西端真矢

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私、という見知らぬ誰か 2013/11/24



最近、突然、クラッシック音楽を聴きたいと思うようになった。
実は長い間、クラッシックは私にとって敬遠の対象だった。私の両親は大のクラッシックファンで、特に父はヨーロッパ暮らしが長く向こうで様々な名コンサートに通い詰めた、まあクラッシック狂と言って良い人なのだけれど、そんな親のもとに育ったにもかかわらず娘の私は、どうしてもクラッシクが好きになれなかった。どうもクラッシックの――特に古典クラッシクの――あの重厚長大性が重苦しくてたまらず、長年敬して遠ざかっていたのだ。
それなのに、である。どうしてか最近、クラッシック音楽が無性に聴きたくなってしまった。相変わらず古典はそれほど聴きたいとは思わないけれど、ロマン派や新ロマン派のピアノコンチェルト、など。また、ピアノの小品を心から聴きたいなと思う。そして部屋でかけながら仕事をしたりメールを書いたり猫と遊んだりしていると、何故だかとても調子がいいのだ。
どうしてこんな風に突然クラッシックが私の元にやって来たのか?理由は全く不明である。

              * 

思い返せば、今こんなにきものきものと騒いでいる私だけれど、二十代の頃は、
「私って何だかきものが似合わない」
と、若干コンプレックスさえ持っていた。だからきものに興味はあるものの、着るのは年に数えるほど。こちらは何と言うか、気後れの対象だった。
それが今では日々きもの、きもの、である。
じゃあ、今は似合うようになったのか?という質問などもう関係なく、とにかくきものが着たくなってしまったのだから、着る。きものにまつわる総てが楽しいし、ずっときものを着ていたい‥というこのきもの熱も、そう言えばいつから始まったのかと考えてみれば、ある日、仕事の関係で「ちょっとさわりだけ習う」つもりで通ったお茶の稽古へ着て行った日に、何故だかもう脱ぎたくなくなってしまっていた。それまでだってお正月だの友人の結婚式だのお雛様を出した日など折々には着ていたのに、何故かその日に限って、まるで植物の種が或る日突然殻を破って中から芽を吹き出すように、私の中できものにまつわる何かが爆発したのだ。

              *

そうやって考えてみれば、そもそもその茶の湯だって、今は熱心に学んでいるけれどそれまではいつも「面倒くさそう」とクラッシックと同じく敬遠の対象にしていた。
昔、華道の教室で姉弟子たちと、「お花は自分の意志で創意工夫出来るところが楽しいけれど、お茶は決まりごとばかりで嫌よね」「そうですよねえ、私、お茶は絶対習いません」と話していたことが今となってはなつかしくも赤面ものである。
そしてこの15年以上、私の人生において大きなウェイトを占めている中国への関心も、或る日、たった一本の香港映画を観て心を奪われたことがきっかけだった。それまでの私はどちらかと言うとヨーロッパかぶれでイタリアにホームステイなどもしていて‥と、今となってはヨーロッパかぶれの自分など、一体誰のことかと思い出せないくらい遠いことになってしまったのだが。

              *

こうやって振り返ってみると、人の好みの変化は自分自身にすら全く予想のつかないものだとしみじみ気づかされる。
当然、今まで書いて来たことと逆の現象もあって、つまり、人生の一時期相当打ち込んでいたのに今では関心を持てなくなっていることというものも、誰の人生にもちらほらと存在するだろう。
私の場合はそれは写真であり、アンダーグラウンドミュージックであり‥では、中国が生き残ってアンダーグラウンドミュージックが消えてしまったのは何故なのか?それともまた何かのきっかけで再燃することがあるのだろうか?‥と、そういうことも自分では全く分からないというのも、考えてみれば何とも頼りない話ではないか。

              *

そう、“自分自身”などというものはずいぶんあやふやな、まるで他人のようなものだな、と思う。
人の体の細胞の多くの部分は定期的に入れ替わっていると耳にするし、逆に生まれた時から一度も細胞の入れ替わりをしないという脳も、日々入力される新しい知見によって神経細胞の網の目自体は刻々とその様相を変えている。つまり、昨日の自分と今日の自分は同じ人間ではない、ということだ。
そんな、よく分からない自分、という他人のような誰かを、いかにも馴れたセーターのように着こなしたつもりで今日も生きている。もしかしたらその誰かは突然明日中東文化に興味を持つかも知れないし、バイクに凝り始めてツーリングに出かけるのかも知れない。朝寝坊の私が早寝早起き生活に一気に転換してしまうのかも知れない。明日の私とは、いやそもそも今日の私とは、一体誰なのだろうか?


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両手にきもの男子の夜 + 桐生の新作反物・帯展へ行って来ました~~久し振りのきもの日記は二つの話題で♪ 2013/11/13



きものを愛する女性の憧れの一つ、それは、“きもの男子ときものお出かけすること”ではないかと思います。
でも現実は、「うちの夫は/彼は/男友だちは、きものに全然興味がなくて‥」と、結局自分だけがきもの。あーあ、という話はよく耳にするところです。
ところが最近、私、あっさりと夢がかなってしまいました。しかも両手にきもの男子!下の写真をご覧ください。むふふです♪
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二人の素敵なきもの男子は、木下恭平さん(左)と、肥留川宇志さん(右)。
木下さんは、きものブランド“千花”のディレクターでいらっしゃいます。“千花”は色無地きもの・浴衣(浴衣は模様あり)・そしてかわいい和装小物を扱うブランド。青山にショップがあるので、皆さんゼヒ訪ねてみてくださいね。ホームページはこちらになります↓
http://chihana.com/
そして、千花オリジナルの文様入り腰紐がとてもかわいいのです。私も買いたいのですが、青海波と七宝つなぎ模様のものがどちらもかわい過ぎて迷っています。両方買うかしかない‥?下のURLでご覧ください↓
http://chihana.com/online/
この日木下さんが着ているお着物も、さすが色無地を扱っていらっしゃるだけあって、白みがかったグレーが素敵な一揃いですよね♪
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そして、お隣りの肥留川さんのご職業は、映像作家。
最近、江戸小紋染め師の・廣瀬雄一さんを撮ったドキュメンタリーが『ブレーン』誌主催の「継承と変革」映像コンテストで賞を受賞。きものサローネ会場でも流れたのでご覧になった方も多いのではないでしょうか。下記youtubeでその作品を閲覧出来るようになったとのことですので、是非ご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=pqIzj7SawBI&feature=youtu.be
この作品をご覧頂けば分かる通り、今の時代の映像感覚で伝統職人の仕事現場を作品にまとめ、世界に発信してくれる‥肥留川さんはそんな稀有な存在です。
これからも日本の染織文化に焦点を当てた作品を撮り続けて行く計画をお持ちなので、新作を楽しみに待ちたいですね。

この日は、他に、きものスタイリストの大竹恵理子さんもご一緒に、四人で熱く“これからのきもの”について語り合っていました。(大竹さんはお洋服だったので、写真の統一感のために一緒に撮影していません。次回はおきものでゼヒ女子2ショットを撮りたいです♪)
最近、三十代、四十代のきもの業界人の方々と深い話をする機会が多いのですが、それぞれの方から、きものを盛り上げて行こう!というとてつもない情熱と実行力をもうくらくらするくらいに感じています。本当に嬉しいことで、私もますます頑張るわよ!ともともと元気いっぱいの女ですが更に力がみなぎって来ることを感じるほど。
そして、街で、レストランで、歩く時、“自分もきもの、横を一緒に歩く男性もきもの”というのは本当に何とも心楽しいものだなと今回強く実感しました。やっぱりきものにはきものが似合う!‥となんだか訳のわからない文章になってしまいますが、きもの男子、もっともっと増えてほしいなと思うのです!

          *

そしてもう一枚、別のきもの男子と一緒に撮ったお写真をご覧ください!むふふ。こちらはもう男子とは言えない素敵なきものおじさまですが‥
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実はこの写真、今日の午前中に撮ったもので、私は洋服なのが残念なのですが、この後に向かった仕事の関係でどうしても洋服で過ごさざるを得なかったのです‥と、そんなことはさておき、ここはどこかと言うと、銀座・歌舞伎座の真ん前にある群馬県のアンテナショップ“ぐんまちゃん家”。
そこで開かれている、桐生の織物の新作展示会に伺ったのでした。

桐生は、言わずと知れた一大織り物どころです。その中で、今回の新作展には、後藤、泉織物、高光織物、井清織物という四つの老舗機屋さんが参加されていました。老舗と言うと古典的なお品ばかり‥?という訳ではないところを、この後ご覧頂ければと思います。

さてさて、上の写真で一緒に写ってくださったのは、泉織物の泉太郎さんだったのですが、その泉織物の新作きものが、下の写真で衣桁に掛かっているものです。一度織った後さらに絞りで文様を入れて、このような大胆且つ味わいあるきものを生み出しています↓
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他にも、こんな新作も↓
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これは、70本もの糸を精密に織って見事な微妙なトーンの色合いを生み出しながら、更に最後に紋織りで上から濃い臙脂の糸を挿し色に入れています。一手間も二手間もかかっている素敵なきものですよね。
一方で泉織物さんでは、こんなかわいい猫ちゃんのお散歩姿の名古屋帯も。
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これは一目見て分かる通り、絞りの帯。猫好きにはたまらないですね‥!

さて、今回出展の四軒の織り元さんの作品が並んでいるコーナーがこちら↓
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手前の下の紺色地の帯、ピアノの鍵盤と音符が織られているのが分かるでしょうか?井清織物さんの新作です。
井清織物の当代・井上さんはまだお若く、こういった楽しい帯をたくさん織られています。サローネにも出展されていたのでご覧になった方もいらっしゃるかと思います。
毎日の洋服のクローゼットから地続きのような、「きものだから」と構えることなく着られる帯を目指している、とおっしゃっていました。
そして、その隣り黒い花柄の帯と更に奥の菜の花の帯は、後藤織物の作品。創業明治三年、既に百四十年以上の歴史を持つ機屋さんですが、古典的でありながら現代感覚もあるすっきりとした意匠が素敵でした。

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素材からして面白かったのが、こちらの白地と紺地反物↑
何と、紙の糸で織っているという、夏の着尺です。ゼヒ会場で実際に指に触れて頂きたいのですが、とても薄くかすかに凹凸もあって、肌にべたつかず涼しく着られそうな布でした。
こちらは、高光織物さんが今年新開発したものだということで、こちらも当代で四代目の機屋さんだそうなのですが、どんどん新しいことに挑戦されている‥!その心意気が本当に素敵ですよね。
ちなみにこの写真に一緒に写っている白地に紫のすっきりとした帯、こちらも紙の糸で織ったものなんです。こちらも軽々と締められそうですよね。

高光織物さんのお品物は、他に、先ほどのお写真の音符の帯の下にかかっている淡い藤色の紬もそう。こちらも、白い音符が織り込まれているんです。音楽会に着て行くのにピッタリですよね。
そして、高光織物さん、裂き織りのシリーズも展開されています。
裂き織りは、みなさん、ご存知ですよね。古くなった布地を裂いて新しい糸と一緒に織ることでよみがえらせる技法ですが、これをプロの機屋さんが手がけるとこんな上質な帯が‥↓
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↑こちらの写真で、上に載っている友禅染めの布が中に織り込まれると、この帯のように生まれ変わります。かすかに以前の布の模様も見えるので、たとえばおばあさまからもらったけれど丈が合わなくて着られないきものなどを織り込めば、おばあちゃんと一緒にまたお出かけ出来る‥そんな気持ちになれるところがいいですよね。
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↑一方こちらは、高光織物さんのひと工夫で、織るときに縦に淡い黒で縞を入れたもの。そうすると、これももう元は古いきものだったことなんて全く分からない、すっきりした現代帯に変身!という訳です。もちろん、この写真で帯の上にかかっているピンク色のきもの地が元の布。大きな大きな変身にうならされるばかりですよね。

‥と、いかがだったでしょうか。まだまだ他にも素敵な作品がたくさん。ご紹介したのはほんの一部です。桐生新作・きりはた展。今週日曜日17日まで開催されているので、ゼヒ足を運んでみてくださいね。メーカー直売ですので、どの反物も、驚きの10万円台です。本当に本当にお得なので、ゼヒ銀座へ!
ぐんまちゃん家へのアクセスなど、詳しい情報は下記URLでご覧ください↓
http://kikaku.pref.gunma.jp/g-info/event_info.php

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そうそう、ここで最初に戻って‥両手にきもの男子写真☆で私が着ていたきもののご説明を忘れていましたので、最後に少しだけ。
この日のコーディネートは、歌舞伎の定式幕の三筋の縞を、山道文様のようにじぐざぐに図案化した横縞のおきものに、市松文様の帯。この市松の中が、一つ一つ違った江戸小紋の文様で染められているという、とてつもなく凝った一本です。
大竹さんが「え、この帯の模様、どうなってるんですか!」とすぐ気づいてくれたのが嬉しかった‥!
それにしても、この日のコーディネート、英語で書けば「ストライプ×チェック」、がちゃがちゃとうるさいコーディネート、ということになってしまいますが、きものならしゃれた遊び心の組み合わせになるところが何とも楽しいですよね!
秋も深まり、どなたの箪笥の中の手持ちも多い、袷の季節本番!あれこれとコーディネートを考えるのが本当に楽しい時期になりました。またきもの日記も随時載せて行きますので、皆様ゼヒこのブログを覗きにいらしてくださいね!

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宇野千代自伝『生きて行く私』に見る股のゆるさと宇野千代きものについて 2013/11/04



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 3、4年ほど前、歯医者の待合室だかどこかで偶然手に取った女性誌で、ファッションディレクターだったかアートディレクターだったか今ではもう忘れてしまったけれど、何かしゃれた職業の女性が宇野千代の自伝『生きて行く私』を自分の好きな本と紹介していて、以来、いつかこの本を読んでみたいと思っていた。
 それからわりと忙しく日々を過ごしてあっと言う間に3年ほどが過ぎてしまったのだけれど、特にこの10か月ほどは一日も休みなく仕事に追われていた生活がほんの少し小休止したので、そうだ、『生きて行く私』を読んでみようと、飛びつくように読み始めたのだった。
 宇野千代の小説はこれまで一冊も読んだことがなかったけれど、八十歳でも振袖を着ているとか、桜が好きで一年中桜のきものを着ているとか、「私、死なないような気がするんです」という有名な台詞などは耳にしたことがあって、面白そうな女性だなと興味は持っていた。
 それに、そのカタカナ職業の女性も、“生き方に一つの美学を貫いた凛とした女性の一代記”といった紹介をしていたから、きもの好きの私としては人生の美学ときものの美学とが美しく一体化したような、何かとてつもなくしゃれた随筆が読めるのではないかと期待したのだ。

          *

 さて、ページをめくり、四分の一ほどしたところで、その美しい期待は大きな見当違いだったということにつくづく気づかされた。だからと言って読む価値がないかと言えばそんなことはなく、むしろ無類に面白い。
 では、一体この自伝はどんな書物なのか、と言えば、それは、宇野千代という女性の股の話だ。宇野千代先生が行く先々ですぐ男性に股を開き、人々がえっと仰天する。ここでもここでも股を開いているけれど、おそらく行間のここでも股を開いていて、だけど何かはばかりがあってここについては書いていないな、と同性ならすぐ読み取れてしまう。そんな風にあっけらかんとそこかしこで股を開きまくっている女の一代記が、この自伝随筆集なのだ。
 ‥とこう書いてしまったら身も蓋もないと思われるかも知れないけれど、これこそが彼女の人生の総てを集約した一言なのだ、ということに、『生きて行く私』を読めば気づいて頂けると思う。
もちろん、千代先生は野間文芸賞や芸術院賞を受賞し、うるさ型の小林秀雄をも驚嘆せしめた偉大な作家だった。また、一時代を築いたファッション誌の編集長をしていたこともあるし、趣味のいいきものを世に送り続けたきものデザイナーでもあった。
 しかし、女が前に出るのが今よりもずっと難しかった時代、何が彼女をそこまでの場所へと押し上げたのかと考えてみれば、その心底根底にあったものは、「あら、この男、ちょっと素敵」と思った瞬間すぐに股を開き、それでもなびかない男の元には毎日毎日職場にまで押しかけて「あの、私の股は開いてますけれど」と執拗に知らせ続ける、その、周囲の目を一切気にせず自分の欲望に向かって素直に自分を全開に出来る純粋無垢な魂のようなもの。それを彼女が保持し続けていたからこそ、あの時代に大きな成功と幸せをつかみ取ることが出来たと分かるのだ。

 もちろん、そのようないわゆるふしだらで自堕落な生き方をしていたらそれなりのしっぺ返しはある訳で、その中で、よりくっきりと見えて来る人生悲喜劇の輪郭が、おそらく彼女の小説の主題となったのではないか、ということにも、読んでいれば自然に思い至る。そうなると私などはがぜんこの上は、千代先生の代表作も読んでみようじゃないかという気にもさせられるのだった。

          *

 ‥という訳で、私が最初に雑誌で読んだしゃれた職業の女性に言いたいことは、股の話は股の話だとちゃんと書いてほしい、ということだ。
 確かに千代先生の偉いところは股だけの女に終わらずそれを偉大な作品や事業に変え得る知恵と文才とセンスを持っていたことにあるけれど、股がゆるかったことがまたその人生の最大の特徴であり、その股ゆえにこそ知恵も磨かれたのだ、ということを、女性誌的にこぎれいにまとめるのはどういう安全策なのだろう、と一人文句を言いながら表紙を見返したりもしたのだった。

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 ところで、千代先生の名誉のために付け加えておけば、人生のごく一時期を除いて、先生は誰にでも彼にでも股を開いていた訳ではなかった。尾崎士郎、北原武夫、東郷青児‥彼女が股を開いた男の列伝には綺羅星のような名前が並ぶ。そして、彼女は、あきれるほどに分かりやすい“イケメン好き”でもあった。才能がある上に見た目も美しい男性と恋仲だったのだから、何とも痛快な話ではないか。
 そんな“宇野千代”の名前を冠したきものが、今も綿々と作られていることはきもの好きなら誰もが知っているだろう。先生の股の開き具合を思うと正直うら若い娘さんの振袖にはどうかと思うが、三十五過ぎた女が小紋などに着るとしたら、何ともしゃれている、と思うのだ。


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