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女がミニスカートを脱ぐ時 2018/01/05
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昨年は、初夏に、3年がかりで取り組んでいたノンフィクション小説をようやく出版することが出来、更に雑誌や広告の分野でも多くのお仕事を頂き、プライベートでは細々とではあるもののお茶の稽古と新しく書の稽古も始め、お友だちとも数々の楽しい時間を過ごし‥‥例年と変わらず、ありがたく充実した一年だった。
けれどその中で一つだけ大きく変わったことがあって、それは、自分の体力の衰えを実感したことだった、と、年が明けた今しみじみと思う。
我が家は父方が長命かつ頑健な家系で、一般に「女子は父親の家の体質に似る」と言うけれど、私もどこででもすぐぐっすり眠れることや視力がとても良いこと、健康診断の値もどれもちょうど真ん中の健康体で、そもそも広告代理店に長年勤務していられた、ということ自体が父方の頑健な血を引き継いでいる証左だったと思う。
振り返ってみればその代理店時代、四徹(4日間完全徹夜で編集)や4カ月間休日なし(もちろん後で代休を取得)など、数々の修羅場にさすがにふらっと来る日があっても、その週末に一日、10時間ほど寝ればすべてリセット。またうるさいくらいに元気に働ける頑丈女だった。
退職してフリーになってからもこの体力は変わらず、様々な無茶ぶり案件も不眠不休で乗り切って校了したその日に10時間も眠ればすっかり元通り。超人だね、と家族友人に驚かれる元気ぶりで突っ走って来たのだった。
ところが、昨年、初めて、「疲れがいつまでも取れない」という経験をした。9月の終わりから10月下旬まで、仕事がたまたま四本同時に重なり、1週間で合計10時間ほどしか眠れない時期もあったようなハードワークになってしまった。ただ、これまでだったらこのくらいのことは必ず一日でリカバリー出来ていたものが、今回は初めて、その後だらだらと1カ月近くどことなく体がだるいというような不調が続いたのだ。
そう言えば、その少し前から、原因不明の右腕痛と右足首痛にも悩まされていた。整形外科でレントゲンを撮ってみても、骨には何の異常もない。要するに使い過ぎです、と診断が出たけれど、特に何か新しい運動など始めた訳でもないのだ。
確かに手首は職業がら常にマウスの上に置いて酷使しているし、足首については、中学時代の部活動で土踏まず付近の筋肉を傷め、実はいつも少しかばいながら歩いている。これまではそんな無理をカバー出来ていた筋肉の力が、ここへ来ていよいよ今まで通りには働かなくなって来た、ということのようだった。
仕方がない。今年は年女。つまりは五十年近くも暦が回り、その年月の間、筋肉も骨も内臓も脳みそも、それこそ一日の有給休暇も取らず働き続けているのだから、ガタが来るのも当然だろう。人によって体力の衰えが現れ出す年齢はもちろん違うけれど、私の場合は四十七の昨年に、それが出始めたということなのだろう。
*
実は、ああ、自分はもう若くはないんだな、と感じたのは、昨年よりもう少し前のことだった。確か2年前だったと思うけれど、明日はどの服を着て行こうかと鏡の前で試しに着たり脱いだりしていた時、突然、それまで当たり前に着ていた膝丈のワンピースがとてつもなくちぐはぐなものに見えた日があったのだ。そのちぐはぐぶりがあまりにも目に慣れず、その時、しばらくの間じっと鏡の中を他人のように眺める自分がいた。
そして、その翌日から、もうミニスカートをはくのはやめようと決めた。ウェストも体重も二十代、三十代と変わっていないし、肌の具合もすこぶる好調だった。それでも、何かがかすかにこれまでと異なっている。心優しい友人に、
「ねえ、私、まだ短いスカートをはいていても大丈夫かな?」と訊けば、
「もちろん!そのワンピース、マヤちゃんにとっても似合ってるよ」
と言ってくれるだろうし、そもそも服なんて何を着ようが個人の自由なのだから、着たければ一生ミニスカートで過ごしたっていい。けれど、「何かが違う」というそのかすかな違和感に敏感でいることも、一つの人生の美学ではないかと思っている。
幸い、私の住む市にはリサイクルセンターという施設があるので、その日以来、膝丈のワンピースやスカートは季節ごとにすべて寄付に出すようにしてしまった。だから、今、私の手元にはミニスカートは一枚も残っていない。それで寂しいかと訊かれれば、これが不思議とそうは感じないと言うと、負け惜しみだと思う人もいるだろうか?
人間は、すべての生き物は、いつかは土に還っていく。それを口惜しく思いどんな手を使ってでも抵抗してやるとがむしゃらになる人もいるし、それも一つの美学だとは思うけれど、私はそういうあり方にどうも魅力を感じることが出来ない。それよりも長年何匹もの猫と暮らして来て、老いに関しては猫に学ぶことが多いと思うのだ。
猫たちも、ある時を境に急速に体力が衰え、たとえばこれまで楽々と上がれていた木の幹に飛び上がることが出来なくなってしまう。そうすると、ちらっとその幹を見上げて猫たちはその日以来二度と飛び上がることはなく、けれど特に卑屈になることもなく同じその木の周りで淡々と日々を送る。陽の照る日は木が降らせた落ち葉のベッドでぬくぬくと眠り、気が向けば小さな虫をひゅっと捕まえて遊んでみたりもする。どの子も不思議と自分の死期を悟って、ぼろぼろの体を引きずりながら最後の挨拶に顔を見せにやって来て……そしてどこかへ消え、一人で死んでゆく。そういうこざっぱりとした生き方が出来たらいいな、と思う。
新年から何を暗い話をしているのだ、と言われそうだが、むしろきわめてポジティブな年頭辞を書いているつもりなのだ。“美魔女”を目指すなど真っ平ごめん。だけどいわゆる“大阪のおばちゃん”でいいと開き直るのもかえって居心地が悪い。そうではなく、猫のようにこざっぱりと、飄々と生きていきたい。私が手放したミニスカートをはいた女の子と、今年はすれ違うことがあるだろうか?