西端真矢

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婦人画報6月号にて「追悼・渡辺和子 小さな死」を取材執筆しました。 2017/05/11



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発売中の「婦人画報」6月号にて、「追悼・渡辺和子 小さな死」と題し、8ページにわたって紀行エッセイとでも言うべき文章を執筆しました。昨年末に亡くなった渡辺和子さんの人生の軌跡、そしてその思想の核心をたどるものです。
渡辺和子さんの名は、多くの方がご存知だと思います。
230万部のベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者であり、修道女(シスター)であり、岡山県にあるカトリック系学園「ノートルダム清心学園」の大学学長、理事長を長く務めた方でもあります。多くの人の人生に影響を与えた、大変に、大変に偉大な女性――であることは間違いないのですが、実は、私自身は、そんな渡辺さんに対して「敬して遠ざける」気持ちを持っていました。
恐らくそれは私という人間にどこかひねくれた一面があるからなのでしょう。二十代前半にバブル崩壊に遭遇して遊び仲間の幾人かが忽然と消えてしまうと経験をし――本当に彼ら――今になって思えば不動産やアパレル成金の彼らは或る日どこかへとかき消えてしまったのです――二十代後半から三十代はじめに深く関わった中国では、人々がかつて熱烈に信奉したはずの「社会主義」がただれ朽ち果てて行く様を目の当たりにし、そして、三十代を資本主義経済の最前線である広告代理店で過ごした私のような人間には、ただ美しい言葉、正しい思想というものは、全く心に響くことがありません。「現実」というものの圧倒的な力と複雑さをよく知っているつもりだし、その「現実」との血みどろの対峙の上に成り立つのではない言葉には、どうにも説得されようがないのです。
そう、宗教にしろ、何らかの理想的な主義にしろ、この「現実」から目をそらし、どこか別世界へと脱出を図る願望に根差したような言葉、思想というものは、私にとっては内容空疎な、一時の気休めとしか感じられません。その言葉が、思想が、正しく、美しいものであればあるほどそれは、人間、つまりはこの「現実」から遊離してかえって災いをもたらすと警戒心が働く、悲しいことに私はそんな疑い深い人間へと出来上がってしまったようです。そして渡辺さんの著書にもどこかにそんな「遊離」が宿っているのではないか、そう疑いの目を持っていたからこそ「敬して遠ざける」態度を取っていたのでした。
‥そんな私に、渡辺さんの軌跡をたどるというお仕事の依頼が舞い込んだ。しかし私も文筆業をなりわいとする身、もちろん、渡辺さんの生涯を手際よくまとめてそこに生前近しかった方々の言葉を散りばめ、何らかの感動をにじみ出させるような文章を書くことは出来ます。
それに、個人的な興味から何年も読み漁っている昭和初期の世相や軍関係の資料から、渡辺さんがお父様を2.26事件で殺害されたことは知っていました。2009年、杉並郷土資料館で、その殺害現場となった渡辺さんの実家玄関と茶の間を再現する展示があった時は、実は足も運んでいました。これほどの体験を経てなお「置かれた場所で咲く」と言うのだから、それまったくの「遊離し切った」言葉ではないはずだ、という思いもありました。
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こうして私はこのお仕事をお引き受けし、「置かれた場所で咲きなさい」だけではなく、他の著作群のページもひもとき、岡山の地を二度訪ね、渡辺さんが日々祈り、歩き、人々と話し、その心血をそそいだノートルダム清心学園を自分の目で見つめ、歩いてまとめたのが、今回掲載されている文章です。
もちろん、その中にまとめたことは、私という一個人の見た渡辺和子さんの像であり、生前彼女と親しく接した方々、また、より長い期間その著作や活動に注目し、心の支えとしていた方々には、また別の見方があるのかも知れません。
けれど、世の中には、私と同じように諸手を挙げて素直に良きものを良きものと信じることはしない一群の人々が存在し、そのようなものの見方も世の中にはあってしかるべきだと、私は考えています。渡辺和子という女性。意外なほどに傷だらけで、でこぼことつまづき続けどこか不格好に人生を歩き続けた、小さく、けれど偉大な女性。私という或る一つの視点からとらえたそんな渡辺和子像を感じとって頂けたら幸いです。森山雅智さんの素晴らしい写真とともにお届けしています。


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