西端真矢

ARCHIVE:

おばあちゃんの世界 2012/08/21



この頃やけに、おばあちゃんが気になっている。街を歩くおばあちゃん。電車の中のおばあちゃん。おばあちゃんの持ち物。おばあちゃんの会話…。
きっかけは、少し前、仕事で毎日のように中央線に乗って八王子方面に通ったことだった。朝、早めの時間帯の中央線下り列車は、登山目当てのご老人でいっぱいだ。中でも、男性よりも声が少し高いせいか、おばあちゃんたちの会話がよく耳に入る。生き生きとしたたくましさがガゼン気になり始めた。

それ以来、ひそかに、おばあちゃんたちを観察するようになった。まず気になったのが、おばあちゃんたちの持ち物。我々の世代は絶対に使わないものが二つあって、それはつまり「純粋おばあちゃんアイテム」と言っていいと思う。そのまず第一は、手押し買い物バッグ。これである。
そう、買い物に行くおばあちゃんが押している、あの、リュックのような形でありながら下にタイヤが付いているあのバッグ。年を取ると足腰が疲れやすくなるため、あれを押しながらおばあちゃんは日々の買い物に行く訳で、更に進化したものだと頑丈なパイプ製で出来ていて、疲れたら座れるようになっているタイプもある。こちらはシルバーカーと呼ぶみたいだ。

しかし、観察していると、シルバーカーを使っているおばあちゃんはあまりいない。もしかしたら、シルバーカーは「かなり高齢」の象徴であり、「速度はゆっくりだけどまだまだ元気に歩き通せるのよ、私」というメッセージを込めて、大部分のおばあちゃんは手押し買い物バッグの方を択んでいるのではないか。
そして、日常の必須アイテムであるだけに、そこには個々のおばあちゃんの好みや暮らしの傾向が表れている。ごくシンプルな、紺一色などの実用タイプを使っているおばあちゃんもいれば、かわいらしい花柄やチェック柄を択ぶおばあちゃんもいる。
今は亡き私の父方の祖母(いつも着物日記で紹介している母方の祖母ではなく、父方の祖母)はおしゃれに興味ゼロだった人で、だから手押し買い物バッグもごく地味なえんじの無地のものだった。ただ、それは本当は後ろに引いて使うように作られていたもので、それを祖母は勝手に前押しに変えて使っていた。
今思うと、誰に教えられたのでもないのに後の人気商品を先取りした使い方をしていた訳で、おしゃれセンスはなかったけれど、我が祖母、発明アイディアは素晴らしかった訳だ。もしかしたら、全国のあちこちで自然発生的におばあちゃんたちが後ろ引きずりタイプを→前押しにして使い始め、それを見たどこかのメーカーの方が、現在の前押しタイプを発明したのかも知れない…と思う。
おばあちゃんたちはそんなことを想像させるような、生活に根づいたたくましさを持っている。

                *

それにしても、花柄、水玉、ゴブラン織り風…おしゃれな手押し買い物バッグを押しているおばあちゃんたちを見るのは楽しい。何故かと言うと、そこに、文字通り墓場まで持って行く“不滅の女子おしゃれ魂”がほの見えるからだ。
戦後を生きて来た日本の女たちは、いつも、自分の周りをかわいいもので埋め尽くすことに腐心して来た。おばあちゃんになったからと言って急にその心がなくなる訳はない訳で、私たちが「キャスキッドソンのパスケースかわいい~」「遊・中川で和デザインのかわいいポーチ見つけた~」とウキっとするのと同じ気持ちで、おばあちゃんたちはかわいい手押し買い物バッグを択んでいるのではないかと思う。

更に、最近私がうなったのは、よく買い物に行く近所のスーパーで見た光景だった。
そのスーパーは、入口を入った所に大きな柱があるのだけれど、何と自然発生的にそこがおばあちゃんたちの「手押し買い物バッグ停め場」になっていたのだ。
買い物に来る→食材選びの時は店のカート或いはカゴに商品を入れる→精算後、買ったものを手押し買い物バッグに入れる――訳だから、択んでいる時は手押し買い物バッグは邪魔。だから、車を駐車場に停める要領で、その柱の前にマイ手押しバッグを停めて行くのだろう。四角い柱をぐるりと囲むように色とりどりの手押し買い物バッグが停まっている姿は、何とも言えずかわいらしかった。
また、「ここにお客様の私物を置かれると防犯上何とかかんとか」とうるさいことを言わないお店側の態度もイイと思う。今後日本はどんどん高齢化して行くことを考えると、もしかしたらこれから新規に出店するスーパーは、手押し買い物バッグ置き場をデフォルトで作っておくようになる可能性だってあるのかも知れない。
おばあちゃんたちはこんな風にして、日本の暮らしを自分たちに住み良く変えて行く。

                *

もう一つ。おばあちゃんたちのおしゃれ魂が発揮されている純粋アイテムがある。それは、杖。これも、気をつけて見ていると実に様々なデザインがあることに驚かされる。例によっておしゃれに興味のないうちの祖母などは地味な茶色のものを使っていたけれど、街中では時々、はっとするほどかわいい杖を使っているおばあちゃんを見かけて心楽しい。
例えば、持ち手の部分がウィリアム・モリス調の花柄になっている杖。スワロフスキーのようなラインストーンが入っているものもあるし、高級イメージの、透明クリスタルのような持ち手もとてもおしゃれだと思う。劇場やホテルのロビーなどでは、時々、見るからに高価そうな、何ともゴージャスな杖を持っているおばあちゃんに出くわすのもとても楽しい。ここでもおばあちゃんたちは、それぞれの好みとお財布事情に合わせて、存分におしゃれ魂を発揮しているのだなあと思う。

そして、おばあちゃんたちは、やはり氷川きよしが大好きだ。
或る時、たまたま男女を問わず老人の方がいっぱいいらっしゃっている美術展に行ったことがあるのだけれど、そこで氷川きよしの話をしているおばあちゃんに立て続けに三組出くわしてビックリさせられた。
それ以来気をつけていると、氷川きよしのイラストが描かれたキーホルダーを鞄に下げているおばあちゃん、氷川きよしの記事を立ち読みしているおばあちゃん、そんなおばあちゃんたちを時々街で見かける。氷川きよしにももちろんおばあちゃんはいると思うが、もはや彼はそんな個人の関係を越えて、日本全国のおばあちゃんたちの息子であり、孫であり、そしてきっと想像の中の王子様なのだと思う。

                *

ところでおばあちゃんたちは、病気にもとてつもなく詳しい。それも、たとえば私のようなアラフォー世代が病気の話をすると暗い雰囲気になりがちなのが、おばあちゃんたちは何か病気と共存して生きていると言うか、お弁当のおかずの話題のようなかんじであっけらかんと病気の話をすることが出来るすがすがしさを持っているのだ。
たとえば、私が或る時聴き耳を立てていたおばあちゃんたちの会話はこうだった。
「うちの人がね、この間、お腹が痛くなってね」
「ああ、××癌ね」
え?何でそれだけで分かるの?と驚愕したのだけれど、
「そうなのよ」
と、何と、的中しているようなのだ。
「大丈夫よ。お宅の年令で××癌だったら**手術でしょ。あれで治っちゃうから」
「そうなの。もう手術したのよ」
と治療法まで的中。
「それで*〇××*あたり?、薬は」
「そうそう。でも×*〇△*だと胃にもいいじゃない」
「そうよね」
と、私には全てちんぷんかんぷんだけれど、おばあちゃんたちは自分、或いは、配偶者や友人たちの症例を多数経験世界に積み重ねた結果、治療に対するコモンセンスを共有しているようだった。
「で、**山行ったの?」
と、病気の話はあっさり終了して次の話題に移行。病気になるのは当たり前。他の関心事と並列の状態で頭の中に存在しているようだった。

              *


おばあちゃんたちを見ていると、自分が老年について本当に何も知らないのだなと思い知らされる。
もちろん、おばあちゃんたちだって肉体的な痛みや疲れを強く感じる日もあるだろうし、生活上の悩みもあるだろう。やって来るお迎えの日への覚悟、不安だって当然存在しているのだと思う。
でも、だからと言って毎日がしょんぼりと暗いだけではないのだということが、おばあちゃんたちを見ているとよく分かる。おばあちゃんの目でしか見られない世界のあり方や、独自の美意識の世界、そしてあっけらかんとした明るさもまた堂々と存在していて、その、世界への一矢報い方がとても好きだ。
おばあちゃんの世界にとても魅かれる。明日も私はおばあちゃんたちの会話に耳をそば立ててしまうだろう。

☆ブログランキングに参加しています。よろしければ下の二つの紫色のバナーのどちらかを、応援クリックお願い致します☆
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 40代の生き方へ
にほんブログ村
にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ
にほんブログ村