MAYA from West End

Diary

2011/06/20 中国のバブル、日本のバブル

あるとき、知人からとても残念なニュースを聞いた。それは中国人の友人・Sくんに関するニュースで、「Sくんが驚くほど変わってしまった」という嫌な話だった。
私とその知人は10年くらい前にS君と知り合った。Sくんは以前日本の大学に留学していて、卒業後は日本企業に就職、日本人女性と結婚して東京で働いていた。私たちはその頃にSくんと知り合い、温厚な性格の彼にとても良い印象を抱いていた。やがて私の仕事が猛烈に忙しくなり、Sくんやその周辺の友人たちと会う機会が減って行く中で、風の便りにSくんが中国に戻り、今は上海で働いているという消息を聞いたことがあった。それから数年が過ぎた後で、久し振りに彼に関するニュースを耳にしたのだった。

その知人は上海でSくんに会った。
久し振りの再会を喜んでお茶をした後、知人がSくんの買い物につき合って回った先は、グッチ、プラダ、コーチなど上海にある数々の有名ブランド店だったそうだ。Sくんはそれらの店で女性向けの小ぶりのバッグを次から次へと買い求め、全く隠す様子もなく、複数の浮気相手やキャバクラの気に入りの女の子に配るのだと言っていたそうだ。そして唖然としている私の知人に、
「君にも一つ買ってあげようか?」
と言ってのけ、彼女を更に唖然とさせた。実直で温厚で、いつも皆の調整役。奥さんを大切にしていたあのSくんは一体どこへ行ってしまったのだろう?

おそらく、中国に何としてでも進出したい日本企業と中国側との橋渡しが出来る存在として、日本人並みの日本語力を持つSくんには次から次へと仕事が舞い込んだのだろう。その収入と、イケイケどんどん昇り調子の上海の空気が混ざり合って、どうやらSくんの性格まで根本的に変えてしまったようなのだった。
「こんなことしていて、奥さん、大丈夫なの?」
と心配して訊いた知人に、
「いいんだよ。この中にはあいつの分のバッグもあるし、あいつは俺から金さえ受け取れれば文句言わないんだから」
とSくんは言ったそうだ。全く唖然とするほかない。

          *

中国に未曽有の好景気が訪れてから、もう何年が経つだろうか?
震災の影響で今は減ってしまったとは言え、一頃は銀座や新宿のブランド店の前に中国人を乗せた観光バスが横づけになり、大量に買いあさる姿がよく見かけられた。
北京や上海の高級レストラン、バー、ホテルを何軒か訪れたことがあるが、ヨーロッパから超一流のデザイナーを呼び寄せて内装や家具に湯水のように金を使い、東京、香港、ニューヨーク、ミラノ‥どこにも引けを取らない上等で趣味の良い空間が街のそこかしこに生まれていた。街を歩けば古ぼけた家々が次々と立ち退き対象になり、その後には新しいマンションやオフィスビルが姿を現す‥
そっくりだ、と思わざるを得なかった。そう、20年前に私が体験した、バブル時代の日本に今の中国は瓜二つなのだ。

          *

日本がバブル景気に沸いていた頃、私は高校生、そして大学生だった。
私の高校にはお父さんが不動産デベロッパー関係の事業をやっている同級生が何人もいて、その羽振りの良さはものすごかった。調子に乗って、ヨーロッパで貴族の子弟が社交界にデビューする際の舞踏会・デビュタントに日本から参加した子までいたくらいだ。(何ともこっぱずかしい話だが‥)
その後私が進学した大学はわりとブランドイメージの良い大学で、そこの女子学生=そう、女子大生だというだけで、どこへ行ってもものすごくちやほやされて過ごした。
お父さんが不動産屋、或いはアパレル関係の会社を経営している‥という肩書き(?)の二世たちが街中にうようようごめいていて、彼らが皆ベンツだのアウディだのを乗り回し、海へ行こう軽井沢へ行こうとすぐ連れて行ってくれた上に、いつも食事を御馳走してくれた。学内でもとびきりきれいで有名な先輩は、怪しげな青年実業家とつき合っていて誕生日のプレゼントはミンクのコートだったりもした。

その頃、友人が原宿の有名なオープンカフェでアルバイトをしていた。その子がバイトで貯めたお金でイタリア旅行へ行くことになったとき、同じバイト仲間の見た目がとてもかっこいいギャルソン男子先輩たちが「アルマーニのシャツ買って来て」と、彼女にお金を渡して先輩命令を出した。それも、
「エンポーリオはダメ。ジョルジョで買って来い」
と指定が付いているとのことだった。
「エンポーリなんて(廉価版だから)ダサイ」
ということらしいのだけれど、その人たちは別にどこかの財閥のお坊ちゃまでも青年実業家でもない。ぶっちゃけて言えば、ワンルームマンション住まいのカフェの店員。そんな彼らも“アルマーニのシャツ”というステイタスを身にまとって、意気揚々と原宿のカフェで働いていた‥そんな時代なのだった。

その頃、イタリア語を勉強していた私は何回かイタリアにホームステイに行っていたが、ミラノ、ローマ、フィレンツェのプラダやグッチの店は、日本人観光客であふれかえっていた。彼らは一言もイタリア語を解せず、いやもちろん英語さえもおぼつかず、商品を指で差して買い物をしていた。そう、まるで今銀座で見かける中国人のように。腰にはウェストポーチを巻きおよそおしゃれとは言いがたいTシャツなどを着込み、集団で固まって道を歩くその手には、グッチやプラダの紙袋ががさがさと提げられていた。
ああ、バブル時代の日本人。

やがて私が大学3年の終り頃から、バブルがはじけるだろうという暗い予想が人々の口にのぼるようになった。そしてその予想通り、大学4年次にバブルは完全にはじけ、2011年の今日に至っている訳である。

          *

バブルがはじけた後、青山や原宿辺りを闊歩していた不動産業二世、或いはアパレル業二世の青年たちは、きれいさっぱりどこかへ消えてしまった。電話をしてもつながらない。彼らは一体どこへ行ってしまったのだろうか?そして彼らが乗り回していたアウディやBMWは?
高校の同級生の羽振りの良かった不動産デベロッパー業のお父さんの会社は、銀行管理になったり倒産したり、お父さんが都内の公園で死体になって見つかった人までいた。お母さんが有名な画廊を経営していた同級生もいたけれど、その絵画の授受にまつわる億単位の裏金が派手に焦げつき、刑事事件として世間を騒がせたりもした。
バブルの真っただ中で、“ブランド大学女子大生(苦笑)”という最も有利なカードを手にしながらそれを有効活用するでもなくぼやーっと適当に流して過ごしていた私は、バブルがはじけた後も大して痛みを感じずに済んだが、その波に高く高く乗って有頂天でサーフィンした人ほど、後の闇は濃くなったと思う。

          *

先週、中国政府は預金準備率を引き上げ、政策金利も今月中には利上げを実行するという観測が流れている。加熱するバブルによって異常なほどに物価が上がり、去年400円だった野菜が700円近くに上がるスーパーインフレ傾向だというのだから、何とかこれを鎮静化させるために利上げせざるを得ないのだろう。
実際、この数カ月内でも、フフホトで大暴動が起き、広州付近の町でも3日間に亘る大暴動が起き、江蘇省や天津の市政府の建物が爆弾テロに遭った。日本のバブルは、程度の差こそあれ国全体が一様に豊かになったけれど、中国のバブルの場合は、開発の主体である共産党幹部とその周辺人物が突出して富み、多くの貧困層が取り残されたまま、という異常な形でのバブルとなっている。そこに物価高がやって来たなら、これら取り残された人々が大きな怒りを貯め込むのは当然のことだろう。

4年前、上海のタクシーに乗ったとき、建ち並ぶ新しい超高層ビル街の威容をぼんやりと眺めながら、運転手さんにこう言ったことがあった。
「すごいね、中国は本当に発展しているね」
運転手さんの返事はこうだった。
「何が発展だ。君に何が分かるんだ。この発展は我々庶民には何一つ関係がない」
そのすごい剣幕に、私はただ黙り込むしかなかったのだった。
中国のバブル。
その渦中にいると何故か忘れてしまいがちになるのが人間の悲しい習性だが、永遠に続く好景気は存在しない。喚起された需要がまた喚起された需要を呼ぶ幻想のダンスには、必ずどこかでその幻想を支え切れない局面が訪れ、ステップを止めざるを得なくなる。そのときに、あのタクシーの運転手さんは、上海のブランド店で次々とヨーロッパブランドのバッグを買いあさっていたSくんは、どこへ流れて行くのだろうか?

          *

2000年頃だろうか、世界経済の中で中国の持つ重みが日に日に増し始めていた頃、私は中国にかなり期待するところがあった。植民地主義を掲げた列強の侵略以来、欧米諸国にやられっぱなしだったアジアから、やっと超大国が出現する。白人だというだけで何故かいまだにアジア人を見下すことが多い欧米人を、とうとう心底圧倒出来る日が来るだろう。それが私の期待だった。
そして、4000年の歴史を持つこのナチュラルボーン超大国は、西欧風の白か黒かの教条的な哲学ではなく、独自の東洋風の世界観をもってして、世界に新たな魅力的な秩序を打ち出すことが出来るのではないか。どこかでそんな期待をかけている自分もいた。
けれど、結局のところ中国の経済発展が国民にもたらしたものは、バブル期の日本人と寸分変わらないSくんのような、金と、他人が決めたブランドという体系による権威づけに明け暮れる品位のない中国人を増やすだけのことだったのかも知れない、とも思う。中国人が日本をけなすときに「小日本」という言葉をよく使うけれど、何だ、あなたたち「大中国」さんも、結局のところ「小日本」と変わらないバブルダンスをしているだけなんだね、と大きな失望を味わうしかないのが今の心境だ。
その上更に中国政府の対外政策は悲しいほどに凝り固まった覇権主義で、世界各国に「中国嫌い」を増やしつつある。この事実も、中国の人々はもっと深刻に受け止めた方が良いだろう。15年前に中国映画に恋をして、北京に留学して以来一貫して親中派の私が言うこの心からの忠告に、どうか耳を傾けてほしいと思う。

          *

悲しいのは、中国の経済成長に乗って自分も一旗揚げようと中国に渡っている日本人で、その中には、地方の中国共産党幹部とのコネクションを自慢したり、「マヤさん、あの張さん(仮名)はどこどこ省政府の幹部の息子さんで、すごいんですよ」と耳打ちしたりする人がいることだ。中国で生まれ育った訳でもあるまいし、日本人のあなたがどうしてここまで向こうの人々さえ欠陥があると認めるシステムに取り込まれてしまうのか、と、慨嘆するしかないではないか。
また、中国で行っている自分のビジネスがそれなりに上手く行って、自分は今どんな高級料理を食べられる身分になって北京でどんな高級マンションに住んでいて‥と、バブル時代の悲しい日本人そのままに、外づけのヒエラルキーに自分をあてはめて得意になっている日本人がいる。日本で育ち、過去にバブルに踊った自国の人々の愚かな姿を見ていながら、中国に渡ってまでまた同じ価値でしか人生を測ることが出来ないのか‥と、これもまたため息をつくばかりだ。

もちろん、私の中国人の友人の中にも、また、中国に渡って奮闘している日本人の友人の中にも、このようなみっともない人々とは正反対の“本物の”人たちがいる。中国のバブルは早晩はじけるだろう。そのときに、これらの人々が受ける波が少しでも痛手の少ないものであることを、心から、願う。
そして、たとえバブルがはじけたとしても、巨大な人口を抱える中国の購買力は日本にとっていついかなるときでも無視出来るものではなく、この難しい国とどうつき合って行くかを常に考え続けて行かなければならないだろう、ということを、ため息をつきながら思う。

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