西端真矢

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友を送る茶会に、オリジナルの主菓子をあつらえて(お菓子&きものコーディネイト写真付き) 2015/06/24



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先週末、通っている茶道の教室で、大切な茶会がありました。
私たちの会は、美術史家の先生に茶道のお点前とお道具について教えて頂いているのですが、発足時以来の古参男子メンバーMさんが、ご家庭の事情で故郷へと帰ることになったのです。
そこで、心づくしの「名残之茶会」を開くことになりました。お点前が安定していて美しい方は、炭点前やお濃茶など、お点前の担当に。すぐ順番を間違えてお点前はダメダメ劣等生の私は、お菓子の担当です。そう、この日の茶会に出すお菓子をどこのお菓子舗に注文するのか、どんな題材のお菓子にするのか、総てを決める権限(と責任)があります。

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そこで散々に知恵を絞りました。
現在、盛りの花は、例えば紫陽花。或いは、梅雨入りしたということで、雨や水、傘などをモチーフにしたお菓子も良いかも知れません。けれど、この日は友を送る「名残之茶会」。何か私たちの会にちなんだものか、Mさんにちなんだものにしたい。私の仕事は文筆業で、いつも「話の流れ」ということに頭を使ってお金をもらっているのだから、ここでストーリー性のあるお菓子を作れなければ名折れというものではないか!
‥と、しばし悩んだ末、妙案が浮かびました。それは、「銅鑼」をモチーフにするというものです。しかし、何故銅鑼なのか?
下の写真は、淡交社「原色茶道大事典」の中の「銅鑼」の解説写真を撮ったものですが‥↓
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このように、黒や茶色の鉦(かね)で出来た合図を鳴らす道具が、銅鑼である訳です。
実は、茶道では、銅鑼は大切なお道具の一つです。
正式な茶事の際に、途中で休憩時間のような「中立ち」という時間があるのですが、その「中立ち」が終わって「また茶事の続きを始めますよ。どうぞ茶室にお入りください」と呼びかける、その合図に銅鑼が使われるのです。
そんな銅鑼を、どうして今回の「名残之茶会」のお菓子のモチーフにしようと思ったのか?それは、過去の茶道の歴史の中に銅鑼にまつわる、或るエピソードがあったためです。

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江戸時代後期に当たる安永・文化期、表千家第七代如心齋の愛弟子に、川上不白という方がいました。後に江戸千家の流祖となる方です。
この不白は三十代の初めに、江戸の或る大名より「千家の茶を江戸でも教えてほしい」と出仕の要請を受けました。師である如心齋は愛弟子を手放したくはなかったでしょうが、大名の要請とあれば受けない訳には行きません。そこで、万感の思いを込めて、いよいよ不白が京都を旅立つ日、「名残之茶会」を開くことにしました。
この茶会で、如心齋はちょっと変わった銅鑼の打ち方をします。七回打つことと決まっている「中立ち」後の銅鑼を、敢えて一回少なく打ったのです。そして、いよいよ茶事が終わって不白が茶室を離れるその瞬間に、最後の一打を打ったといいます。
これは、恐らく次のようなメッセージをその裏に込めているものでしょう。「今、私たちは別れ別れに暮らす時を迎えたけれど、またいつかきっと再会して茶室に集い、共に茶を楽しもう」‥何とも深い、惜別の思いを込めた銅鑼の使い方であると思います。
     
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「茶道は決まりごとばかりだから嫌い」と言う人がいますが、それは非常に浅薄な理解に過ぎないと私は思っています。
まず、決まり事をしっかりと、自家薬籠中のものにする。その上で、自分の心からの思いや思想を表現するために、その決まり事を自由な発想で駆使すること。そこに茶道という高等な遊びの本質があると思うのです。

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いつの日かの稽古の折りに先生から教えて頂いていたこの如心齋と川上不白との銅鑼のエピソード。今正に同門のMさんを送ろうとする私たちの茶会でお出しする主菓子に、ふさわしい主題となり得ると思いました。
しかし、銅鑼のお菓子など、どこのお菓子舗も作ったことはないでしょう。当然これは、新たに特注で発注するしかない。では一体どこにお願いしようか‥
そこで思いついたのが、このブログで5月7日にご紹介した、神楽坂「梅花亭」でした。
http://www.maya-fwe.com/4/000350_J.html
この時は、きものイベント「わーと日本橋」に出掛け、会場内に作られた空中茶室での茶会に参加しましたが、その日のお菓子を担当していたのが「梅花亭」さんだったのです。空中茶室にふさわしい、成層圏や雲をイメージしたお菓子。こんな大胆な発想を持つお菓子処なら、きっと「銅鑼をモチーフに」というリクエストにも応えてくれるに違いない。
実は、「わーと日本橋」の後、ご主人の井上豪さんが私のおきもの友だちの元同級生だと知ったこともあり、何だかぐっと頼みやすくなった気もして、思い切ってメールをお送りしてみました。すると、快く「やりましょう」というお返事。何とも嬉しい瞬間でしたが、一つだけ心配だったのが、銅鑼は何と言っても茶色や黒と地味な色合いで、茶会の菓子としてあまりにも華がないことでした。
そこで、
「ばちの柄には赤を使うことが多いようなので(先ほどの解説写真のバチでも赤を使っています)、茶色の銅鑼の上に、赤いバチが置いてある意匠ではどうでしょうか?」
と提案してみました。しかし、私のこの素人くさいアイディアは直ちに却下(笑)。確かに今になって想像してみると、小学生が家庭科の時間に作るお菓子のようで、まるで大人の茶会の品格がありません。
十日ほど、試作を試みて頂いていた後、「梅花亭」井上豪氏のオリジナル作品として、下の写真のような銅鑼のお菓子が完成しました。
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色は、格調高い白。万感の惜別の念を表して、一片の金箔がその上を飾ります。友を送る私たちの心の中で鳴る銅鑼の音を象徴化する、素晴らしいお作となりました。銘をつける権限も与えられている私は、「名残之音(なごりのね)」としたことを書き添えておきます。

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この日の茶会は万事滞りなく進み、お点前をする人は心を込めて、先生のお道具組も格調高く惜別の念がこもり、また、門人全員からMさんに贈った茶道具一揃えの中のお棗は、蒔絵も学んでいる仲間による手ずからのものでした。
もちろん、お菓子も大変に好評で、そして、先生よりこのお菓子の由来を説明する口上を申し付けられた私は、先ほど書いた如心齋と不白のエピソード、そしてMさんを送る思いとを、五分ほどの時間をかけて心を込めてお話ししました。Mさんや他のお仲間が涙ぐんで下さったので、きっと成功していたのではないかと思います。

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そんな素晴らしいお菓子を作って下さった井上豪さんと、茶会前日、お菓子を受け取りに行った際に撮ったのが上の写真です。
神楽坂「梅花亭」は昭和十年の創業。神楽坂駅に近い店内はいつもたくさんのお客様でにぎわっています。神楽坂ポルト内にも支店があり、実は私は以前から、度々、おまんじゅうなどは買い求めていました。お菓子にはうるさい甘党の私の厳しい~舌にかなうお菓子処です!
その秘訣の一つは、お菓子の皮に合わせて餡の豆を何種類にも炊き分けていること。私たちの茶会の日のお味も、もちろんびっくりするほど美味しいものでした。大切な茶会のお菓子をこちらにお願いして、本当に良かった…!
  
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最後に、蛇足のようですが、私のコーディネイトを楽しみにしてくださっている方もいらっしゃるので(ありがとうございます!)、帯に寄った写真も。
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この日のおきものは、村山大島の単衣。とんでもなく精緻な板締めで、燕などの文様を表したものです。今、一番気に入っているこちらのおきものについては、また別の回に詳しくご紹介したいと思います。
帯は、祖母から伝わった八寸名古屋帯。破れ七宝模様のこの帯に、明るめの黄色の洋角組帯〆を入れています。
茶会当日のきものは、また別の回に。
今はとにかく、心血を注いだお茶会が無事に終わり、心からほっとしています。大切な友を送り出すのは寂しいものですが‥

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