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秋ならではの草花文様を手染めした二枚の着物で外出 2011/11/02
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あっと言う間に11月になりましたが、先月、秋ならではの文様を手染めした二枚のお着物で出かけた2日間がありました。二枚とも、東京紅型をしていた祖母が染めた作品です。
一枚目は、こちら。
季節を少し先取りして、黄色く紅葉した銀杏の葉を染めた小紋です。おそらく文様も祖母オリジナルのデザイン。型紙も自分で彫ったと思われます。
(もっと下に文様アップの写真も載せていますのでスクロールしてみて下さい)↓
ところで何故に私が平安の公家さんと一緒に写真に収まっているのかと言うと、この日、「美しいキモノ」主催の着物講座「衣紋道入門」に参加したからなのでした。
この講座の講師を務めて下さったのは、現在も天皇家の祭祀の際に装束着装を担当する「高倉流」の方々。今からおよそ1千年ほど前の平安時代末期から、代々、十二単と呼ばれる女性の装束、そして、衣冠束帯と呼ばれる男性装束の着装法を今に伝えている衣紋道の流派です。つまり、私たちは1千年前の人々が行っていたものと全く同じ装束の着方をそのまま見ることが出来るということ。全く、日本文化の底の深さにははかり知れないものがありますね。
当日は、下着である「小袖」から一番上に羽織る「唐衣(からぎぬ)」と「裳(も)」までを、参加者の目の前で高倉流の方々がモデルさんに着付けて下さいました。着付けを担当する女官の方々も、平安時代の女官と全く同じ装束を着ています↓
そして、説明役の男性も「狩衣」という平安公卿の普段着装束で登場。徹底しています!↓
この日の私のお着物の文様のアップはこちら↓
帯は、正倉院華紋を蘇州刺繍で表したもの。10年くらい前に母が吉祥寺のふじやさんで求めた、親子ともどもお気に入りの一本です。
我が祖母ながら本当に色のセンスが良いなと思わされるのは、銀杏の葉の中に黒の葉を入れていること。現実の世界には黒く染まる銀杏など存在しませんが、色のバランスを取るために入れたのでしょう。この黒があることで、かわい過ぎない落ち着きが生まれているのだと思います。我が祖母ながら天晴れ。
この日は、夜、新宿に新しくオープンしたシェア―オフィス・HAPONの開所祝いパーティーへも遊びに行きました。そのときに撮影したのがこちら。後ろにHAPONの様子がチラリと写っています↓
HAPONについてはまた別の機会にご紹介したいと思います!
*
さて、もう一枚の秋の文様のお着物は、こちら↓
この着物を着た頃、ちょうど東京は金木犀の季節。住宅街の角を曲がるとあちこちから金木犀の香りが流れて来るのが楽しい毎日でした。私は金木犀の香りが大好きで、香水があったらほしいなといつも思っています。そこで、その甘い香りを身にまとうつもりでこのお着物で出かけてみました。
こちらが文様のアップ。
これも祖母自身が文様をデザインし、型紙も自分で彫ったものと思われます。実は金木犀の葉には白い筋はないのですが、祖母がデザインのために入れたのだろう、と。
帯は曾祖母が愛用していた織りの名古屋帯。編集者の方との打ち合わせを兼ねたお食事会や、お茶のお稽古に着て行きました。
それにしてもたった二回着ただけで、また来年の秋まで箪笥の中。でも、季節の柄ってそういうものですものね。一年後にまた逢おうねと声をかけて大切に箪笥へしまったのでした。
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