西端真矢

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「村上春樹のダメなおじさん化について、その他」 2010/12/01



今週の日記は、またもやばたばたと忙しく過ごしている日々の短信雑記と、ドラマや小説の感想などを。

*毎日が忙しい。その最大の理由は、ライター仕事が重なっているため。この数年継続して仕事を頂いている某サイトの1年ごとのリニューアルが始まり、これから2ヶ月で、50本近くの取材をこなさなければならない。もちろん、取材を終えたら原稿を書かなければならない訳で‥‥考えただけでも目が回り始める‥‥

*更に今年は、ビジネス関係の某書籍のお仕事も同時進行で頂いているため、忙しさに拍車がかかっている。
こちらの仕事では、これまで自分が遊びを通じて、また、広告代理店勤務時代を通じて知り合った方々に取材をすることになりそう。中には何年かぶりで会うなつかしい人もいて、仕事を忘れて、会うこと自体が楽しみになっていたりして☆

*夏頃に悪戦苦闘していた書籍の仕事。実は諸事情で発売が延びていたけれど、ようやく発売日程が決定。年明け、上旬~中旬頃になりそう。
そして‥‥じゃじゃーん、発売を記念して1月末に講演をすることも決定。その準備が大変なのであーる!‥‥が、これはとても楽しい大変さでもある。現在、レジメを鋭意作成中。

*1月末には、現在見て頂いているこのホームページも改訂予定。新しく撮り下ろしの写真を入れたいと思っているので、当然、撮影をしなければならない。室内ではなく外で撮りたい写真なので、考えただけでも寒そう~と憂鬱になる。しかしやらねばならないだろう。
そして、実は撮影よりも大変なのは、(私の場合)暗室作業だ。私の写真の「私らしさ」の半分は、実は暗室作業によって作られているから。
けれど私は、暗室作業がとってもとっても嫌い。だから誰か代わりにやってくれる人がいたらどんなに嬉しいか、と思う。しかし、「えーとですね、ここの緑はもう少し深いかんじの緑で」と言ってみたって、その「深さ」を他人と共有することなど不可能だと分かっている。だからやっぱり自分でやるしかない。ぐすん‥‥

*忙しいとは言え仕事ばかりしていると脳が硬直してしまうし鬱々ともしてしまう。だからもちろん遊びにも出かけている。出かけるときに、別に洋服で行ったって全然構わないのだけれど、やはり今の私は何だか着物を着て行きたい。それで着付けをしたり髪の毛を着物風に結ったり帯と着物の組み合わせを考えたりしていると、合計するとかなり時間を着物のために費やしている、と思う。そうか、着物を止めれば私の人生はもっと楽になるのかも知れない、とも考える。でもそんなことは魁皇に「相撲を止めろ」と言うのと同じくらいに無理な相談なのだ。だからやっぱり私は今日も着物の箪笥を開けたり閉めたりしている。何しろこの頃の私は夢の中でまで新しい帯を買っていたり(←願望)、羽織がなくなって探し回っていたりするのだから‥‥

*そんな“着物に夢中生活”に狂喜乱舞の出来事が!
最近私と母との間の会話の半分は着物のことなのだけれど、その日も延々と着物話をしていたところ、昔人から頂いて、頂いたこと自体を忘れていた村山大島の反物があることを、母が突然思い出したのだった!(注*村山大島とは、東京・多摩の武蔵村山市辺りで織られている紬)
忘れられていたこの反物さん、押し入れから救出してみると焼けもカビもなくとてもきれい。長い長い眠りからついに目覚める日がやって来たのだった!早速仕立てに出したところ、年内には上がって来ることに。きゃー!

*将来作りたいと思っている作品のために、或る方から「この資料を読んでみると良い」と薦められた専門書籍がある。日本語ではなく、英語の書籍。しかもとても分厚い。しかもしかも或るツテを使って某公共機関から借りているため、あと一月ほどで返却しなければならない。
‥‥計算してみたところ、毎日5ページずつ読み進めなければいけないと判明。仕事が重なりまくり着物も着たい中、一日5ページずつ苦手な英語の専門書を読む苦役(ど~も私、英語が好きになれない)。女四十歳、歯を喰いしばっています。

*とは言うものの、たまにはテレビも観る。『龍馬伝』の最終回、龍馬を暗殺する刺客役の市川亀治郎の演技が素晴らしかった。
顔のどアップにカメラアングルが寄る中、すさまじい演技で、幕府終了によってアイデンティティの全てを失った武士階級の悲しみと怒りを表現。共演の名優・香川照之の演技さえかすんで見えるほどだった。一気に亀治郎ファンに!

*そしてたまには映画も観る。岡本喜八の『日本のいちばん長い日』。
昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾決定から天皇の玉音放送が流れるまで‥‥のたった1日の間に起こった「大日本帝国最後のあがき」的出来事の数々を史実に基づいて映画化した作品。私はこの監督のカット割りや編集の尺(1カットの長さのこと)が好みではないので、それほど良い映画だとは思わなかったけれど、各俳優の演技はそれぞれ素晴らしい。
しかし、東郷外相を演じている俳優が枢密院議長の平沼騏一郎に似過ぎていて、昭和史おたくの私は頭が混乱。東郷外相が出て来る場面の度に、「え?何で誇大妄想右翼の平沼がこんな現実路線の発言を?」「え、何で外交音痴の平沼がこんなに自信を持って条文解釈を?」といちいち反応。無駄に疲れる‥‥

*最近、新聞広告で、村上春樹の新作『眠り』が発売されることを知った。
実は私はかつてかなりの村上春樹ファンで(『羊をめぐる冒険』の素晴らしさ!)、「同時代人として、どうしても生の村上春樹を一目見ておきたい」と、『ねじまき鳥クロニクル』の読売文学賞授賞式当日、会場のパレスホテルまで行ってロビーをうろうろ。ついに本物をわりと近くで眺めることに成功した‥‥という過去さえ持っている。
しかし、彼の真の全盛期は、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』までだった、と今の私は思っている。『ねじまき鳥』まではまだ許容範囲だけれど、それ以降の作品は全て駄作。何故彼の作品がこれほどまでに世界で称賛されるのか、全く理解出来ない。
特に最新作『IQ84』はひどかった。まだこの後BOOK 4が発売されるのなら別だが、ここで終わるのなら紙パルプ資源の無駄使いとしか言いようがない。

*大体私は、「愛」を人間の諸問題の解決策に持ち出す人間を全く信用しないのだ。それは或る意味、「ごめんで済めば警察はいらない」という警句に似ている。つまり私は、「愛で済めば芸術はいらない」と思っているということだ。これをもう一度別の言葉で言い換えてみれば、「愛だけでは解決出来ないからこそ、芸術が必要とされる」、ということになる。これは、私が自分の人生の根本原理に据えている強固な信念の一つだ。
翻って、『IQ84』は、愛を金科玉条とし、愛が全てを救うと謳い上げる小説である。私から見れば、このような無意味な幻想を撒き散らす文学作品は、「無意味だから無意味」としか言いようがない。

*そんな村上春樹だが、短編小説には、『世界の終わり』以降もかつてと同様優れた作品が散見される。中でも『眠り』は、内容、文体ともに素晴らしく、彼の作品の中でも最も好きなものの一つだ。
しかし‥‥その傑作を、今回、“今の村上春樹”が改編して新『眠り』として発表したようだ。かつての恋人が落ちぶれていたりつまらないおじさんになっている姿を見たら女は誰しも悲しみを感じるものだと思うが、私にとってはそんなつまらないおじさんになり下がった“今の村上春樹”が、かつての自分の輝かしい業績を自らの手でめちゃくちゃにしているのではないか‥‥と大変に心配だ。書店に行こうかと考え、ふと立ち止まる。いつか心に余裕がある日に手に取ってみよう。

*実は仕事と講演準備とホームページ改訂準備と英語書籍閲読と着物生活の他に、もう一つ新たなタスクが浮上している。
一月に一度通っているお茶の教室で、いつかは越えなければならない壁に直面したのだ。どういうことかと言うと、家でこつこつ稽古しないと絶対に手が覚えない或る所作があって、それを今の時点でマスターしなければいけないと気づいたのだ。‥‥と言うことはつまり、最低二日に一度くらいは黙々と部屋でその所作の練習をしなければいけない、ということになる。忙しいときに限って‥‥。

‥‥とこんな調子で、冬の初めをばたばたと過ごす日々。けれどそんな忙しい毎日にも強い味方があって、それは、秋に吉祥寺にオープンした二大施設、アトレとコピスの中にある数々のお菓子屋さん。私は無類のお菓子好きでもあるので、毎日夕方になると深夜に食べる分の“今日のお菓子”を買い出しに吉祥寺へ。特にKEYUCAのモカクリームサンドイッチ最高!