西端真矢

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一枚のきものと別れる日 2019/11/01



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 今年の秋はこの国にあまりにも厳しいことばかりが続いて心が苦しくなってしまうけれど、その中にも祝い事はあって、或る会に、華やかさのある銀杏の小紋を着て出かけた。
 四十年ほど前、祖母が、当時三十代だった母、そしてゆくゆくは私も着るようにと染めてくれたもので、二人で合計すれば三十回近くは着ているだろうか。大好きな一枚だった。

 けれど、数年ほど前から、着ていて何だか落ち着かなくなっていた。どこがどうと言われると説明出来ないけれど、何とはなしに、顔と生地とが互いに離れて行くような感覚がある。まるで愛し合っているのに倦み始めた恋人同士のように。
 つまりは私が年を取って、顔つきや肌がもうこのきものを受けとめられくなっているのだけれど、あまりにも、このきものの模様つけ方や染めの調子が好きだったから、毎年一度ほどは未練がましく着ていた。そんな着物だった。

 けれど、もう潮時だ。今回で最後にしようと思った。
 そしてそう思って袖を通すと万感の思いがこみ上げて来た。
 もちろん、やさしい知人たちは「まだまだ全然おかしくないですよ」と言ってくれる。また、「幾つになったって、好きなものを着ればいいんです」とも。
 もちろんその通りで、〇歳になったら地味な色を着なければいけなどという法律がある訳ではないし、誰かに迷惑をかける訳でもない。
 また、確かに世の中にはいくつになっても若々しい色や模様のきものを着ていてちっともおかしくない方もいるし、もしかしたら私のこのきものも、もうあと一、二年なら、何とかそう珍奇な見映えにならずに着ていられるかも知れない。
 けれど、一方で、老いた肌に可憐な色のきものを着て、視界に入った瞬間にぎょっとするようなおばさまが存在する。おしゃれとはバランスだ、と私は考えていて、こうなってしまえばおしゃれとは程遠いことは私にとってははっきりしている。そして自分がそういう状態に陥ることに耐えられない。何より自分自身が、もうこの小紋を着ていると落ち着かなくて落ち着かなくてそわそわしてしまうのだ。こんなに愛しているのに。悲しいけれど。

          *

 だから、恥ずかしながら今日のブログに掲げた写真は、この着物との別れの記念だ。そう思いながら着られたことは、やはり良いことだった、と、今は思っている。
 人生には、たくさんの不意の別れがある。いつでも会えると思っていたのに、明日会えると思っていたのに、それどころか朝家を出て夜にはまたいつもと変わらず会えると思っていたのに、会えなくなってしまうこともある。それに比べれば、さよならと言いながら別れられることは得難い幸せなのかも知れない、と。

 家に帰り、二日ほど陰干しをして風を入れ、たとうへとしまいながら、このきものを通してたくさんの楽しい時間を贈ってくれた祖母に心から感謝した。糸をほどき帯に仕立て変えれば、またこの布と一緒にいられるかも知れない。けれどきものでいる今の姿を、壊したくない、とも思う。
別れてもまだ一枚のきものに心を迷わされている。

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