西端真矢

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伯父の葬儀 2013/12/27



師走の曇り空の中、今日は朝から父方の伯父の密葬に参列していました。

我が家は、この伯父の父、つまり私の祖父が、大阪は河内松原の大庄屋だった封建的な家風を嫌い、また、学問への夢断ちがたく、密航同然でアメリカの大学へと渡ったところから新たな家族の歴史を始めました。
曽祖父が祖父の行動を許さず、勘当を申し渡したため、(随分後には和解したのですが)分家にならざるを得なかったのです。

          *

そんな祖父の信念により、我が家の宗旨は無宗教。
そのため、葬儀では読経や賛美歌などは一切なく、伯父の娘、つまり私の同い年の従妹が、伯父の人生をまとめた文章を披露して、また、伯父の息子、私にとっての“従兄のお兄ちゃん”が、伯父とはどういう人間だったのかについて、自身の見解を語る、という率直な語りが主の葬儀となりました。
そして、伯父の好きだった音楽を流し、参列者が献花。従兄は“音楽葬”と呼んでいましたが、ただ真率な心情だけが表れた、とても良い式だったと思います。

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亡くなった伯父は、一言でいえば、偏屈で、変わり者。
そのため、精進落としの食事の間は、そんな伯父の“偏屈ぶり”の思い出をみんなが次々と披露し、笑いが絶えないものになりました。

皇国少年として育ち、学徒出陣すると宣言して祖母を泣かせていた矢先、終戦を迎えた伯父。
戦後は一転、アメリカの大学で学び、アメリカの価値観を自分の信条とするように。古き良きアメリカの精神を愛するアメリカびいき、或いは、どこかアメリカかぶれ、いや、もしかしたら戦後日本を体現するような人物だったとも言えるのかも知れません。

それにしても、今日のような明るい葬儀というのも、とても良いものだと思います。
伯父はきっと、ちょっと苦笑いをしながら、自分でも自覚していた“面倒くさい人間”である自分の横を、根っからの楽天的な性格ですたすた歩きながら2年前にがんで急死した伯母とともに、大好きなアメリカと、子や孫たちのいる日本の空の上を行ったり来たり飛び回っているのではないかと思います。
「やれやれやっと本当に自由になれたよ」
と、ちょっと肩をすくめて笑いながら。
そんなことを思った冬の日の葬儀でした。

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