西端真矢

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「婦人画報」茶の湯特集にて、遠州流小堀宗実お家元と武者小路千家千宗屋若宗匠の対談企画を担当しました。 2018/09/07



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この夏、渾身のお仕事のご紹介をしたい。
発売中の「婦人画報」10月号で、遠州流茶道の小堀宗実お家元と、武者小路千家の千宗屋若宗匠(家元後嗣)のお二人が流儀のしがらみを超え、松平不昧の茶、そしてその茶を通して見えて来る「自由な茶とは何か」について語り合う、「諸流みな我が流」8ページの取材・構成・執筆を担当した。

今号の「婦人画報」は、実に50ページにわたる茶の湯の大特集。巻頭第一特集を茶の湯で送るのは、10年ぶりのことだという。
総合タイトルは「みんなのお茶」という何やら楽しそうな題名で、茶を始めたばかりの小学生茶人から、茶歴50年、60年の大ベテランまで。お家元からモダン茶人、家で茶を楽しむ主婦茶人まで。気鋭の茶陶作家、菓子職人も‥と、百人の茶の湯を愛する人々それぞれの茶のありようを切り取っている。1ページ1ページ、ページを繰るうちに、それぞれの人がそれぞれの風でお茶を楽しんでいるのだな、‥そう感じられる構成となっている。
    *
そんな中で、もちろん、茶というものは宇宙の物理法則でも何でもないのだから、“絶対に正しい茶の湯のあり方”などが存在する訳もなく、それぞれの人がそれぞれのやり方で茶を楽しめば良いのだ、という、ごく当たり前のことに思いが至る。
それと同時に、一方で、茶には侘茶が創造された桃山時代から数えれば約450年、それ以前の書院の茶や禅寺の茶を含めれば800年以上の歴史が横たわっている訳で、その豊穣なアーカイブを無視して“今だけの茶”を行うことは、大変にもったいないし、つまらないことなのではないか、という、これも常々個人的に考え続けていることが改めて脳裏に浮かび上がっても来る
…と、そう考えながらも、また、400年、800年、それぞれの時代に書かれた茶書や茶会記を一文一文綿密に読み込み、それぞれの時代ごとに最高峰と尊ばれた茶道具に実際に触れる機会を持てる人となれば、もちろん、ごく限られた数となってしまうことも事実だ。
そのよに考えた時、今回私がお話を伺った小堀お家元と千若宗匠は、たまたま茶をする家に生まれられてそのアクセス権を有することになった幸運な人だ、と言うことも出来るのではないかと思う。
けれどその一方で、茶というものが内包している深い精神性ときわめて独特な美意識を考え合わせれば、その道に生まれついてしまったということは非常に険しい道行きを運命づけられたとも言えるのであって、その中にあって、お二人は、天与のアクセス権を最高度に生かし切ってたゆみない研鑽を積まれ、言ってみれば、365日、茶のことばかりを考えておられるお二人なのであって、その言葉には、こちらが虚心坦懐に耳を澄ませば聞こえて来る深い含蓄が含まれていると思う。

編集部から今回の大役を仰せつかり、自らの力不足に悩みながらも、お二人が不昧公を偲んで開かれた茶会と対談の場に立ち会い、その“含蓄”を拾い上げようと最大限の力を尽くした。力を尽くし過ぎて入稿した後二日ばかり廃人なってしまったほどだ。そのくらい、やはり、茶は深く、面白い。
さらっと読み通せば読み通せるけれど、あちこちにその“アクセス権利者の含蓄”を散りばめた8ページをぜひ注意深く読み込んで頂き、茶の湯という、複雑怪奇な営みへの思考に新たな一層を加えて頂ければ幸いである。

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