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私vs匿流??? 2024/11/10
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先週のことだった。私は庭を眺めながらPCに向かい文章を書いていた。よく晴れた暖かい午後で膝には最愛の白猫チャミがどっかりと座り、すーぴーといびきをかいている。人生の小さな幸せを噛みしめていた時、不審な男が目に留まったのだ。
私の家は吉祥寺の中心から離れた住宅街の中にあり、庭に面した細い道は近所の方の散歩道になっている。犬の散歩で通る人が最も多く、車椅子の方、老夫婦、若夫婦、親子連れ‥‥植栽の関係で向こうからは私の姿は見えにくいが、こちらからはよく見えている。
そして、ああ、またあのご夫婦が来たな、マルチーズに絶えず語りかけ続けながら歩くあのファンキー白眼鏡おじさんね、と顔ぶれを把握しているのだが、その男はそれまで一度も見かけたことがなかった。
男は我が家の敷地の端まで歩いて来て、そこで突然止まり、庭を覗き込んだ。もちろん、たまたま何かの用事でこの辺りへ来て途中で庭木に目が留まり、しばらく立ち止まって眺めるということはあるだろう。けれど男は一しきり庭を覗き込んだ後、そのまま立ち去るのではなく、またひき返したのだった。しかも引き返しながら我が家の庭を時々ひょいっと覗き込んで来る。これはおかしい、と思った。現在、世間を震撼させている、匿流。その下見ではないだろうか。そんな黒い予感が頭をかすめた。
*
それで、猫を残して、急いで二階に駆け上がった。二階の窓からは道を見下ろすことが出来る。カーテンを揺らさないように静かに慎重に窓に近寄り、わずかに隙間を開けて覗くと、男は塀の下に立っていた。ますます黒い予感に胸が塗りつぶされていく。
男はうつむき、しきりに携帯で何かを打っていた。通話をしている様子はないが、我が家の下見の結果をいわゆる〝指示役〟に報告しているのではないか。例の〝秘匿性の高いアプリ〟を使って!そのような事例をニュースで見たことがあった。
男は痩せ型で短髪、年齢は四十代ほどに見えた。肩からキャンバス地のトートバッグを下げている。濃紺の細身のチノパンツかジーンズを履き、グレーのジャンパーを着ている。これまでに逮捕された匿流の実行役より年齢は高いが、下見役には中年を使うケースもあるという報道を読んだことがあった。彼もその一人かも知れない。
*
しばらく沈思黙考した後、思い切って、男に近づいてみることにした。顔を見られたと悟れば計画を躊躇するかも知れないし、何よりも、その顔自体を撮影出来ないかと思ったからだ。
携帯を握りしめて玄関を出て、塀の外にはみ出している庭木を見に行くふりをして近づいて行った。驚いたことに、男は顔を上げて「今日は」と微笑む。敢えて親しげに声がけをして、我が家の家族情報を引き出そうとしているのかも知れない。目礼だけして庭木を少し見て部屋に戻り、再び二階に上がって道を見下ろすと、男はいなかった。帰ったのだろうか?
もしや、と思い、庭側ではなく玄関側の道に面した窓へ回った。ひそかに覗くと、何と、男はそこにいた。玄関から少し離れた場所に立って我が家をじっと眺めている。これは本当に危険だと感じた。何としてでも男の顔を写真に撮らなければいけない。わずかな隙間に携帯のカメラをあてがい、シャッターを押す。すぐに確認するとソニー・エクスペリアのカメラ性能に感謝した。拡大していくと鮮明に顔が映っていた。
この時点で窓から離れ、#9110に電話することにした。ところが同じような人が多いのか、まったくつながらない。それで、まだ匿流と決まった訳でもないのに迷惑かも知れないと思ったけれど、武蔵野警察署の代表に電話をかけてみた。するとすぐに担当課に回され、
「ただちに警官を派遣します」
と言う。私の予想としては、「分かりました。今晩から見回りを強化します」ほどの返事が返って来ると思っていたのだけれど、予想以上に武蔵野警察署はやる気だった。「写真データがあります」と言ったのが良かったのだろうか?
そして更なる驚きが待っていたのだった‥‥
*
電話を切ってから6、7分後、インタホンが鳴り、警官が到着した。
その間、庭側の窓と玄関側の窓を往復して道を見張ったけれど、男はいなかった。もう我が家の前を立ち去ったようだった。
玄関を開けると、何と、パトカーが停まっていた。自転車に乗ったお巡りさんがやって来るイメージを持っていたのだけれど、武蔵野警察署のやる気はまたもや私の予想を超えていた。制服の警官が二人降りて来て、早速経緯を聞かれる。少し遅れて自転車のお巡りさんもやって来た。更に一台乗用車が到着してパトカーの後ろにすっと停まり、
「刑事課の刑事です」
とお巡りさんが教えてくれる。
け、刑事?本物の?私はのけぞった。何故って私は刑事ものが大好きなのだ。わざわざCSで「ミステリーチャンネル」を契約して日夜刑事ものを見ているのだ。目をぐるぐるさせながらじっと車に視線を当てると、その先にあの男が見えた。戻って来たのだ!
「あの人です」
声をひそめて警官に告げた。すぐさま警官の一人、そして車から降りて来たばかりの刑事が男の方へ向かって行った。まるで道に急に風が巻き起こり男に向かって吸い込まれていくように。もう一人の警官は私のそばを離れず、
「こちらにいましょう」
と言う。気がつくと女性が横に立っていた。まだ若い、どうみても20代にしか見えないスーツ姿の女性だった。何と、その人も刑事だという。若さで頬の肌がぷりぷりっとしていて、保母さんかと思うような可憐な女子だった。
新米女刑事(デカ)!
雷のようにドラマのタイトルが頭にひらめく。堀田真由あたりが主演のテレ朝、或いはNHKドラマ10枠だ。本当に存在するんだ、新米女刑事!
興奮する私とは裏腹に、彼女は当然冷静沈着だった。警官から質問を引き取り、もう一度初めから事の経緯を話してくださいと言う。そしてその結果を画板のようなものに挟んだ紙にせっせと書き取っている。これが調書というものだろうか。
私が写真データのことを言うと、見せてください、と携帯を覗き込んだ。メールで送りましょうか?と言ったが、その画面をデジカメで撮影し始める。気がつくと、さっき男の方へ向かって行った刑事がいつの間にか私の横に立っていた。六十代ほどの男性刑事だった。
「あのねえ、」と彼はのんびりと言った。「あの方ね、今度あそこの土地を買われるんだって」
そう言って、最近近くで売りに出されている空地を指差した。
「近々契約の予定で、最後に近所の様子を見に来たんだそうですよ」
つまり、匿流ではないということか!
「でも、本当ですか」
と、思わず私は言ってしまった。男が近づいて来て刑事さんの後ろに控え、こちらを見ている。
「わざわざ玄関の方まで回って、うちを覗いてましたよね?」
私は彼に詰問した。
「申し訳ありませんでした」と男は頭を下げた。「ご近所にはどんなお家があるのかなと思って、見てしまって」
「身分証明書とかね、事実関係の方を、我々ですべて確認しましたから」と刑事さんが言う。「安心してください。ちゃんとした方ですよ。これからご近所さんになるし、どうか謝罪させてほしいと言ってられるから、許してあげてください」
男はもう一度謝罪した。こうなると私もいつまでも怒っているのも大人げなく、それで、いつ頃契約するつもりなのか、など、多少雑談をして友好的態度を取ることにした。最後にもう一度謝罪をして男は帰って行く。とぼとぼとした後ろ姿に疲労が色濃くにじみ出ていた。それはそうだろう。これから家を買うぞ!と張り切って来た土地で、いきなり警官と刑事に取り囲まれ職務質問されたのだ。道行く人に何事かとじろじろ見られたのも、相当きまり悪かったに違いない。ごめんね、と思ったが、これだけ世間が匿流に神経質になっている時に、他人の家を何度も覗き込むというのは、やはり相当に軽率だと思う。私は悪くない!と思ったが、
「お騒がせしてしまってすみませんでした」と刑事さんに謝罪した。「私としては、夜の見回りを強化してもらえたらと思って、情報提供したつもりだったんです」
「いいんですよ」と刑事さんはあくまでもやさしかった。「こうやって市民の皆さんが防犯意識を高めてくださるのが一番いいんです」
その時初めて刑事さんをじっくりと見つめた。パリッとした素材のトレンチコートを着ている。トレンチコート。大好きな刑事コロンボと同じだ。やはり刑事はトレンチコートを着るのか。
「本物の刑事さん、初めて見ました」
と思わずキラキラ目線で言ってしまった。刑事さんはハハハと苦笑いする。きっとよく言われているのだろう。笑うと目の横に深いしわが刻まれ、
「長さん!」
と私は胸の中でつぶやいた。少し面長の顔はいかりや長介が刑事を演じているとしか思えない。そして笑っている彼の目は優しいが、その奥に深い泉のような闇が続いていて底が見えない。人間の暗部を見つめて来た目なのだ。
*
その後、刑事さんは警官と話し合ったり、本部かどこかと何かの通信をしたり、合い間に我が家の植栽を見て、
「防犯上、ここを切った方がより安全ですよ」
などとアドバイスまでしてくれた。ふと気がつくと真っ黒なスーツを着た女性がいつの間にか私の横に立っている。そして雑談をする風に、また一から事の経緯を質問して来る。年齢は三十代後半ほどだろうか。その人も刑事だという。顔つきは厳しく、さきほどの保育士系新米刑事とはまったく雰囲気の違う女性だった。そして私の話すら疑って聞いていることが、じわじわと伝わって来た。
すべてに疑いを持つ。
刑事として当然の態度なのだろう。もしかしたら捜査手法の一つとして、わざと何度も刑事を替えて話を聞くのかも知れない。何故なら私がとんでもないサイコパスで、警察を愚弄しつつこの街に突如サリンを散布する可能性だってあるのだから。
そしてそのような態度で話を聞かれると、どうしてか自分が隠し事をしているような気がして冷汗が出て来る。刑事の圧というのは相当なものだった。
こうして刑事たちは帰って行った。後日、隣りの隣りに住む幼馴染の親友Tちゃんに男性を撮った写真を見せて一部始終を話すと、
「確かにこの姿は怪し過ぎる!」と大爆笑した後、「きっとその人、契約止めたね」
と言う。確かにそんな気もする。あの隣人は面倒くさ過ぎる!と思われたかも知れない。
ああ、いつの間にか私は「ミス・マープル」に出て来るような、窓からご近所を監視するイギリスの片田舎おばさんになってしまったのだろうか。でもいい。窓からの視線が町の治安を守るのだ。そして私は生まれ変わったら刑事になる!と決めたのだった。