ、8月いっぱいはどうにもままならない毎日。そこで今日の日記では――若干お手軽にはなりますが――最近二ヶ月間に読んだ本を羅列したいと思います。
人の本棚覗くのって楽しいですものね~って、言い訳がましいでしょうか?
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さてさて、上の写真に写っている本の山の下の方から、この2ヶ月間に読んで来たものです。

『図説江戸4 江戸庶民の衣食住』 竹内誠監修 (学研)
全ページ豊富な図解と写真入りで、江戸文化のどうでもいいような隅々までを解説してくれる日本文化好きにはたまらない一冊。

別冊歴史読本 『江戸城大奥ガイドブック』 (新人物往来社)
連続ドラマ『大奥』マニアの友人R子から、『大奥』熱がだんだん感染。影響されて借りてみました。DVDも観始めており、今後はまる予感‥

『できることから』 小堀貴美子 (講談社)
ごく普通の家庭のお嬢さんとして育ちながら、茶道・遠州流家元と恋に落ちたことで、家元夫人となった貴美子奥様の奮闘記。
結婚一年目は、毎日、午前中ひたすらずーっとお茶を点てさせられる‥。先祖の月命日など、何かと言うといちいちきちんと着物に着替え、月に何度もお墓参り‥。毎日夕食には懐石料理を作る‥など、いくら好きな人と一緒になるためとは言え、私には絶対無理なことオンパレードの毎日。或る意味皇室に嫁ぐより大変かも。貴美子さん、すごいです。

『1988 我想和這個世界談談』 韓寒 (国際文化出版公司)
これは中国語の小説です(日本語訳はまだ出版されていません)。中国の人気作家・韓寒の作品。みずみずしい挿話にあふれた、ひりつくような痛みをともなう青春小説。ところどころ、偶然を多用し過ぎている点が残念ですが。
1988というのは主人公が乗っている車の愛称ですが、これは天安門事件(1989年)の1年前を暗示しているのでしょうか?小説のストーリーと天安門事件との間に隠された関係があるのかどうか、検証してみようと思いながらやれていません‥。誰か代わりにやってくれないかなー。
途中で死んでしまう重要人物が、どうも1989年に死んでいるようで…細かく読んで行くと裏のストーリーがあるように思います。

『茶 利休と今をつなぐ』 千宗屋 (新潮新書)
武者小路千家の若宗匠による茶の湯入門書。基本知識を押さえつつ、茶の湯の精神の真髄を伝えようとする千氏の熱意にあふれた、感動的な好著です。

『足利義政』 ドナルド・キーン (中央公論新社)
足利義政の、将軍としてはダメダメだった生涯と、文化の庇護者・創造者としては超一流だった別の一面を、流麗な筆致であますことなく伝えてくれる名評伝。

『中国を拒否できない日本』 関岡英之 (ちくま新書)
著者は、元三菱銀行員として中国と多数の交渉歴を持つ中国通。その後、外交問題の評論家に転身したという経歴の持ち主です。その著者が放つ、日中関係論であり日米関係論である本著は、傾聴すべき点が多々あると思いましたが、日本における原発運用の脆弱性を予見出来なかった点は、差し引いて見なければいけないと思います。

『女中譚』 中島京子 (朝日新聞出版)
1930-45年頃を舞台にした小説を読むのが趣味の一つです。この短編集も正にその時代を扱ったもの。単に世相を描くだけでなく、人間心理の奇怪なひだに分け入る力量が素敵!

『女系家族』 山崎豊子 (新潮文庫)
山崎豊子は、後期の社会派作品も素晴らしいのですが、自身のルーツである大阪船場の上流階級を描いた前期の小説群も傑作揃いです。着物の描写も多数出て来るので、着物好きには二度美味しい小説。

『はじめての支那論』 小林よしのり・有本香 (幻冬舎新書)
中国を徹底的にけなしてあースッキリ、という本かと思いきや、内容はもっとずと深く、中国問題はアメリカ問題と同義であり、「日本人がこれからグローバル化とどう向き合って行くのかが問われているのだ」ということを論じています。
1)日中戦争・太平洋戦争に対する歴史認識 
2)中国人を単純に一般化し過ぎて論じている点
3)過去の中国文化への理解力が恐ろしいほど低く、失笑レベル
‥の3点は私と意見が違っていたり・残念であったりする点ですが、それ以外の論点に関しては「自分が小林よしのりと相当意見が近いとは‥」と驚愕。

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冒頭の写真で積み上げられた本のうち、一番上の二冊は現在読んでいる本です↑

『東アジア国際環境の変動と日本外交1918-1931』 服部龍二 (有斐閣)
第一次世界大戦終了から満州事変に至るまでの10年余の日本外交を、日本、イギリス、アメリカ、そして中国の資料も駆使して分析する現代史の専門書。ノートを取りながら、現在半分ほど読み進めたところです。

『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』 開沼博 (青土社)
原発なしで生きられるならそうしたい。そのためには、地震国日本に何故ここまで原発が増殖したのかを徹底的に見つめなければならない。その作業なしに新しいフェーズへ向かう打開策は生まれて来ない‥これは、そのための検証の書物である‥そういう視点がおそらく貫かれている本かと思います。(今日から読み始めたので、もしかしたら違っているかも知れません)
福島出身の新進社会学者が、おそらく自らの故郷の恥部を直視しながら、徹底的に日本の地方都市の現実と向き合った論考であると推測され、その恥部はつまり日本人全員の恥部である訳なのだから、私もこの本を読むことによって、厳しいこの現実に向かい合って行こうと考えています。

‥以上、この2カ月の間の読書の記録でした。
着物好きとしては、今月は『美しいキモノ』と『きものSalon』の二大着物雑誌の最新号が発売された月でもあり、ほっと頁をめくるのもまた心楽しい、忙中の閑なのであります!
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「村上春樹のダメなおじさん化について、その他」 2010/12/01



今週の日記は、またもやばたばたと忙しく過ごしている日々の短信雑記と、ドラマや小説の感想などを。

*毎日が忙しい。その最大の理由は、ライター仕事が重なっているため。この数年継続して仕事を頂いている某サイトの1年ごとのリニューアルが始まり、これから2ヶ月で、50本近くの取材をこなさなければならない。もちろん、取材を終えたら原稿を書かなければならない訳で‥‥考えただけでも目が回り始める‥‥

*更に今年は、ビジネス関係の某書籍のお仕事も同時進行で頂いているため、忙しさに拍車がかかっている。
こちらの仕事では、これまで自分が遊びを通じて、また、広告代理店勤務時代を通じて知り合った方々に取材をすることになりそう。中には何年かぶりで会うなつかしい人もいて、仕事を忘れて、会うこと自体が楽しみになっていたりして☆

*夏頃に悪戦苦闘していた書籍の仕事。実は諸事情で発売が延びていたけれど、ようやく発売日程が決定。年明け、上旬~中旬頃になりそう。
そして‥‥じゃじゃーん、発売を記念して1月末に講演をすることも決定。その準備が大変なのであーる!‥‥が、これはとても楽しい大変さでもある。現在、レジメを鋭意作成中。

*1月末には、現在見て頂いているこのホームページも改訂予定。新しく撮り下ろしの写真を入れたいと思っているので、当然、撮影をしなければならない。室内ではなく外で撮りたい写真なので、考えただけでも寒そう~と憂鬱になる。しかしやらねばならないだろう。
そして、実は撮影よりも大変なのは、(私の場合)暗室作業だ。私の写真の「私らしさ」の半分は、実は暗室作業によって作られているから。
けれど私は、暗室作業がとってもとっても嫌い。だから誰か代わりにやってくれる人がいたらどんなに嬉しいか、と思う。しかし、「えーとですね、ここの緑はもう少し深いかんじの緑で」と言ってみたって、その「深さ」を他人と共有することなど不可能だと分かっている。だからやっぱり自分でやるしかない。ぐすん‥‥

*忙しいとは言え仕事ばかりしていると脳が硬直してしまうし鬱々ともしてしまう。だからもちろん遊びにも出かけている。出かけるときに、別に洋服で行ったって全然構わないのだけれど、やはり今の私は何だか着物を着て行きたい。それで着付けをしたり髪の毛を着物風に結ったり帯と着物の組み合わせを考えたりしていると、合計するとかなり時間を着物のために費やしている、と思う。そうか、着物を止めれば私の人生はもっと楽になるのかも知れない、とも考える。でもそんなことは魁皇に「相撲を止めろ」と言うのと同じくらいに無理な相談なのだ。だからやっぱり私は今日も着物の箪笥を開けたり閉めたりしている。何しろこの頃の私は夢の中でまで新しい帯を買っていたり(←願望)、羽織がなくなって探し回っていたりするのだから‥‥

*そんな“着物に夢中生活”に狂喜乱舞の出来事が!
最近私と母との間の会話の半分は着物のことなのだけれど、その日も延々と着物話をしていたところ、昔人から頂いて、頂いたこと自体を忘れていた村山大島の反物があることを、母が突然思い出したのだった!(注*村山大島とは、東京・多摩の武蔵村山市辺りで織られている紬)
忘れられていたこの反物さん、押し入れから救出してみると焼けもカビもなくとてもきれい。長い長い眠りからついに目覚める日がやって来たのだった!早速仕立てに出したところ、年内には上がって来ることに。きゃー!

*将来作りたいと思っている作品のために、或る方から「この資料を読んでみると良い」と薦められた専門書籍がある。日本語ではなく、英語の書籍。しかもとても分厚い。しかもしかも或るツテを使って某公共機関から借りているため、あと一月ほどで返却しなければならない。
‥‥計算してみたところ、毎日5ページずつ読み進めなければいけないと判明。仕事が重なりまくり着物も着たい中、一日5ページずつ苦手な英語の専門書を読む苦役(ど~も私、英語が好きになれない)。女四十歳、歯を喰いしばっています。

*とは言うものの、たまにはテレビも観る。『龍馬伝』の最終回、龍馬を暗殺する刺客役の市川亀治郎の演技が素晴らしかった。
顔のどアップにカメラアングルが寄る中、すさまじい演技で、幕府終了によってアイデンティティの全てを失った武士階級の悲しみと怒りを表現。共演の名優・香川照之の演技さえかすんで見えるほどだった。一気に亀治郎ファンに!

*そしてたまには映画も観る。岡本喜八の『日本のいちばん長い日』。
昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾決定から天皇の玉音放送が流れるまで‥‥のたった1日の間に起こった「大日本帝国最後のあがき」的出来事の数々を史実に基づいて映画化した作品。私はこの監督のカット割りや編集の尺(1カットの長さのこと)が好みではないので、それほど良い映画だとは思わなかったけれど、各俳優の演技はそれぞれ素晴らしい。
しかし、東郷外相を演じている俳優が枢密院議長の平沼騏一郎に似過ぎていて、昭和史おたくの私は頭が混乱。東郷外相が出て来る場面の度に、「え?何で誇大妄想右翼の平沼がこんな現実路線の発言を?」「え、何で外交音痴の平沼がこんなに自信を持って条文解釈を?」といちいち反応。無駄に疲れる‥‥

*最近、新聞広告で、村上春樹の新作『眠り』が発売されることを知った。
実は私はかつてかなりの村上春樹ファンで(『羊をめぐる冒険』の素晴らしさ!)、「同時代人として、どうしても生の村上春樹を一目見ておきたい」と、『ねじまき鳥クロニクル』の読売文学賞授賞式当日、会場のパレスホテルまで行ってロビーをうろうろ。ついに本物をわりと近くで眺めることに成功した‥‥という過去さえ持っている。
しかし、彼の真の全盛期は、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』までだった、と今の私は思っている。『ねじまき鳥』まではまだ許容範囲だけれど、それ以降の作品は全て駄作。何故彼の作品がこれほどまでに世界で称賛されるのか、全く理解出来ない。
特に最新作『IQ84』はひどかった。まだこの後BOOK 4が発売されるのなら別だが、ここで終わるのなら紙パルプ資源の無駄使いとしか言いようがない。

*大体私は、「愛」を人間の諸問題の解決策に持ち出す人間を全く信用しないのだ。それは或る意味、「ごめんで済めば警察はいらない」という警句に似ている。つまり私は、「愛で済めば芸術はいらない」と思っているということだ。これをもう一度別の言葉で言い換えてみれば、「愛だけでは解決出来ないからこそ、芸術が必要とされる」、ということになる。これは、私が自分の人生の根本原理に据えている強固な信念の一つだ。
翻って、『IQ84』は、愛を金科玉条とし、愛が全てを救うと謳い上げる小説である。私から見れば、このような無意味な幻想を撒き散らす文学作品は、「無意味だから無意味」としか言いようがない。

*そんな村上春樹だが、短編小説には、『世界の終わり』以降もかつてと同様優れた作品が散見される。中でも『眠り』は、内容、文体ともに素晴らしく、彼の作品の中でも最も好きなものの一つだ。
しかし‥‥その傑作を、今回、“今の村上春樹”が改編して新『眠り』として発表したようだ。かつての恋人が落ちぶれていたりつまらないおじさんになっている姿を見たら女は誰しも悲しみを感じるものだと思うが、私にとってはそんなつまらないおじさんになり下がった“今の村上春樹”が、かつての自分の輝かしい業績を自らの手でめちゃくちゃにしているのではないか‥‥と大変に心配だ。書店に行こうかと考え、ふと立ち止まる。いつか心に余裕がある日に手に取ってみよう。

*実は仕事と講演準備とホームページ改訂準備と英語書籍閲読と着物生活の他に、もう一つ新たなタスクが浮上している。
一月に一度通っているお茶の教室で、いつかは越えなければならない壁に直面したのだ。どういうことかと言うと、家でこつこつ稽古しないと絶対に手が覚えない或る所作があって、それを今の時点でマスターしなければいけないと気づいたのだ。‥‥と言うことはつまり、最低二日に一度くらいは黙々と部屋でその所作の練習をしなければいけない、ということになる。忙しいときに限って‥‥。

‥‥とこんな調子で、冬の初めをばたばたと過ごす日々。けれどそんな忙しい毎日にも強い味方があって、それは、秋に吉祥寺にオープンした二大施設、アトレとコピスの中にある数々のお菓子屋さん。私は無類のお菓子好きでもあるので、毎日夕方になると深夜に食べる分の“今日のお菓子”を買い出しに吉祥寺へ。特にKEYUCAのモカクリームサンドイッチ最高!

「秋風沈酔的晩上」 2010/11/07



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(中国語日記の後に日本語での日記が続きます。内容は同じです)

今天我看了婁燁導演的最新片子「春風沈醉的晚上」。
它的日方宣傳公司在電影院裡交給我們的徵詢意見票上有了「請隨便寫這部電影的感想」的問題。我覺得這是一種很難回答的答案。
因為上次看婁燁的作品的時候也一樣、他的片子、剛看完的時候我對它一切沒有什麼感想。反而過了兩、三天後、慢慢地浮現過來 「對。人生就是那樣過」 的感受。
婁燁的電影、也許、跟人生太相似。如果有人突然來我家每天一直追我拍攝我的生活而把它銀幕上放的話、剛看完之後我能夠擁有什麼感受呢?婁燁的作品就這樣存在。我很崇拜他。

今日、私が世界中で最も好きな映画監督の一人であるロウ・イエの最新作『スプリング・フィーバー』を観て来た。
映画館で配られていたアンケートには「この映画の感想をお書き下さい」という項目があって、私はそこではたとペンを止めてしまう。何故なら、前作の『天安門、恋人たち』もそうだったのだけれど、彼の作品に対してはいつも観た直後には何一つ感想が浮かんで来ないからだ。‥‥けれど、何日かが過ぎると、「そうだよね。人生って、あんな風に流れ流れて行くしかないものだよね」という静かな思いが浮かんで来る。
たぶん、ロウ・イエの映画は、人生にあまりにも似過ぎているのだと思う。自分の人生の一時期を誰かに来る日も来る日も撮影されてそれがスクリーンに映し出されるのを観たとき、人はとっさに感想など語れるものだろうか?ロウ・イエの映画はそんな風に存在している。

*ロウ・イエ=婁燁
*『スプリングフィーバー』原題=『春風沈醉的晚上』。春風も酔う夜、といった意味。
*『スプリングフィーバー』公式サイト(予告編有り) http://www.uplink.co.jp/springfever/index.php

映画『ANPO(安保)』 2010/10/08



本当は、今週の日記はお着物日記にするつもりだった‥‥のだけれど、日曜日にuplinkで観たドキュメンタリー『ANPO』がとても良かったので、レビューを書いてみようと思う。
http://www.uplink.co.jp/factory/log/003682.php

『ANPO』は、日本で生まれ、中学までを日本で過ごしたアメリカ人女性、リンダ・ホーグランド氏の初監督作品。ずばり、日米安全保障条約をめぐるドキュメンタリー映画だ。
私の日記を毎週楽しみにして下さっている読者の方々(←ありがとうございます!)の中にはあまり政治の話に詳しくない方も多いので、ごくごく簡単に分かりやすい比喩を使って説明させて頂くと、日米安保条約とは、憲法によって「軍隊を持たない」と決めている日本というこの国が、アメリカとの間に結んだ軍事についての契約だ。他国から、日本の主権を侵す軍事行為があった場合、日米は協同してこれと戦う。要するに、誰かが日本にケンカを売って来たら、アメリカ軍が必ず助けに行きますよ、という用心棒契約だ。

もちろん、タダで用心棒になってくれるお人よしがこの世に存在する訳もなく、その見返りとして、日本はアメリカに、本来日本のものであるはずの国土の一部を貸し出している。そしてその土地を、アメリカが軍事基地として使うことを認めている訳だ。この状態があまりにも普通になってしまったために、今やあまり疑問に思う人もいないが、でも、たとえば、もしも旅行に行って、フィリピン軍の基地がモンゴルにあったなら、或いはノルウェー軍の基地がイタリアにあったなら、かなりびっくりするのではないだろうか?自国の土地を他国の軍人が歩き回るというのは、本来、大変大変異常な光景のはずである。

しかもアメリカは、この日本の基地から、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして現在は中東との戦争に、続々と兵力を送り出している。これらの戦争は、ただちに日本の国益を、安全を侵すようなタイプものではないから、つまり、アメリカが巨大な軍事力を振りかざして発展途上国に戦争を仕掛けているのを、日本人は内心苦々しく思いながら、自分の身の安全を守るために、その後方支援をしている訳だ。
この状況をドラえもんを使ってたとえるなら、ジャイアンがしずかちゃんをひどくいじめているので嫌だ嫌だと思いながらも、自分の身を守るために、やはり見て見ぬふりをするしかないのび太くん。だって、スネオが攻めて来たときにはジャイアンに守ってもらうんだもん!現実を直視すれば、それが今の日本の姿であることは間違いない。

                *

『ANPO』は、この現実の姿を私たちに突きつける。アメリカ人だからこそ撮れた映画だと言ってもいいだろう。
もちろん、日本にも、この現実を改変しようという動きはいつもあった。基地のほとんどが集中してしまっている沖縄。その沖縄県民の方々から現在特に強く上がっている基地反対の声もその一つだし、そもそも憲法を改定して、自前の軍隊を持とうという動きも常にある(それはおそらく徴兵制につながって行くだろう考え方だ)。安保条約が結ばれたのは1951年だが、有効期間は10年ずつと定められていたため、1960年と70年には条約を延長するかどうかをめぐり、国中に「安保闘争」が繰り広げられた(70年以降は1年ごとに延長している)。

今回の映画『ANPO』は、特にこの1960年時の日本の状況を採り上げている。
この年、日本中に安保反対の激しいデモが起こり、その中では死者さえも出た。多くのアーティストがこの運動に共鳴し、数々の素晴らしい現代美術作品が残され、それでも安保条約は延長された。今はほぼ忘れ去られてしまっているこれらの作品群を『ANPO』の中でホーグランド氏は私たちに紹介し、また、作り手たちの直接の証言をも丹念に拾い集めている。更に、何故今それらの作品が忘れられてしまったのか?ということにも思いを馳せさせる。
実際、私は、横尾忠則と会田誠の作品を除き、それらの作品群の存在を全く知らなかった。石内都と石川夏生の写真作品は見ていたが、そこに安保問題との関連を読み取ることは出来ていなかった。それは、「アメリカ軍の基地が日本の国土にあって当たり前」という感性と、どこか底流でつながっている意識なのだろう(自戒を込めて)。

               *

ところで、日本とアメリカとの間のこの用心棒契約は、アメリカに絶対的な腕力があったからこそ意味があった。
ジャイアンを用心棒にして、のび太はぬくぬくとテレビゲームやファッションや漫画や音楽や自閉的アートや商売に精を出していれば良かったのだ。
しかし、ジャイアンが年を取って自慢の腕力にも老いが目立ち、一方、スネオがジャイアン並みに力をつけた現在。しかもそんなスネオ野郎が最近ではいつの間にか一人ではなく、空き地の中に何人も増えて来てしまっているのだ。こんな新しい空き地情勢の中で、一体のび太はどう振る舞っていけば良いのだろうか?しかもジャイアンはどうやらこの新しいスネオの一人に、多額の借金をして弱みを握られているらしい。この新しいスネオとは、もちろん、中国のことである。

               *

もちろん、ジャイアンの力はいまだにそれなりに強い。のび太に腕力がないことは明々白々なのだから、生きるための戦力として、用心棒契約を続けることに実際上の意味がある。けれど、この日、映画上映の後にホーグランド監督と歴史社会学者の小熊英二氏との対談があり、そこで二人が語っていたことには真実が含まれていると私は感じた。
それは、ジャイアンを信用し過ぎるな、ということだ。
「アメリカの内部事情はがたがたですよ。もうそんなに体力は残っていません」
「日本と中国の間に何かが起こったとき、中国の意を立てることの方がアメリカの国益にかなうと判断すれば、アメリカは、平気で、中国の言うことを聞けと日本に命じて来ると思いますよ」

まずは、戦後65年間、アメリカが日本に何をして来たのか。日本人はそれをどう受け取って、どう生きて来たのか。アメリカとはどういう国なのか。その現実をしっかり直視すること。
その上で、これからの難局をどう切り抜けて生きて行くのか?のび太が生き延びるための保険をジャイアン一人だけに掛けることが、果たして正しい選択と言えるのか?他にはどういう方法があるのか?この日、映画上映も座談会も満員の聴衆で埋まった会場からは、次々と熱い質問が飛び交い、たくさんの日本人がこの問題に真剣に向き合い始めていることを感じた。ドラえもんの力、生き延びて行く知恵を私たちの中に得るために、まずはこの映画を手始めにするのも良いかも知れない。

映画『ANPO』公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/anpo/
公式ツイッター
http://twitter.com/ANPO_jp

お着物日記は次に。今回は大島紬!