西端真矢

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「連休雑感と習うより慣れろ」 2010/05/14



ゴールデンウィークも終り、日常生活が戻って来た感があるこの頃。
私のゴールデンウィークは、結構仕事をして過ごしていた。ライター仕事の取材があったり(夜勤明けの看護師さんに‥)、暗室作業をしたり、急ぎの原稿を書いたり。そしてその合い間には色々考え事。ふう。
もちろんちょこちょこ遊びにも出かけていた。お食事会や、まったりメロウグルーヴィングなDJを聞きながらの夕飯会や、3日のExTのイベントでは、物販のお手伝いもしたり(こういうの大好き!音源買ってくれる二十代の若い音楽ファンとお喋りしたりして、楽しかった~)。
そして、このExTイベントでは、物販担当の時間以外にいくつかのライブを聴くことが出来て、とても感動させられるものがあった。
と言うのも、思い返せば6、7年前、まだ私が会社勤めをしつつ週2ペースでクラブに通い写真を撮っていた頃は、私の撮影対象はDJばかりで、ライブをやる人はほとんどいなかったからだ。もちろん皆その頃から家で音源を作っていたとは思うのだけど、人前で発表する段階には至っていなかったのだ。
それが、今では、次から次へと昔からの知った顔がステージに上がり、最高度に切れ味のよいエレクトロニック・ミュージックのライブをする。100%、自分たち自身で作り出した曲だ。そしてそれに若いお客さんたちがストレートに反応している。ライブをする側にも、ドリアンくんのように若い新しい世代が生まれつつある。ぐっと胸に迫るものがあった。

もちろん、私は、音源を作る人が偉くて、DJはその次だなどと言いたい訳ではない。それは二つの独立したアート活動だ。でも、例えば、文体も構成も素晴らしい卓越した文芸批評家がいたとして、彼らが批評している小説が全てヨーロッパ・アメリカの文学だったら、それはとても悲しいことではないだろうか?やはり、同じ国の中に素晴らしい作家も、素晴らしい文芸批評家もいることが一番正しいし、楽しい姿だと思う。5日の日に、だから私は一人感動していたのだった。

        *

そんな連休の終り頃、仕事の資料を買いに本屋さんへ行って、平積みのコーナーにモデルのジェシカの本が置かれているのを見つけた。
モデル事情に詳しくない方のためにちょこっとご紹介すると、ジェシカとは、女性ファッション誌のモデルとして人気が出て、今ではテレビCM出演やファッションブランドのアドバイザー、数々のトークショー出演までをこなす日本のスーパーモデル・道端ジェシカのことだ。西洋人とのハーフで、顔はかなり洋モノ系。FIレーサーのジェンソン・バトンを恋人に持つ‥
‥そんなジェシカが、自分の美の秘密や凛とした生き方の心得を語った本、ということで、売れ行きもなかなか好調のようだ。

その日、本屋さんで、私はしばらく本棚の前に立ち止まってしみじみとそのジェシカの本を眺めた。特にジェシカのファンという訳ではないのだけれど(あ、でも、とても努力家で好感持てる人だなーとは思う)、そのとき、「ジェシカ、すごく出世したな‥」と感慨深かったのだ。
と言うのも、実は私は、ジェシカがまだ「その他大勢のモデルの一人」だった頃から、ずっと彼女に注目し続けていた。「この子はきっと伸びる」という、理由の分からない予感が強くしたのだ。そのことについてこの後書いてみようと思う。

        *

そもそも、当時私が何故ジェシカに早くから注目していたかと言うと、そこには已むに已まれぬ個人的な事情があった。
当時(上に書いた、週2ペースでクラブに通って写真を撮りまくっていた頃)、私は広告代理店のプロデュース部門で働いていて、若い女の子をターゲットにした或るメガ商品のCM制作を担当していた。
日本の広告では、いわゆる“タレント広告”=有名人を起用する広告が他国に比べて非常に大きな割合を占めているけれど、私が担当していた商品にも、長年或る有名女優が出演していて、かなりの成功を収めていた。しかし、その女優も当然のことながらOLの年代からミセス、或いはママと呼ばれる年代に入り始め、商品の若いブランドイメージを維持するためには、そろそろタレントの首をすげ替えなければいけない時期が来ていたのだった。

そこで、私たち代理店社員には、今の女優でCMを作りつつ、裏では“次の顔”を探せ!というミッションが下された。そのとき、内心私は「困ったなあ」と思ったのだった。と言うのも、実は私は日本の連続ドラマがどうしても面白いと思えず、ほとんど見たことがない。更にもっと苦手なのがお笑いやバラエティ番組で、100%、全く見たことがない。映画は観るけれど、単館で上映されるような地味なアート系映画ばかり‥そんな生活だから、旬のタレントが誰かということが全く分からなかったのだ。
「どうしよう、女性向け人気商品の“次の顔”を探せるような当てが、全然ない‥」

更にもう一つ困ったことがあった。それは、タレントの好みについて、私が徹底的にマイナー志向だったということだ。
何しろ、小学生のときに一番最初に好きになったアイドルが、私の場合、ひかる一平だった。この人、一応ジャニーズ事務所所属だったのだけど、芽が出ずにすぐ脇役タレントへ‥。
その後に好きになったのは、一世を風靡したたのきんトリオのトシちゃん!でもなく、マッチ!でもなく、よっちゃん‥。
クラスの女子がトシちゃん派とマッチ派に二分され、「どちらがよりいけてるか?」と議論が巻き起こっていたその渦の中で、たった一人孤高を守り、よっちゃんがワニブックスから出したエッセイ本を買っていた私‥。皆から笑われまくっていた。

女性タレントも、松田聖子と河合奈保子が人気を博していた時代に、河合奈保子の方を応援‥やがて消えてゆく河合奈保子‥。その後は少女隊と伊藤つかさがかなり好きだったけど、どちらも一発屋で消えてしまった‥。
いつも一緒にテレビにかじりついて『ザ・ベストテン』を見ていた弟には、「中森明菜はすぐ消えるよ」「工藤静香は長くない」と予言したのに全く当たらなかったし、その後、大学生になったときに訪れたスーパーモデル・ブーム時にも、グッチによく出ていたイタリア人モデルが好きで、彼女が出そうなショーは『ファッション通信』を録画してまで追いかけていたのに、全く芽が出ず‥後になってクラウディア・シファーやクリスティ・ターリントンのカリスマ性に気づいたのだった‥(こんな安っぽいモデル、ダメでしょ、とバカにしていたのに)
‥要するに、私には、“これから売れる人”を見抜く目が全くないのだ。「それなのにメガブランドの次の顔を探せなんて」‥どうしようと途方に暮れてしまっていた。

        *

しかし、とにかく仕事である。お金を頂いているのだから、何としてでも良い提案を行わなければならない。
まず、キャスティング事務所のディレクターに会社に来てもらって、20代の、「競合他社と契約していない」女性タレント一覧を出してもらった。その中から更にキャスティングディレクターが「有望そう」と思うタレントの、ビデオ資料や写真資料をかき集めてもらう。そして毎日、それらをひたすら、見る。しかし、わ、分からない‥どの子もみんなかわいいし、どの子の演技力も同じくらい‥この中から、後になって伸びる子を探すなんて‥
それでも何人か、キャスティングディレクターが強く推すタレントさんには会社に来て頂き、面談のような・オーディションのようなことを行った。その中には、今は大きな女優さんになっている方も何人かいたけれど、そのときの私には、正直言って誰が一番伸びるのか、全く判断がつかないのだった。

一方、タレント・女優系の人材を探すと同時に、私たちがもう一つ進めている線があった。それは、ひたすらファッション誌やコスメ誌(VOCEなど)を見まくり、次に来るモデルを探すことだった。
えびちゃんこと海老原友里が一番分かりやすい例だと思うけど、今は、雑誌モデルから女の子の人気を一身に集めるスターが生まれて来ることが多い。“次の顔”を探すために、ファッション誌のチェックも欠かせなかった。
そして、来る日も来る日もOggi、sweet、JJ、Cancam、JILL、non-no、MORE、VOCE、美的などのページをめくり、これは?と思う子にはやはり会社に来て頂いてお話をする。或いはちょっとしたカメラテストをしたりもする。どの子もかわいいし、どの子も礼儀正しくていい子。でも、誰がスターになるかって言われると‥?全く見当がつかなかった。

      *

そんな日々を送りながら、何回かクライアントに「タレント提案」のミーティングを行った。
もちろん、タレントの提案は私一人でやる訳ではなく、クリエーティブディレクター、CMプランナー、ADと何回も話し合い、オーディションにも常に参加してもらって、チーム全体として提案する人を決める。
クライアントにプレゼンする前の事前ミーティングで、いつも「マヤちゃんはどう思う?」「誰が一番いいと思う?」と営業やクリエーティブディレクターに訊かれた。そして全く自信がないまま、「○×花子さんですかねえ」などと答えるしかない私だった。他のチームメンバーは次々と意見を出し、やがてそんな話し合いの中から、社として誰を推すかが決まるのだ。

‥しかし、私たちが提案したタレントやモデルは、なかなかクライアントの気に入らなかった。当時、めぼしいタレントは皆競合他社のCMに出演していたり、まだ出演はしていなくても裏でひそかに青田買い契約が結ばれていたりした。少し名前が知られている人の中から“次の顔”を選ぼうとすると、どうしても二番手・三番手クラスの人しか空いていない。クライアントが現在契約を結んでいる女優さんはかなり大きなクラスの人だったから格落ち感が否めず、「うーん」と二の足を踏まれてしまうのだった。かと言って、まだやっと人気が出て来たばかりの新顔で博打を打つのも怖い。それがクライアントの本音だった。
かくして、最初に「次のタレントを」の指示が出たときから延々2年。いつまでも“次の顔”は決まらなかった。その間、私は、来る日も来る日もタレント資料やモデル資料を見まくることになった。もちろん、ただぼんやりと見ていた訳ではない。何しろお金がかかっているのだから真剣勝負だ。築地魚市場で上物のネタを探す鮨屋さんのごとく、私は女子タレントや女子モデルに(分かりもしないのに)ひたすら目を光らせていたのだった。

‥すると、不思議なことが起こった。ある頃から急に、私の中に女性タレントを見る「目」が出来て来たのだ。何がその「目の」基準になっているのかは、自分でも分からなかった。でも、2年を過ぎる頃から雑誌のページをめくっていると、ふと「この子、光ってる」「このモデル、伸びるんじゃない?」と手が止まるようになった。何と言うか、ページの中で、その子だけが少し前に飛び出して見えるような、そんなかんじがするようになったのだ。
タレント事務所から送られて来る資料を見ているときもそうだった。ふと手が止まる。どの資料にも、カメラのレンズをしっかりと見つめている、売り出し中の女性タレントの写真が大量に添付されている。その中で、伸びそうな子の写真は、何かすぐ動き出しそうな、こちらに向かって何かを訴えかけているような、そんなかんじがただよっているのだ。「この子、大きくなりそう‥」気がつくと、そう呟くことが出来る自分がいた。

その頃から、それまでは業務上仕方なくやっていたこの仕事が、だんだんと面白くなり始めていた。チーム内で開くミーティングに参加するときにも、クライアントが好みそうなド真ん中タイプの子と、それとは全然違うけれど、この子ならこういう広告展開の仕方が出来ますよ、と説明出来るようなタイプの子を、何人か提案出来るようになっていた。チームのクリエーティブディレクターからも、「うん、面白い視点だね。クライアントに出す案にマヤちゃんの案を入れておこう」という言葉がかかる。今でも、初めてディレクターにそう言われたときのじわっと嬉しかった気持ちは忘れることが出来ない。
また、代理店の社員は、通常一つのクライアントしか担当しないということはあり得ず、私も、女性向け商品とは全く違う、食品系のクライアントのCMも担当していた。そしてそちらのキャンペーンで若い女性モデルを起用するという話が出たときも、「じゃあ、この人はどうでしょうか?」と、自分からどんどんプレゼンが出来るようになっていた。クリエーティブスタッフも頼りにしてくれて、「じゃあ、モデル案出しは全部任せるよ」と言ってくれる。これも私にはとても嬉しい出来事だった。
「いつの間にか私、あんなに苦手だった仕事が結構出来るようになっているじゃない???」
しかも、一番重要なことは、自分が「いいな」と感じたタレントやモデルが、その後少しすると確実に人気が上がるようになったことだ。
たとえば、女性モデルがたくさん出ている雑誌の中で、私が注目していた子が、数ヵ月後、「エリナの休日ファッション」といった題をつけて、ピンで数ページを任されている。読者からの反響も良いのだろうし、編集部の人も良いと思うからフィーチャーされるのだろう。
そう、以前はどの子が伸びるのか全く分からなかった私だったのに、いつの間にか、自分の中にそれを見抜くプロの目が育っていたのだ。そしてその「伸びる」と思ったモデルの中に、冒頭に書いたジェシカもいたという訳だった。

        *

‥長々と書いたこの経験から私が得た教訓はこうだ。
日本には、昔から「好きこそものの上手なれ」という諺がある。確かにその通りだとも思う。でも、好きではなくても、それどころかかなり不得意なことでも、毎日こつこつと作業を積み重ねていけば、どうやら或る程度の所までは行けるようだし、その面白さも分かるのではないか。それが私がそのときの実体験で得た教訓だ。

そう言えば、ピアノでもバレエでもお能でも書道でも、およそ芸事と名のつくものは何でも、とにかく繰り返し基本の型を練習させる。特に日本のお稽古事は、「最初から独創性など発揮出来ると思うな。まずは昔から伝えられて来た基本の型を、徹底的に身体にしみこませるべし」という考え方だと思う。
また、昔、中国に留学していたとき、同じ寮内にカンフー黒帯(とは言わないのかな?)の香港人男子学生がいて、その子に「お願い。カンフー教えて!師匠、お願いします!」と頼み込んで週1回レッスンを(むりやり)つけてもらったときも、結局ひたすら両手を交互に前に出すことしか教えてもらえなかった。
彼曰く、「3年間これをやり続ければ、基本は出来たことになる‥」、と。えーん、私はもっとかっこいい、くるっと腰を回転させながらその隙に腕をシュッと前に伸ばして相手を倒しちゃうような技が、(形だけでも)出来るようになりたいんだよーと思ったけれど、芸事でもスポーツでも、ひたすらバカになって基本の型や動作を繰り返さなければいけないことに何ら変わりはないのだろう。

もちろん、或る程度精進を積んでその基本を身につけた後には、また違った道のりがあるはずだ。そこから本物の第一人者になるためには、独創性が、自分の頭で考えることが、或いは生まれついての才能というものが求められる。これらのことはもしかしたら、いくら真面目に練習を積んでも身につけられるものではないのかも知れない。
それでも、私が卑近な例で書いた通り、全く得意ではないことでも、全く好きではないことでも、訓練を積んでいけば、或る程度の所までは行けるし、面白さもそれなりに分かって来るものなのだ。そしてそれがいつか別のことの飯のタネになったりもするだと思う。
だから、今、目の前の仕事や義務に気が進まず、悩んだり投げやりになっている人がいたら、とりあえず頭を真っ白にして、バカになって、自意識を捨てて、今やらなければいけないことを徹底的に、黙々と、丁寧にこなしていってほしいと思う。実は私が今日この日記を書こうと思ったのには理由があって、このところ、
「どうしても自分がやっている仕事に生きがいが感じられず、嫌々ふてくされながらやっているけれど、体中に発疹が出てもうどうしようもないんです。限界」
とか、
「夢見ていたことと現実に今目の前にある仕事とのギャップが激し過ぎて、ノイローゼに。現在休職中」
とか、そんな相談を受けたり、心の病気になって引きこもっている若い知人の噂を聞くことがとても多いのだ。

或る友人の説によれば、日本にこんなにもすぐポキッと折れてしまう弱々しい若者が増えたのは、SMAPのあの「世界に一つだけの花」の歌が原因なのだそうだ。「君だけの」「一つだけの花」が、誰にでももともと備わっていると思い込んで、自分探し・自分探しとわめき散らすんじゃねー!‥とその友人は息巻いていたけれど、確かにその説には一理あると思う。
二十代半ばそこそこの、自分では広いと思い込んでいるかも知れないけれど狭い狭い世界の中で、小さな人間関係の中だけで生きて来た人間に、本当の自分なんて、実際はまだない。ちょうど私がいくらたくさんの資料を見ても、どのタレントが伸びるかが分からなかったとき、タレントの可能性を見る「目」が育っていなかったのと同じように。自分探しをしている若い人は、目がないのに自分の目を探している、そんな存在なのではないだろうか?ないものを探したって見つかる訳がない。目は、バカバカしいくらいに単純な、基本的な型を、丁寧に、自分を無にして、繰り返し繰り返し行うことを通じてゆっくりと生まれ来るものなのだ。そしてそのとき、目は、探さなくてもそこにある。

だから、この日記を読んで下さっている若い方々、その中で、「今、つまずいてしまっている‥」と思い悩んでいる方には、まず、「上手く出来ない」とか「輝けない」とか「唯一無二の存在になれない」という自意識を捨ててほしいと思う。代わりに、「自分はまだ入門したてのウブな初心者なんだから、出来る訳ないじゃない」、という意識を持ってほしい。
そして、出来るようになるために、目の前にある仕事、それでお金を頂けている仕事を、バカバカしいくらいに真面目に、基本通りにしっかりとこなしていってほしいと思う。もちろん、1日や1カ月のことではなく、年単位でそれに精進してほしい。その後でやっと、目、らしきもの、自分らしきものが生まれて来る。悩むのはそこからであって、今はまだ悩む時期を履き違えているだけなのだということを理解してほしい。

     *

「ちょっと待って、悩むのはそこからって、自分が出来た後にまだ一体何を悩むと言うんですか?」と言われてしまうだろうか?でもそうなのだ。実は、自分を得たその先に続いている道は、意外にも、もっと険しい。或いは、とても温かい。
どういうことかと言うと、或る程度自分が出来てくれば、自ずから分かって来ることがある。それは一言で言えば、自分の分(ぶ)ということだ。
自分は本当に、この芸事の世界で唯一無二の、名人と言われるような存在になれる人間なのだろうか?自分にはその器があるのだろうか?或いは、自分はそもそも本当に唯一無二の存在になりたいのか?(そのような存在になるためにはこれまでの比ではない厳しい挑戦が待っている。しかもそれは一生死ぬまで続いていく。自分はそれに耐えられる人間なのか?)
それとも、そこそこの存在で良いから、或る程度面白さも分かって来たこの世界の中で、それなりに役目を果たしつつ、心安らかに人生を送って行くべきなのか?
或いは、何年か頑張ってそれなりにこちらの世界の面白さも分かって来たけれど、でも、やっぱり、ここではなくあちらが自分の世界だと、本当に、心の底から思うのか?そしてあちらの世界でまた一から、丁稚奉公をやれる覚悟があるのか?
そういう風に考えられるようになることが、本当に自分が出来て来たということではないだろうか。自分は、探すものではない。もともとどこかに今は目に見えないけれど確実に存在しているものでもない。自分とは、自ら作り、育てていくものなのだと私は思っている。

習うより慣れろ、或いは、見る前に飛べ、と言う。“自分”や“本当にやりたいこと”や“本当に自分に合うこと”‥そんなものはいくら探しても探しているだけでは見つからない。だから、まずは適当に妥協した方がいい、と、今悩んでいる人にはお伝えしたいと思う。生きて行くためのお金を頂ける場所で、お金を頂ける仕事を、5年から8年くらい、丁寧に、自意識を捨てて、バカになって真剣にやってほしい。「え?そんなに長く」と思うかも知れないけれど、人生はそんなに甘くない。そのくらいやって初めて、やっと自分は出来て来るものだという、厳しい認識を持ってほしい。全ては、習うより慣れろ、である。

       *

‥と、ジェシカの話から始まって今日の日記はかなり偉そうなことを書いてしまいましたが、この数年、あまりにも同じような悩み相談を若い方々から受けるので、まとめてどん!と回答してみました。
いつものこの日記を読んで下さっている方々の中の、今、つまずき中の皆さん、そして、たまたま何かの検索で引っ掛かってここのページに来て下さった方々の中の、今つまずき中の皆さん、あなたたちの全てに今日の日記を捧げます。