西端真矢

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友の訃報 2012/04/10



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 友人が心筋梗塞で突然亡くなり、昨日、告別式に参列した。
 一時期、私はほぼ毎週末クラブで遊んでいた時期――10年近い期間――があって、彼とはその頃に知り合いになった。「毎週末」と書いたが考えてみると当時はシーンが一番盛り上がっていた時期で様々な音楽的実験が東京中のあちこちで行われていたから、週末だけではなく、平日にもたくさん素晴らしいパーティーがあった。私は当時会社勤めで激務の仕事を終えて渋谷のど真ん中に借りていたアパートにぽんと仕事のバッグを置くと、深夜12時、1時から、歩いてすぐのクラブへDJたちの音を聴きに行っていた。そんな中によく彼の顔もあったのだ。
 私たちが集まっていたのは通称「小箱」と呼ばれる小さなクラブで、平日の夜だとせいぜい15人、多くてもたかだか30人くらいしか客は集まっていなかった。だからみんなが顔見知りだった。規模は小さかったけれど――実は後にそれはそこそこに大きなムーブメントへ成長して行くのだが――そこには最高に新しく、最高にレベルの高い音楽が流れていた。そして昼の時間に私たちを支配する金や地位とは一切関係のない、真の平等王国が開かれていた。大してお酒の飲めない私はせいぜいラムコークとかモヒートとか、そんなお酒を2、3杯道連れに、音楽に全身をひたしていた。翌朝にはまた10時にオフィスへと出かけて行かなければならないと分かっていても、睡眠時間を削ることを少しも惜しいとは思わない、絶対的な価値がそこにはあった。

          *

 葬儀の後、その“クラブ時代”の友人たちと食事に行った。色々思うところがあって今の私はほとんどクラブには顔を出さなくなっているから、私の中ではあの頃は“クラブ時代”と区分されているのだ――苦笑してしまうけれど。
 そしてその食事の席では誰がそうしようと決めた訳でもないのに、みんながぽつりぽつりと亡くなった彼の話題をリレーのように交代で話し続けていて、そこには当時のクラブと同じように、自由で“本当のかんじ”が流れているのだった。
 クラブに集まる人間の常として、どこかものぐさだったり適当だったり常識はずれな習慣を持っていたりするものだけれど、亡くなった彼にもその特徴はほぼ全てあった。だから私たちは彼のそのひどさを笑い、だらだらと共に過ごした時間をぼんやりと思い出し、どこにも着地点のない会話がいつまでもいつまでも続いていた長い夜や午後が切れ切れにそのとき私たちの座るチェーンレストランのテーブルの上に一瞬よみがえっていた。
 そして、そんな風にぼんくらそのもである癖にこれと思い決めた一点だけにはあきれるほどの頑迷さを示すのもまたクラブに集まる人間の常であり、彼も、譲れないその一点においては、アフリカの奥地の金鉱を開拓する商社マンにも劣らぬ情熱で未開の地を切り拓こうとしていた。ただ商社マンと決定的に違うのは、小箱のクラブに集まるような人間のやることには絶望的に金がついて来ないということだけなのだ。もちろん私たちは彼のその情熱的な一面についても語り合った。

 彼は、文筆を志していた。友人の一人が生前彼からもらったという分厚い原稿の束を持って来ていて、私が初めて見るその小説の題は『カシューとナッツ』というものだった。
 ぱらぱらと目を通すとカシューとナッツという二人の主人公が形而上的な課題の周りをぐるぐるダンスしているような、そんな話のようで、哲学科出身でヴィトゲンシュタインを崇拝する私は、こういうことはもう全て後期ヴィトゲンシュタイン思想によって完璧な形で成し遂げられてしまっているから、後から何をやっても無自覚の、色褪せたエピゴーネンになってしまうだけなのに、と言いたくなってしまうのだが、でも、文学は自由区域の楽市楽座なのだ。やりたいことをやる人を止める権利は誰にもない。それにもしかしたらそこからたとえ当初意図したものとはまるで違っていたとしても、新しい地平が開けることだってあるかも知れないではないか。

 一方、彼の棺には村上春樹の『風の歌を聴け』が納められていたことを私は思い出す。私には彼があの小説に出て来る鼠のように思えてならない。鼠もまた小説を書いていた。そして鼠が主人公の「僕」に1年に1度その原稿を送って来るように、彼もまた友人たちに自分の小説を配り続けていた。
 鼠は金持ちの家に生まれ、誰にでもやさしくそしてちょっと頼りなかった。彼もまた金持ちの家に生まれ誰にでもやさしくどこか頼りなく、けれど違っている点は、鼠は全く小説を読まなかったけれど彼は多くの小説を読み、そして、鼠は最後に一つの意志を持って死んで行くが、彼は突然落とし穴に落ちるように死に吸い込まれて行ったということだ。たぶん彼はまだ自分が死んだことを分かっていないのではないだろうか。

          *

 彼と最後にまともに話をしたのは3年くらい前だったと思う。
 季節は夏で、そのときですら私にとってはもう久々に訪れる場所だった青山のクラブで、明け方、店の外に置かれたぱっと見ベッド台のように見える変てこな椅子の上に座って話をした。彼は最近発見したという若い詩人のことを興奮して喋っていた。その人を世に出すためにzineを出すなど、出来ることを何でもしたいと言っていた(のちに彼はそれを本当に実行することになる)。
 また、別の日、それは冬のことで、畳敷きの居酒屋で開かれた仲間同士の忘年会の席で彼と話をした。そのとき、どういう話の流れでそういうことになったのかまるで覚えていないのだけれど、私が、「将来こういうものを書きたいと思っていて、今、こういう資料を読んでるの。いつか書けるといいんだけど」といったようなことを話すと、「書けるよ、絶対」と彼は即答してくれた。
 こういうとき、「そうか、頑張ってね」と答えるのが一般的だと思うし私自身もそうすると思うのだけれど、そのとき彼はそう即答し、そう断定した。それはやはり私にとってとても嬉しいことだったし、彼が何かを断言するのをそれまであまり聞いたことがなかったから、今でも強く印象に残っている。顔を見ると静かに微笑んでいた。

 この二つの記憶のどちらが先でどちらが後の出来事だったのか、今ではもう思い出せない。とにかく私の中にある最後の彼の記憶は、こんな風に、少し熱を帯びている。
 昨日、一緒に食事をした仲間の一人が彼の「いい顔の写真がある」と見せてくれた写真があった。「これがヤツの決め顔なんだよね」とみんなで覗き込んでちょっと笑った、そのいい顔を、最後の二つの記憶の中で彼は私に見せてくれていたのだ。その記憶は一生消えることはないだろう。彼に出会えたことを心から感謝して、心から冥福を、祈る。

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