西端真矢

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「梅雨の箇条書き日記」 2010/07/14



今週は仕事が忙しくて長い文章が書けそうにないので、断片的に、日常の様々を書き留めてみた日記を。短い文章を書くのだって実は嫌いじゃないのです。

7月某日
図書館へ行く。去年の秋から準備を始めて、今年の秋に出す予定の本の下準備がいよいよ大詰めを迎えている。この、最後の下調べが終わったら、ついに本番の原稿を書き始めるのだ。
毎日図書館へ通って、書庫から古い紙の匂いのする本を、10冊、20冊単位で出して来てもらう。手では到底運べないから、ワゴンに乗せて机まで運ぶ。小さな活字の海の中から、探している、或る人の名前を見つけ出してその周りの文章を読み、必要なら付箋を貼って、後でコピーを取る。毎日毎日、同じことを延々と繰り返している。

7月某日
雨が降っている。耳の後ろが突然腫れ始める。最初、蚊にでも刺されたのかと思っていたけれど、どうもそうではないらしい。3週間ほど前から続いている「梅雨アレルギー」とでも言うべき体調不良が原因のようだ。
右耳の後ろだけが腫れていたのに、だんだんと左耳も腫れて来て、耳全体がほんのりと赤くなり始める。何かに照れて、ずっと照れっぱなしでいるみたいだ。嫌になってしまう。

7月某日
着付け教室へ行く。いよいよ名古屋帯の結び方が始まり、とても難しい。難しい上に若手の先生と一対一で習っているその横から、老先生が突然入って来て、わーわーわーと何か注意を垂れて奥へ去って行く‥という気まぐれを度々起こすので迷惑この上ない。しかし老先生はその教室の主宰者だから、誰も逆らうことが出来ない。困ったものである。老先生がわーわー言い始めるとそれまで何とか頭に詰め込んでいた手順がぐちゃぐちゃになってしまうのに!

7月某日
また雨が降っている。三島由紀夫の『春の雪』を、十年振りに読み始めた。物語の底にひたひたと流れている難解な東洋思想の話はとりあえず置いておいて、『春の雪』は恋愛小説として、素直に読むことが出来る名作だと思う。
互いに心から惹かれ合っているのに、意味のない駆け引きや反発ばかりを繰り返してしまう清顕と聡子。やがて絶対的な別離(聡子の宮家との婚約)が訪れた後に、初めてしっかりと結びつくことが出来る。悲劇的な恋が格調高い文章でつづられていて、読んでいると胸が張り裂けてしまいそうになる。
哲学科出身で、どうでもいい小難しいことばかり考えちな私だけれど、恋に限っては、単純で、分かりやすい恋が好きだ。駆け引きなどとても苦手な方だし、自分がするのも相手にされるのもすぐにげんなりとしてしまう。それでも、同じ三島の『潮騒』を読んだときには、素朴で力強い純愛に飽き飽きしてやっとやっと頁をめくっていた。小説に限っては、ややこしい恋愛の方が好きだ。

7月某日
夕食を食べた後、突然右目がかゆくなり始める。手鏡を目に近づけてじっくりと調べてみると、細い糸屑のようなものが白眼の中に浮かんでいる。目薬を差して、その屑を外に出すけれど、どうもそれがきっかけになってしまったようでかゆみは全く治まらない。そのうち、全く関係なかったはずの左目までかゆくなって来る。
結局、一晩中、かゆみが止まらない。それでも急ぎの原稿があるのでPCに向かい続けなければならない。「そうか、これも梅雨アレルギーの一つなんだ」と、途中で何かの啓示のように思いつく。何とかだましだまし原稿を書き終えて、アイスノンで目を冷やしながら眠る。翌朝、目が覚めると、かゆみなど嘘のようにどこかへ消えてしまっていた。

7月某日
友だちに招かれて或る食事会へ。わりと久し振りに、国際的な、大きなビジネスをしている方々のお話を聞く。今や私とは関係のない話だけれど、聞かせて頂くのはとても面白い。そして実感することは、アジア金融の中心は完全にシンガポールと香港へ移り、東京の地位は――残念ながら――低下する一方だということ。最近ビジネス関係者に会うと必ず同じ話になる。
まあ、これまでの日本がラッキーだっただけのことで(中国が共産主義でいてくれたので)、これからは良き二番手、三番手としての生き方を模索する時代になるのだろう。それが一番日本人の身の丈に合っていると思う。

7月某日
夜から両腿にぽつぽつと小さな湿疹が現れ始める。やがて時間が経つにつれて、少しずつ、それぞれの湿疹が隣り合わせのもの同士で固まっていくのが分かる。1時間ほど経つと湿疹たちはそれぞれそれなりの大きさを持ち、その状態で、腿全体を、ぶどうのようにびっしりと覆いつくしている。もうここまで来ると「壮観」としか言いようがない。どうせまた「梅雨アレルギー」のせいだと思い、どっしりと構えて慌てないが、それにしても自分の体がここまで気持ち悪くなることもそうないだろうから、記念に携帯写真でも撮っておこうかとな思う。でも、何かの間違いでそれをメール添付で送ってしまったりしたら大変なので、じっと我慢。
朝になったら、案の定、湿疹は跡かたもなく消えていた。

7月某日
夕方から着物で外出。某アート活動のお披露目会に参加するため(この活動についての詳細は、来週の日記で)。私はスピーチを頼まれていたので、内心とても緊張。「まやさん、スピーチとか得意でしょ」とよく言われるけれど、いえいえ、とんでもない。実は人前に出るのがすごく苦手なのだ。子どもの頃は学芸会が苦痛で苦痛でたまらなかった。だから逆に、準備は入念にする。ぶっつけ本番で話すなんてとてもじゃないけれど出来ない!
前日まで、ウォーキングのときに、必死で話す内容をまとめていた。ぶつぶつとつぶやきながら道を歩き続け、人が来ると一瞬押し黙る。おかげで本番は、まあまあ上手く話せたような気がする。
残念だったのは、当日、自分ではすごく似合うつもりの一押しの夏の着物で行ったのだけれど、だんだんと、別の着物の方が良かったような気がして来てしまった。髪ももっときれいに出来たハズ!と悔しくなったりして。もっともっときれいにしていたかった‥。

7月某日
国会図書館へ調べ物に行く。資料が出て来るのを待つ間、広い広い館内をぶらぶらと歩いてみる。とてつもなく太い柱。日本政府がここには全く出し惜しみをせず、最高度に堅牢な建物を作っていることがよく分かる。こういう税金の使い方なら悪くない。
今年の春、仕事の取材で、某金融機関のATMシステムの心臓部が置かれているビルに行ったときにも、同じような印象を建物に受けた。とてつもなく分厚い壁、とてつもなく太い柱。たとえ核爆弾が落ちてもびくともしないようなビル。世の中にはそういう種類の建物があるのだ。

7月某日
また雨が降っている。おへその横にぽつぽつと小さな湿疹が出始めて、また何か異常事態が起こるのではないかと15分おきに観察するけれど、結局何も起こらない。頭の中で、どうやって文章を書き始めるべきか、その構想がどろっとしたゼリーのかたまりのように、絶えず不定形に形を変えているのを感じる。窓の向こうに降り続ける雨の線を見ながら、そのゼリーのようなものの、緩慢でとりとめのない動きを放心したように追い続ける。明日には書き始められるだろうか?