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© 2011 Maya Nishihata
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人生をふわりと持ち上げてくれる音楽について 2015/07/17
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突然ですが、皆さんは、仕事をする時、音楽をかけるでしょうか?或いは文章を書く時は?大事なメールを書く時、仕事の重要書類を作る時、ブログを書く時はどうでしょうか?自分にとって大切なことをする時、音楽の力を借りる人はどのくらいいるものなのでしょうか?
文章屋として仕事をしている私は、実は、音楽に大きく助けられています。或る場合にはひどく左右されてしまっていると言ってもいいかも知れません。
特に人の情緒に訴えかけるような文章を書こうとする時は、その目指す情緒にふさわしい音楽が流れていることが、私には絶対に必要です。悲しみを表現しようとしている時にポップな音楽が流れていたら、一歩も前へ書き進められません。
とは言うもののメランコリーな曲なら何でも良いという訳ではなく、或る文章には演歌がふさわしく、或る文章にはクラッシクがふさわしく、また或る文章にはJPOPのあの淋しい曲が‥といったように、書こうとする「悲しみ」の質感にふさわしいとか感じる――あくまで私が主観的に感じるものですが――曲が流れていなければならない‥というこういう細かさは、私だけのこだわりではないと思っていますがどうなのでしょうか。
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とにかく、そんな訳なので、文章を書く前にまずは音楽を選ぶことに相当時間がかかってしまいます。
エリック・サティで始めたもののやっぱり何かが違うのでリンドストロームにチェンジし、それもやっぱりしっくり来ないのでBPM遅めのメランコリーなディスコダブに変えてみたもののやはりアコースティックギターのあの曲に…と何度もステレオと机の間を行ったり来たり。その間、ラップトップに打たれているのはたった一行半のだけ‥
こんな私なので、外のカフェで仕事をすることは絶対に不可能です。資料をぎっしり並べた本棚が後ろにないと安心出来ないということも原因の一つですが、もう一つ、この 「その時書こうとする気分」にぴったりとした音楽が店に流れている可能性が、限りなく低いためです。
友人のライターやエッセイストの中には、常にカフェで原稿を書いている人もいますが、私には絶対に真似出来ません。何だかノマド(死語?)でかっこいいな、とは思うのですが‥
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ところで、そんな私の「その時書こうとする文章にぴたりとする音楽」選びは、実は恥ずかしいほどに単純でもあります。
例えば中国について書いている時は中国箏の古典音楽を流し、日本の東北について書いているなら、東北っぽい(と私が感じる)演歌の曲、雨降る日の情景を書くエッセイなら雨を歌ったポップスに‥といった単純さ。
ところが雨の歌のCDを聴くことは数年に一度であるかないか、棚の中のどこにしまったのか分からなくなっていて、そのCDを探し当てるだけで優に1時間。そうだ、雨の曲だけを並べて音楽ファイルを作り、永遠ループさせながら書いちゃおう!と思いつくと更に1時間。もしも横で担当編集者の方が見ていたら、イライラと貧乏ゆすりが出る頃でしょう‥
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そんな中、私にとって鉄板と言えるCDがあります。
私がお引き受けするお仕事やブログへと書く内容の中には、人の深い情緒や複雑な思索に訴えかけるものもありますが、もっと気軽にフラットに、事実や情報、または日々の暮らしの中でふと気に留めた小さな出来事(今日の日記がまさにそうです)を伝えることを目的とするものも多くあります。そんな時、とにかくこのCDをかけてみれば何かしら言葉が浮かんで来てすらすらと原稿が書けてしまう、全くもって魔法のような一枚なのです。
今日のブログ冒頭の写真のCDがそれなのですが、アーティストは、Fantastic Plastic Orchestra。略称FPMと呼ばれる日本のDJ兼ミュージシャンです。
この方の「LUXURY」というCDは、おそらく2002年頃に出たもので、それ以来15年以上、私の「深刻過ぎない文章の気分」を整える手助けをしてくれていることになります。
BPM120から110あたりの速過ぎないリズムと、低俗に行き過ぎないメロディーライン。複雑な音色(おんしょく)‥どこをとっても趣味のいい曲が13曲並ぶ名盤です。
実は私は聴ける音楽の幅が人よりかなり狭く、特にへヴィメタル、トランスに至っては吐き気がすることもあります。三半規管が弱いことと何か関係があるのでしょうか。現代の趣味のいい音楽家のアルバムにはたいてい異ジャンルの曲が混在しているものですが、こんな風に私の耳の許容範囲が極度に狭いため、必ず「この曲はダメだ」という曲に当たってしまい、一々スキップをするのがわずらわしい。ところがこのアルバムには、そういう、耳に当たる曲が一曲もないのです。
特に2曲目の「There must be an angel (Playing with my heart)」と8曲目の「Lotto」に差し掛かる時私の脳の回転は限りなくなめらかに回り、言葉や文章の切れ端が、まるでDJがすっとレコードを送る時のように、頭から流れ始めます。まさに黄金の一枚としか言いようがありません。
不思議なことにこのCDは、部屋の片づけをする時にもしごく効率を高めてくれるように感じます。また、何の用事もない晴れた日曜日の朝、とりあえずもう一杯紅茶を飲んで本屋さんへ行こうかお風呂をぴかぴかに磨こうか、それとも写真でも撮ってみようかしらなどと考えている時のささやかな幸せの感覚を、最高度に盛り上げてくれるようにも思います。まるで燕尾服を着た目に見えない音楽の小人たちがステレオの後ろでビックバンドを組んで、私のために演奏をしてくれているように。
もちろん人生はいつも、このCDの気分がぴたりと当てはまる局面ばかりではありません。それでも、過ぎて行く日々と日々の間でふと一息をつく朝、あなたはどんな音楽を聴いているでしょうか?