西端真矢

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憧れの女性(ひと) 2014/03/30



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 人生にはさまざまな喜びごとがあるけれど、師と呼べる人、「この人を目標にしたい」と思えるような人と出会うことは、その中でも最も嬉しい出来事の一つではないだろうか。
 ありがたいことに、私にはそんな出会いが何回かあって、その中のお一人のお名前を松井扶江(まついともえ)先生と言う。上の写真で、私の右側で微笑んでいらっしゃる女性がその人だ。今日のブログでは、その松井先生との出会いや、何故私が先生に憧れ、人生の何を教えて頂いたのかを書きつづってみたいと思う。

超一流の女性和裁士
 先生のお仕事は、和裁士だ。渋谷区内で和裁所を主宰され(写真の背景にその一部が写っている)、首都圏の様々な呉服店からの――老舗も、若手が経営する新しいきものブランドからも――お仕立てを請け負って来た。また、NHKの朝ドラや映画『ラスト・サムライ』をはじめとして、テレビやCM、日舞など、舞台衣装の制作も多数行って来た。
 ‥と、ここで「来た」と書いたのは、先ごろ先生が和裁所をお弟子さんに譲られたためだ。と言ってもこれからも顧問としてお弟子さんたちの相談には乗るし、これまでに先生が培って来られた和裁の知識を後進に残すために、新たなプロジェクトも動き出している。完全引退は、まだまだ周りが許さないのだろう。

江戸時代の帯が結んでくれた縁
 そんな松井先生と私が出会ったのは、昨年の梅雨の終りのことだった。
 その頃私は、江戸時代の女性のきもの姿を再現する“江戸着物ファッションショー”というイベントを企画・制作していて、7月7日の開催に向け、血眼になって準備に取り組んでいた。
 そのイベントでは、合計で八体の着姿を再現する予定にしており、中でも目玉の一つと考えていたのが、大名家や江戸城の奥で、夏の間だけ着用する特殊な着姿の再現だった。
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 その姿が上の写真になるのだけれど、麻の生地に草花や風景図を藍を基調に染めた“茶屋辻”と呼ばれるきものを着て、上に、堤帯(さげおび)或いは附帯(つけおび)と呼ばれる帯を締める。
 この帯は、上方ではだらりと下に下げて締めるんどあけれど、江戸城大奥ではつんと上に向かせ、それより何より、体の横からかなりの長さで出っ張っているために、廊下で女中同士がすれ違う時やトイレに入る時は、横に蟹歩きをしなければならなかったという、何とも奇妙奇天烈な着姿を作り出していた。 

 ファッションには、時に、こういう奇妙な現象が起きる。
 例えば現代に置き換えてみても一時期ルーズソックスが大流行したことがあったし、ヤマンバギャルが一世を風靡していた時代もあった。私が中学生の頃は何故か女性たちの間でうなじの刈り上げが流行したし、大学生の頃には、ロボットのような肩パッドが街を席巻していた。
 そのどれも、今見ると笑うしかない姿になってしまったけれど、こんな風に、ファッションは時に暴走に向かうことがあって、江戸時代の堤帯姿も正にその暴走の産物ではないかと思っている。しかもそれが町方ではなく、プライドの塊である奥女中の世界で起こっていたのが面白く、是非とも再現したいと思っていた。何しろこの堤帯姿は、江戸幕府瓦解以来、舞台でも映画でもテレビドラマでも、人体の上では一度も再現されたことがないと言われていたのだ。どうしてもどうしても私がやりたいと願っていた。

あらゆる帯仕立て職人さんから断られた私の帯
 さて、そんな私の“江戸きものドリーム”を実現に移すべく、八方に連絡を取り、茶屋辻きものについては、京都の“栗山工房”という名門染め工房が再現した作品を貸してくださることになった。
 残りは帯ということになるけれど、一部の特権階級の女性が、しかも夏の間だけ締めた特殊な帯だっただけに、数が少ないのだろう、日本中どこのアンティークきもの屋さんもお持ちではなかった。もちろん博物館にはあるのだけれど、所蔵品を実際に人体に着せつけるとなると、貴重な布が傷むのが心配だと断られてしまう。
 そこで、借りるという道は不可能だと判断し、再現製作に切り替えようと決断したのが、6月の始め頃だった。本番まで、残された時間は一か月しかない。

 その時から、今度は、帯を作ってくれる業者さん探しが始まった(もちろん製作費もお支払いする)。
「作ると言ったって、そんな昔のもの、どうやって作るんですか?」
 と疑問に思われるかも知れないが、まず、元になる帯地は、私が汗だくになってあちこちのアンティークきもの屋さんを回り、現存品に近い帯地を調達していた。
 そして、帯を作るための寸法は、実はちゃんと寸法を記録した江戸時代のパターン図が残っているし、着姿や帯の締め方を描いた絵も残っているのだ。
「これだけ準備が整っていれば、プロの和裁士さんなら絶対に再現出来るはず!」
 と、片っ端から帯専門の仕立て屋さんに連絡を取ったのだけれど、案に反してことごとく断られてしまった。
 その数、八、九軒くらい、いやもっと多かっただろうか。困り果てて途中からはなじみの呉服屋さんに泣きつき、出入りの帯屋さんにも聞いてみてもらったのだけれど、そちらでも、四、五軒頼んで総て断られたと連絡が入った。どうも皆さん、面倒くさいからやったことのないものは作りたくない。或いは、失敗して同業者に笑われるのが怖い。そんな風に考えて断りを入れて来るようだった。打つ手がなく、私は正に八方塞がりの状態に追い込まれてしまっていた。

松井先生との出会い
 そして、こうして私があたふたとしている間に、当然のことながらどんどん時は過ぎていた。その時、本番まで、もう二週間ほど。このままでは、ご厚意で茶屋辻を貸して下さる栗山工房さんに会わせる顔がなくなるじゃないか。一体どうしようと泣き出したい気持ちだった。
 それでも、とにかく私は、この帯を縫ってくれる和裁士さんを見つけるしかないんだ。絶対に何とかするんだ、と、再度PCを立ち上げ、心労のあまり若干震え気味な手で、「和裁所 帯」だったか「和裁士 舞台衣裳」だったか、正確な検索ワードはもう忘れてしまったけれど、一からやり直しの気持ちで検索をかけるべく再びマウスをクリックすると、“松井扶江プロきものスクール”という和裁所の名前が目に飛び込んで来た。これが、先生との出会いの瞬間だったのだ。

 恐らく、これまでの検索でも名前が挙がっていたのに見落としてしまっていたか、或いは検索ワードが悪かったのか、とにかくその時初めて見る名前で、日舞をはじめ舞台衣装の製作も請け負うと書いてある。もう、ここしかない。藁をもすがる気持ちで――本当に、この時の私ほど藁をもすがる気持ちを体験した人もそういないと思う――資料を添付したメールを送り、依頼の電話をかけてみた。すると、出た方が、
「先生に見せてみるから、また後でかけてください」
 とおっしゃった。何とかなるかも知れない、と一筋の光が差して来た思いだった。そして、数時間後、その時も震え気味の手で和裁所の番号をダイアルすると、先ほど電話を受けてださった方が出られて先生を電話口へと呼んでくださった。そして、
「やりますよ、面白そうだから」
 と先生はおっしゃったのである。この瞬間、私のハートが真っすぐに先生に撃ち抜かれていた。

 その後、私はすぐさま帯地を持参して和裁所に伺い、製作に向けて打ち合わせをした。この時で本番まで2週間ほどの時間があった訳だけれど、先生とお弟子さんは1週間ほどで仕上げて下さり、着装を担当して下さった全日本きものコンサルタント協会の堀井みち子先生のチームと、事前着装テストさえ実施することが出来た。まさに、松井先生と出会えたことで、大負けだった賭けのカードが一気に勝ちに裏返ったのだ。

やったことがないことだから面白い
 その後、先生とは、お食事をしたり和裁所の産地見学研修に混ぜてもらったり、最近では私の和裁の勉強のために、作業を見学させてもらったりしている。その折々に私が震える手で電話を掛けた、先生との最初の出会いのことが話題に上るのだけれど、先生はいつもこうおっしゃる。
「あなたの依頼を断った、他の人たちの気持ちが私には分からないわね。だって、やったことがないことをやるのが面白いじゃないですか」
 先生は今、七十代。人によっては、新しいことには一切耳を貸さない。自分がこれまでやって来たやり方だけが絶対で、新しいやり方をする下の世代を攻撃する。そんな人もいるご年齢ではないかと思う。けれど先生は正にその逆で、七十にして新しいことをきらきらと探していらっしゃるのだ。そう言えば、最初に電話を受けて下さったお弟子さんも後から聞くと、
「お話を聞いて、あ、これ、先生が好きそうだなって、見せようと思ったんです」
 とおっしゃっていた。話をした途端に切られるような和裁所もあったのに、である。

    *
 
 私が先生に憧れ、先生が好きでたまらないのは、先生のお仕立ての技術と知識がとてつもないことや、先生自身のおきもののセンスが素敵過ぎることや、いつも全身を身ぎれいにしておられることや(先生のお爪がきれいでみんな釘づけになるのです!)、言うべき時はびしっと言われる武士っぽさや‥色々色々理由はたくさんあるのだけれど、最も根本的なことは、このこと、常に新しいことに挑戦しようとされている、先生のその気持ちの持ち方に何より惹きつけられている。

 そして、我が身を振り返れば、私は先生よりずっと若輩であるにも関わらず、時に挑戦を尻込みしたり、新しいことを始める際につきものの様々な面倒を予想して、はなから逃げに回ることさえ、告白すればある。
 けれど、例えば昨年、多くのきもの業者が集結した一大イベント“きものサローネ”を先生と回った時に、あちこちのブースから「松井先生!」と、一言でも先生に挨拶しようと業界人が裾をからげんばかりに飛び出しあて来る、先生のそのまぶしい輝きは、誰もが頭では知っているのに実践するのは難しいこと、“挑戦を忘れない”、ただその心構えに由来するのだと思う。一流の人ほど現状に安住せず、軽々と次の挑戦に飛び込んで行く――そのことを、先生のそばにいるとつくづくと思い知らされるのだ。
 考えてみれば、現在ならいざ知らず、先生の若かりし頃は女性は結婚して家に入るのが当たり前だった。その時代に、家庭を持ちながらも和裁の道を極め、一流呉服店やNHKからさえ依頼が来るほどの和裁所を経営する。更に弟子の育成にも当たる――先生の人生の全てが、私には想像もつかないほどの挑戦の連続だったのだろう。

まずはネイルから♪――先生に憧れて
 実は、先生と深くお話をするようになった昨年秋から、私はネイルサロンに通うようになった。茶道を学んでいるのでごく薄い、一色塗りの目立たないものだけれど、先生の、きれいに手入れされた美しい爪を見ていたら、むしょうに真似したくなってしまったのだ。
 もちろん、これは、ごくごく小さな始まりに過ぎない。けれど、これからも私は先生に憧れて、先生を追いかけ続けると思う。何より、先生の、挑戦を恐れない心。この心構えこそ、ぬけぬけと真似し続けて行きたい。真似とは普通安易な道であるけれど、中には強い意志と勇気を要する、そんな真似びもあるのだから。

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きもので歩く倉敷・岡山の旅(後篇)~~倉敷民芸館・岡山城・倉敷の雑貨やお菓子など 2014/03/18



(現在、上のFacebookボタンとブログとの連動に不具合が生じています。押して頂いたのにカウントが反映されていない皆様、申し訳ありません)

倉敷・岡山をきもので回った旅の日記、今日は後篇をお届けします。
岡山城や倉敷民芸館、倉敷のかわいい雑貨や美味しいお菓子の情報などをご紹介致しますのでお読み頂ければ幸いです!

旅の履き物入れの話
まず、きもの関係の話題から入りたいと思います。
今回、旅のおともの履物は、草履を一足と下駄を一足ずつ持参しました。私は下駄が大好きで、ふだんから紬の時は下駄を合わせることが多いのですが、今回も一足は下駄にしました。下駄って、歩いていてダンゼン楽で手放せないのです!

さて、今回の旅で活躍したのが、下の写真の履物入れです。現在発売中の「婦人画報」4月号の付録に付いていたもので、“伊と忠”とのコラボレート品。
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“伊と忠”と言えば和装履物や小物の老舗ですから、さすがによく考えが練られていて、上の写真でもお分かり頂ける通り、足袋を入れる内ポケットが付いているのが秀逸でした。「足回りはこのバッグ!」と分かりやすくまとめられるし、足袋がクッション代わりになって、ごちゃごちゃとものがいっぱいのトランクの中で、履物を守ってくれるのです。
私は同じハースト婦人画報社から出ている『美しいキモノ』誌でお仕事をしていますが、だから、のステマではなく、本当に使いやすそうだったので自費で買い(領収書もあります~)、使って良かったのでこうしてお薦めしています。もう一冊買っておこうかしらと思うくらい、お薦めのお品ですよ!
ちなみにチャックを閉じるとこんな外見になります↓
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和にも洋にも合う柄行きですよね。


倉敷銘菓~♪
さて、旅の三日目、午前中は一人で倉敷の町を回りました。まずはお菓子の写真から。
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これは、倉敷の老舗和菓子店“橘香堂”の“むらすずめ”というお菓子です。ごく薄いパンケーキ生地のような生地の中に、絶品の粒あんが‥!
このむらすずめとお抹茶と、おまけの落雁のセットで、500円。あまりに美味しくて倉敷滞在中に2回伺ってしまいました。お店の人にも顔を覚えてもらえて嬉しかったです♪


倉敷民芸館は展示方法も美しい
そして向かったのは、倉敷民芸館。私は民芸が大大大好きなので、倉敷に来たらここには必須で伺います。何と館内、撮影OKなので(注・フラッシュ撮影は禁止)、しばし、あまりにも素敵な館内の様子をご覧くださいませ↓
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“民芸”とは、用の美。飾るためではなく、暮らしの中で実際に使われながらも、美しい姿形をした道具たちのことですよね。だから、道具たちが部屋の中に実際に置かれているように・使われているように展示されていて、ここは世界一美しい美術館ではないかとため息がこぼれます。

また、布好きの私には嬉しい、布の展示も数々とあるところも民芸館が好きな理由です。
上から、備後絣(のはず‥記憶が曖昧ですみません)、沖縄の織物、倉敷手織りです↓
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こちらは、明治時代に岡山地方の家庭で使われていた敷布団だそう。かわいいですよね~↓
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ミャンマーの帯もカワイイ!↓
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もちろん、陶芸品やガラス器もいっぱいです↓
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上の二枚の写真のうち、ガラス器は、“倉敷ガラス”という倉敷の特産品です。
陶器は、今回、島根県の不志名焼きという焼き物が中心の展示でした。こういった民芸の陶器類を眺めていると、「民芸が好きではない人間は日本人じゃなーい!」と叫びたくなるくらい、そのくらいこういった器が私は大好きです。

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↑もちろん、「用の美」という民藝の概念は日本だけにはとどまらず、上の写真の白い壺が私はかなりかなり好きなのですが、これは朝鮮の焼き物です。塗蓋を付けて、(茶道の)水差しにしたーい!とじっと眺めておりました。
こちらのお皿も素敵↓これは、日本の焼き物です。
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倉敷のかわいい雑貨たち
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↑さて、この民芸館で、自分用、そして知人へのお土産にも買ったのが、“倉敷手毬”の根付。総て草木染めの糸で染められていて、本当にかわいいのです!全部買い締めたかったのですが、自分用には上の二つを購入しました。私は、きものを着用する時は懐中時計を帯に挟むので、上の写真のように、その根付として使って行きたいと思います。

他にもかわいい買い物をしました。
こちらは、“如竹堂”という雑貨屋さんのマスキングテープ三つです↓
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上から、こけし模様、倉敷の町並み模様、草花模様。本当にかわいいですよね!
倉敷意匠研究所と倉敷町家テープ制作委員会の制作、つまり、倉敷オリジナルの雑貨ということになります。もう~かわいいです!

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↑また、本町通り商店街にある“つねき茶舗”というお茶屋さんでは、煎茶好きの母へのお土産に、と、お茶を買いました。
岡山は、実はお茶の産地でもあるのですよね。この小さなお茶屋さんにはお茶っ葉が入った木箱が山と積まれ、いかにも「地産地消」の素敵な雰囲気。写真からお分かり頂けるでしょうか?小分け販売用の袋、これが猫の柄でとてもかわいいのでした。

倉敷には何故ダサイお土産ものがないのか?
旅の間に、地元の方と深く話す機会があったのですが、その時に、倉敷のお土産物はものすごくレベルが高いという話になりました。いわゆる、みうらじゅんが命名したところの“いやげもの”のようなダサめのお土産ものは皆無なのです(それはそれで面白いですけれど)。
これは何故かと言えば、観光地としての倉敷の経験の豊かさに関係するのではないか、と、その方と話が盛り上がりました。
どういうことかと言うと、ようやくこの10年くらいでしょうか、日本のあちこちで“古い町家を活かして喫茶店にして”‥といった動きが盛んになって来たけれど、倉敷ではそれをもうとっくに40年前から始めていたんだ、と。
他市に先んじた分、倉敷は持てるパワーを更に先へと広げて行くことになった。日本を前面に出して町を観光地化したら、次はそのコンセプトを、細部へと流し込む。それが、センスのいい和のお土産ものにつながっていったのではないか、という訳です。
確かに、先ほどの、私がお茶を買った店なども、初老のおじいちゃんが経営するごくごく小さなお店でしたが、当たり前のようにかわいらしい包装を用意している。倉敷はかなり先を行っている観光地なのでしょうね。

実は、そんな倉敷で店を出したいと、全国から申し出が来るのだそうです。ここで生き残れれば、日本全国どこの観光地へ行っても、生き残れる!そんな風に考える、雑貨などを扱う業者が倉敷にアンテナショップを出して、商品開発のためのマーケティングを行うのだそう。
そうやって、厳しい競争が起こる中で、代々の地元の人たちも「負けてられない」と美意識を磨く。こんなことも、かわいいお土産物が町にあふれる理由なのだろうなと思いました。倉敷に学べることはたくさんありそうです。


老舗きもの屋さんが経営するカフェ
ところで、そんな倉敷には、ちらほらときもの屋さんが点在しています。私が四日間歩き回っただけでも、五軒発見。町の規模に比べるとかなり多い方ではないかと思います。やはり古都だけあって、お茶や踊りなどを習う方が多いのかも知れませんね。

そんな中でも一番の老舗であり、しかも同じ敷地内にカフェやイタリアンレストランを併設しているきもの屋さんがあるとガイドブックで読んだので、きもの好きの私はもちろん出かけてみました。
店の名前は“はしまや”さん。こんな風格あふれる店構えです↓
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そして、恐らく明治~大正時代製と思われる古いガラスが入った引き戸の向こうには昔ながらの一段上がる畳の売り場があって、こんな風に、「どうやら千總製だな」と思われる素晴らしい振袖が飾ってあって‥↓
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格式高いお店、と感心致しました。

ところが店頭にはどなたの姿もなく、引き戸も締まっているので、ひとまず、併設のカフェへ行ってみることに。店の脇に奥へ続く細い道があり、そこから、店の後方に作られている中庭へと入ることが出来ました↓
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蔵や住まいが並ぶ中庭。表通りから見える店だけでなく、奥に長い、典型的な町家の造りです。そして、そんな蔵の一部がカフェに改装されているのでした。
中の様子はこんな雰囲気で、ここでも、前回の日記でご紹介した「倉敷雛めぐり」の一環で、お雛様が飾られていました↓
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さて、ここで一人文庫本を読みながら美味しいココアを頂いていた‥はずなのですが、いつの間にか店主である初老のおばさまと話し込むことになりました。
おばさまによると、だんだんと、ここ倉敷でもきものを着る人の数は少なくなり、息子さんの代でイタリアンレストランを始めたのだそうです(呉服店の向かいに店舗があります)。そして、おばさまも、呉服店は続けながら蔵の一つを改装してカフェを始めることに。このカフェで、ミニコンサートを開くことも出来るし、隣りの蔵もギャラリーに改装しているので、展覧会やワークショップの開催が可能。また、一つ奥の蔵には、オーダーメイド家具とおしゃれな雑貨を扱うインテリアショップが入っていました。

もちろん、呉服店もまだ健在ですから、昔からのお客様や、五月にはお庭にさつきが咲くということで、さつきを観る会を開きながら、千總など(やはり千總でした!)、昔から取引のある、主に京都のお品を販売しているそうです。
「何とかしてきものを残したい」、という話であれこれと盛り上がり、特別に、先ほどのお写真の呉服店の方に入れて頂きました。
じゃーん、こちらは、昔ながらのお帳場です↓
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そして、こちらの写真の上段にある木箱は、昔、反物を入れて使っていたものだとか↓
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「まるにとの字」がはしまやさんの屋号なのですね。とても嬉しい旅の出会いでした。


三日目は古典的なきもので
さて、そんなきもの縁のあったこの日、私はどんなおきものを着ていたかと言うと‥↓
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実はこの日、午後、倉敷駅前にある日本語学校“倉敷外語学院”で学ぶ留学生の皆さんに、茶道の基本のきを体験してもらう課外授業を担当することになっていました。
そのため、少し華やかなきものの方がいいかな、また、日本らしい柄がいいかな、と選んだのが、この扇文様の小紋です。私の祖母が型染めの技法で染めたもので、中の一色を取って、黄色の織り帯を合わせてみました。帯締めの紺色で全体を引き締めています。
こういう王道の古典コーディネート、私はとても好きで、時々着たくなりますが、ネパールとベトナム出身の女子留学生たちが、「きれい!」「着てみたい」とじっと模様を眺めたり、生地に触れて何度も確かめてくれたりしたのが、とても嬉しかったのでした。古典柄を選ぶと、そこから由来の説明など、会話が弾んで行くのも利点だと思います。

備後絣との、運命の出逢い!
ところで、この日、もう一つ素敵過ぎる“きもの縁”がありました。
実は私はこの旅に出る前から、「もしも素敵な備後絣があったら買って帰りたいな」と思っていました。そこで、呉服屋さんを見つける度に「備後絣はありませんか?」と質問していたのですが、皆さん、扱っていらっしゃらないのです。

前回の日記でも書きましたが、備後絣とは、江戸時代以来、岡山や広島地方で織られて来た木綿の反物のこと。地元ならあちこちで売っているかと思ったのですが、案に反してどこにもない。もう備後絣は作られていないのかしら‥?とがっかりしていたこの日の夕方、お茶の講座を終えてのんびりと倉敷本通りを歩いていると‥備後絣で作った座布団や骨董品などを扱っている“メリーノ”という和雑貨屋さんが目に留まりました。そして、中を覗くと、どうも作業台に向かってお店の方が座布団をせっせと作っていらっしゃる様子。思い切ってドアを押して中へ入り、
「あの‥備後絣の反物ってどこで売っているかご存知ですか?」
と訊いてみたのです。するとあっさり、
「うちで売ってますよ」
とのお答え!しかも、
「今日入ったばかりの新しい反物がありますよ」
と仰るので、ゼヒにと四点ほど見せてもらうことが出来たのでした。‥ああ、“出逢い”です。

よくよくお話を伺ってみると、やはり最近ではきものを着る人が減ってしまったため、備後絣も、昔は大きな機屋さんでじゃんじゃか作っていたのが、今は機械が止まってしまっている状態。岡山・広島を合わせても数軒、個人で織っている作家的な方が残っているだけなのだそうです。
それでも、メリーノさんは、昔から備後絣を使って座布団を作って来たおつき合いの歴史があるということで、特別に、機屋さんに残っている反物を時々分けてもらえるのだそう。それが、その日私が見せて頂いた反物だったのでした。正に“一期一会”の出逢いですよね!

そんな四点の反物をあれこれと顔に当てて、メリーノさんのご主人(素敵な女性です)とご相談した結果、選んだのが、下の柄の反物です(実物はもっと青みがかっています)↓
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本当は、反物の状態になっている写真も撮ろうと思っていたのですが、帰京後にすぐ仕立てに出してしまいまして、倉敷にいる間に撮った、模様の寄りの写真だけでごめんなさい。仕立て上がって来たらすぐに着用して、このブログにてご紹介しますので、しばしお待ち頂けたらと思います。
本当に、人との出会いと同じく、布やきものとの出会いも、縁。旅をして、その土地の布を買い、身にまとうのは、何よりの記念になると思います。
藍色の備後絣。どんな帯でも乗りそうですが、手持ちのどれとどれを合わせたら映えるかしら‥と、今から嬉しい悩みを悩んでいるところです♪

きもの旅には浴衣が必要
さて、旅もいよいよ最終章へと近づいてまいりました。前日の夜は、倉敷郊外に住む知人の方にお招き頂き、お家でのお食事会。倉敷の小料理屋さんのお弁当を仕出して頂いていたのですが、これも大変美味しかったです。倉敷の食のレベルは高いですね。
そして、その日の夜は必死で荷物をまとめ、翌日の旅の締めくくりへと備えました。

今回、四日間の日程を総てきもので通し、前回の日記で、“長時間の乗り物移動には半幅帯が必須”と学びましたが、実はもう一つ失敗点がありました。それは、部屋着用の浴衣を持って行かなかったことです。
夜、一日の外出を終えて、宿の部屋でくつろいだり仕事をしたりする時間、或いは、お風呂上がり、眠る時間の前までに、ガイドブックを広げて翌日のプランを考える時などに、ちょっと上等の浴衣があると便利です。宿に備え付けの寝間着は、私は、寝る時だけ、布団の中だけで着たい派。それまでの部屋着として、何かの時には廊下にも出られるようなきれいめの浴衣があると、きもの旅は完璧になると思いました。お風呂上りにまた襦袢を着てきものをきるのは面倒だし、清潔の観点から言っても嬉しくないですからね!

旅の最後は、岡山へ!まずは岡山城と後楽園を訪ねて
さて、翌朝、旅の最終日は、朝食の後真っすぐに岡山へと向かいました。荷物を駅のコインロッカーに入れ、まずは岡山城へ。
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ああ、お城!萌えます。

こちらのお城は、宇喜多秀家が信長の安土城にならって建てたものだということで、安土城と同じく、黒壁。面白いのは、普通、天守閣と言うと倉庫や物見櫓として使われるものですが、ここのお城では城主が居住していたのだそう。かなり珍しいのではないかと思います。

お城の後は、すぐ隣りにある後楽園へと回りました。宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで西軍について敗れた後、城は小早川家秀秋のものとなり、秀秋が急死した後は池田家が入って幕末までこの地を治めました。後楽園は、その池田家が作った庭園です。
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広大な敷地にゆったりと品格高く作庭されていて、心がすがすがしく磨かれる景色。ここに住んでいるのでしょうか、猫さんも歩いていました↓
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お城や庭を歩き回る日は、紬のきもので
そんな四日目のきものは、初日と同じ紬に、帯を変えてみました。庭の一角にある梅園が満開だったため、そこで撮ったのが下の写真です。眩しくて目が開かず、変顔になっています↓
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初日と同じ細かい格子柄の紬に、この日は、ペパーミントグリーンの八寸の織り名古屋を合わせました。八寸帯は芯もなく薄いので、旅に持って出るには最適の帯ではないかと思います。
文様は、破れ七宝つなぎ。格調高くもなる古典柄ですが、ざっくりと織っているので、快活な、カジュアルな雰囲気に。この日も下駄を合わせています。帯揚げ・帯締めはベージュ系ですっきりと。

岡山名物、ままかりを食す
ところで、後楽園内には幾つかお茶屋さんがあり、そのうちの一軒で、岡山名物のお魚“ままかり”のお寿司を頂きました。
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これが本当に美味しかった!やはり、その土地で採れた食材を、時間差なくすぐ調理したものは美味しいのですよね。これがたったの500円ですから、東京の食費の高さが一瞬嫌になりました。

岡山県立博物館で備前焼のお勉強など
後楽園の後は、隣接する岡山県立博物館へ向かいました。歴女なので、どこかへ旅したり取材に行った時には、時間が許せば必ず、郷土資料館的な場所へ足を運ぶようにしています。
岡山・広島一帯は、近畿の方とはまた違った、派手なお棺に死者を祀る独自の古墳文化があり、その辺りの展示を見るのを楽しみに入館しました。
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すると、ちょうどこの日は、そういった古代の遺物などの常陳の他に、この地域を代表する伝統工芸である備前焼きの特別展が開かれていました。
また運良く、私の行った時間に学芸員さんによる列品解説があったので、歴史好き・焼き物好きのおじさまたちに交じり、私も解説を聞かせて頂くことに。備前焼きについてほとんど何も知らなかったので、一気に知識が深まり至福の時でございました♪

岡山にある東照宮訪問
その後、最後の最後は、神社へお参りに行きました。
と言っても非常にマイナーな、地元の人しか行かない神社に、ひっそりと参拝。“玉井宮東照宮”と言って、池田家が徳川家康東照大権現を祀った神社に、願掛けしたいことがあったので出向いたのでした。どうしても、家康公じゃなきゃダメ!な、或る願掛けがあるのです‥。
小さな小さな山の上にある神社。とても静かで、心が落ち着きます。
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また、お守りに、“徳川家康公勝ち香”を買って帰りました。自宅で携帯カメラで撮影したら、何だかきらきらした写真に。戦国の乱世を治めて二百六十年も続く幕府を作った家康公のお守りだからでしょうか、ご利益がありそうですよね↓
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この神社は、岡山駅から延びている路面電車の終点駅にあり、帰りはその電車に乗って15分程で岡山駅へ帰りました。そして新幹線で、東京へ。半幅帯を準備しなかった、など、失敗もありましたが、洋服一枚もなしで過ごしても特に何も問題なし。きもの暮らしに自信が持てるようになった旅でもありました。
倉敷・岡山は、何度か書いたように、ご飯が美味しく、歴史好きの人、日本の伝統工芸好きの人にはまだまだ見所がいっぱいあるワンダーランドです。幸い父の仕事の関係でご縁が続いていますので、また再訪の機会もあるかなと思っていいます。その時は、今回購入した備後絣で訪ねたいもの。再会を期して新幹線は走り出したのでした。


倉敷の蔵が少しすすけている訳
最後に豆知識を一つ。下の写真は、倉敷に幾つも建ち並ぶ美しい伝統建築の一つですが、屋根近くの壁が黒くすすけているのが見えるでしょうか?
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私は、長い年月の間に汚れてしまったのかな?とぼんやり思っていたのですが、実は戦時中にわざと炭で黒くしたものなのだそうです。
それは、何故か?アメリカ軍が空襲に来た時、白い壁では標的として目立ちやすい。だから、わざわざ炭を塗って黒く汚したそうなのです。結局米軍は倉敷へは現れず(岡山は火の海になりましたが)、倉敷は今も江戸時代の面影をたたえています。この町並みが今後百年、二百年と残り続けて行くことを願わずにはいられません。(完)

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全日程きもので回った倉敷・岡山四日間の旅(前篇)~~きもの好きの方も、旅好きの方もお楽しみください! 2014/03/16



先々週、倉敷と岡山を回る四日間の旅をして来ました。
その全日程を、今回洋服は一枚も持たず、きものだけで過ごしました。
ふだんからきものを着るすことの多い私ですが、“きものだけの旅”は初めての経験。実践してみて初めて気づいた失敗点や改善策もご紹介しながら、四日間・四通りのコーディネートを、2回に分けてお届けしたいと思います。
もちろん、旅日記ですから、きものだけではなく、倉敷と岡山の素敵スポットもたっぷりご紹介。きもの好きの方にも旅好きの方にも、お楽しみ頂けたらと思います!

美しい、倉敷の町
さて、あれこれ言葉をつらねる前に、まずは写真を一枚。
美しい、倉敷の風景です。
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太平洋戦争の空襲を免れ、その後の高度成長期の開発ラッシュも免れ、この町並みが残っていることに、守って来た倉敷市民の方々に、しみじみと感謝。
上の写真は最も有名なお堀周りの風景ですが、他にもそこかしこに美しい町並みが広がっています↓
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また、この週は週初めに雛祭りがあったため、倉敷を挙げて「倉敷ひなめぐり」というイベントを開催中。例えば道端にこんな雛飾りがしつらえてあったり↓
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↑こんな風に、町中のほとんどの店に雛人形が飾ってあって、観光立国ならぬ“観光立町・倉敷”として、町全体が強くまとまっていることを感じました。

きもの旅、一日目のコーディネート
さて、冒頭でも書いた通り、今回四日間の旅を、総てきもので通しました。
持って行ったのは、きもの三枚に、帯三本。帯締め四本に、帯揚げは一本。草履と下駄を一足ずつ‥というラインナップです。
今回の旅で難しかったのは、カジュアルとフォーマルのシチュエーションが混在していることでした。実は数年前から、父が仕事で倉敷と関わりを持つようになり、今回も、父の出張に同行する形での旅だったのですが、目上の方々との料亭でのお食事会の予定があるかと思えば、一日町を歩き回る日もあり、しかも、外国人留学生の方にお茶の基本を(僭越ながら)お教えするというミッションもあって‥きものの選定にはかなり迷うことになりました。

そんな中、初日に選んだのはこんなコーディネートです。
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細かい格子文様の紬に、祖母が染めた塩瀬の型染め帯。“花籠につばめ”の柄で、春を先取りする気持ちで締めてみました。所謂「織りのきものに染めの帯」の王道コーディネートです。履物は、下駄を履いています。

こうして写真で見ると、私がどうこうではなく、やはり、和の町並みにはきものがしっくり来ることをしみじみ感じますよね。何と言うのでしょう、倉敷の町を歩いていると、きもの姿は完全に勝ち組です!皆さんにも、ゼヒ、倉敷や京都、金沢などの古都にはきもの姿で出かけて頂きたいと思います。

きものの旅失敗点‥長い交通路線にお太鼓帯はつらい!
ところで、実は行きの新幹線では、縫物をしておりました!
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知り合いから頂いた、お母様のものだったという襦袢。袖が短いので丈出しをしなければならず、「そうだ、正に新幹線での移動中がピッタリだわ!」と持って行ったのでした。
平日の新幹線、背広姿でタブレットを操るサラリーマンに囲まれながら、きもので縫物の私。皆様を混乱に陥れていたことは間違いありません‥w

‥と、そんなことは良いとして、東京から岡山までは新幹線で3時間。これをお太鼓帯で過ごすのは厳しいです。
お太鼓結びにするということは、要するに、椅子の背に当たる面積は横18センチ×縦8センチの帯枕部分のみ。これだけでの小さな面積で、しかも厚みが3センチほどあって腰から枕までの部分の背中が浮く状態で、3時間、上半身の全体重を支えるのは非常に非常に無理があります。そのことを、今回、体験してみて初めて実感しました。
やはり、1時間を超える移動には、半幅帯がベストだと思います。その上で、駅なりホテルなりに着いたら名古屋帯に変える。半幅を持って来なかったことを心から後悔しました。
もちろん、名古屋帯でも、ぐぐぐっと前に回してしまうという手もあるのですが‥急に江戸時代のおかみさんみたいな結び方をするのも、ね‥ということで、次からは、長旅の場合には必ず半幅を持参したいと思います!

夕食は味噌カツを
この日、午後に倉敷に着いた後は、町を散歩したりかわいい雑貨屋さんを覗いたりして過ごしました。その散歩の成果が冒頭の町並み写真という訳です。
そして、夜は、実はこの日は父が仕事の食事会があったため、私は一人で食べることに。実は外で一人で夕食を取ることが非常に苦手なので(それで一人旅も全くしません‥と言うか、出来ない)、ホテルの部屋でルームサービスでも取ろうかとも思ったのですが、ガイドブックで見た“梅の木”という味噌カツ定食屋さんがとても美味しそうだったので、早めの人が少ない時間を狙って食してまいりました↓
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実は、味噌カツを食べるのは生まれて初めてでしたが、薄く微粒子の衣に、自家製味噌。美味ですね!

二日目のきものコーディネート

さて、倉敷の旅、二日目のコーディネートははんなり風にまとめました。
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桃色地に藤色などを淡くぼかした、てろっとしたやわらかもののきものに、一日目と同じ染め帯を合わせています。
帯の模様のアップがこちら↓
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二日間のコーディネート、同じ帯でも、合わせるきものが紬とやわらかものと変わることで、やはり大きく印象が変わることをご実感頂けたのではないかと思います(自分でも実感しました!)。

江戸時代の豪商の邸を訪ねて
上のきもの写真を撮ったのは、倉敷から車で30分程の距離に位置する、児島という町の、「野崎邸」という史跡(国指定重文)のお庭です。
野崎家は、江戸時代から塩業を営み、岡山地方一体で一番と言っていいほどの財を築いた豪商。藩から名字帯刀も許されており、度々その池田の殿様が、この家を訪れていたということです。今回、その野崎家の現ご当主に邸内を案内して頂きながら参観致しました。
さて、そんな豪商のお庭がどんなものかと言うと、例えば邸内には神社があったり↓
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(塩業を営む家なので、“塩竈神社”です!)

もちろん、茶室もありました(こちらの茶室の他にもう一つありました)↓
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↑そして、家財を入れておく蔵もこんなに立ち並んでいるのですから、その羽振りの良さが分かるというものですよね。
今回、雛祭りの季節ということで、倉敷と連動して、児島の野崎邸の所々にも、代々野崎家が所有して来たお雛様が飾られていました。これは、江戸時代の享保雛です↓
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また、上の写真でご紹介した蔵の一つが展示室にもなっており、その中に“見栄っ張り雛”という面白い雛もありました↓
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これは、山陽地方独特の雛だということで、衣装を見せびらかすためにわざと袖の部分が前を向いている、という独特の様式をしています。それを土地の人自ら“見栄っ張り”と呼ぶなんて、洒落が効いていますよね。

昭和時代の様々なお雛様が集合!お雛同窓会
この野崎邸には、明治期に建てられた別館もあり、そこは、謂わば迎賓館。明治維新後、華族院議員となった野崎家当主が、お客様をお迎えするためのゲストハウスがだったそうなのですが、そこで、
「お雛同窓会」という雛祭り展示が開かれていたので、拝見に伺いました。
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じゃーん、見て下さい。百畳敷きの野崎家別邸の大広間に、周辺のお宅から提供されたお雛様の数々。昭和初期から平成までの、世相を反映した様々なお雛様が飾られていて圧巻でした(もしかしたら大正期のお雛様もあるかもしれません)。
そんなお雛飾りと記念撮影↓
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私の右後ろに見えるお雛様の最上段に、御殿があるのが見えるでしょうか?これは、“御殿雛”と言って、戦前頃までよく見られたものだったそうです。
そもそもお雛様とは、公家のお姫様とその周りの人々、そして婚礼丁度を写したものですから、お姫様の住居である御殿もミニチュア化されていたんですね。それがいつしか作られなくなって、今のお雛様の形になったのだそうです。

また、面白いのは、昭和三十年代のこんなお道具↓
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時代は高度成長期。「三種の神器」として、テレビ・冷蔵庫・洗濯機を日本中の人々がこぞって揃えようと張り切っていた時代でしたが、そんな世相を反映してか、お雛様にもテレビと、そしてミシンが!漆塗りのテレビなんて、豪華で家にほしいくらいです。

そうそう、市松人形も多数展示されていました↓
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‥と、豪華で楽しいお雛同窓会なのでした。

世界のブランド“倉敷ジーンズ”
ところで、ファッション好きの方なら、倉敷が日本が誇るプレミアム・ジーンズの土地だと、ご存知のことと思います。
もともと岡山は、江戸時代以来“備後絣”という木綿織物が盛んでした。その特技を活かして、戦後はジーンズ作りに取り組み、“倉敷ジーンズ”として有名になったということです。
そんな倉敷ジーンズの多くは、実は、児島で作られています。中でも、“桃太郎ジーンズ”は最高級ジーンズとして世界的に有名。あのサッカーのベッカム選手も、来日するとわざわざこの児島の本店に買いに来るのだそうです。

そして、その本店というのが、実はこの野崎邸の真向いにあり、更に工房を併設しているとのことで、見学させてもらいました。
こんな風に藍玉から藍を建てて↓
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木綿糸を染めて↓
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何と手織り機(はた)で織った最高級ジーンズがあるのです!↓
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手織りのジーンズ!初めて聞きましたし、ジーンズを織っている手織り機も初めて見ました。そしてお値段を伺うと‥何と、17万円!!!きっとベッカムが買ったのもこのジーンズなのでしょうね。
布好きの私、大興奮のひと時でありました。

瀬戸内海と、倉敷の料亭
さて、この日、お昼はせとうち児島ホテル9階の展望レストラン“ポール・ブラン”で頂きました。瀬戸内海で採れる食材を頂きながら眺める、絶景の瀬戸内海が下の写真。ぽこぽこと点在する島。おだやかな海。心休まる美しい風景です。
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この日、午後遅くには倉敷に戻り、夜は、岡山の方々との、と或るお食事会に。倉敷の料亭旅館“御園”で頂きました↓
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私は人との会食中に写真を撮ることがどうもあまり好きになれないので、お料理の写真はなしでごめんなさい。岡山は、海も山も川もあり、「晴れの国」と言われるほど日照の良い土地柄。そんな素晴らしい環境で育まれた食材を、繊細な味付けで頂ける「御園」に、倉敷に行かれたらゼヒ足を運ばれてみてください。

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食事の後は、夜の倉敷を散歩するのも楽しい!白壁の美しい町並みは夜もまた美しく、人影もぐっと少ないので、時代小説好きの方なら江戸時代の夜を歩いている気分にひたれます。長い白壁に揺れる柳の影、きらりと光る蒔絵のかんざし‥などと空想していると一本小説も書けてしまうかも知れません‥

‥いかがでしたでしょうか、“倉敷・岡山きものの旅”前篇。
火曜日に後篇をお届けいたしますので、引き続きお楽しみ頂けたらと思います!

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紅花染め、エメラルドグリーンの総絞り、小糸敏の型染めなど、おきものコーディネートまとめて五つ日記! 2014/03/04



今日の日記では、最近のきものコーディネート日記を、まとめてどんとお送りします!
結構カラフルなラインナップになっていますので、ゼヒご覧ください。

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まず一枚目は、今年の初釜の日に撮ったもの。
いつもお稽古の日はもっと地味にしていますが、初釜ということで華やかに。小糸敏氏の白菊の花の型染め小紋に、河合美術織物の白地に銀の筋が一本入った洒落袋帯を。京紫色の帯締めで全体を引き締めてみました。
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↑新年なので、半衿には梅の文様の半衿を!

そして、この小紋で立食パーティーに出席した日のコーディネートがこちら↓
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この日は、勝山織物の葵文様の帯を締めています。
この小紋は柄がかなり大きくて華やかなので、小紋とは言え、付下くらいのフォーマル感があるかなと思っています。これからもパーティーなどに着用して行きたい、気分が上がる一枚♪

その葵文様の帯で、千葉市美術館に展覧会「江戸の面影」を見に行った日のコーディネートがこちらの写真です↓
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山形の紅花染めの名門・新田の紬と合わせてみました。
新田のきものは、最新の「美しいキモノ」にも登場しています。草木染ならではの何とも言えず淡く、温かく、そして、内側から光り輝くような色合いが特徴です。

この日出かけた千葉市立美術館は、浮世絵を多数蒐集していて、「江戸の面影」も大々的な浮世絵特集の展覧会でした。
「遊女」「江戸の名所」「江戸の華、歌舞伎役者」「生き生きと生きる江戸の市井の女たち」といった切り口で選んだ浮世絵が、圧巻の量で大集合。見ごたえある、素晴らしい内容でした。
特に、研究員の方が、江戸後期の遊女たちのファッションの流行を細かく浮世絵から読み解いて解説を付けており、服飾史の勉強にもなる、二度美味しい内容でした。その解説がそのまま載っている図録は、服飾史好きは絶対買いです!(展覧会は終了していますが、図録は今でも買うことが出来ます)

そして、同じコーディネートで、「美しいキモノ」編集部に打ち合わせにも出かけています。下の写真のピンク色の矢印が、「美しいキモノ」という表示を指しているがお分かり頂けるでしょうか?
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そう、ここは、編集部の入口のドアなのです!
ここを開けると、奥には、品格あるきものコーディネートと服飾史の教科書にも劣らない深いきもの知識が毎回ぎっしり詰まった、あの「美しいキモノ」編集部が広がっています。
左横が「メンズクラブ」、右横が「ハーパースバザー」の編集部。衝立を挟んで同じフロアを共有しているんですよ。
ハイファッション、或いはかなり個性的なデザイナーズファッションの方々ときもの姿の編集者が同じコピー機を使っているその様子に、いつも胸をくすぐられています!
そうそう、この写真で持っている黒い布バッグは、今発売中の「美しいキモノ」の特別付録、千總と編集部コラボのトートバッグです。
A4クリアファイルがそのまま入るので、打ち合わせに持って行くのにピッタリ。これからもどんどん活用する予定です!

次の一枚は打って変わって、目黒の老舗中華レストラン「香港園」で開かれた、と或るお食事会の日のコーディネートを↓
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祖母から伝わっている緑色の総絞りのきものに、加納幸の大柄の縞柄の洒落袋帯を合わせています。
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↑帯締めには、王朝風の格調高い色組の一本を入れ、帯揚げには帯揚げではなく、洋服のスカーフを入れてみました。山形の紅花染めでシフォン地を染めたスカーフで、以前、父が山形に旅行した時に買って来てくれたものです。帯締めの色とつながりを持たせています。

そして最後の一枚は、同じ総絞りのきものに、帯を変えて↓
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こちらの帯も、上で2回締めている勝山織物の葵文様の帯です。この帯、生地が締めやすい上に文様も程よい中柄で色も程よく色々と入っているので本当に合わせやすい。ついついこればかり締めてしまうのです!
きものは、三浦絞りの総絞り。かなり大胆な、コバルトブルーに近い緑色で染めていて、おそらく昭和の高度成長期頃に祖母が誂えたものではないかと思います。あの頃のきものは大胆で元気いっぱいですよね!
(帰宅してから玄関で撮ったので、光が足らず、若干暗めの写真で恐縮です)

   *

本当は、今年の目標は、「週1回はブログを更新」だったのですが、ありがたいことにお仕事が次から次へと入ってなかなかブログを更新することが出来ませんでした。
3月からは少し余裕が出来る予定なので、皆様また覗きに来てください。きもの日記も、エッセイも、両方の内容を充実させて行く予定です。
実は明日からは山陽方面へ旅行に出る予定。四日間の日程を総てきもので通しますので、次回はきもの旅日記をお送りしたいと思います。
どうぞ遊びに来て頂けたら幸いです!

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