西端真矢

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「お着物の記 一」 2010/04/20



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最近、茶道に関係する写真を撮ってほしいというオファーを頂き、中身を知らずに撮ることは出来ないから、思い切って茶道を習うことにした。

実は、お茶については、私はずっと敬遠して生きて来た。
母が日本美術史の研究者だったことから、子どもの頃から日本美術好きだった私は、大学3年から始めて、7年間、華道(真生流)の教室に通って師範免状を取得した。日本人のたしなみとして、本来、花を習ったならお茶も学ぶべきだとは分かっていたのだけれど、基本花型さえ身につければ後は自由に創作の意志を発揮出来る花とは違い、お茶は何から何までが決まり事の世界。私の性格には合わないだろう、と、近寄らないことに決めていたのだ。

‥‥それから10年以上。今回仕事で茶道に関わることになったのも何かの縁なのだと思う。そう、まさに「一期一会」。縁は大切にしなければいけないだろう。‥‥とは言うものの、今のところ「看板を取れるまで頑張ろう」とか、「自分が亭主になってお茶会を開けるまで精進しよう」といった野望は全くなく、あくまで「お茶席に招かれたときに、招いて下さった方の面子をつぶさないくらいには茶道の基本を身につけよう」というところが目標地点だ。
教室も、友人のピンポンダッシャーちゃんhttp://twitter.com/pingpongdasherの紹介で、月に一度、非常にゆるやかなルールで(たとえば、着物ではなく洋服で参加してもOK)、でも基本はしっかりと学べる先生の所へ通えることになった。ふだんの生活では会わない方とも友だちになれるし、お教室のベテランの方の所作を見れば、ため息が出るほどに美しい。何から何まで楽しいことばかりの素晴らしい趣味が一つ増えることになった。

そして思うのだが、たとえばダンスや演技など、特別な才能を持った‘選ばれた人’が所作の美しさを披露する身体芸術は世界の至る所にあるが、殿様から庶民まで、「この世の中のありとあらゆる人間が、日常の動作を通じて美の意志を表明出来る」と考えた、桃山時代の日本人の独創性は素晴らしいと思う。日本人なら、やはり本当は茶道を学ばなければいけないのだ。

       *

さて、上にも書いたように、私の教室は洋服で通うことも可能ではあるのだけれど、習い始めてみると、茶道の所作は着物を基本に作られているため、やはりどうせなら着物で稽古を受けた方が良いと思うようになった。
幸い我が家は母に着付けの心得があるため、ちゃちゃっと着物を着せてもらうことが出来る。また、実は、母の母、つまり私の祖母が、紅型(びんがた)という染織の師匠だったため、うちには着物が山のようにあるのだ。
もともと祖母は、子育て終了後に単に‘主婦の趣味’として紅型を習い始めたらしいのだが、なかなか才能があったのか、そのうちどんどんのめり込んでしまい、最後にはお弟子さんを取るほどの腕前になった。そのため、我が家の着物の量は着切れないほどに大量だ。何しろ、まだしつけ糸がついたまま、一度も着ていない着物や、そもそも着物や帯に仕立てていない反物さえあるほどなのだ。祖母が一つ一つ手で染めた紅型がもちろん一番多いが、もともと着物道楽の家なので、友禅など様々な種類の着物が大量に箪笥に眠っている。これを死蔵するのは、先祖に対して、また、日本文化に対して、一種の忘恩行為ではないかとしみじみ思うようになった。

そこで心を決めた。やり始めるととことんやるタイプの私は、今年から一気に長年心の中に引っ掛かり続けて来た「和文化」にがっちり落とし前をつけることにしたのだ。
そう、お茶を習うと同時に、6月からは、着付けの教室にも通う。自分で着物を着られるようになって、日常的にどんどん着物を着るようにしたいと思うのだ(そのうち遊び場にも着物で行くかも知れないので友人の皆様よろしく!)。
また、先にも書いたように、私の母は日本美術史の研究者だから(専門は琳派)、もちろん子どもの頃からそれなりの薫陶を受けさせてはもらって来たが、これからはより体系的に、もっと主体的に質問を投げかけ、母の持っている日本美術の知識を、全部とは行かないまでも出来得る限り高いレベルで受け継げるようになりたいと思う。
そう、今はまだ、私に着付けをしてくれるほどに元気な母だが、和歌や物語の中で繰り返し繰り返し歌われて来たように、人の命は必ず衰え、必ず散りゆくもの。今を慈しまなければいけないと心から思うのだ。

      *

‥‥と大和文学調はさておき、私のDNAの中にはどうやらやはり着物遺伝子が非常に強く埋め込まれていたようで、一旦着物を着ようと決め、箪笥の引き出しを開けたり閉めたりし始めたら、着物のことを考えるのが楽しくて楽しくてたまらなくなって来た。
そこで、私の日記の読者には若い女の子も多いことだし、これからは、着物を着たら、その後でコーディネートを紹介する日記を載せようと思う。
明治以来、ヨーロッパ・アメリカ文化をいじらしいくらいに猿真似して来た日本人だが、ここへ来て、ようやく、別に欧米様がそんなにお偉い訳でもなく、美の基準も、アジアにはアジア特有の美的感覚があり、その中で日本固有の美的感覚が綿々と育まれ、それを慈しみ新たに発展させることが一番自然な道行きであること、また、それが一番自尊心ある態度だ、という意識が芽生え始めているように思う。(もちろんいまだに欧米方向しか見ていない悲しい人も大勢いますが‥)

つまり何が言いたいかと言うと、お洋服のコーディネートを考えることももちろん楽しいが、お着物のコーディネートだってこんなに楽しい、ワクワクすることなんだよ!別にちっとも難しい勉強なんかじゃないんだよ!ということを、私の日記から女の子たちに感じ取って頂けたら嬉しいのだ。
そして男性読者の方にも、「ふんふん、自分の彼女が、或いは自分の憧れのあの人が、たとえばこんな色の着物を着たらどんななんだろう?」などと、‘着物姿の日本女子’をイメージしてもらえたら素敵だと思う。もちろん、「俺も着物着てみようかな」と、和服を着始めたらもっと素敵。
思うのだが、日本男子は、100パーセント、全員、着物が似合うと思う。スーツが似合わない日本男性もいるし、カジュアルスタイルが似合わない日本男性もとても多いが、でも、和服が似合わない日本男性は存在しない。ここだけの話、女子から見て、男前も三枚くらいは上がると思う。日本男性の皆さん、是非もっともっと和服を着て、世界の女子の目を楽しませて下さい!
        
        *

「そんなこと言ったって、うちにはたまたま運のいいあなたみたいに、着物なんて全然ないんだよ!」
とおっしゃる方もいらっしゃるだろうか?でもちょっと街を見渡してほしい。今は街中に、たくさん、古着の着物を売る店が出来ている。値段もとても安い(少しくらい汚れてたっていいじゃない!)。
着付けの学校に通う金銭的余裕がなくたって、はたまた、お母さん・お父さんが着付が出来なくたって、親戚のおばさんや、友人のお母さん、或いはおじいちゃん・おばあちゃんの中に、着付けが出来る人はいませんか?必ずどこかに一人はいるはずです。ツイッターでもmixiでもこんなときこそネットの利器をどんどん使って友人を募り、そんな身近な着付けの出来る方のお家で・安くして頂いたお月謝で・何ヶ月か通えば、誰でも着付けは出来るようになります。何て言ったって、昔は日本人全員が着物を着ていたのだから!

女子も男子ももっと普通に着物を着るようになったら、毎日はより自分たちのルーツに近づき、歩き方や所作、立ち方を通じて、ごく自然に、自分たちの歴史に思いや感覚を寄せるようになる。それはつまり、より豊饒な精神世界を持つことだと思うのだ。着物生活のすすめ、である。

       *

‥と言う訳で、お着物日記の第1回目は、先週末のお茶のお稽古に着て行ったコーディネートをご紹介。
もう一度、冒頭の写真と同じ写真をご覧ください。

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*紬(つむぎ)という織り方の着物に、同じ紬の無地の帯。

*梅の柄の小紋 (小紋=着物全体に同じ模様を散らす柄のこと)

*これは、我が祖母が紅型(びんがた)で染めた着物。紅型は友禅と同時代に琉球で発展した染織方法で、模様も日本本土とは趣が異なることが多い。ただ、この梅の柄は、和風と言うか江戸風。見たところ、琉球色はほとんどしないと思う。おそらく祖母の師匠から頂いた模様だと思われる。(祖母は染め専門で、模様を自分でデザインすることはほとんどなかった)

*私の祖母は(手前味噌ながら)色の感覚が非常に良く、今の私たちの世代から見ても、斬新だったり若々しかったりする反物を数多く染めている。今回の柄の色合わせもとても目に楽しいのではないだろうか。

*帯締めは、白地に薄いエメラルドグリーンの縞が入っているもの。写真に写っていないもう一方の房は、この薄エメラルドグリーン色で染められている。

お着物日記、今後も楽しみにして頂けたら嬉しいです!