西端真矢

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「中国人の友だち」 2010/06/24



先週、大雨の降る夜、中国人の友人のTちゃんと食事をした。Tちゃんは上海生まれで、まだ二十四歳?二十五歳?北京の或る大学の日本語学科を卒業して、今は日本で働いている。

Tちゃんと知り合ったのは、2年前の冬だった。共通の知人がいたとか仕事の会合で席が隣りだったとか、そういう“顔の見える”つながりから知り合ったのではなく、実は、ネットを介して友人になった。私はふだん、“顔の見えない”関係が苦手でなるべくウェブ・ベースの交際はしないようにしている方だから、Tちゃんとのそのような出会い方は、例外中の例外だ。彼女と知り合った経緯を振り返ると、人と人との縁の不思議さについて、思いをめぐらさずにはいられない。

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“餃子事件”という事件を、今でも覚えている人は多いと思う。2008年1月、兵庫県と千葉県のスーパーで買った中国産の冷凍餃子を食べた家族が、重度の食中毒を起こした事件だ。
日中双方の警察が調べてみると、餃子には毒性の強い農薬が含まれていて、しかも、日本側の調査によれば、餃子が日本に運び込まれた後、毒性物質を混入させる機会は極めて乏しく、おそらく、どう考えても、中国国内を出る前に混入されたと考えるのが自然だった。
しかし、中国側はこれを真っ向から否定。面子にこだわり、どこまでも自分の非を認めない頑迷なその態度は日本人の感情を逆なでした。連日、中国に対する怒りの報道が続き、中国のイメージは過去最悪に近い状態に陥ったのだった‥。

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昔からの友人はよく知っているが、私は宿命的と言っていいくらいの中国好きだ。中国、香港、台湾に友人も多く、いつも日中関係が上手く行くように願っている。だから、靖国参拝問題、チベット問題、ガス田問題‥日中間で何かが起こる度に、いつも心を痛めて来た。
何しろ私の場合、恋人が中華人という時期も結構あるので(今はいませんけど!)、そういうときは、日中間の問題が自分の恋愛問題に発展する可能性のある、一種の時限爆弾になる。結婚願望はない方だけれど、人生には何が起こるか分からないのだから、私の場合、中華系の人と結婚する可能性だって結構あるだろう。日中間が紛争状態になれば、人生にものすごく大きな影響が出るのだ。切実に切実に、日中友好を願っている。

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そんな私だから、餃子事件が起こったときは、非常に暗い気持ちになった。ちょうどそのとき、大切に思う人はまたしても中華系の人だったから、暗い気持ちはよけい増幅されていた。何しろそのとき、電車に乗って吊革広告を見上げれば餃子事件、テレビを点ければワイドショーで餃子事件(憎々しげに中国混入説を否定する中国警察トップの記者会見)、新聞の一面も餃子事件、インターネット上には中国を罵倒する書き込みがあふれていた。「あーあ」とため息をつくしかない。
そんなとき、ずっと以前から参加していたmixi上の日中友好系コミュニティに、中国人の女の子が日本語で書き込みをしているのを偶然目にした。
その女の子は、北京の大学で日本語を学び、今、東京の大学に留学に来ている大学3年生だと言う。近所のレストランでバイトをしてるのだけど、お客さんはみんな中国の悪口を言うし、テレビを点ければ餃子事件の話題。新聞の一面も餃子事件、インターネットには中国を罵倒する書き込みだらけ。もう私、本当に暗い気持ちになっちゃった。何もかもが嫌になっちゃった。そう書き込まれていた。

その書き込みを読んだとき、心の底の深いどこかから、「何かしなければいけない」という気持ちが湧き上がった。紛糾する餃子事件に対して、微力ながら私が何か運動を起こす‥とかそういうことではなくて、この一人の中国人の女の子に対して、何かしなければいけない、と思ったのだ。

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昔々、中国に興味を持つずっと以前、まだ大学生だった頃から(ちなみにその頃の私はどちらかと言うとヨーロッパかぶれ。イタリア語をまあまあ話すことも出来た)、私はずっと国際交流ということに関心があった。そのときによく耳にしたことがある。
「日本人は、留学する人はそこそこ多く、それなりの体験を持って国に帰って来るけれど、留学生を受け入れる数は圧倒的に少ない」
それから、こんなこともよく言われていた。
「アメリカに留学すると、たいていの人はアメリカを好きになって国に帰る。でも日本に留学すると、かなりの人は日本を嫌いになって国に帰る。特にアジアの留学生は、たいていは日本を大嫌いになって国に帰る」
このことが、いつも私の心に棘のように刺さっていた。

日本人は、島国根性である。これは厳然とした事実だと思う。
何しろ数千年も、たまたま海に囲まれた国だったために、外国との大きな交流や大きな戦争や、そして、ここが一番大事なところだけれど、難しい政治交渉をすることなしに暮らして来ることが出来た。これほどどっとたくさん異国の人と交流するのは、本当に日本の歴史上、初めてのことと言って良いのだ。なかなか一朝一夕に「国際的」になれなくても仕方がない、と思う。
それより残念なのは、明治以降、日本人の中に培われてしまった根深いアジア蔑視の意識だ。最近は大分改善されているとは思うけれど、まだまだ、たとえば同じ言い間違いを白人さんがすれば尻尾を振って「チャーミング☆」と思う人も、背が小さくて黄色い肌のアジア人の留学生が間違えば「ち、ダサイ」と思う。そういう人がいるのは、残念ながらこれも厳然とした事実だと思う。自分も小柄で黄色い肌のアジア人なのにさ!そもそも小柄で黄色い肌で何が悪いんだ!‥と一人私が憤慨しても、差別意識というものも、なかなかそう簡単には消えてなくならない。

もともとの異文化交渉苦手体質とアジア差別意識、この二つを日々浴びせられれば、アジアからの留学生が日本嫌いになっても仕方がないだろう。でも、いつも思うのだが、これほど残念なことがあるだろうか?
例えば私は中国に留学して、楽しいことをいっぱい経験してもっともっと中国を好きになって日本に帰って来た。だから、日中間で何か問題が起これば、「確かにその問題は中国が悪いけれど、その裏にはこういう歴史的事情があってね」「日本から見えるのは共産党政府だけだけど、実は中国人の大多数も、決して共産党に心から賛同している訳じゃない。今のところ仕方がないから共産党体制で行ってるだけなんだよ」と、中国の現状を説明する、無償のスポークスマン役を買って出ることになる。留学生というのは、そういう存在ではないだろうか。留学生は国にとって大切な大切なお客様であり、一旦ファンになってもらえれば、高いお金を払って海外広報などしなくても、自然に日本という国の代弁者になってくれる、頼もしい人材なのだ。

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一つの国と一つの国が経済上の必要性から関係を持つようになれば、必ず利害の衝突が生まれる。100パーセント友好に進む二国間関係なんて、あり得ない。どこにも存在しない。そんなものを夢見ても意味がない。幻想に過ぎない。だからこそ、何かが起こったときに潤滑油が必要だし、その潤滑油の調整によって、妥協点を見出していかなければならない。それが幻想に惑わされない、現実に沿った二国間関係というものではないだろうか。
では、何が潤滑油になるのか?私の考えでは、それは、「相手の国を知っている人材」、これに尽きるのではないかと思う。

個人的な興味から、この数年、国際関係史に関する資料を大量に読み込んでいるが、二国間で政治的問題が発生し、その最も難しい局面に差しかかったとき、結局最後の武器になるのは、武力でも資金力でもないのではないかと感じる。それはただのカードに過ぎないのだ。カードを見せつつ、交渉の、本当の最後の武器になるのは、「相手の中枢部と直接話が出来る人材」「相手の国の話法にのっとって、こちらの事情を説明出来るような、そういう話し方が出来る人材」そういう人材を持っているか否か、そこにかかっているように思うのだ。
たとえば今回の普天間問題のような難しい問題が起こったときに、アメリカに乗り込んで政権の中枢部の人材と、どこかの暖炉のあるクラブハウスででもソファに足を組んで座りながら、何時間も話し合えるような人材。相手の国の言葉を使いこなしつつ、かつ、人間として好感を持たれ、一目置かれるような交際を、既にその国の人たちと何年も築いているような人材。そういう人材を多く持っているかいないかで、国際交渉の成敗は大きく分かれる。これは現代史が教える一つの事実ではないかと思う。

そしてこれは逆もまた然りで、自国から、相手の国に乗り込んで行くだけでは実は十分ではない。相手の国からこちらへと乗り込んでくれる人材を育てておくという発想も、同じくらい重要なのではないかと思う。
そう、それは、日本語を話し、何か二国間問題が起こったときに、その問題に関わる日本国内の重要人物と、例えば美しい日本庭園の見える日本料理屋辺りで何時間でも、腹を割って話が出来る人材。日本を愛し、日本の歴史を理解し、日本の国民性を理解した上で、今起こっている問題の妥協点を探り、本国に説明に帰ってくれる人材。そういう人材を育てているかいないかで、二国間問題の行方が大きく左右された例、これも、歴史の中で多数学ぶことが出来るのだ。
  
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‥だからこそ、2008年、「餃子事件」という笑ってしまうような名前の事件が起こり、ネット上の日中交流コミュニティで一人の中国人留学生が深い嘆きのメッセージ書き込んでいるのを見たとき、私は、「この人に、必ず連絡しなければいけない」と思った。
もちろん、私は、政府の要人でもないし、経済界の大物でもない。将来そんなものになる可能性も、こればかりは全くないだろう。でも、もしかしたらこの女の子は、将来中国政府の、或いは中国経済界のホープになるかも知れないではないか。もちろん、そんなものにならなくたって別にいい。中国の、ただの団地のおばちゃんでも全く構わない(中国にも団地があります!)。この人は、日本に興味を持って、上手な日本語を書いて、日本人の中に入り込んでバイトをしてみたりしている積極的な女の子だ。こういう人をみすみす日本嫌いにして国に帰すほど、馬鹿げた、悲しいことはないじゃないか。何の因果か私は中国を好きになって、かつて中国でたくさん楽しい思い出をもらって日本に帰って来た人間なのだから、ここで一つ、中国に恩返しをしなければいけない。じゃなければ男が、いや、女がすたると言うものではないか。骨の髄まで水滸伝的に義侠心気質の私は腕をまくり、この女の子に連絡を取ることにした。それが、Tちゃんだったのだ。

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Tちゃんとは、その後、吉祥寺で会った。
何しろ吉祥寺と言えば女の子が反射的に「わー!」「かわいい!」と声を上げてしまう女子心くすぐり系雑貨屋さんの宝庫だ。そんな店を何軒か案内して楽しんでもらい、それからカフェでお茶をしてその日は別れた。「日中間の未来や如何に」など、難しい話をした訳ではない。最初に出したメールに、確か、
「日本人にも色々な人がいます。全員が中国を悪く思っている訳ではないから、日本のことを嫌いにならないでください。良かったら、ちょっとお話しませんか」
といったようなことを書いた記憶はあるが、実際に会った後は、難しい話は一切しなかった。お互いを知るための、普通の自己紹介と普通の会話、交わしたのはそれだけだった。

それから、また別の日、中国好き・アジア好きの友だちとの集まりに、Tちゃんを連れて行った。皆で中国映画を観に行ったりホームパーティーを開いたり‥そのうち、私なしでもTちゃんとそれぞれのメンバーが会うようになり、新しい友人関係が生まれたことは、私にとって何よりも嬉しいことだった。これでもうTちゃんも、“日本嫌いの留学生”にはならないに違いない。

やがてTちゃんの留学期間も終り、北京の大学に戻ることになった。向こうでの大学生活はあと1年。皆で開いたお別れの食事会の日、Tちゃんは、「これから就職活動が始まるけど、出来れば日本企業の中国支社か、中国企業の日本関連部門なんかで、日中貿易に関わる仕事をしたい」と言った。これからも日本に関わろうとしてくれてるんだ!またの再会を約束して、皆からの寄せ書きをTちゃんに贈った夜だった。

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それから、半年後。Tちゃんのmixi日記に「日本企業に就職が決まりました」という書き込みが入った。そのわずか1年半ほど前、「もう何もかもが嫌になった」と書かれていたのと同じmixiの上に!
時はちょうどリーマン・ショックの打撃が一番大きいときで、日本人学生でさえ就職が決まらない人が大勢いる中、成長株のネットワーク企業の営業職として、内定が出たのだ。おそらく、将来の中国進出を睨んでの人材の先行投資だろう。「9月からは、会社が用意してくれた寮に住み、東京の都心のオフィスで働きます」‥期待でいっぱいのTちゃんの日記を読んで、深い感慨を覚えずにはいられなかった。

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それから、約10カ月。仕事に慣れて来たというTちゃんから、「久し振りに食事しよう」という連絡をもらった。Tちゃんは吉祥寺に良いイメージを持ってくれているらしく、吉祥寺で会いたいと言う。そして先週、二人で食事をすることになったのだ。

そうして久し振りに会ったTちゃんの、成長ぶりは私の想像以上だった。文系出身だと言うのに、同じく文系の私にはさっぱり分からないネットワーク?ソリューション?セキュリティ?システム?の仕組み?を完全に理解し(しかも日本語で!)、それを日本企業や日本国内の外資系企業に、営業マンとして売っていると言う。更に今はまだお客さんの大部分が英語圏出身のため、英語でセールストークをしているとか。
「Tちゃん、英語出来たんだっけ?」
「あんまり出来なかったけど、毎日使っているうちに今は大丈夫になった」

更によくよく話を聞いてみると、同僚・先輩の日本人ともとても上手くやっているようで、色々話してくれるこぼれ話が面白くて思わず大笑いしてしまう。同期の日本人の女の子の中には仲良しがいるそうで、3時には二人でお茶タイムを取ったりもしているとか。寮の部屋の写真もすごくきれいだったし、何もかも順調な社会人生活のスタートのようだ。あっと言う間に時間が過ぎて、また時々食事をしようねと約束をして吉祥寺駅まで見送った。

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Tちゃんを見ていると、まさに今世界に伸びようとしている、新しい世代の中国人の力を感じる。
中国人本来の積極性と、中国という大競争社会を勝ち抜いて来た底力。基本的能力の高さ。更に、日本語と英語を使いこなし、これからの世界最大市場の言語・中国語を、ネイティブとして使いこなすことが出来る利点。そしてここが一番重要なことだけれど、中国では何がマーケティング的に刺さるのか、肌で理解してもいる。更に、ITビジネスにも強い。これからの世界のトップ・エリートは、間違いなく、彼女のような人材だろう。こういう人材が日本ファンでいてくれることほど、頼もしいことはないではないか。
おそらくこれから彼女は、会社の当初の期待通り、この日本企業の中国進出の斥候隊となって中国市場へと乗り込んで行くのだろう。こういう人材を時間をかけて育てようとする日本企業もなかなか抜け目ないなと感心させられる一方、はたと考えたりもする。そうやって、いつか彼女が中国へ“出て行く”とき、彼女は一体、日本企業のために働いているのだろうか?母国・中国のために働いているのだろうか?と。
おそらくそれは彼女自身にもよく分らないことなのだろう。彼女は自分自身のために働き、そしてその彼女自身は、中国にも塗られているし、日本にも塗られている。これからのアジア世界は、そのようにして成立していくのだろう。

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ほんの数年前、傷ついた弱々しい留学生だった彼女に、今は教えられることが大変多い。いつも私はこのようにして中国とは好運(ハオユン)=ラッキーが続くのだが、それはきっと私の記憶にはよみがえらない、あの広大な大地の国の人たちとの何十世代も前からに亘る因縁からやって来るのだと考えるのは、夢見がち過ぎるだろうか。今夜は秘蔵の茉莉花茶でも飲んでみようか。